王会議:遊興

 世界最大の祭りを楽しもうと多くの王侯貴族は街へと繰り出した。無論、そこは市街地ではあるが厳重な警戒の下、安全が確保されているエリアである。王たちにとってはそれでも己が国よりも自由かつ快適に祭りを楽しむことが出来た。華やかさと贅を極めしウルテリオルの祭り。眼下では市民たちも狂乱の渦を生んでいる。

 皆が楽しんでいた。皆が騒いでいた。この世界には活力が漲っている。明日への希望がある。これほど満ち足りた光の空間、この場の何と美しきことか。

 ゆえにウィリアムは――

「なーんでお祭りだってのにこんなとこに来る必要がある?」

「上が最も輝くならば陰もまた色濃くなる。観測するにこれほど適した日もない」

 ウルテリオルの外縁部、ウルテリオルの一部とみなされていないエリアに足を運んでいた。この区画はあの光の世界からは見えない造りになっている。光の只中に居ればこの世界に目を留めることすらないだろう。

「答えになってねえよ。折角のお祭り、しかもウルテリオルが総力を挙げて生み出した最大の催しごとだ。参加しない理由がわからねえ」

 ウィリアムの奇怪な動きに何を感じ取ったのか、ヴォルフもまたこの場に足を踏み入れていた。華やかな楽園とは打って変わり、この世界に見るべきところなど何も無い。むしろ目を覆いたくなるものばかりが広がっていた。

「参加したけりゃ好きにしろ。ついて来いなど一言も言っていない。俺はトゥラーンを、ガロ・ロマネスを見た。何よりもガイウスを見た。ならば俺にとって次に見るべきは……底だ。天地併せて見る、感じる、そして国を知る」

 ウィリアムは一人歩き出した。ヴォルフは頭を掻いて後を追う。

「王女様が探していたぜ。ついでに金髪の坊ちゃんもだ」

「お前もサンバルトの元姫君とつもる話があるんじゃないのか? 視線が送られていたぞ」

「……そりゃお前……色々複雑なんだよ」

「だろうな。だから振ったんだ」

「このくそ野郎。やっぱ俺はテメエが嫌いだわ」

「安心しろ。俺は最初からお前が嫌いだ」

 ウィリアムはどんどん先に進んでいく。背中に見える光が遠のく。闇が視界を覆っていく。汚泥の薫りが鼻を貫く。腐った肉の薫り、死臭が満ちていた。

「ひでー場所だな。まあ、どの国にもあるけどよ。こういう糞溜めみてーな場所は」

 彼らがウィリアムたちを見る目は酷く濁っていた。歯茎から流れ出る臭いに顔をしかめるヴォルフ。ウィリアムは表情一つ変えない。

「そうなのか?」

「そりゃどの国にもあるさ。今居る、ウルテリオルの『存在無き区画(インビジブル)』、ネーデルダムの『アディス』に、エルリードの『ゲヘナ』、俺の故郷にゃ『ジャハンネ』とか呼ばれてる場所もあったっけ。アルカディアにもあるだろ?」

「洒落た名は無いがな。ただの貧民街なら存在する」

 アルカディアは底辺に対しガリアスと同じような扱い。要するに場所に名を与えてやることすらはばかられるということ。存在していない、名も無き場所。其処に住む者たちも彼らにとっては名無しと同じ、つまり同じ人ではない。

「それにしても、さすが超大国、底辺も壮大だねえ」

 ヴォルフの目の前に広がる光景は、まさにウルテリオルの陰であった。区画の広さもさることながら、その人口密度はそれこそ桁が違う。いったいこの地獄のような区画にどれほどの人間が敷き詰められているのか。そもそも彼らは人と言う扱いを受けているのだろうか。

「ウルテリオルを、トゥラーンを新造するに当たって大勢集めたらしい。世界最大の都市を新たに再建するとなればこれぐらいが適正なのかもな。造り終われば必要なくなってしまう。……帰る場所があったやつを差し引いて、目の前の光景か」

 新造されし最大最高のツケがこのようなところに表れていた。否、このようなところにこそ表れる、それを知るがゆえにウィリアムはこの場に赴いたのだ。

「偉大なるガリアスの影、か。胸糞悪いぜ」

 此処に残っている者は帰る場所を持たない者たちだろう。温かな食事、ふかふかのベッド、花を愛で詩を歌い楽器を奏でる。人間らしく生きるということ。その難しさが此処にあった。この人数の犠牲の上に成り立つ人間らしさとはいったい何なのだろうか。

