王会議:投資話
王会議に連なる従者たちの仕事は、王を無事会場まで送り届け、全てが終わった後に自国まできっちりと送り届けることにある。最初と最後、それこそが役割の大部分。
つまるところ、開催中は暇なのだ。
「……また来た」
「その顔で邪険にされると堪えるな」
「何の話?」
「独り言、だ。で、あの娘は快方に向かっているか?」
「セリーヌのこと? ……おかげさまで、無事よ。たぶん、大丈夫」
「ならよかった。所詮生兵法、専門家ではないからな」
ウィリアムは困った顔に成ってしまう。もう少し丁寧に話を進めるつもりが、ついつい喧嘩腰になってしまった。『家族』が奪われてしまう、そのことが先立って恩を売ったつもりがそれ以上に警戒されてしまっている。
「クロードは?」
「外で皆と遊んでいる。あの子丈夫だから、一日で腫れも引いちゃった」
「……なるほど。頑丈だな」
「渡さないから」
「それを決めるのはクロードだ。君でも、俺でもない。俺が強制する気はないよ」
その言葉に眉をひそめるミーシャ。昨日の言い分では弱り目に恩を売って無理やり引っ張っていくという雰囲気であった。今日は幾分、柔らかい。
「それでは意味がないからだ。自らの選択にこそ意味が生まれる」
そもそもウィリアムは最初から強制する気はなかった。昨日、少し言葉が強かったのは別の理由である。この『環境』を、シスターとかわした他愛のない話を、自分なりに噛み砕き、構築された一つの解。その不健全さゆえに、明確に彼は苛立っていたのだ。
「あいつのことはあいつが決める。だが、君は別だ」
「……どういうこと?」
「君は身体を売った稼ぎの一部をこの施設に入れているね。インビジブルの片隅、こんな場所に教会なんてあっても、信心深いものは寄り付かない。つまり寄付も、集まらない。当然子供なんて養えない。破綻しているんだ。最初から。ここは」
「……そんなことない」
「そもそもここは、ただの中継地点なんだろう? 人身売買の。あのシスターは本来、仲買人か何かか、まあ、真っ当な生き方はしていない。雰囲気からにじみ出ているからな」
ミーシャは否定しない。否定しようがない。何故なら、それらの推察はほとんど正答であったから――
「よく短い間で気づいたもんだね。それとも調べたかい?」
どこから話を聞いていたのかわからないが、柱の影からシスターが現れた。その恰好はどこまでも自堕落で、享楽的で、神に喧嘩でも売りたいのかと思うほど崩れていた。
そして当たり前のようにパイプに火をくべ、紫煙をくゆらせる。
「どんな群れにも成立する条件と背景がある。そして循環するシステムがある。ここには何もない。子供と言う負債を抱えてなお回る、強いバックボーンがない。だが、それはありえないんだ。どんな群れにも理由がある。見つからないなら、視点が間違っているだけ」
「子供は商品、この教会は商品が捌けるまでの倉庫。ああ、あんたの言う通りさ。ここは昔、そういう場所だった。そしてあたしの役割は、あんたの言う通りさね」
「だが、今は流れが滞っている」
「あんたの言うバックボーンが折れたのさ。上の組織は抗争で敗れ、残った此処は浮島の如く揺蕩うだけ。それをこの子が無理やり持たせている。本当に、あんたの言うことは正しいねえ。そうとも、此処は不自然で、不健全なのさ」
「シスター!」
「すぐにバレる嘘をついても仕方がないだろう? どうやらこの男、そこらの盆暗とはわけが違う。短いやり取りとここの様子だけで、ほとんど丸裸にされちまったわけだからね」
「健全な組織、群れとは、一個人に依存しない形態を言う。誰かが倒れても、誰かが代わりに回す。何があっても回り続ける、それが健全な形だ。ここは今、君が全てだ。君を失えばここは倒れる。それは、不健全だろう?」
ウィリアムの言葉は、的確に彼女たちの急所を射抜いていた。わかっていたことである。いつまでもこの場所が続くことなどありえない、と。
「君はやり方を間違えた」
「私に、これ以外何が、何が出来るってのよ!? そりゃあ、貴方みたいに賢ければ、学があれば、何か出来たかもしれない。でも、私には何もないの! 字も読めない、算術も出来ない。この施設を通って色街に売られた、ただの娼婦に、何が――」
「やり方は間違っていたが、時間は稼げた。俺が此処に来るまでの時間を」
