王会議:出会い

 ウィリアムとヴォルフは四人で興じたゲームの後、ふらふらと街中を歩いていた。何故か先導するヴォルフに仕方なく付き合う形でウィリアムは追従する。この時点でウィリアムは気づくべきだった。

 何か意図がある、と。

「やあやあお二人さん。奇遇だねえ」

「お、ルドルフっち奇遇ぅー」

「ほんと凄い偶然だねえ」

「だねえ」

 すかさず逃げ出そうとするウィリアムであったが、がっちりとヴォルフに掴まってしまい身動きが取れない。やはり力はヴォルフに分があった。

 そんなことはさておき――

「男三人かあ。ゲームも飽きたもんね」

「こいつ下戸だからさ、酒場行ってもつまんねえわけよ」

「じゃあ行く場所って一つじゃん!」

「じゃん!」

 初めからこの状況は計画されていた。意味深に去っていたルドルフに、何故かしつこく付きまとってきたヴォルフ。全ては策謀の上、知略を武器とするウィリアムにとって屈辱の状況が此処にあった。

「さあガリアスの女の子狩りじゃい!」

「ひゃっほー! ここにはニーカもいねえしやりたい放題だぜ!」

「し、死神に見つかったらどうする?」

「見つかってもどうもしないけど、それっぽい雰囲気を出して撒いたからたぶん大丈夫。あれ馬鹿だから今頃しゅんとなって部屋の前で待機してるよ」

「……俺が言うのも何だけど、お前鬼だな」

「そう?」

 ルドルフは心の底から理解不能と言う風に首を傾げていた。ヴォルフはため息をつきながら、気を取り直してとばかりにウィリアムを抱き寄せる。

「お前も国に婚約者がいるらしいじゃねえか。なかなか息抜きも出来ねえだろ? こんなチャンスは滅多にねえぜ。スパッと気持ちよくなってバシッと明日から頑張ろうや。息抜き大事、英雄王もそう言ってたし」

「……本当か?」

「さあ? あの人童貞らしいから俺ちゃんよくわかんない」

「え!? 英雄王って童貞なの!? そんなことあり得る?」

「酒も女も博打も興味ねえんだあの人」

「……に、人間じゃない。すげーよ、僕ちゃん逆に尊敬する」

「だよなあ。まあ、好きな相手が聖女様じゃ仕方ねえか」

「あ、そっかあ。信仰の柱を自分から汚すわけにはいかないもんね。いやーストイック王だね。僕には無理だ。でも理由があるなら仕方ないよね」

「おう、理由が無かったらドン引きだぜ」

「童貞は精通と同時に卒業しました!」

「はえーな。さすがお坊ちゃん。俺は十五かね。ユーウェインの奴に隠れて、結成したばっかの団員と一緒に行ったんだ。今と成っちゃそいつらはもう――」

「元気出しなよヴォルフっち。今日は僕が奢るからさ」

「かたじけねえ」

 がしっと手を組む男二人。そして二人同時に首がぎゅるんと回転し――

「「で、何歳で卒業した?」」

 男同士でしか出来ない質問を投げかける。ウィリアムは無言。最初はにやにやと「吐けよこいつぅー」「んもー恥ずかしがり屋さん!」などと弄ってきた二人であったが、次第に顔色が変わっていく。

 何も答えぬウィリアムの姿を見て、青ざめていく二人。

「……つかぬことを聞きますが、ウィリアム君」

「……何だ?」

「いや、あり得ないことはわかってるんだよ? 天下の白騎士様がさ、ま、まさか童貞だなんて、そんなことあり得ないし」

「……あり得ないは言い過ぎだろ」

「「ひょ、ひょええええええええええ!?」」

 びっくりして腰を抜かす二人。未だとばかりに逃げ出そうとするも、起き上がったヴォルフが俊敏な動きでウィリアムを捕らえる。身体能力が無駄に高いのだ、この男は。ウィリアムとて足には自信があるというのに――

