ゴールドラッシュ:勝者と敗者
この冬が勝負であった。商人ならば誰もが深い興味を抱く戦い。久方ぶりの大物である。誰もが経過を注視した。誰もが結果を待ち望んだ。戦っている当人同士も死力を尽くし後は待つのみ。
より良い条件を提示した方が勝つ。シンプルなように見えて実に奥が深い。総合的に良い条件というのが難しいのだ。住民の賛成、周辺の土地の確保、当然鉱山取得に際しどれだけ金が積めるかも焦点となってくる。もちろん一部の大貴族を除いて即金というのはありえない。見られるのは将来性、本当に提示した額を将来的に捻出できるのか、これもまた条件の一つである。
金銭面で圧倒的優位であったのはローランを擁する五商会及びフェリクス陣営。テイラー商会と五商会が持つ莫大な資金力。金のたたき合いでは勝機はなかった。ウィリアムの保険が機能して初めて勝機が芽生える。そうせねば勝つ見込みはゼロであったのだ。
もちろんフェリクス陣営というよりも独立したフェリクス派及び中立の大貴族は、黙っていてもある程度の鉱山を獲得してくる。彼らは条理すら覆してくるので、彼らの領域で戦うすべはなかった。よってリウィウス商会と五商会やその他商会の取り分は五割程度という見通し。その中での戦い――
結果は一束の羊皮紙であった。王宮から送られてきた羊皮紙一つでこの場全員の運命が変わる。リウィウス商会には中央の机に大きな北方の地図が広げられていた。取得できた鉱山が一目でわかるようにするためである。
「読み上げるのはアインハルトに任せる。取得鉱山の丸付けは集めた金が最も小額だったヴィーラントにやってもらおう。さあ、この冬の総決算といこうか」
ウィリアムは羊皮紙をアインハルトに手渡し、自らはこの部屋で最も上座に位置する己が椅子に座る。ディートヴァルト、ジギスヴァルトもまた己の席で天命を待つ。
「……上から読み上げる。ヴィリニュス西部黒の山、インゴルフ・フォン・エスマルヒ公爵」
この国を動かす大貴族の家、エスマルヒ。フェリクス派最大権力を持つだけに最も美味しいところを軽々と取っていった。まあ黒の山が取れるとはこの場の誰も思っていない。此処はヴィリニュスが壮健であった頃からの大きな採掘場があった。手に入れたなら即座に採掘を再開できるだろう。
個人で即金、此処だけを狙えばエスマルヒの力で取るのは容易い。
「続いて同じくヴィリニュス、東部古谷……リウィウス商会」
ヴィーラントは嬉々として丸をつける。ウィリアムはまゆひとつ動かさなかった。
「ヴィリニュス北部――」
アインハルトが続々と読み上げていく。この場で動くのはヴィーラントのみ。他は微動だにせずアインハルトの声に耳を傾けていた。長いようで短い時間が過ぎていく。この冬の総決算、あれほど方々駆け回った結果が一束の羊皮紙に収まっているのだ。努力が全て実ると思うほど彼らは青くない。勝負には勝者と敗者がいる。勝つときもあれば負けるときもある。
それが勝負の世界。
「――最後に、ノーザンライナ、エルブレス鉱山……ヘロルド・フォン・ヴァルトフォーゲル大公。以上だ」
皆が押し黙っている。誰も口を開こうとしない。勝負の世界に絶対はなかった。絶対に勝つということも絶対に負けるということもありえない。誰かが勝ち、誰かが負ける。誰もが死力を尽くした。人事を尽くした。
勝負の世界に絶対はない。
「俺たちの――」
だからこそ――
「――勝ちだ!」
勝利と言うのは格別なのだ。
「勝ったぞ馬鹿野郎!」
アインハルトは羊皮紙を地面にたたきつけた。ヴィーラントはペンを力いっぱい地図に刺し込む。その地図には実に全体の六割近くに印がついていたのだ。普段冷静なジギスヴァルトも吼える。ディートヴァルトも年甲斐なく拳を突き上げた。
そしてウィリアム・フォン・リウィウスは、静かに勝利をかみ締めていた。ウィリアムが当初描いていた絵図とは大きく異なる着地点。されど其処は己が描いた絵図よりも遥か天に近かった。この勝利は己を今までになく飛躍させるだろう。薬品のときは窮地から機会を与えられただけ。特殊な武器類も市場の隙間をついただけ。だが今回の勝利は市場を支配している者たちから勝利をもぎ取ったのだ。
これは、この勝利は、間違いなく格別の味であった。
「諸君、静粛に」
ウィリアムは歓喜に溺れそうな己を必死に繋ぎとめた。他の者たちもぴたりと黙し、ウィリアムの方を見る。
「俺たちは勝った。まさに衝撃的な幕切れ、劇的な勝利だ。だが、この勝利は一時でしかない。この勝利がもたらす大きな波、それにのるかそるかは今からの動き次第だ。俺たちは勝者だ。そして今後とも勝者足り続けるにはどうすべきだ?」
