王会議:暇つぶしの遊戯

 王会議は、様々な議題について各国の王が直々に意見を取り交わす場である。その場の決定で世界が大きく変じることもあり、影響力は国内外計り知れないものがあった。その中で大きな発言権を持つのが七王国であり、その中でも今回のホスト国であるガリアスの王『革新王』の言葉は誰よりも重い。

 ちなみに親ガリアスの国はアクィタニアを筆頭とした属国、またアルカディアなど地理的に離れている国が多い。逆にオストベルグや聖ローレンスなどは完全に敵対する姿勢を取っていた。

「それではあまりに不平等、こちらの国益に著しく反します」

 その魔窟の中において臆する、退くというのはありえない。あのお優しいエルンスト王でさえこの場では弱さを見せることがないのだ。王としてこの場に立つ以上、国益を損なう行為は出来ない。ゆえに――

「暇だなあおい」

 とてつもなく時間がかかる。互いに妥協しない、出来ないので一つの議題で半日、一日をまたぐことすらざらである。王会議の議場に参加できるのは各国の王のみ。それ以外は王子であろうが大臣であろうが立ち入ることは許されない。

「なんですり寄ってきてんだよ」

 そこで王以外の者が待機しているのがトゥラーンにいくつか存在する大広間の中で最大規模の空間、『ガロ・ロマネス』。各国の重鎮たちが忌憚なく意見を取り交わすこの場は、もうひとつの王会議として世界情勢に大きく影響する場でもあった。ゆえに各国とも精鋭をこの王会議に連れてきているのである。

「暇なんだよ。話し相手がいねえ」

「俺はお前の話し相手じゃない」

「いいじゃねえかケチくせえ。つーかアルカディアの御姫様はものすげえ美女だな。特に銀色の方は好みだ。色っぽい」

「知るか、しゃべるな、そもそも口を開くな」

 ウィリアムとしてもこの場を有効利用したい考えはあったが、まさか黒狼にまとわりつかれるとは思わなかった。ウィリアムと交流を深めたいものもヴォルフがまとわりついているので距離を置いてしまう。結果二人して孤立し、なおさらヴォルフが絡んでくるという悪循環に陥っていた。

「いやー大変だねヴォルフっちにウィリアムっち」

 極めつけはこの男である。

「でも安心しなよ。この僕が、暇を持て余したこのルドルフ・レ・ハースブルクが君たちと遊んであげよう。で、何をする? おっぱいしりとりでもしちゃう?」

 青貴子ルドルフ・レ・ハースブルク。この男がいる以上常人は近寄ってこない。というよりも近づけない。王族よりも実権を持つこの男はネーデルクスそのものと言ってもいい。そしてとてつもない変人でもある。どこに墓穴があるかわからないので、誰もが関わろうとしなかった。さわらぬ神にたたりなし、である。

「凡俗どもがうじゃうじゃと……本人たちは意味があると思っているのかつまらない議論を交わしているよ。見なよあの面、ぶっさいくだねえ」

「笑えるか? あれだけの権力を持つ連中の言葉だ。相応の重さはあるだろう?」

「いやいやー、そーゆうのは旧いって。つーかウィリアムっちもわかって言ってるでしょ? もう、この王会議自体に意味がないってさ」

 ルドルフの声はかなり大きかった。このガロ・ロマネスの大きさですらかき消せぬほどに。囲の視線が集まる。

「七王国って枠組みだってどうなるかわかんない。どこの国も生き残ることだけ考えなきゃいけない時代だ。誰が好き好んで協調する? 誰をどうやって信じて協調するっていうんだい? どこも信じられない。ならやっぱり意味はないのさ、この場もね」

 ルドルフの言葉はこの場に対する皮肉に満ち溢れていた。煽りすら入っている。

「ならばなおさら意味があるだろう? 煽るだけの言葉はやめておけ、青貴子。生き残るために、どこに相手の弱みがあるか、相手の強さは如何ほどか、いくらでも見るべきところはある。貴様こそ、わかって言っているのだろう?」

 ルドルフは意味深な笑みを見せる。

「さあねえ。でも、もう見極めは済んだでしょ?」

「さあな。それに、隠している牙がどれほどかまでは見えていないさ」

 ウィリアムもまた仮面の下で笑みを浮かべていた。互いに浮かべるは同じ種類の笑み。

「権力者じみてきたなあ。いやーな腹の探り合いだぜ」

 ヴォルフはやれやれと首を振った。このまま自分にとってつまらない会話に花を咲かせられるのも困るのだ。ヴォルフは強さこそこの場においても上位に食い込むが、一介の傭兵であることには変わりない。権力者同士の会話など聞いても面白くないだろう。