「ガリアスとて例外じゃなかった。それが知れただけでも収穫」

「当たり前の話さ。王が居て、貴族が居て、平民が居て、奴隷が居る。下に行けば行くほどに人数は増えるんだぜ? 七王国の世界じゃ人間の半分は奴隷だ。それが世界だ」

 ウィリアムはヴォルフの顔を見る。そこにあるのはむき出しの嫌悪感。この男は彼らの持つ弱さが許せないのだろう。彼らが強くあろうとしないことに腹が立つのだろう。出自は同じ、しかし今のヴォルフと彼らには大きな開きがある。

「俺は、心底思うぜ。あの時、這い上がると誓った。その選択は間違っていなかったってな。あの時動いてなきゃ俺もこいつらと同じ面してただろうよ」

 ヴォルフもまたウィリアムを見る。

「俺もこいつらと同じ、奴隷身分の出だ。俺を……どう見る、白騎士」

 突然のカミングアウト。ウィリアムは鼻で笑った。

「人間のつもりだったのか山犬。お前が何の出だろうと品のなさは変わらない」

 その返しにヴォルフは大笑いする。やはりこの男は嫌いになれない。腹が立つことばかりだが、それでも根っこの部分で互いにリスペクトがあった。そして考え方も似ている。

「そうかよ。ま、お高く留まってんのに本性があれな奴よかマシだろ」

「誰のことを言っているのかわからないな。とりあえず俺の視界から消えてくれ」

 ウィリアムとヴォルフの歩むと恐れ戦いた人々が割れる。彼らを貴族とでも思っているのか深々と頭を下げるものまで居る始末。徹頭徹尾弱さが染み付いている。そういう生き方を重ねてきたのだ。そうやって生きるしか彼らには道が見えないのかもしれない。

「どいつもこいつも……襲ってくるぐらいの気概はねえもんかね」

 ウィリアムとヴォルフの身に付けているものは、宝飾類はもとより布一つをとっても高価である。この区画に居るものにとっては手の届かない代物。つまりウィリアムらを殺して奪えば彼らは容易くこのゴミ溜めから脱出することが叶うのだ。

 ウィリアムやヴォルフなら迷わず殺してでも奪い取る。それをしない、出来ないのが人としての底、彼らはそれを良心と呼ぶのかもしれないが、戦場で這い上がった二人にとっては甘い戯言でしかない。

「だからって襲って来いって言っちゃねーんだけどな」

 物陰から小さな影が飛び出してくる。最短最速で突っ込んでくる姿に、ヴォルフは自然と笑みをこぼした。弱さを纏ってやり過ごす生き方は嫌いである。虚勢でも、無謀でも、強くなろうとする姿こそヴォルフは好ましいと考えている。

「喰らえ!」

 小さな人影が勢いそのままに投げつけてきたのは『石』であった。ヴォルフはあえてそれを避けるでも払うでもなく、瞬速で抜剣し十字に切り裂いた。「決まった」と悦に浸る馬鹿。その隙に影はヴォルフと軽い接触、そしてウィリアムも――

「欲張りすぎだガキ」

 ウィリアムは足払いをかけて小さな影の体勢を崩し、そして鞘に収まったままの剣で引っ掛けてぶら下げた。あまりの早業に驚いて声も出ない小さな影。

「そこで阿呆面さらしている間抜けには投石が効いていた。上手く掏った。そのまま逃げれば貴様の勝ち。だが、俺に対して何の目くらましもなく攻めてきたのはへたくそだ。捕まれば終わり。相手が相手なら殺されても文句は言えん」

 ウィリアムは剣を傾けて引っかかっている小さな影、少年を下ろしてやった。

「へたくそなりに工夫した頭に免じて逃がしてやる」

 少年は驚いた目でウィリアムを見る。そして何かを思い至ったのかキッとウィリアムをにらみつけた。その燃えるような瞳は剥き出しの闘争心を映す。

「同情か!?」

 その反応にウィリアムは苦笑した。あまりにも想像通りであったがために。

「馬鹿か? 何で俺が貴様に情を持たなきゃならねえ? 俺が見たいのはその金を持ちながら、ガキの貴様がこの掃き溜めで生き延びられるか、その一点だ。わかっていると思うが、ここにいる連中は自分より弱いものには滅法強いぞ」

 滅多にいない底辺の下。底辺の中に住む子供は彼らにとって愛でる存在ではなく、見下し搾取する存在なのだ。それが小金を手に入れた。ウィリアムたちには手を出す気力すら湧かないが、子供ならば別。ウィリアムたちが視界から消えた途端に襲い掛かってくるだろう。

