王会議:トゥラーンへようこそ
王会議の初日は大規模なパーティが開かれるのが通例。ガリアスの場合は、世界最大最高の王宮、トゥラーンの中庭で、最高の食事、美酒、音楽、踊り、贅の極み、この場こそ世界の頂点であることを顕すかのような催しが繰り広げられる。
そんな中ウィリアムは――
「おい、何で俺の視線に負け犬の顔を映さなきゃいけねーんだよ」
「あ、言いやがったなテメエ! 結構傷ついてるんだぞ白頭! 慰めろよ!」
何故かヴォルフと対面して食事に舌鼓を打っていた。切っ掛けは意図せず互いが適当に座ったら、振り向くとそこに仇敵がいた形。たまたまであるが視線があった以上、自分から離れるのは負けた気がする。互いがそう思った結果の睨み合いであった。
「本当に慰めるぞ? 相当惨めだけど良いんだな?」
「……ごめんなさい。でもよ、そっちだって思っくそ逃げたって聞いたぜ」
「ああ、逃げて、そして勝った。作戦通り、だ」
ふふんとドヤ顔を披露するウィリアム。それを見てヴォルフはやけ食いした。めいいっぱい頬に詰め込み、一気に飲み込む。この場でそんな食べ方をしているのはこの男くらいのものだろう。あまりにも無作法が過ぎる。
「どーせ俺は負けましたよ! 部下も阿呆ほど失って、今となっちゃちっちゃい傭兵団。団って言っていいのかもわかりゃしねえ。おい、テメエも飲めよ!」
そしてヴォルフは酔っ払っていた。ウィリアムはため息をつく。
「俺は焦り過ぎた。自分を客観視出来ていなかった」
ヴォルフは机にどさりと突っ伏した。後悔がお酒の力で増強されて今にも泣き出しそうである。さすがにこのまま醜態をされさせるのは忍びないとウィリアムは口を開いた。
「まあ正直同情するよ。俺ならそんな状況にはしなかったが、眼前にはエル・シド、後背のサンバルトには裏切られる。その状況の時点で詰みだ。誰がどう足掻こうと逃れられない。それこそ、エル・シドより強ければ別だがな」
ウィリアムはちらりと主賓である国王たちの近くに陣取るエル・シドを見る。想像以上の巨漢、カイルよりもさらに一回り大きい。カイルと同程度のストラクレスでさえ小さく見えるのはもはや冗談のような光景である。あれに半世紀以上の激戦、その経験が乗っていると考えるだけで冷や汗が溢れてしまう。
「その通りだ。俺ァあいつを超えるぞ! 一年か、二年、その間に絶対倒す! じゃなきゃたぶん一生勝てねえ。世界の速さに追いつけねえ」
ヴォルフの言葉にウィリアムは静かに眼を閉じた。ヴォルフの体感とウィリアムの体感は同じ感覚なのだろう。おそらくこの先、一年、二年が勝負。ここでどれだけ伸びるか、どれだけのものを積むか、成長のピークはここしかないと二人は考えていた。
「待てば巨星も堕ちるぞ。老いは確実にあいつらを追い詰める」
「馬鹿言うなよ。全盛期のあいつらを倒さなきゃ意味がねえ。そもそもそんな悠長なこと言ってたら全部あの赤髪女に喰われちまう。ありゃあ傑物だわ。モノが違う」
そう、世界の速さは悠長な構えすら許さない速度になりつつある。待てばその分差を広げられる。得られるはずだった経験値を赤の女王に喰われたらそれこそ大損害。青の男も動く。ガリアスだって若き才能ぞろい。五年もすれば勢力図は大きく変わるだろう。
「お互い、強くならねえとな。俺は……絶対に…………ぐう」
そのまま酔いから来る睡魔に飲まれるヴォルフ。ウィリアムはそれを見てため息をついた。自らの頭をガシガシとかく。
「こいつレベルで手も足も出ないのか? それほどに巨星ってのは遠いのかよ」
今のヴォルフが手も足も出ないならば自分とて同じ。否、おそらく勝負にもならないだろう。この冬で心身ともにかなり縮めたつもりであったが、それでも見た感じヴォルフは単独戦闘ならばウィリアムの上を行く。力の差は――
「ヴォルフ君も君と同じ、ひと冬でぐんと強くなった。それだけの話だ」
天頂より轟く声。ただの言葉が頭蓋に響く。振り向くな、危険だと、ウィリアムの直感が鳴り響いている。背後の人物はふわりとした笑みを浮かべているにもかかわらず、存在の圧だけで震えが止まらない。