「……婚約者いるんだよな? 確か同じ屋根の下に住んでるそうな」

「何で知ってるんだよ?」

「あの金髪君から聞いた」

「……そうか。あいつが裏切り者か」

 あとでシメる。そう心に誓うウィリアムであった。

「で、童貞?」

「……ああ」

「でもでもテイラーの妹ちゃんともいい感じだったんでしょ?」

「それもカールか」

「うん」

「……そうか」

 裏切り者の自覚すらないまま、ぽやぽやとした笑顔で洗いざらいぶちまけたであろう男の顔を思い出し、久方ぶりに殺意が芽生えるウィリアムであった。

「でも童貞」

「だからそうだと言っている」

「「ひょええええええ!?」」

 信じられないモノを見る目で二人はウィリアムを見ていた。

「せ、性欲は?」

「あるんじゃないか、たぶん」

「ひ、一人遊びが好きとか?」

「やったことねえよ」

「「嘘!?」」

 男なら絶対やるだろ、やらない奴なんていないだろ。絶望的な表情を浮かべる二人は自分たちの思い付きが存外大きな意味を持つことを知った。

「お前、もう良い歳なんだぞ」

「結婚適齢期じゃないか。それが未経験なんて僕は恥ずかしい!」

「そうだ! いいか、もう俺らくらいの歳に成ったら、女の子をリードしなきゃならないんだぞ! お前年下の女の子にリードさせる気かよ!」

「まあお金と権力でどうとでもなるけどね」

「それは今言っちゃダメ!」

 怒涛の勢いに気圧されるウィリアム。確かに、多少憂慮していたのは事実。リスクが大きいため肉体関係を持つのは避けてきたが、そう言う誘いが幾多あるのもまた事実。いずれかわせぬ相手、状況などが出てきた場合、そこから未経験であったなどと話が出れば、良い笑いものである。

 白騎士と言うブランドも傷物と化す。

「いや、だが――」

「つべこべ言わず往くぞ!」

「往くぞ!」

「ま、待て。少し考えさせろ」

 ヴォルフの膂力によってずるずると引き摺られていくウィリアム。その姿はとても新時代の英雄と目されている男には見えなかった。


     ○


 アルカスにも存在するが、ウルテリオルにも同じように色街に当たる区画が存在する。ガイウス王が締め付け不健全、やるなら思いっきりやれとお触れを出したのが四半世紀前。今となっては七王国最大規模の風俗街が誕生していた。

「……ひゅう、相変わらずこの国は半端ねえぜ」

「におう、におうよ。おっぱいのにおいだ。良質の、しかし、香る程度に――」

「おかしなテンションをやめろ」

「お前本当に男か?」

「ムズムズするでしょ普通。あっちもおっぱいこっちもおっぱいだよ」

「服越しでもわかるデカさだ。デカいって良いよね!」

「それ!」

「……勘弁してくれ」

 観念して自らの足で歩くウィリアムであったが、色街の雰囲気と鼻につく匂いで頭がくらくらしていた。吐き気すら催し始めている状態に、ようやくウィリアムは自分を理解する。機会がなかったわけではない。避けていたのだ。

 この匂いを、雰囲気を。

(そうか、俺は、苦手なんだな。こういったモノが)

 子供の頃、純粋に信じていた花売りと言う仕事。大人になって、社会を知るにつれ、それが隠語だと知る。そして姉がどういった生業であったか、薄々ながら理解してしまう。ずっと、喉の奥に引っ掛かっていた、世界の裏側。

「ふうむ、こんだけ色々あると迷っちまうな」

「まあ店選びは任せてよ。僕、外したことないから」

「ルドルフ神!」

「崇め奉るがよい」

 近づかなかった、無意識のうちに、避けていた。

「あ、あの子可愛い!」

「光の当て方が巧みなだけだよ。化粧も上手いけど、少しトウがたってるね。上手く乗せてるけど、化粧ノリから見て三十代後半とみた!」

「……マジかよお前。運関係なしに神の子じゃん」

「ふふ、女の子の造詣には自信があるよ。絵も描いてるし」

「女の子の!?」

「ああ、おっぱいの、ね!」

「こんどください!」

「じゃあネーデルクスにおいでよ。絵あげるから」

「いくいくー!」

 知能が低下した二人の会話も相まって、ウィリアムの気分は最悪を更新し続けていた。煌びやかな見た目、派手ないで立ちの女たち。夜でも光が絶えぬ不夜の街。欲望渦巻く楽園、の皮を被った地獄が其処に在った。