ウィリアムの問い。真っ先に口を開いたのはディートヴァルトであった。
「わしは国内を押さえよう。もともとわしの商会と懇意であった鉱山、製鉄所、工房、全てを取り戻し、それ以上を出させてみせるわい。勝ち馬を見誤った連中はきつーく絞らねばのう」
ウィリアム側についたことにより最大のシェアを誇ったロイエンタール商会はがくんと売り上げを落とした。そもそも売り上げを立てるための材料すら賄えぬ状況。他の二商会も同じである。まずは元に戻すことが先決。もちろん元に戻す際は勝者であることを振りかざして、より好条件での再取引を持ちかけて初めてやり直し、である。
「その通りだ。北方で勝ちを決めたのなら、早急に動くべきは国内。ヴィーラント、ジギスヴァルトも元の取引先のケツを叩いて来い。徹底的に上から目線で、許してやるから条件を飲めといわんばかりに押し付けろ。風が変わらぬうちに風見鶏どもを一気に飲み込め! そうすりゃ後は黙っていても勝利はついてくる。勝利に浸るのはそれからだ」
ヴィーラント、ジギスヴァルトは颯爽と外に出て行った。さすが若いだけあってフットワークの軽さは見事なものである。此処から数日は戻ってこないだろう。
「アインハルトのみは技術者と共に北方へ向かえ。まずは一件、今ある現物で実績をぶち上げる! この一年で一体型製鉄所を完成、稼動させてみせろ。出来るかとは問わん。やれ」
「了解した。すぐさま現地に向かう」
若手二人に負けじとすぐさま動き出そうとするアインハルト。しかしその背にウィリアムは声をかける。
「その前に一応ローランに顔を見せておけ。誰が勝者かをしっかりと教えてやるが良い。これも命令だ」
「……あ、ああわかった」
有無を言わせぬ雰囲気にアインハルトは頷くしかなかった。そしてアインハルトも動き出す。外に出て、技術者を押さえに行くのだろう。
「俺の価値は決まりましたかな、ご老公?」
ウィリアムは残ったディートヴァルトに声をかける。ディートヴァルトはかっかと笑った。あの日、ディートヴァルトが真っ先にウィリアムの傘下に下った日のことを思い出す。あの時は価値を決めかねていると言った。今は――
「今も変わらぬわい。価値を決めかねておる。わしの計りではぬしの価値は計れぬようじゃて。はてさて、どこまで上るのやら」
誰よりも熟達した商人であるディートヴァルトがウィリアムに下った時点で、こういった形になるのは見えていたのだろう。誰よりも利に聡く、私利私欲のために動いてきた男が、それらを投げ捨ててでもウィリアムの側についた。それが全てであったのだ。今となっては結果論でしかないのだが――
○
リウィウス商会は盛況の極みであった。
それに反して五商会の集いは恐ろしいほどの沈黙に包まれていた。五人いるはずの議場には三人しかおらず、この場にいない二人はおそらくリウィウス商会の傘下に下ったのだろう。
「テイラーは何と言っている?」
「完全に上回られた。力不足で申し訳ない、と。私の目の黒い内はアインハルトにこれ以上動き回るなと言い含めておくので安心して欲しい、だそうだ」
「何が、何が――」
震えるのは問うた本人であるヴェルナー伯爵。ディートヴァルトが去った後、五商会を束ねて、鉱山の商権合戦で己が地位を磐石へ。そういう絵図を思い浮かべていた。結果は惨敗。取れた鉱山はいくつかあれどそれは相手に取らせてもらっただけ。製鉄所の設置が難しいと思われる鉱山はウィリアムサイドが初めから捨てているのだ。
「何が力不足だ! 何が申し訳ないだ! 何が、何が安心して欲しい、だ!」
ヴェルナーの咆哮。この数週間でヴェルナーは一気に老け込んだ。あれほど脂の乗った商の怪物が、痩せて枯れ肌は乾きて地に伏す。勝者から一気に敗者へと落ち込んでしまったのだ。
「テイラー商会に圧力をかけさせる。各鉱山主にお願いせねばな。テイラーに金属類を売るな、と。ああ、後はリウィウス商会についても今一度念を押して――」
「ヴェルナー伯……申し上げにくいのですが」
ヴェルナーは熱に浮かされた目で自分の言葉をさえぎった男を見る。
「我々に賛同してくださっていた鉱山主が、一斉にリウィウス商会との取引をするべく動き出し、あわせてロイエンタール商会をはじめとする三商会に対しても続々と取引を再開。この五商会の代表として訪問した私は門前払いを受けました」
「無礼な。どこの鉱山主だ! 我らを誰だと――」