「今の彼も、君も、我々でさえ容易くは殺せないだろう。よく鍛えてある。まさかここまで非才な身とは思わなかった。そしてその身を良くぞここまで鍛え上げた」
ウィリアムは湧き出してくる笑いを止められなかった。背後の男は、ウィリアムの理想とするフォルムであった。長身痩躯、そこにしなやかで柔軟な筋肉をまとい、俊敏性と膂力を両立させていた。そしてそこに半世紀が乗っているのだ。ほかの巨星と比べても、この男は何かが違う。
そしてその何かはウィリアムをざわつかせるのだ。
「さらに堕ちるかい。もしこれからも迷いなく修羅の道を歩めるならば、君が世界の王だ。誰も敵わない。誰も届かない。愛すらも届かぬ真の闇、無間地獄。そこに人の幸せは、満ち足りた人生は無いけれど」
そう言い残して背後の人物はウィリアムの背を後にする。湧き出す笑みは、容易く殺せないと言ったその口が嘘だと理解できてしまったから。少なくとも、背後の怪物『英雄王』ウェルキンゲトリクスには勝てない。まだ、あまりにも足りない。そう感じてしまった。
「嗚呼、足りないんじゃない。まだ、失くし足りないんだ。才無き君が選べる道は少ない。天に手を伸ばすには、地獄の果てに向かうには、失わねばならないだろう? それも、自らの手で。そうして初めて君は私たちの世界に届くのだから」
ウィリアムの脳裏に浮かぶのは能天気な笑顔。その瞬間のイメージに、ウィリアムは蒼白になる。いつの間にか、ここまで踏み込まれていたのだ。
「私は無理をしなくてもよいと思うがね。分相応の道こそが人にとっての幸せだよ」
振り向くことも無くかけられた助言。それはウィリアムを逆なでする言葉でしかなかった。許せるものではない。まるで自分には資格が無い。そう言われたような気がして――
○
人々が狂乱し踊っている光景をウィリアムは眺めていた。何故かオストベルグ王エルンストと気が合ったのかカールは男同士で踊っており、互いがリードしたりリードされたり、なんとも奇妙な構図となっていた。ウィリアムは一歩引いた位置でそれを見守る。本国ならば踊る相手も引く手あまただが、この場においてウィリアムは末席も末席。誘わねば踊る相手もいないが誘うほどの気力も無い。そんな状況でちびちびと水を飲む。
「やあやあ、白騎士君。随分と大人しいのだね」
そう言ってすすっと対面で寝ているヴォルフをずらし、ウィリアムの目の前に座る人物。ウィリアムは視線だけそちらに向ける。
「何用ですか?」
彼、彼女かわからぬ雰囲気と仮面。怪しげな人物は満面の笑みを浮かべる。
「私と踊って頂きたい。何、私も相手がいないのだ。そして君も手持ち無沙汰ときた。ならば踊らねば損というもの。まさに丁度良いというやつだ」
断る理由はない。しかし目の前の人物の意図もわからない。そもそも仮面舞踏会でもあるまいし、ウィリアムのように仮面をつけているのは中々に怪しい。
「構いませんが……どちらがリードを?」
「あははは。それは踊ればわかることだね。どちらがリードしているか、そういう話だろう?」
挑戦的な、挑発的な笑み。正直、ウィリアムも先ほどの英雄王との絡みで気が立っていた。その中でこの態度を取られたならば引く気など消えてなくなるというもの。
「わかりました。リードさせて頂きますよ……御嬢さん」
「いいね。是非私を躍らせてくれ」
差し出された手を取るウィリアム。その瞬間、さまざまな情報が駆け巡る。手とはその者の生き様を一番色濃く顕す鏡である。農夫の手はごつく巌の如し、商人の手は柔らかくあぶらっけが多い。貴族の手はまさに絹の如し――それだけ労苦が少ないということだ。
「ほう、これは参ったね。どうやら私は踊らされるようだ」
仮面の人物は笑みを持って敗北を悟った。そのままウィリアムにリードされるがまま、フロアの中心に踊り出す。視線が仮面の二人に集中する。