「むむ!? 神の啓示キタァァァ! あの店だ!」

「そ、それほど良さそうな店には見えないけど」

「んん? 僕を信じないの? ぼったくられちゃうぜ?」

「我が神。一瞬でも疑ったわたくしめをお許しください」

「ゆるーす! さあ行こう!」

「ま、待て、やっぱり俺はいい。気分が悪くて今にも吐き――」

「一発キメときゃ気分も晴れるさ!」

 ヴォルフの力には逆らえず、ウィリアムは引き摺られていく。女の園、男の欲望と共に金を吐き出させ、胴元たる男が儲けるという女の生き地獄。

 嗚呼、やはりこの匂いは嫌いだ、とウィリアムは虚ろな意識の中思った。


     ○


「こちらがお遊び頂ける女の子のリストに成ります。女の子の年齢、特徴も併せて記載されておりますので、ご一読いただき御精査願います」

「ありがと。じゃあ僕はこの子で、ヴォルフっちは――」

「俺はこの子にするぜ」

 ルドルフと言う最高のブレーンを得ながら、あえてヴォルフは最後の決断を自らの選択で行った。ルドルフが目を細める。

「覚悟は、良いんだね」

「ああ。店構えはピンと来なかったが、中の匂いで良店だとわかった。押しつけがましくない匂い、内装も含めて誤魔化しがねえ」

「……ふ、さすがヴォルフっち」

「地域密着の老舗だ。あとは、俺の経験値がものを言う。学はねえ。文字は読めねえ、書けねえ。だが、一つだけ読める文字があるのさ」

「ふふ。僕も初めて覚えた言葉がそれだったよ」

「でかでかとおっぱい、そう書かれているんだろ? じゃあ、俺の選択肢は一つだ。蛮勇だと笑わば笑え。それでも俺は、おっぱいが欲しい。でかいやつ」

「行きなよ。骨は拾ってあげるから」

「おうよ」

「店主、彼にオプション追加で。フルコースで頼むよ」

 ルドルフの眼には勇者の後姿が映っていた。彼にだって数字くらい読めるはずなのだ。それでも彼は、その一文字に命を賭けた。先ほど見せた牙と同等、それ以上の覚悟を持って彼は、おっぱいへと誘われていく。

「……見間違いじゃなければ三十後半だったよな」

「……こういう店はね、下に詐称することはあれど、上に詐称することなんてありえないんだ。最低三十代後半、上は青天井だ」

「……じゃあこのウエストも」

「よく気づいたね。これも暗黙の了解でね、六十って数字は表記の上限とされているんだ。何故か万国共通で。当然、青天井さ」

「……あいつは馬鹿なのか?」

「大馬鹿だよ。それでも、彼は選んだ。男さ。あ、店主、何となくこの子を彼につけてあげて。折角だしヴォルフっちと同じ朝までコースで」

「ちょ、お前勝手に」

「あと彼未経験だからその旨も嬢に伝えてあげてね」

「言わんでいい!」

「こういう店は言った方が良いの! 旅の恥はかき捨てって言うでしょ!」

 そう言ってルドルフは席を立つ。

「武運を祈るぜ」

 格好良くサムズアップしてキメ顔で歩き去る男。ただ一人残されたウィリアムは静かにため息をつく。ここまで来たら腹をくくろう。これも経験、何事も経験して、学習してこその白騎士。弱点をそのままにしておくなどありえない。

「やれるさ。ただの、経験だ」

 ウィリアム・リウィウス、出陣。


     ○


 ヴォルフの前には凄まじい大きさのおっぱいがあった。

 そして――それに見合うデ、ふくよかな女性が其処にいた。

「……ふ、やってやるぜ」

「かかってきなさい、坊や」

 狼が死地に飛び込んだ。


     ○


「さっすが僕。想定以上の大当たり。ズバリ、一番人気だねお姉さん!?」

 均整の取れた体躯。わずかな染みすら見受けられないきめ細やかな肌。さすがウルテリオル、このレベルがこういった店に存在し得るのだ。ルドルフは生唾を飲み込んだ。この国に勝つには、足りないモノがあった。

 エロい美人が。

「残念。二番人気よ。一番は別の子。愛嬌の差で負けちゃうの」

「……え?」

 ルドルフは膝が崩れ落ちる思いであった。天下の神の子が、まさかの引き。今宵は負けてばかりである。あり得ないことが二度起きた。

「お兄さんが私を一番にしてくれると嬉しいなぁ」

「おっけー。明日もフルコースで指名しちゃう!」

 さして気にすることも無く美人に飛び込むルドルフ。考えるのはあと。目の前にとびっきりの美人がいるのに余所見なんてありえない。ラインベルカが目の前にいたとしても同じように飛び込んだだろう。

 だって、男の子なんだもん。


     ○


 ウィリアムはふと、ここに来て気分が落ちつきを見せ始めていることに気づく。この店自体がそれほど強いにおいを発していないためか、それとも別の――

(……におい、か。そう言えば姉さんは、あまり強い匂いじゃなかったような。古い記憶だが、そう、そうだ。丁度、こんな感じで優しい匂いがした)

 指定された部屋の扉を開ける。やはり、強い匂いは漂ってこない。これなら何とかなるかもしれないとウィリアムは強い気持ちで踏み込む。

 だが――

「お待ちしておりました旦那様。今宵のお相手を務めさせて頂きますミシェルと申します。どうぞ、お気を楽にして――」

 そんな気持ちは一瞬にして砕けてしまう。

 唖然とするウィリアムを見て口上を途中で止めてしまう女性。何かおかしなことを言ったか、不手際があったかと疑問符を浮かべる女性をよそに、ウィリアムは混迷の中にいた。こんなことがあり得るはずがない。こんな景色があるはずがない。

 だってそれはとっくの昔に失ったもの。自らの糧とし、覚悟の一部と成ったはず。尊厳の一片すら奪われたあの姿が幻想だったとでもいうのか。そんなはずはない。そんなはずがない。だからこれは、ただの幻想。

「……姉さん」

 それでも男はぽつりとこぼしてしまった。

 首を傾げる女性を前に、ウィリアムは一筋の涙を流す。

 そこには、ウィリアムの、アルの姉であるアルレットによく似た、本当に、髪の色から目元、口元、何から何まで『あの頃』のままの、女の子がいたのだ。

 記憶が、呼び起こされる。封じたはずの幸せな記憶が。

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