王会議:夢幻

「どうされましたか?」

 女性から声をかけられ、ようやく正気を取り戻したウィリアム。世界には自分のそっくりさんが三人ほどいるという与太話があるが、存外それは真実で、こんなこともあると無理やり自分を納得させる。

「い、いえ、知り合いに似ていたもので」

「まあ、不思議な縁ですね」

 彼女、ミシェルと名乗る女性は先ほどまで見せていた狼狽を露とも見せず、きっちりと笑顔を作っている。そうした計算された仕草を見ると、ウィリアムも少し落ち着きを取り戻すことが出来た。彼女はきっちりと仕事を、やるべきことを果たそうとしている。

「その女性はお国に?」

「いえ、もう、いません」

「……それは、申し訳ございません旦那様。差し出がましいことを」

 上手く雰囲気の出る流れを創ろうと振った話題が裏目。接客業ゆえに噛み合わぬこともあるだろうが、どうにも上手くないと彼女は思案している。ほんの少しの間で、ウィリアムはそう言うことがわかってしまう。自分も同じだから。

「不思議な気分です。まるで昔に戻ったかのようだ」

 はにかむウィリアムを見てほっと息を吐くミシェル。

「良かった。御気分を害してしまったかと思いました」

「まさか。私の方こそ申し訳ない。貴女に要らぬ気苦労をかけてしまった」

「いいえ。お気になさらず。こちらにどうぞ」

 ミシェルがベッドの端に手招く。まずは座って話をしようと言うのだろう。ウィリアムのパーソナル、つまり童貞、未経験であることは彼女にも伝わっている。こうしてゆっくりと気分をほぐし、流れを作るのも彼女たちの仕事なのだろう。

「ではお言葉に甘えて」

 横に座るとなお香る。姉と同じ匂い。不思議な気分であった。声こそ違えど外見も仕草も匂いすら姉と瓜二つ。偶然にしてはあまりにも出来過ぎている。

(……神の差配、か。やはり怪物だな、あの男は)

 当人の知らないところでウィリアムはルドルフの恐ろしさを味わっていた。

「匂い、気になりますか?」

「ん? あ、ああ。知人も同じような香りを漂わしていまして、少し気になりました」

「そうなんですか!? すごい偶然ですね。この香水は優しい匂いがするので私、ずっと前から使っているんです。これで意外と香りが長持ちするんですよ」

「へえ。こういう香りの香水もあるんですね」

「お客様からは賛否ありますけれど。もっときつい香りがお好みの方もいらっしゃいますし、優しい香りが好きだ、とご好評頂けることもあります」

「私は好きですよ。強い匂いは、少し刺激が強過ぎて」

「お客様はあまり色街にはご縁がないのですね。匂いと言うモノは慣れるものですし、逢瀬を重ねれば重ねるほどに、より強い刺激を欲するものですから。何事も」

「あはは、何分この歳で未経験なもので」

「端整なお顔立ちなのに不思議です」

「年がら年中戦争をしていると、特に出会いも無く、機会もありませんでした」

「……兵隊さんなんですね」

「ええ。大した才能はありませんが、必死に喰らいついて何とか生き延びています」

「御謙遜を」

「いえ、本当に私は――」

 ウィリアムが否定の言葉を重ねようとした矢先に、ミシェルが優しくウィリアムを抱きしめる。いきなりのことで目を丸くするウィリアムであったが――

「ゆっくり休んでください。私に身を委ねて、大丈夫、怖くありませんよ」

 耳元で囁かれた言葉。それは甘く、優しく、何よりも、懐かしい匂いがした。ウィリアムもゆっくりともたれかかる。軽く腕を回す。

(嗚呼、小さくなったね、姉さん)

 こんな気分はいつ振りだろうか。こんな気持ちはいつ以来だろうか。ウィリアムは女の子の腕の中で安堵の息を吐く。とても安らかで、満ち足りて、あの頃の――

「……ぼくは、騎士に、なったよ」

「騎士? 騎士がどうしましたか旦那さ――」

 上手く流れを作ったとミシェルは内心自画自賛していた。未経験の御客と言うモノは繊細で、ガラス細工のように扱わねばならない。百戦錬磨の彼女にとっても注意が必要な手合いなのだ。されどそこはプロ、巧みな話術で警戒を解き、そのまま開戦、となるはずが。

「……旦那様、旦那様」

 少し強く揺らしても無反応。そのままどさりとミシェルの膝の上に倒れ込み――

「ぐう」

「爆睡かよ!?」

 彼女の膝の上で深い眠りについていた。揺らしても起きない。

「……た、高い金払って一番人気貸切って、普通寝る? ありえなくない?」

 客が寝ているのを良いことに、ミシェルは素の口調となっていた。こんな経験を彼女はしたことがなかった。彼女にもプライドがある。この店で一番、ウルテリオルの中でもそれなりに上の方だと思っていた。口には出さないが。

 それがこのザマ。普通なら憤慨するところだが――

「こんだけ安らかな寝顔されたら、怒るに怒れないじゃん」

 切れ長の瞳は柔らかく閉じられ、しゅっとしていた眉はゆったりと弧を描く。端整な顔立ちであり、どこか中性的で冷たい顔つきであったが、当初の印象はすでに消え失せ、ほんの少しぷにっとした頬は触るととても心地よい。