「もしまた会えたら……その時はもっといいものをくれてやる」

 そのまま歩き去るウィリアム。その背を見送ることもなく少年もまた闇に消えた。此処からが死に物狂いの逃走劇。無事少年は生き延びられるか。もし生き延びたならば――

「……ひとつ言っていいか?」

 その時は――

「掏られたの、俺の金なんだけど」

 ウィリアムは微笑む。そして無言のまま歩き続けるのだ。

「掏られたのは最初から気づいてたし、わ! ざ! と! 見逃してやったんだけど、あの感じじゃ俺本当の間抜けだし、ちょっと良くないと思うんだよね。その辺はどう――」

 ウィリアムは無言にて歩き続ける。隣で騒いでいる相手に視線すら合わせぬまま。


 地獄は果てしなく拡がっていた。その中で生きるもののほとんどが地獄に呑まれている。汚泥や糞尿にまみれた世界。夏には毎年の ように疫病が流行り、患者たちは治されるのではなくこの区画に隔離される。地獄が更なる地獄を呼び、その連鎖は留まるところを知らない。どこの国にもある 光景。どの国も目をそらす現実。

 ウィリアムはこの世界を見て何を感じ、何を思ったのか。それを人が知るのはまだ先のことである。


     ○


 地獄を見てきた。そしてまた、別の地獄が目の前に広がる。

「はい柄(スート)揃い」

「むう、数字並びでは勝てなかったか」

「いやー、でもアポロニアちゃん強いねえ。大概僕とこの手のゲームをすると役なんて成立しないものだけど。この二人みたいにさ」

 ウィリアムは平静を装いながら、たったの一時間足らずで自らがどれだけ毟られたかの勘定をしていた。ほぼべた降り、そもそも勝負になっていない。勝負ができる流れすら来る気配がない。

 もっと悲惨なのはヴォルフであった。半端にこの二人に仕掛けて、手酷いやけどを負わされすでにパンツ一丁。もはや勝負する種銭すら出せない。

 アポロニアはルドルフが下りた勝負でほとんど勝利を毟り取っていた。そこそこ勝っているのだが、本人は不満顔で青貴子にいっぱい食わせてやりたいと考えていた。その前にヴォルフが限界を迎えてしまったが――

「まあいいや。とりあえずこの辺でお開きかな」

 退屈そうなルドルフ。されどその覇道を止められる者は誰もいなかった。ヴォルフの惨状を見て、その空いた席に座ろうなどと言う馬鹿は、場末の理性が吹っ飛んだ酔っ払いどもの中でさえいなかったのだ。

「待てよ」

 だが――

「ん?」

 それでも立ち向かおうとする馬鹿がいた。パンツ一丁の男が。

「負けっぱなしは性に合わねえ。もう一勝負だ」

「……さすがにそのパンツは要らないんだけど」

「ちげーよ。賭けるのは俺自身だ。いくらテメエが得意な運勝負ったって、完敗でおしまいってんじゃ勝負師として終わってんだろ」

「僕は構わないけど? 美味しい勝負だし」

「私も構わんぞ」

「……勝算は?」

「運勝負にそんなもんあるかよ。ただ――」

 もう二度と負けない。あの地獄を踏み越えて生き延びた。分の悪い勝負なのはわかっている。それでも、一矢すら報いず負けて終わるのは狼の矜持が許さなかった。たかがカード、されどそこには優劣がある。

 運否天賦は勝負師にとって重要な力。何一つ歯が立たぬまま終わるのならば、この先真剣勝負の舞台でも同じ結末が待っている。

「負ける気で椅子に座ることは……この先ただの一度だってありえねえよ」

「……そうか。俺も構わん。最後の勝負と行こう」

 青貴子、騎士女王、白騎士、黒狼が席につく。明らかに今までの遊興とは空気感が違った。先の白騎士を引き抜く話とは異なり、傭兵であるヴォルフを引き抜くのは現実味のある話。ここで首輪をつけられるなら、ネーデルクスとしてもアークランドとしても美味しい話である。

「僕は優しいからね。とりあえず、参加料はヴォルフっちの人生一年分で」

「ハッ、お優しいこって。いいぜ、やろうや」

 運命のカードが配られる。五枚のカードが全員の手元へ。

 周囲の視線は彼ら四人に注がれていた。ラインベルカや騎士たちも主の勝負を見守っている。濃縮された空気感、この大陸で名を馳せんとする新星四名の勝負。何故こうなってかと言えば、たまたま四名がこの店に集い、たまたま酒場の連中が興じているカードを見てやろうという話になり、今に至る。

