王会議:革新王と英雄王
ガイウスの前にはゆったりと深紅のぶどう酒を舌で転がすウェルキンゲトリクスが居た。この部屋にほかの者は居ない。隣り合う部屋も人払いは済ませてある。ガイウスの私室にして革新王のプライベートが保障される唯一の場所である。
「私も祭りを楽しみたいのだがね」
ウェルキンゲトリクスの言葉にガイウスは苦い顔をする。
「嘘をつけ。食事、酒、遊戯に女、何一つたしなまぬ卿が、祭りなぞに興味を持つわけがない。そもそも卿の飲んでいる酒がどれほど貴重なのかも理解しておらぬだろうに」
ウェルキンゲトリクスは深紅のぶどう酒に目をやる。そして首をかしげた。
「ああ、まるでわからない。酔う成分が入っているくらいはわかるが」
その回答を聞いて呆れるガイウス。
「つまらぬ男だ。それでも余は卿が欲しかった。三大巨星で唯一、卿だけが余の世界を共有できる才覚があった。それを聖ローレンスで消費したことは人類史の大きな損失であろうよ。あの女さえおらねばなあ」
「ならば私は此処にいないよ。世に出ることすらなかった」
規模がまったく異なるとはいえ王が二人。世間話とて気は抜けない。二人ともリラックスしているように見えるのは彼らが普段からその世界に住んでいるから。王は常時気を張っていなければならない。一挙手一投足に気を配らねばならない。
彼らはそれが出来る。出来るから王なのだ。その時点で並ではない。
「それにしても今日はつまらぬという言葉を良く聞く日だ。だが、確かに最初の解はつまらなかった。あれほど気の入っていない言葉も珍しい」
ウェルキンゲトリクスが思い出すのはウィリアムの解。模範的な回答であったが、あの答えに中身はなかった。入れる気もなかったのだろう。
問題はその先――
「次の解、革新王はどう見た?」
ウェルキンゲトリクスの内心としては『やはり』という感覚があった。野心、功名心、向上心、頂点を得るための、頂点を喰うための全てが高水準。雰囲気が王なのだ。闇に伸びる塔の上に君臨する『あれ』を王と呼ばずに何が王か。
「本音半分、建前半分といったところかのお」
ガイウスは口ひげを撫で付ける。意外と淡白な反応にウェルキンゲトリクスは虚をつかれた想いであった。
「あれはそこまでガリアスに執着してはおらんよ。そもそも……彼らの時代の頂上決戦、そこでガリアスが主役を張っているとは思えぬ。白騎士、黒狼、騎士女王、青貴子も入れておこうか、其処に割って入れる人材をこの国は持たぬ。今現在の、そしてこれから先の、持っているものが違い過ぎるわ」
ガイウスの言葉は低く重い響きを持っていた。
「左手のダルタニアンや右手のボルトース、優秀な人材揃いだと思うが」
「優秀、では足りぬよ。彼らはそれぞれ王の資質を持っている。そして将としては完熟を迎えつつある。青貴子は少し異なるが……その三人は近いうちに卿らを超えると見ておる。新たな巨星となる。されど、彼らが均衡を取ることはない。勝者は一人だ」
王の資質を持つものが並び立つことはない。そして巨星たちが織り成す輝ける彼らの黄金時代において、ガイウスの指す王の資質を持つものはガイウス一人だけであった。ゆえの超大国を中心とした均衡があったのだ。
「誰が勝つかな?」
「それは誰にもわからぬ。余でも見えぬ。だが、決着が長引けばリディたちの世代にも可能性が芽生えるだろう。オストベルグに二人ほど、アークランドの騎士にも一人おったな。百将にも見込みのあるものはおる。やはり読めん」
「革新王をして読めぬ時勢か。恐ろしい時代になったものだ」
「されど余は白騎士を推すぞ。唯一の勝者として君臨するならば、やはりあの男だ」
「そこまでの評価、何ゆえそう見る?」
ガイウスに縁も所縁もない相手。何故そこまで白騎士を評価しているのか。確かに底知れぬ雰囲気はあった。しかし現時点での完成度はアポロニアのほうが上、強さならばヴォルフが勝る。直上にはガレリウスやダルタニアン、傑物は多い。爪を隠しているもの、伸び代の塊も多く見受けられた。その中で、何故白騎士なのか。