「たぶんどこかのお金持ちのお坊ちゃんが箔付けのために戦地にって感じかな? だって、こんなにも優しげな顔をしているもの。人どころか、虫すら殺せなさそう」

 ミシェルはさらさらな髪の毛をとかしてやる。もぞもぞと気持ちよさそうに身じろぐのが面白い。弄り甲斐のある雰囲気、これも当初の印象とは異なっていた。

「しょーがないなあ。もうお金ももらってるし、膝くらい貸してあげる。ミーシャちゃんの膝は高いんだからね。うちのクロードみたいに甘えんぼさんなんだから」

 熟睡するウィリアム。それを膝に乗せ、さらさらした髪を玩ぶ女性。其処にはある男が追い求め、永遠に手に入らないと思っていた幻想があった。見る者が見れば、驚愕に眼を剥くだろう。絶対に隙を見せなかった男が、睡眠中すら悪意と共にあった男が、ほんの一欠けらの警戒も、悪意も、何一つなく安らぎの中にいるのだ。

 最愛を失ってから一度としてなかった時間を、今、男は享受していた。


     ○


「ふわぁあ。眠いや。張り切り過ぎちゃった」

 がっつり満喫し眠気眼をごしごし擦りながら、未だ薄闇が広がる天蓋の下、よたよたと店の外に出てきた。先に出ていたヴォルフもまた眠そうな顔つきである。

「どうだった?」

「……新しい扉が開きかけた。この先は沼だ。わかってんのに、クソが」

「なるほど。デ、ぽっちゃりに目覚めかけたか。気持ちはわかるよ。僕もハマりそうになったことがある。そういう時は、スタイルの良い美人を凝視するんだ。とびっきりのをね」

「……今日は一日、アルカディアの姫さんをストーキングするわ。寝てから」

「それが良い。すっごい美人だもんね。僕はクラウディア派。エロそうだし」

「俺もだ。エロいだろ絶対」

「気が合うね。あ、ちなみに僕は最高でした。今日の夜もまた来ます」

「マジかよ!? 明日は俺が指名するからな!」

「君はデ、ぽっちゃりの彼女がいるだろ?」

「いねーよ! つーかクソ眠い! あいつはまだかよ!?」

「まあまあ。初体験ってのは特別なモノさ。僕もよく覚えているよ。ムラっとして襲ったんだ。あの子、良かったなあ。おっぱいでかかったし」

「俺は……ぐ、ぐおおお。貧乳で頭が中和されていく。ニーカ、お前の無い乳、初めて役に立ったぜ。しっかし、いくら何でも平坦すぎんだろお前」

「……あの子女だったんだ」

「ああ、一応な。つーか限界。もう帰る」

「だね。僕も限界だ。積もる話はまたお昼過ぎにでも。どうせ暇だし」

「おうよ。あいつの初体験、根掘り葉掘り聞いてやろうぜ」

「下衆だねえ。僕好きよ、ヴォルフっちのそういうとこ」

「ガハハ。じゃあけえるべ」

「はーい」

 ルドルフとヴォルフ、二人の男は眠気に負けて帰った。まさか中であのような不測の事態が起きているとは露とも思わずに――


     ○


 ウィリアムが目を覚ました時にはすでに彼女はいなかった。まるで化かされたような気分。されど体調はすこぶる良い。ここまで良いのは記憶にないほど。それもそのはず、これだけ深く熟睡出来たのは久方ぶりの事。怪我で寝込んだ時でさえこれほどではなかった。

「旦那様、申し訳ございません」

「いや、こちらこそ済まなかった。彼女に謝っておいてくれ」

 そう言ってウィリアムは懐から金を取り出し、すっと店主に手渡す。

「またのご来店をお待ちしております」

「縁があったらまた来よう」

 朝焼けが目に沁みる、ウィリアムは罪悪感が芽生えそうなほどにすっきりとした朝を迎えていた。今なら何でも出来そうな気がする、そんな心地で空を見上げる。

「ひと時の夢。充分過ぎるさ」

 軽やかな足取りでウィリアムは前へと足を踏み出した。


     ○


 王会議は連日波乱含みの進行であった。その中で燦然と輝くのは若き王たち。会期中おそらく最も発言数の多かったのはオストベルグ王、エルンストであった。要所でアクィタニアのガレリウスが場を引き締める。そして一番狙われていたのがアークランドの女王アポロニアであった。

 初日から大きく揺れ動いた議題、アークランドの処遇については、ネーデルクス主導での七王国への誘い。他国の反発も強かったが、それをばっさりと切り捨てたアポロニア当人の反発が一番強かった。無論、すべて織り込み済みの動き、動かしたものの思うとおりの結果となる。

 アークランドは七王国の枠組みに属さない。七王国という均衡のためのシステムには組み込まれないとアポロニア本人が意思表示をした。そしてそれをガリアスの王ガイウスが認める。そこまでが初日であった。

 これで七王国の均衡が名実ともに潰えた。サンバルトが会議で亡国を宣言、土地をアークランドへ明け渡す苦渋の言葉を放ち、滅ぶ。残り六国。もともとサンバルトは数あわせでしかないとはいえ、七王国に成り代われるほどの大国はアクィタニア程度。しかしガレリウスは自国を七王国とすることに反対、二日目以降の会議は混迷を極めていた。

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