「お、何か人垣が出来てんな。見に行こうぜ」

 強制的に会話を終わらせてヴォルフは二人に動くよう促した。ウィリアムもルドルフもこれ以上探り合いをしても無駄と判断。互いに相手が重要なことはこぼさないという確信があったため会話を切り上げた。

「あっちの机は確かエスタードのおっぱいちゃんがストラチェスをしてたかな?」

「名前は?」

「ごめん僕おっぱいしか興味なくて」

 ウィリアムは呆れ果ててルドルフから視線を外した。無視されたことでむしろ率先してウィリアムの前をちょろちょろするルドルフ。基本的に性根が腐っている。

「どれどれー……あー、俺わかんねえやつだ」

「指しているのはエスタードのおっぱいちゃんが変わらずで、お、アルカディアの金髪君じゃーん。僕、彼きらーい。いいぞー負けちまえー!」

 エルビラの相手はカール・フォン・テイラーであった。カールがなぜ戦っている経緯はわからないが、エルビラの後ろに飾られた大きな羊皮紙に、いくつも刻まれてある印が勝利数なのだろう。こう見るとよくもまあ半日をしないうちにこれだけの勝利を重ねたものである。そして今、印がもうひとつ増えようとしていた。

「あんまり僕も得意じゃないけど……たぶん金髪君負けるよね?」

 誰が見ても敗勢。ウィリアムでさえどうしようもない状況。カールは必死に頭をひねっているが、この状況からの逆転はない。

「これ以上は無意味と思いますが……『蒼の盾』どの」

 エルビラはあくまでも善意で負けを促した。

「ごめんなさい。でも、もう少しやってみたいんだ。まだ、僕は僕のすべてをこの戦場に出し切れていないから」

 カールはじっくり考えてゆっくりと駒を進めた。その瞬間、ふわりとした風が集束し一本の剣となる。まるで、アルカディアの剣と謳われる男がまとい持つ雰囲気のごとく。

「ほう、面白い手だ」

 ウィリアムは笑みを浮かべる。決して勝負が覆るような手ではない。もちろんいくつか受けを誤れば覆ることもあるかもしれないが、相手は智将として有名なエルビラである。マルスランとジャクリーヌを手玉に取った戦は記憶に新しい。

「もう少し早く、牙を剥いていただけたならば……楽しい戦になったでしょう」

 飾らぬエルビラにとって最上級のほめ言葉。隣に座るディノも軽く目を見開いた。そして風の剣は手数を重ねていくうちに幾重の壁に阻まれて掻き消える。残ったのはボロボロの盤面と詰まされた王のみ。

「……負けました」

 カールは悔しそうにそう宣言した。その悔しげな顔をウィリアムはあまり見たことがなかった。おそらくはブラウスタットに入ってから、ウィリアムの手から離れてから身に着けた感覚なのだろう。そういう顔が出来るのならばまだ伸びる。

「お疲れ様、カール。いい足掻きだった」

「えへへ、恥ずかしいところを見られちゃったね」

 さて、羊皮紙にまたひとつ勝利の印がついた。みなが勝てぬと首を振る。ここまで多くの腕自慢を屠ってきたのだろう。挑戦者は現れそうにない。そろそろ店仕舞いかとディノが動き出そうとした瞬間――

「店仕舞いをするならば盤を貸してはいただけないか?」

 にょきっと背の高い女性が人垣の間から現れた。意外な人物の登場にざわつく周囲の人々。彼女が、ガリアスの百将であり、ガリアスの中でも高位の王族、リディアーヌ・ド・ウルテリオルであったがゆえに。

「リディアーヌ様、ね。挑戦ってことでいいのか?」

 ディノの問い。しかしリディアーヌは首を振る。

「いいや。エルビラ殿は確かに興味深い相手だ。しかして今、私がやり合いたい相手は別にいる。そのために盤と駒を貸してほしい、そういう願いだ」

 エルビラが不機嫌そうに眼鏡を動かす。まるで自分より強い者がこの場にいるかのような言葉。何よりも青二才が自分に対して興味が薄いと言い放った、そのことに腹を立てていた。戦場ならばエル・シドには敵わない。だがストラチェスであればエル・シドにも、誰にも負けない自信が彼女にはある。