ざわめく周囲を他所に誰よりも目立つ二人組。踊りの流麗さもさることながら、互いに中性的な雰囲気を持ち、互いに仮面をしているその不可思議さが彼らの目を引いた。もちろん踊りも一級品。リードしている方、リードされている方、どちらも見事に互いを引き立てていた。
「貴女を躍らせるのは難儀ですよ。リディアーヌ王女殿下」
「ふふ、バレたか。君は強いなウィリアム。私をこうして引きずり回せる男などガリアスにもそうはいない。私が嫌がるからな」
ウィリアムの耳にも届いている。ガリアスの百将にして変わり者の王女がいることを。厳密には王の孫なので一般的には王女というくくりからは外れるものの、革新王の超長期政権が生んだ例外ゆえガリアスでは王女のくくりであった。その優秀さは折り紙つき、かの『黒羊』を粉砕してのけた手腕は一時期世界を賑わした。
優秀な人間が上に立つ。その原則の上で成り立っているガリアスの中で王位継承権第五位という本来の出自から見ると破格の位置に彼女はつけていた。そこからも優秀さが読み取れる。変わり者かつ優秀、手を触れただけで、そもそも見ただけでわかるものにはわかる。
リディアーヌ・ド・ウルテリオルはそういう人物であった。
「私では些か見栄えのする身長ではないと思いますが」
「確かに私は身長が高い。しかし心は乙女のつもりだよ。まあ、つまりは私の認めた男以外に引きずり回されるのは結構、ということだね」
「なるほど、私は一応御眼鏡にかなった、ということですか」
「そういうことだね。失望させてくれるなよ、仮面の君」
「了解致しました。仮面のお嬢様」
さらに激しさを増す二人の動き。リディアーヌはウィリアムのリードに対し、とてつもないレスポンスで返してくる。その速度に、さらに上乗せする形でウィリアムは引っ張っていく。退屈はさせない。見ているものなどどうでもいいが、目の前の相手を退屈させることには、とても癪だと感じるのだ。
「あらあら、随分はしゃいでいますわね」
「あのじゃじゃ馬を飼いならすか。白騎士は暴れ馬を乗りこなす才能もあるようだ」
完全に会場の中心となった二人。王侯貴族たちも興味深そうに二人の動きを眺める。エアハルトは大笑い、フェリクスは苦虫を噛み潰したかのような顔。クラウディアは我関せずで、会場内の位の高い相手を物色していた。そしてエレオノーラは、とてもわくわくした表情で二人の動きを見つめていた。
「むにゃあ……って、いつの間にか踊ってるし! 何故かあいつが目立ってやがる!」
起き抜けのヴォルフが嫉妬し、
「おっぱいおっぱいもーみもみ」
ルドルフはいつもどおり踊りながら器用に相手の胸を触っていた。
「……ふむ」
アポロニアは何故か手に持ったグラスを粉砕。
「わあ、やっぱりウィリアムはすごいなあ」
「すごいねえ。あ、お菓子食べる?」
踊り疲れたカールとエルンストは二人でまったりとお菓子を食べながら観戦していた。非常に波長が合うのか、二人のいる空間だけまったりとした雰囲気が漂っている。ぽわぽわ、ふわふわ、にこにこと笑みが絶えない。
加速する踊り。ウィリアムは踊りながら顔を歪めてしまう。この速度域、ここでしかうまく踊れない器用なのか不器用なのかわからない相手を嫌でも思い出してしまっていた。無駄に器量だけ高い馬鹿、ウィリアムが惹かれる点など皆無。
(くだらん。振り切れ。あんな女、いずれは切り捨てる相手だ!)
ゆったりとした貴族的な踊りは死ぬほど下手糞だが、ハイペースになると途端に水を得た魚となる。練習台として利用していた最中、ウィリアムが全力で振り回しても嬉々としてついてきた、あの笑顔を浮かべて――
「感心しないな。私を前にして他の女のことを考えるとは」
リディアーヌはウィリアムにぐっと密着する。そして挑発的な視線を投げる。
「嫉妬で燃えてしまうそうだ」
一気にリディアーヌの要求が高くなる。先ほどの動きよりもさらに高次元。速さも難度も比較にならない。この速度域は練習台を引きずり回した時でさえ経験していない領域。リディアーヌの笑みが深まる。私だけを見ろ、そう無言で語りかけてくるように。
(こ、んの、じゃじゃ馬がァ!)