「あやつが纏い持つ雰囲気、未だ完成には遠いが、あれは余の理想なのだ」
ガイウスはぶどう酒を一気にあおる。そして遠くを見る目で宙を見上げた。
「王の資質だけを持つものは幾人かおる。それを発揮する力を持ち得るかは別にしての。だがの、あやつは、それに加えて泥臭さも秘めておる。それが怖いのだ」
ウェルキンゲトリクスは首をひねる。泥臭さならばヴォルフのほうが勝るのではないかと思ったのだ。あれはそれを隠そうともしていない。同じ王の資質を持つのならばヴォルフが上に来てもおかしくないだろう。そういう言い分であるはず。
「黒狼か? 顔に出ておるぞ英雄王。まあ、一見するに泥臭いのは黒狼。されど黒狼の根っこはそれの否定よ。傭兵として名を上げて 貴族や王に己を認めさせる。世界に認めてもらいたいのだ。その外側でのお。つまりはコンプレックスの裏返し。傭兵であり続ける限り、黒狼が頂点に立つ日はこぬと思うがな。受身が過ぎる」
確かにヴォルフの道は地位と言う形での向上を完全に閉ざしており、自由ではあるが組織の中での競争から得られるモノもなく、世 間の認識も傭兵以上にはなり得ない。どれだけ武功を挙げても、巷でどれだけ有名となっても、どこかで仕官するか己で国を作るかでもしない限り、ヴォルフと 言う星が頂点で輝くことはないだろう。
見込みはあるが傭兵のままではいずれ成長は止まる。強さを極めてもその先はない。ガイウスの認識ではそうなっていた。それが正しいとは限らないが。
「仕官するならそれもよし。余の思惑すら超えて国産みまで達したならばあるいは」
ガイウスに見えている景色は英雄王でさえ見えない。
「ヴォルフはいい線までいくと思うがね」
「卿らは超えるやもしれぬ。しかして……この先は新時代。力だけの時代は終わりを告げる。武のみに注力していては届かぬよ。とにかく次なる一歩を早急に踏み出すことだ。急がねばならぬぞ、白の獣はすでに準備万端であるがゆえにな」
ここでウェルキンゲトリクスは気づいた。ヴォルフに対するガイウスの評価が不当に低いわけではなく、比較する『男』の評価が高すぎるのだ。
「白の獣、ウィリアム・リウィウスか。確かに異人として一から今の地位を、立場を築き上げた手腕は見事。だがいささか過大評価が過ぎるのではないか。何を理想としているのかはわからぬが」
ウェルキンゲトリクスには見えていなかった。傑物であることは誰が見ても明らか。だがそれはヴォルフにしろアポロニアにしろ同じなのだ。確かにウィリアムは武人として多少逸脱した経歴を持っている。武にそこまでこだわっていない点、経済や政にも精通している点、異色ではある。それでもそこまで伸びしろに差があるとは思わない。むしろ才能の上限から見ればウィリアムは決して優位な存在ではないのだ。
「ふぅむ、その異人としてという前提がまず間違っておる」
ガイウスは楽しげな表情でひげをさする。ウェルキンゲトリクスは眉をひそめた。
「あやつは生まれも育ちもアルカディア、おそらくは奴隷の出自であろうよ」
ウェルキンゲトリクスは目を大きく広げた。ガイウスはかっかと愉快げに笑う。
「そうすれば全てのつじつまが合うのだ。余が振られた理由も理解できるというもの」
ガイウスの言葉が核心をつく。
ガイウスの言葉に息を呑むウェルキンゲトリクス。あまりにも突拍子のない発言に反応すら追いつかなかった。白騎士が異人ではなくアルカディア出身でしかも奴隷などといったい何をもってそう思ったというのか――
「まず、余は常々思っていた。何故アルカディア、かとな。誰もが疑問に思う、そして誰もが問う。その返答は一見して理に適っておる。しかしピンとくることはない。かの男を知れば知るほど、その違和感は強まっていく」