「少し失礼な物言いだよリディ。すまない『策烈』のエルビラ殿。この子は少し常識が欠けていて……ただ言い出したら聞かないんだ。無理を承知でお願いするけど、どうか席をゆすってやってはくれないだろうか? あとでしっかり怒っておくので」

 現れた男を見た瞬間、エルビラの顔が爆発した。そそくさと席を譲りディノの陰に隠れてしまう。その奇行に驚き目を見開いているのは声をかけた張本人、百将、『王の左腕』たるダルタニアンであった。

「あー、ダルタニアンか。なるほど、エルビラも席を譲るわな。こいつはあんたのファンなんだよ。ダルタニアン・ストラディオットを含む数多くの戦術を編み出した天才。盤上も戦場も強い色男ってな。しかも剣もたつってんだから隙がねえ」

 ディノは舌なめずりをしてダルタニアンを見る。にこりと微笑むダルタニアンには大きな余裕があった。それを煽りと取ったのかディノは獰猛な笑みを浮かべる。

「席を譲っていただけて感謝する。さて、早速やろうか、ウィリアム」

 その二人を完全に無視し、リディアーヌの視線はただ一人に注がれていた。

「君がストラチェスをたしなむのはエレオノーラから聞いているよ。かなり腕が立つそうじゃないか。是非一度やってみたくてね」

 リディアーヌの突然の申し出。断る理由は――

「ご満足頂けるかはわかりませんが……一局指させて頂きます」

 ――ない。


     ○


 二人の手元に羊皮紙が渡される。ここに初期陣形を書いていくのだ。この時点で勝敗が決まることもある最初の勝負。数多の選択肢の中から相手の戦術を予想してそれに応じた戦型を選び取る。ウィリアムは黙々と、リディアーヌはわざとらしく唸りながら書き込んでいく。

「私の方はこれでいいよ」

「俺もこれで構わない」

 互いに羊皮紙を交換する。そしてそこに書かれている戦型を並べていくのだ。並べ終わった後、ギャラリーから歓声が沸いた。いつの間にか増えていた人垣の中には、エアハルトやエレオノーラ、アクィタニアのガロンヌ、そしてストラクレスやエル・シド、ガリアスの百将たちも遠くから視線を向けていた。

「白騎士はダルタニアン・ストラディオットか。ここガリアスでそれを選び取る胆力やよし」

 ウィリアムは現行最優と謳われているダルタニアン・ストラディオットをチョイスした。ガリアス発祥の戦術として最高峰のそれは、数多のメタに対してもある程度有効で、そもそもが早く強い形。このゲームを知るものならばまずこの形、その派生形を有力な選択肢とするだろう。

「されど相手はガリアスが誇る才女、王位継承権第五位は伊達ではない。悪手だ」

 ほかの百将の言葉を聴きながらダルタニアンは小さく微笑む。盤上に展開された初期陣形。その形はダルタニアンにも見覚えがあった。

 リディアーヌとは何百という対局を重ねてきた。本物のダルタニアン・ストラディオットを喰らい続けたきたのが今のリディアーヌである。対策は万全。狙いは的中した。

「君の話を聞いて、昨夜君と踊って、私なりに君と言う人間を考察した。君ならば必ずこの戦型を取る。そんな確信があったのだ」

 ウィリアムとて理解している。目の前に積みあがった本の山、まさに知識の杜である。自分では思いつかなかった正面からのダルタニアン破り。ダルタニアン・ストラディオットにも欠点はあった。しかし、既存の対策全てが他の戦型を取られた際、大きく損をしてしまう形であったのだ。

 ゆえの最優。だが、彼女の戦型は既存とは一線を画す。

「今までのダルタニアン破りとは大きく異なるよ。リディのそれは」

 おそらくはダルタニアンや直近の者以外、本邦初公開。他国が知りうることもなし。これで対策が出来ているのかと首を捻りたくなるほど、平易なカタチであった。だからこそ応用が利く。それでいて最優を喰えるというのならば――

「さて、少し差が出来てしまったかな? これじゃあ勝負として面白くない。私としても君とは同条件でぶつかってみたいのだ」

 ダルタニアン、そして他の武人たちが眉をひそめる。リディアーヌは先手で有利にたった。その優位を生かすのではなく崩してやり直す。これでは遊戯としてでもあまりにお粗末。なめた態度と取られても仕方がない。