全部消し飛んだ。先ほどの会話も、あの笑顔も、すべてを注力せねば追いつけない、上回れない。ウィリアムは踊りが得手というわけではない。踊り始めたのはつい最近のこと。二年前まではカールの方がうまかったほどである。
それでもここまで高めた完璧主義。そして今、さらに加速する。
一気に加速し終点まで一直線。音楽家も心得ているのかピッチを上げて収束感を煽っていく。それに引っ張られるどころか引っ張っていくほどの動きで二人は縦横無尽にフロアを制覇する。もはや見事というしかない。互いが互いを限界まで引っ張りあげている。むしろ限界を超えている、超えさせている。
「あはは! 楽しいなあウィリアム! 私は今最高に楽しんでいるぞ!」
「俺は必死ですよ。まったく、仕上げと行きましょう」
一段と大きな動き。そして終息する音楽。最後は、しとりと綺麗に停止する二人。先ほどまでの動が嘘のような静。最後の最後で貴族好みな終着を見せた。
そして巻き起こるスタンディングオベーション。
「私をここまで遊ばせてくれたのは君が初めてだ。改めて礼を言おう、ウィリアム・フォン・リウィウス。私の名はリディアーヌ・ド・ウルテリオル。今宵は最高の夜であった」
「こちらこそ退屈が紛れました。感謝を、リディアーヌ様」
万雷の拍手。その中で笑いあう二人。
「素晴らしいわ! なんて素敵なのでしょうか」
二人に向かっててくてくと走ってくる少女を見て二人は目を丸くする。案の定少女はドレスのすそを踏み転びかける。それを支えたのは二人の麗人。先ほどまで勢いよく踊っていた速度をゆうに超え、少女の身をしっかりと支えていた。
「ご、ごめんなさいウィリアム様。わたくし、ドジで」
エレオノーラはしょんぼりとした顔になった。それを見てなんと声をかければよいか思案するウィリアム。しかし――
「ドジが華になるのも女の強みだよ、エレオノーラ。君に会いたかった」
リディアーヌが先んじて声をかけた。そしてそのまますらりと跪きエレオノーラの小さな手に軽く口づけをする。「まあ」と頬を染めるエレオノーラ。
「貴女はどなた様かしら?」
「貴女の騎士、そして貴女のお友達、さ。はじめまして、私がリディアーヌだ」
「まあ!? 貴女がリディアーヌなの?」
「そうだよ。君の文通相手さ。噂以上の美しさだね」
そう言ってリディアーヌは仮面を外す。中から現れたのはやはり中性的な顔つき。されど女性と一目見ればわかってしまう程度には魅力も兼ね備えていた。
「思っていた以上に大きくてびっくりしてるのよ。さっきの踊り、とても格好良かったわ」
「それは光栄だね。まあ彼の助力があってこそ、だ。さあアルカディアの騎士様、ここからが本番だ。己が姫を優しくエスコートしたまえ」
気障にエレオノーラの手をウィリアムに掴ませるリディアーヌ。その瞬間、エレオノーラの頬が灼熱を帯びる。それを見てリディアーヌは片目をつぶって後退した。
「ふふ、まだ今宵は始まったばかり。楽しまねば」
音楽が再開する。そして今度は先ほどまで踊っていなかった者たちも一斉に踊り始めた。会場そのものが熱を帯びたのだ。黒狼のヴォルフはちゃっかり面識のあるラインベルカを捕まえて踊る。ルドルフはエルビラのおっぱいを触ろうと画策するもディノの壁に阻まれる。その先のエル・シドの表情を見てさしものルドルフも後退を余儀なくされた。アポロニアは踊りたそうにしているが、実はあまり得意ではないのでやけ食いをしている。その横でベイリンが笑顔で盛り付けをしている姿は何ともいえないものであった。ちなみにメドラウトは適当に相手を捕まえて踊っていた。
先ほどよりたどたどしい動き。ゆったりと、しっとりと、相手に合わせて踊ってやるウィリアム。楽しそうなエレオノーラの顔を眺めて悦に浸っているリディアーヌ。ようやく夜が動き出してきた。
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