自らの無力に涙を湛えるミーシャを、ウィリアムは優しく抱いた。
「俺なら変えられる。正しく、健全な形へ。そのために力を蓄えた。そのために環境を整えた。俺に任せてくれ。俺は、そのために生きてきた」
自分でも不思議なほど、ウィリアムはすらすらと言葉を並べていた。まるでそれが本心だと言わんばかりに、甘い戯言を吐く。我ながら反吐が出る。全て利害の上でのこと。されど、そこに『変える』という想いが含まれているのは、否定し切れない。
過去から続くか細い道と、自らの王道が重なる。
ミーシャは相手に自らを預けてしまっている状況に、ほんの少し驚いていた。職業柄、様々な男性を見てきた。触れてきた。ゆえにわかる。この嘘まみれの男は、自分に嘘をついてでも、『本当』を通そうとしている。何故、自分に、あの子たちに彼がこれほど執着しているのか分からない。それでも、ある意味で自分たちよりも彼は考えている。
私たちのことを。
「だからもう、無理はしなくて良いんだ」
『家族』を守らんと、ずっと立ち続け、気を張り詰めてきた女は、人生で初めて男に寄り掛かった。身体を預けた。重さを、共有して欲しいと願ってしまった。まだ、会ったばかり。互いのことは何も知らない。わからない。
でも、一つだけ分かった。彼はきっと――
○
「元の形態に戻す?」
ミーシャの眼にすぐさま失望の色が宿った。ほんの少し信じてみたと思ったらすぐにこれである。男なんて、と飛躍したことまで考え始めたり始めなかったり――
「ここには何もない。あるとしたら『人』、だけだ。そこで金を生むには『人』を売るしかない。少なくとも今は、そうせざるを得ないのが現状だ」
「詐欺師みたいな甘いことばっかり言ってるから、何か騙そうとしているのかと思っていたけど、どうにも違うようだねぇ。まあ、その通りさね。ここには何もない。あたしは何もしないし、あんただけじゃ早晩破綻する。だから戻す。いいんじゃないかい? でも、買い手がいない。それなりのバックもいないガキたちに、それが探せるかね?」
「だから俺がいると言っただろう。クロードだけじゃない。何人かここで買っていく」
「その瞬間だけ潤っても仕方ないだろうに。王会議が終わればいなくなるんだろう? 薬問屋の商人さん」
ぷは、と煙を吹きかけてくるシスター。本当に修道服が似合わない。着ていることで罰が当たりそうなほどである。
「定期的に人を寄越すさ。それなりの物流網は持っている。貴女方にやって頂きたいのは、普段の生活で売り物の特性を、性質を見抜き、俺が欲する人材に当たるかを判断してもらいたい。まあ、仲買人だ。昔と同じ、見出す価値が違うだけ」
ミーシャはすでにぷりぷり怒っていた。シスターが留めているだけ。
「あんたの欲する人材像ってのはなんだい? 何故クロードなのかってのは疑問だったからね。元気と頑丈さだけが取り柄の馬鹿たれ。男だし、従順じゃない。あたしが現役の頃なら、やっすい値札を付けて捌いていたガキさ。それがまず選ばれた。真意はどこにある」
シスターの視線に込められた諸々を感じ取り、ウィリアムは微笑む。ここはやはり理想的な場所なのだ。アルカスにもない、歪な集合体。そこのトップにやる気は無いが、それでもしたたかさは本物である。彼女が起点と成れば、人材の選定と言う難しい仕事は投げっぱなしで良いのかもしれない。あとは伝えるだけ。それで適う。
「生きることへの熱意、執着。世界に、社会に対する反骨心、野心。生命力にあふれ、今の己を変えたいと、這い上がりたいと強く願う者。それが条件だ。それ以外は白紙で良い。学、知識など叩き込めば身につくし、それはこっちでやる。だが、根っこだけは生まれ、境遇、元々の素養、後入れするわけにもいかん。其処は選定してもらう」
「男女は?」
「問わん。そこはどうでも良い。育成の過程で、適性を示せばそういう道を提示することもあるだろうが、基本的な指針としてはもう一人の俺を量産するための投資だ。色のついていない人材を一から育成し、俺の思考を、視点を共有し、俺の手足として働いてもらう。あらゆる分野で、俺が最善を尽くせるように。あらゆる分野に『俺』を送り込む」