 それだけの話。ただの巡り合わせ。カードと同じ。其処に人の意志は無い。

「悪いね。やっぱり僕は、神の子だ」

 ルドルフは自らの手札を見て勝利を確信する。

「はい、どーん。参加料換算だと、ヴォルフっち五年分ってとこかな?」

「レイズだ」

「うわーお。強気だねアポロニアちゃん。で、どうするヴォルフっち? アポロニアちゃんのせいでいきなり五年が八年に成っちゃった。降りるなら、今の内だぜ」

「ハッ、レイズだ馬鹿野郎。二年分もってけ」

「……へえ、ヴォルフっち。君はもう少し賢いと思っていたよ」

「フォールド」

「ほら、ウィリアムっちは賢い! この場で馬鹿はヴォルフっちだけー」

「茶化す前に賭けたらどうだ青貴子」

 降りたウィリアムは笑みを浮かべてルドルフを見ていた。その笑みが、ほんの少しだけ神の子、ルドルフの心をざわつかせる。あの目をどこかで見た。あの、どろっとした色が含まれた、紅蓮立ち上る――

「レイズだよ。当たり前でしょ」

「……コールだ」

「懸命だね。最適は降りることだけどさ」

「レイズ。二年乗せるぜ」

「馬鹿なの? 負け犬が強気で押したってブラフにならないってのがわからないかな? 僕相手に運試しなんて、それこそ無意味だよ」

 ルドルフは目の前の愚か者を見てため息をついた。勝負事には流れと言うモノがある。自分が相手でなくとも、今日のヴォルフが突っ張ったところで負けがかさむのは目に見えていた。典型的な破産者のそれ。自暴自棄になっているだけ――

 それだけのこと――

「……コール」

 だが、ルドルフの口からこぼれた言葉は、自分の考えと反したモノであった。言った本人が一番驚いている。ラインベルカもまた唖然とした表情で己が主を眺めていた。神の子が、一歩引いたのだ。

「コール」

「んじゃコールっと」

 全員がコールしたため、カードを交換するフェーズが来る。ルドルフは無言で一枚、アポロニアは二枚、そしてヴォルフは――

「俺は交換しねえよ」

 ゼロ枚。強気であった。とても一時間でパンツ一丁になった男とは思えぬほどの突っ張り。ブラフにしてもやり過ぎだが――

「くだらないね。見え透いているよ」

 ルドルフはそれを一笑に付した。

 交換したカードが手元に行き渡る。ルドルフは其処に視線を落として、確実な勝利を求めるも、望んだ札は来なかった。

(ちぇ、死神さえ引ければ、数字の五枚揃いが完成したのに。まあいいや。四枚揃いでもほぼ勝つっしょ。むしろ問題はアポロニアちゃんだよね。三枚揃ってて二枚交換、四枚揃えばカードの強さ勝負だし)

 ルドルフは「レイズ」と一言、賭け金を釣り上げた。これでヴォルフの人生二十五年分、四半世紀をその手にすることと成る。参加料の二十五倍。ただの一戦で動くには大き過ぎる金額と化す。

「……フォールドだ」

 どうやらアポロニアは四枚揃いに成らなかった様子。これでルドルフは勝利を確信した。唯一、自分に近い運量を持つアポロニアを引き摺り落としたのだ。こうなればもはや――

「レイズだ、お坊ちゃん。中途半端は嫌いでね。倍、全部で五十年だ」

「……烈日にぶっ壊されちゃったか。僕が欲しかったのは強さと賢さを備えた狼であって、闇雲に突っ込む馬鹿犬じゃなかったんだけど……まあいいや、使いどころはいくらでもあるし。いいよ、これで終わっとこうか。コ――」

 その瞬間、ルドルフは悪寒を覚えた。真っ先に降りたウィリアムは終始不敵な笑みを浮かべていた。ついさっき降りたアポロニアも同種の笑みを。そしてそれは愚かで無軌道な狼に向けられるはずなのに――

(僕を、見ている?)