ウィリアムが並べる定型句は『制度』が主である。しかしそこには大きな穴があった。異人や奴隷でさえ這い上がることのできるガリアスを避ける理由が明白ではないのだ。自信がない、それが通るとガイウスは考えない。これほどの傑物、むしろガリアスを選ばない理由がないのだ。ガリアスでなくとも、傭兵から始めて特例で仕官すればいい。彼ならばそれほど遠回りにはならない。その道を取った黒狼が躓くまではほぼ同じペースで駆けていたのだから。それならばどの国でもかまわないし、潰しも利く。
ここまでの傑物であること。武も商も、政でさえそつなくこなす男が、その判断をあいまいにするとは思えない。わざわざアルカディアで一から這い上がらずとも、もっとよい方法はいくらでもあったはずである。それを取らない理由、それが最初の違和感である。
「次の解、それを放つあやつの目を見て、余の違和感は確信となった。我らは似ておる。そして相反してもおる。ゆえに落とせぬと悟った。同時にすべてが繋がったのだ」
ガイウスは紅くゆれるグラス越しに己を覗く。
「揺らぎのない目だ。一切の迷いなく余の誘いは斬り捨てられた。あやつが異人であり、名を上げるために国を出た男ならば、それほどの野心と功名心を持ちながら余の誘いを迷いなく断ることはできんよ。何故ならば、あれはこの世界にこれ以上ないであろう誘いだったからだ。余にしか出せぬ価値を差し出した。なれば揺れるべきだろう」
ガイウスはあの時ウィリアムの目を凝視していた。その目には迷いがなさ過ぎる。そのこともまた違和感となった。あまりにもガリアスの王というものに対して淡白が過ぎたのだ。しかしアルカディアでの立身出世、その果てにガリアスの王以上のものはない。それでも男はアルカディアを選び取った。否、選び取ったのではなく、囚われているとしたら――
アルカディアという国に。アルカスに。本人の意図せぬ深奥で彼はアルカディアを欲している、執着があるとしたら――
「もしあやつがアルカディアの奴隷と仮定しよう。まず成り上がるには何が必要か?」
ガイウスの問い。ウェルキンゲトリクスは考え込む。
「平民の身分を買う金、そして剣一本あれば事足りる」
ガイウスは首を横に振る。
「アルカディアの法では足りぬよ。奴隷が身分を買っても解放奴隷でしかない。息子などの次代は戦争に参加する権利を得るが、解放された本人は戦争にも政治にも参加できぬ」
ウェルキンゲトリクスは顔をこわばらせる。
「……まさか?」
「そう、そのまさかよ。アルカディアで奴隷が成り上がるために必要なのは、まず身分を奪うことなのだ。もちろん、時間をかければ他国で身分を得て異人として帰国や、先ほど申した傭兵として名を上げて特例を目指す……そういう道も存在する」
「だが、アルカディアに囚われ、そこで一から這い上がる道にこだわっているのだとしたら……それらは選択肢にすら入らない」
ガイウスは満足げな顔になる。
「その通り。ではアルカディアの奴隷と仮定した場合、身分を奪うと仮定した場合、何故ルシタニアなのかという疑問もある。遠い異国、小国、たまたま、選び取る理由はいくらでもあるだろう。しかし一番重要なのはルシタニアでなければならなかった理由、それが見えると、途端に見えてくるぞ。あまりにも深き業の塔、その果てで嗤う怪物の正体が」
ウェルキンゲトリクスはぶどう酒に口をつける。広がる濃厚な味わいは赤黒い血潮を感じさせた。
「ルシタニアは特徴として争いを好まぬ民族であることが挙げられる。土地は肥え、森は豊か、多くを望まず小さな幸福を大事とする国民性。格差は少なく、地位など明確なくくりもない。王の変わりに酋長が存在するが、権利は民と大差がない」
地位というくくりがなく格差が少ない。そこでウェルキンゲトリクスも気づいた。
「身分証が簡易なのか!?」
「しかり、簡易も簡易よ。やつらはそんなもの必要とせぬ。他国とも交流がほとんどないのだ。形だけの身分証、当人を消して身分証を得れば、よほどのことがない限り成りすましがバレることはない」