「戦型を変えたまえ。私のこれにどう応じるのか見てみたい」

「リディ!」

 行き過ぎた提案。ダルタニアンがたしなめる。だが、リディアーヌは表情一つ変えない。

「その代わり――」

 ダルタニアンの声にかぶせるよう言葉を放った。

「この勝負、勝った方が互いの願いをひとつ聞く。そういう賭けをしよう」

 周囲がざわついた。ダルタニアンも目を見開く。ヴォルフとルドルフは面白そうなのでやんややんやと喝采を送っていたが――

「私の願いは単純だ。君が負けたならば、白騎士は私のものになる。つまりは、ガリアスに所属してもらうということだ。簡単だろう?」

 そして静まり返る『ガロ・ロマネス』。ヴォルフは未だ笑っているが、ルドルフの目は笑っていない。他国の重鎮しかいない状況、笑える者などどこにもいない。白騎士がガリアスに下る。ことの大きさに、巨星でさえ目を剥いていた。

「受けるか受けないか、受けるならば君の願いを教えてくれたまえ」

 白騎士の表情は仮面にて見えない。

「ひどいわリディ! どうしてウィリアム様を、アルカディアをいじめるの!?」

 エレオノーラの声が響く。それを聞いて苦笑するリディアーヌ。

「アルカディアへの無礼は承知しているよ。君にはすまないと思っている。でも、ウィリアムにとっては悪い話じゃないはずだ。私は彼に百将の椅子を用意してやるつもりでね。キサルピナの方に土地も用意してある。どうだい、今の彼の地位よりも好条件だと、私は思うよ」

 アルカディア陣営はもとより、他国も言葉を発することは出来ないでいた。リディアーヌは本気でウィリアムを引き抜こうとしているのだ。今をときめく新星の一人がただでさえ層の厚いガリアスに仕えることの意味。

「なるほど、であればその条件で構いません」

 ウィリアムの言葉に誰よりも早く反応したのはエアハルトであった。ウィリアムに向ける視線は、今までに見たことがないほどの怒りが秘められている。裏切るのか、と目で脅しているのだ。エレオノーラも悲しそうな顔になる。

「では盤面を変えたまえ。私はこのままでいい。君の願いもついでに教えて――」

「盤面を変える必要はありません。願いも特にございません」

 リディアーヌの表情が硬直する。じわり、何かがしみこんでくるような感覚。白騎士が隠している本当の牙。その片鱗がちらつく。

「所詮は遊戯。気楽に行きましょう王女様」

「この状況から勝てると踏んでいるならば、それは甘い目算だと教えてあげよう」

 自分が積み上げてきた知識の山。それをぶつけるに足る相手。リディアーヌはわくわくしていた。負けをよしとする手合いではない。この状況から勝てると踏んでいるのだろう。そのことに胸が躍る。それを打ち砕く自分に心が舞う。

「……賭けるかルドルフ、どっちが勝つか」

 ヴォルフの顔には未だ笑み。

「賭けにならないよ、たぶんね」

 ルドルフの顔にも笑みが張り付いていた。ウィリアムが他国に移動するという事態への驚愕、そこからの振る舞い、言動、そして漏れ出したあの雰囲気を感じルドルフは笑った。笑うしかない。

「ルールどおり先手は私がいただきます。それでは、開戦と致しましょう」

 じわり、滲み出す雰囲気の残滓。それを嗅ぎ取れる鼻の良い者は笑みを深めた。久方ぶりの感覚、狼の鼻腔を刺激する。涎が零れそうになった。


     ○


 波乱の開戦となった盤上の戦は、存外平易に推移していった。特別面白い手もなく、揺さぶるような手もない。当初描かれたとおりの結果に向かっていく。

 つまりは――

「リディが優勢、かなり展開が偏ってきたね」

 ダルタニアンの指摘どおり、盤面はリディアーヌが圧倒的に優勢であった。序盤戦を終えてこの状況は非常に偏っていると言える。そもそもリディアーヌの初期陣形がウィリアムの初期陣形を崩すためのもので、平易に推移すればこの状態も当たり前のことであるのだが。

 エルビラはリディアーヌの戦型、最優破りを見て彼女が並ではないことを理解する。エルビラなりの対策はあれど、ここまで手数を掛けず、負担を最小限に最優を食い破り、序盤から有利を築く指し回しには感嘆するしかなかった。