 何よりも眼前にいる狼は先ほどから変わらず『嗤い』続けていた。

(四枚揃いだぞ。数字だって弱くない。負ける確率なんてそれこそ――)

 そしてルドルフは己の思考に驚く。神の子である自分が、確率なんてものを当てにしようとしている。正常ではない。あまりにいつもの自分ではなかった。眼前の男に、他の二人に、引っ張られて地に堕ちてしまったかのような――

「何がおかしい?」

「いや、神の子様が、随分勝負を楽しんでいるな、と思ってな」

「うむ、良い貌だぞ青貴子」

 二人の英雄は脇で嗤う。ウィリアムとて負けが込んでいる。しかし、何故彼はあっさり勝負を降りたのか。誰の後にそれを決めたのか。アポロニアとて本当に四枚揃えられなかったのか、本当は五枚揃い狙いで、それが叶わなかったから勝負を降りたのではないのか。自分を見て降りたのではなく――

 眼前で自信満々に笑う狼を見て降りたのではないのだろうか。

 雰囲気が逆巻く。今まで自らに吹いていた風が、変わる。否、変わっていたのに気づいていなかったのは自分だけ。他の英雄はとっくに気づいていたのでは。

(別に、ひと勝負としては破格なだけで、この勝負を受けて、万が一負けたところで大した痛手じゃない。受けるべきだ。狼が手に入る期待値、自分が被る損害、どう考えたって、この勝負を降りる理由なんて――)

 だが、青貴子は揺らいでいた。揺らぎ、そして自覚に至り――

「……フォールドだ」

 神の子が、降りた。

「……んだよ、見せあいっこは無し、か」

「ふん、でかく取り返したじゃないか山犬」

「ガッハッハ、これでこそ俺様、ヴォルフ様よ!」

「それじゃあこれでお開きね。まあまあ楽しめたよ」

 そのままルドルフはラインベルカを引き連れて去って行った。カードは伏せられたまま、余興であるにもかかわらず、誰もそれを確かめようとはしない。

「うむ、また明日も遊ぼう。次は私が勝つぞ」

 颯爽と騎士を引き連れアポロニアは去って行く。

 残されたヴォルフとウィリアム。

「捲らねえのか?」

「……どうせブタだろ? ハッタリ野郎」

「バレたか。んじゃ次の店行こうぜ、次の店」

「ふん。酒には付き合わんぞ」

 そう言って二人も店を去る。残ったのは伏せられたカードのみ。


     ○


「何故勝負されなかったのですか?」

「……もしさ、あの勝負に、あの札に、僕が負けてたらさ。ただの一度でも、本気の本気で負かされたら、それしかない僕は、終わってしまう。少し、少しね、それが怖くなった。嗚呼、そう思った時点で僕は――」

 神の子、ルドルフ・レ・ハースブルク。負けたことなどなかった。欲するものをすべて手に入れてきた。だが、時代が進むにつれ、その絶対性が薄れてきたのは偶然であろうか。ネーデルクスが選んだ神降ろしと言う選択。

 それが彼から、ひいてはネーデルクスから本当の未来を奪ってしまったのではないか。超大国の矜持、それを間違った方法で取り戻そうとしてしまった。

 その揺り返しが――

「少し一人にしてもらっていい? この辺までくれば安全でしょ」

「え、ええ。わかりました」

 それでも青貴子は神の子であることをやめることは出来ない。それしか選択肢は与えられなかった。もし、その身に神を、神を模した魔術を、呪いにも似た何かを宿さねば、彼は彼の道を選び取ることが出来たかもしれない。

 その先にこそ、栄光があったのかもしれない。だが、それを選ばなかった。

 人間、ルドルフ・レ・ハースブルクの選択肢を潰したのは、他ならぬネーデルクス自身なのだ。与えることが、正しい道とは限らない。


     ○


「勝負強さで先を行かれた。私は、王として去れたか?」

「はい。颯爽と、毅然とした去り際でした」

「……そうか。ならばよい」

 騎士たちはアポロニアの背中を見つめていた。誰もその前に立とうとしない。彼女の顔を見ようとしなかった。其処に張り付いている貌を見るのが恐ろしい。自分たちの望む英雄の顔が其処に在れば良い。そうであれば――

「今宵は少し暑いな」

「……はっ」

 まだ冬が明けたばかり。本来の彼女であれば、絶対に出ないはずの言葉。

 誰も彼女の前には立たない。立てない。


     ○


「すげえな。このカード。どいつもこいつも、バケモンだ」

 白騎士の座っていた席には柄(スート)揃いの札が、騎士女王の席には数字の四枚揃い、青貴子も同じ。そして黒狼の札は――

「死神抜きなら、最強の――」

 別にこれは、たまたま遭遇し、たまたま興じただけの遊戯。未来を暗示するものではない。だが、それでも彼らの勝負強さは、ここぞという時に見せる輝きは、やはり余人とは隔絶したモノがあった。

 此処にいる者たちは記憶する。のちに世界を震撼させる者たちの前哨戦がこの場末の酒場で行われていたことを。彼らは記憶する。

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