そのための投資。ずっと前から考えていた。武に偏れば商が疎かに成り、商に偏れば武に隙が生まれる。個人で網羅できる範囲などたかが知れている。ならば個人であることをやめるしかない。広く、深く戦うためには、群れをつくるしかない。
だが、優秀な人材を集っても、彼らには彼らの考え方、それぞれが培ってきたやり方がある。それはそれで味わい深いものだが、一方でそうじゃないと思う時もあった。それを解消するためには、遠回りに思えるが一から育てるしかない。
これはそのための投資であり、其処には間違いなく利害があった。
「あの子たちに勉強を、読み書きを、教えてくれるってこと?」
ミーシャの眼の色が変わる。それはずっと願ってきたこと。自分は得られなかったものだが、いつか彼らにはそれを手に入れて欲しかった。自分は持っていないから教えることが出来ない。今の生活を維持するので精いっぱいで、彼らにそれを学ぶ環境を用意することも出来なかった。それが、叶うのだという。対価は離れ離れに成ることだが――
「もちろんだ。社会生活に必要は基本は、半年で叩き込む。すぐ覚えられるさ。熱意があれば半年も必要ない。環境はすでに整えてある。あとは、中身だけ、だ」
「つまり、下手に色がついていない方が良いってことかね。今まで安い値を付けていた連中を、高く買うとあんたは言っているわけかい?」
「そうなるな。良い商売だろう? 空っぽだが飢えた人材を寄越せ。世界にはそんなガキいくらでも溢れている。そこの真贋は見極めてもらうがな。他人におもねるだけの人材は要らない。牙を持ち、戦うことを厭わぬガキが欲しい」
「だからクロード、かい」
「偶々縁深かったと言えばそこまでだが、あの眼は気に入った」
ギラギラした野心。ウィリアムの眼にはそれがありありと映っていた。其処まで遠大な道を、実るかもわからぬ投資を、この男は迷わず突き進もうとしている。普通の視点ではない。普通の視点ならもっと目先の益を取る。
美しい少女は特上。気立てが良ければなお良し。女のような男も特上だが賞味期限が短いのがネック。基本的に少年の時点で安い。頑丈であること、従順であることが求められる。彼らの中身など大した意味はない。彼らは家畜と同じ、外面さえ整っていればいいのだ。この子は優しそうな子だから買おう、そんな購入者はいない。
いない、はずだった。
「悪いようにはしない。俺の役に立ってもらうために、強く成ってもらう。あらゆる分野に侵食し、それらを喰い取っていく人材育成。奴らは学を得る、強さを得る。その過程で俺を学び、俺に倣い戦ってくれたならそれでいい。束縛する気も無い」
この男の眼に優しさは無い。甘さも無い。理屈と利害、そこから派生した解が甘い戯言に聞こえただけ。徹頭徹尾の理論武装。決してそこに甘い夢は込めない。入り込む余地すら与えずガチガチに固める。遠大な計画ではあるが、自分が、凡人である己が這い上がるためには必要な過程であると。己が内包する悪意すら押し込んで――
男は我を通す。
「選ぶのは彼らだ。そして貴女たちでもある。俺の用意した道に乗るか、このまま砂上の楼閣として崩れ去るのを待つか、二つに一つ、だ」
ミーシャは揺れていた。ようやく手に入れた『家族』が、離れ離れになるのは辛いことだが、ずっと与えたかったものを、代わりにこの男が与えてくれるのだという。彼女は身をもって理解していた。学を持たない自分に選択肢などなかった現実を。
「残念ながら、三つめもあるのさ。本当に、残念な話だけどねえ」
「三つ目? それはどういう?」
「そろそろ時間さね。そうだろう?」
問いかけられたミーシャ。そうして彼女は現実に引き戻されてしまう。一瞬、浮かべた夢。それはとても心地よいものであったが、同時に夢でしかない。
ウィリアムは怪訝な眼で二人を見る。彼だけが知らないのだ。ここは砂上の楼閣ですらなく、ミーシャの限界を待たずに崩れ去らんとしている崩落の塔なのだ。
彼は知らない。
「シスター、話し合いの時間だ」
「不毛だねえリエーブル。ぞろぞろと、神の御許に土足で上がり込んで」
「お前が神を語るか、笑えるな」
ぞろぞろと現れた一団。その背後には騎士の姿もあった。
ウィリアムは物陰に姿を隠す。かつらと仮面、それを装着し状況を窺う。
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