「…………」

 ウィリアムは無言で駒を動かす。その動きには特別なものはない。リディアーヌが応じる手もまた特別ではなく既知の範囲。それで十分なのだ。中盤戦の入り口、未だリディアーヌが序盤で築いた優勢をキープ。

「まあ、ここまで最善手で進めているのは理解できるよ。そしていよいよもって後がないのも……互いに理解しているはずだ」

 リディアーヌが口を開いた。

「私は間違えないよ。ここから先も研究済みだ。私の生涯で最も試行回数が多い対局こそ対ダルタニアン・ストラディオットだからね。私は指し違えない。つまりは君の負けだ」

 リディアーヌの勝利宣言。まだ序盤戦を終えたばかり、ここからが中盤戦であるのでかなり気が早く思えてしまう。それでもリディアーヌの目に冗談の光はなかった。このまま押し潰され、そして己が所有権を自分に渡すことになる。それでいいのかとウィリアムに問うているのだ。

「それとも、はじめからガリアスに下るつもりだったのかな? ならばもう少し上手くやって欲しかったね。初期陣形の変更を受け入れつつ、君が負けてくれるのがベストだった」

 その言葉にとうとう痺れを切らしたのかエアハルトが前に進み出ようとする。今の自分の原動力であり、自分が兄に勝る大きな駒であるウィリアムを、よりにもよって自分が見ている前で奪われることなどありえない。アルカディアにとっても大きな損失である。自分がこの男にいったいどれほどのモノを与えてきたか――

「お下がりください殿下」

 その動きを遮ったのは、オスヴァルトの推挙により急遽王会議への帯同を許されたカール・フォン・テイラーであった。立場上フェリクス派であるはずのカールにエアハルトは無言で圧力をかける。

「殿下、ウィリアムは負けません」

「君の見立てに何の意味がある? 現に彼は押されている。その果てにはとてつもなく魅力的な条件が転がっているのだ。この勝負を受けた時点で――」

「はい、この勝負を受けた時点で、ウィリアムの勝ちです」

 エアハルトは言葉を詰まらせた。周囲の視線もカールのほうへ向く。リディアーヌでさえ盤面から目を離し、カールに視線を向けていたのだ。

「僕に勝負の機微はわかりません。今が敗勢である事はわかりますが、この先どうなるかは何も見えないのです。ですが、ひとつだけ、ひとつだけ断言できることがあります」

 カールはウィリアムの背を見る。幾度も見てきたその背中。その背中を追っていたら何故か無能である自分がここまでこれた。その背中が語ってきた多くをカールは感じ取ってきた。それゆえにわかるのだ。

「ウィリアム・リウィウスという男は敗北を嫌います。負けるくらいならば姿をくらませ、逃げることもいとわない男です。それすら戦術に組み込み、ストラクレスに勝てずとも、オストベルグを破った男です。何よりも、そうやって僕たちは這い上がってきました。勝てない相手からは逃げ、勝てる相手にしっかりと勝つ」

 万感の信頼。ウィリアムという男への、彼がもたらす多くから芽生えた感情。

「勝負を受けた時点で、ウィリアムの中では見極めは済んでいます。彼が絶対に勝てると思ったから勝負を受けた。曖昧であるならば避けたはず。その見極めを、彼は違えなかったから今この場にいるのです」

 カールは戦場でのウィリアムを初めから知っている。一番苦しかった時期をともに過ごしている。どれだけの理不尽があっただろうか、どれほどの苦難があったであろうか、実力ではなく出身地で蔑まれ、実力どおりの地位に『今』でさえ達していない。地を這う中、一度として間違えなかった。ならば――

「カール、喋り過ぎだ。言葉ではなく結果で示すさ。お前の言うとおりだ、と」

 ウィリアムがすっと駒を動かした。あまりにも無造作に動かされたそれは、あまりにも苛烈な一手であった。リディアーヌはウィリアムを見る。その無造作な一手にこめられた殺気の重さ、重圧、まるで戦場さながらの――

「君は、もう少し賢いと思っていたよ。これは最善手ではない」

 リディアーヌはその一手を咎める手を放つ。ただの一手で死した駒。それを省みることなく、ウィリアムは間髪いれずさらに攻める手を放った。それもまた死兵。初めから死が確定している一手。駒損である。