ウェルキンゲトリクスの背に汗が伝う。もしこの推論が正しければ自分が想像していたよりも、遥かに過去から『ウィリアム』という怪物は牙を研ぎ澄ませていたことになる。狡猾に、周到に、機会をうかがっていたのだ。
「ほれ、案外すんなりと筋が通るであろう? ルシタニアのウィリアムと見るから先入観で思いつきもしないが、はじめからアルカディアの奴隷身分と決めてかかれば見えてくるものもある。無論、すべて推論でしかないが……面白かろう?」
かっかと笑い飛ばすガイウスを前にウェルキンゲトリクスは苦笑する。この男の前ではこれほどの大事でさえ小事なのかもしれない。
「まあ、余も昔同じことを考えていた時期があった。他者の身分を奪い、王族としてではなくただの平民として天に手を伸ばす機会、世界に挑戦する機会がほしくての。だからこそ思いついた。似ているからこそ、であるな」
あくまでも推論の域を出ない。ガイウスの想像の産物、しかしこの男は間違いなく確信している。そしてウェルキンゲトリクスの見立てもまた、こちらの方が白騎士の雰囲気に見合っているように思えた。
「だが、これが真実とすれば恐ろしいことだぞ。その発想、それだけならば凡人にも思いつかぬほどではない。問題は実行力だ。奪う相手が誰であれ、まずは己を殺さねばならない。記録からも記憶からものお。これで余は諦めた。思いついた時点で余は王であったし、いまさら影を薄めても意味がない。そう、これは容易ではないのだ。まっことな」
影を薄めるという行動はある程度成長して知人が増え、そうなってからでは遅い。つまり――
「ここまで出身国で有名になり、それでも出自がバレぬということは……相当幼いころから計画を練っていた? 牙を潜めて力を蓄えていたと?」
「そう考えるのが妥当であろう。そうであって欲しいと余は切に願う」
ガイウスはぶどう酒を口に含む。
「この世には『本物』と呼べるものがあまりに少なすぎる。このぶどう酒とて市場価格と本来の価値が釣り合うかと問われれば余は否と言うだろう。しかし今、この地には『本物』が集っておる。これほど面白いことがあろうか、ん?」
ガイウスは一気に『贋物』を飲み干した。口の端から紅い液体が垂れる。
「ガリアスの王ガイウス。今、貴方は未来、このガリアスに仇名すであろう怪物をほふる推論を手に入れた。貴方がそれを振りかざせば、おそらく白騎士は死ぬ。視点を変えれば見えてくるモノ、貴方が視点をみなに与えれば……それで世界は均衡を取り戻すだろう」
ウェルキンゲトリクスの試すような視線。それを存分に浴びてなおガイウスは笑みを浮かべていた。世界すべての頂点、そこから見ている景色は、英雄王をして想像もつかない。だが彼は笑みを浮かべている。子供のような笑みを――
「ふはは、それこそつまらぬ、だ。余が世界をつまらなくしてどうする? 老人の冷や水、実につまらぬ。余はガリアスの王だ。他国の事情にまで首を突っ込まぬ。アルカディアが気づくが先か、白の獣がアルカディアを喰らうのが先か、はたまた……くはは、混迷の時代が来るぞ。誰が勝って も、誰が負けてもおかしくはない。狡猾な白が勝つか、力高き黒が勝つか、進撃の紅か、天運の青か、それとも……さあ、動き出すぞ世界が!」
ガイウスはその推論を行使する気は微塵もなかったらしい。ウェルキンゲトリクスもそういうことに興味はない。ゆえに呼ばれ、話を聞かされたのだろう。まるで自分の夢を語るかのように、自分の宝物を自慢するかのように、自分の自慢の息子を――
「余のものにならぬなら、せめて余の生きている限り世界で暴れて見せよ。余はこの世界で最も高き塔から卿を見下してくれようぞ!」
ガイウスの私室、それはトゥラーンの最上層に位置していた。ここが人類が作りし最高の場所。ここより見る景色は、なんと壮大であることか。そこから見える人のなんと小さきことか。
王は見る。世界の行く末を――
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