「かき乱せば勝てるとでも?」

「貴女次第ですよ。未熟なお嬢さん」

 先ほどまでとは人物が違う。一直線の綱を互いが落ちぬよう歩いていた盤面は一瞬にして消え去った。一手でひびを、二手で全てを破壊し、そして三手で――

「知るというのは感じることの半分にも満たない」

 盤面を混沌へいざなった。リディアーヌの顔から余裕が消える。この先をリディアーヌは知らない。こんなふざけた手を指す相手とは戦ったことがないのだ。何よりも美しくない。互いが無駄を削り、最善手を指し合い、完成する一局の芸術。それがリディアーヌにとってのストラチェスであり、彼女の愛する遊戯であった。

 されど目の前の悪あがきによって生まれた泥沼は、其処からかけ離れたモノ。無理やりこじ開けた活路から王を逃がす。そのために傷を増やし、結局、より優位に立ったのはリディアーヌの方。

「既知の面で貴女は俺に勝った。感性で俺に勝れば……貴女の勝ちだ」

 深く、深く、あまりに果てない深淵。覗き見るのは若き才女。堕とし込んだのは成熟を迎えつつある白き騎士。ここから先は既知の先、誰もが見果てぬ混沌の海。才女は躯の塔を見た。そこに蠢く幾千もの躯を、その頂点で嗤う白の王を――

「さあ、共に堕ちましょう。見果てぬ深淵、その底まで」

 ヴォルフの笑みが深まった。ルドルフの顔が硬直した。ダルタニアンが、ガロンヌが、他の百将たちも顔色を変じる。ストラクレスは立ち上がり、エル・シドは目を剥く。エルビラも、ディノも、レスターも、エィヴィングも本来遊戯でしかない盤上に戦のにおいを感じた。濃厚な血のにおい、鉄の薫り、その果てに嗤う躯の王を見た。

「これが、ウィリアムです。殿下」

 カールもまた、ウィリアムの成長を感じて驚愕した。これほどの深みに達していたのだ。カールの目から離れてからここまでの道のりの中で、これほど成長していたのだ。

 エアハルトはとうとうその感情を曝け出してしまった。この雰囲気に当てられて、今まで抑えてきた感情が噴出す。その表情をフェリクスは見てしまった。

 クラウディアもまたちらりと視線を向ける。

「ウィリアム・フォン・リウィウス」

 その男は月光が良く似合う。月夜に浮かぶ獣が牙を剥いた。

 その牙は、広さも、強さも、巨星に限りなく近づいていた。昨日ガリアスを歩んだ時とはまた別人。雰囲気の質があまりにも異なる。そしてこれこそが戦場でのウィリアム。白騎士の真正である。

 優位は依然としてリディアーヌ。しかし、彼女の学習範囲である終局図は脆くも崩れ去った。目の前に広がるは未知の領域であり、愚者の道。その手には相手から喰い取った戦力が多数。負ける要素などない。きちんと指せば、必ず勝てるはず。

 勝勢。されど王は捉えきれなかった。そしてこのゲームは王を詰ませるゲームなのだ。


     ○


 その雰囲気を感じ取った者は『ガロ・ロマネス』以外にもトゥラーンの王の間にいた。起立させられているアポロニアは即座に『ガロ・ロマネス』に顔を向け、ガレリウスも驚きの表情でそちらの方へ視線を向けた。ウェルキンゲトリクスは微笑みを深める。

「うむ、ではこの件はもう良いな。余は少しばかり疲れた。これにて本日は仕舞としよう」

 その男の提案に、他の王たちが驚きの目を向けた。まだ本件は何かを決められるような状況ではない。むしろ議論はここからであったはず。

「お、お待ちください。本当によろしいのですか?」

「ん? 余にはこれ以上語る必要を感じなかったが? 本人が否と言っているのだ。なればその枠組みに入れるのも理屈に合うまい。無駄に言葉を重ねても西方の姫君は折れぬよ。何故ならば姫君にとって我らは等しく喰らうべき相手なのだから」

 男の言葉に絶句する議場。そして男は膝を打って立ち上がった。

「本音を言えば、余の興味はすでにこの場にはないのだ。許せ」

 颯爽とこの場を後にする男の背中に声をかけられるものなどいなかった。アポロニアですらその鮮烈な姿に圧されてしまったのだ。

「私を気圧すか。トゥラーンの主よ」

 その男の名はガイウス・ド・ガリアス。このトゥラーンの主にして、超大国ガリアスの王。世界で最も高き頂にいる男である。そして世界は彼を『革新王』と呼んだ。

「さあて、余を奮わせた気配の主は如何に」

 ガイウスは笑う。面白き存在の胎動を感じて――

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