「全員です」
「――思って、あ? 今、何と言った?」
「私が赴いた先、全てで私は門前払いを、瓦解する五商会の味方にはなれぬと言われました」
ヴェルナーは倒れこむように椅子に落ちた。あまりにも、あまりにも急変した己が立場。今までこの地位を築き上げるのにどれほどの心血を注いだか。五商会が八つであった頃、そこのナンバーツーにまで成り上がるのにどれだけの労力を費やしてきたと言うのか。
「全て、だと? まだ回っていないところもあるはずだ。クーニッツは? レージンガーは? あれなら私の味方になってくれるはずだ。長い付き合いだからな」
「先ほどの言葉を言い放ったのがクーニッツで、言葉すらかわしてくれなかったのがレージンガーでした。双方とも、リウィウス商会へ商売の話を――」
ヴェルナーは渇いた笑みを浮かべる。もはや笑うしかない。怒りを通り越して呆れてしまったのだ。この世の無常さを。商売の世界に感情はなかった。余裕のあるときならばいい。しかし本国の鉱山主にとっても北方の件は大きな問題、今動かねば死活問題になり得る。擦り寄るべき相手は間違えない。間違えたなら――
「……そこで、私たちからも一つお話が」
そこで――
「実は私で七人目だったのです。何のことかお分かりでしょう?」
死が待っているのだから――
「七人目、どういうことだ? 私にわかるように言え!」
「昔、この場には八人の商人がいました。どれもこれも一癖も二癖もある怪物ばかり。彼らの味方であれば私は安泰だと、安易な私はそう思っておりました」
いきなり語り始めた男の腕をヴェルナーは掴む。それは男を圧倒しこの場に君臨していた怪物の行動としてはあまりに女々しく、遅過ぎたとはいえ男にとって己が行動は正しかったのだと確信させるに充分な醜態であった。
「それがどうです? たった一度の会合で白の怪物は三人を喰らいました。そのうちの一人はこの場で最強だった男。われらは笑いました。ディートヴァルトと言う怪物が乱心した、と。しかし今となっては喰われた三人が正しかった。己が身を差し出して、怪物の腹の中で飼われる道こそが正解だったのです。私は遅過ぎた」
男は、ヴェルナーの腕を払った。しりもちをつくヴェルナー。
「それでも、貴方ほど遅くはなかった。私は七番目。最も下位であるが、されど私は怪物の内側で飼われる権利を得た。貴方には、喰われる道すらない」
いつの間にかこの部屋には二人しかいなかった。そして一人は残った敗者に背を向ける。
「白騎士を敵に回した時点で我らは負けていたんですよ。彼は本物の怪物ですから」
そう言って七番目の男もまたこの場を去った。残ったのは八番、最後の男。最初、彼らに提示されていた条件を思い出しヴェルナーは笑う。自分があのような小僧に負けたことを彼は信じたくなかったのだ。彼の誇りが頭を下げる道を閉ざした。頭を下げる器量がヴェルナーにはなかった。
「私は、ヴェルナーだ。八代続くアルカディアでも有数の商会の長。我が偉大なる曽祖父が献上せし名剣ヴェインスレイは未だ国宝として王家の宝物庫に納められている。かのロイエンタールなどよりよほど歴史を背負っているのだ。たとえ一人になろうとも――」
ヴェルナーは笑う。その笑いはあまりにも悲痛で聞くに堪えなかった。
勝負の世界、ただ一度の勝負が全てを変えてしまうことも――ある。
○
フェリクスは嫌悪感丸出しの顔で羊皮紙を覗いていた。それをくしゃりと握りつぶして適当に放り投げる。
「商会同士のゴミ漁りには興味がない。だが、何故俺が手にするはずのいくばくかが奪われている? この俺の陣営を肥らせる筈の鉱山が、平民上がりの異人に奪われているのだ!? ええい!」
今回、全体の六割を制覇したのがリウィウス商会であった。何もせずとも得られるはずだった一割強を喰い取られた。本来、ありえないはずの割合。製鉄所の設置というカードは条理すら覆したのだ。
フェリクスは自分の忠臣たちを睨み付ける。彼らは一様に慄いた。
「エアハルトの配下如きに出し抜かれやがって! しかもそいつを王会議に引っ張って行く? どこまでも俺を虚仮にして――」
怒髪天のフェリクス。今まで視界にも入っていなかった男に対しての怒り。本来己が手にするはずの宝を奪い取ったのだ。許せる話ではない。
「名前は覚えたぞ下民、ウィリアム・リウィウス。いずれしかるべき報いを受けてもらおう。王族の宝に指を触れた、その咎でな」
ウィリアムの知らぬところでフェリクスの怒りを買ってしまった。今まで眼中にもなかった男に誇りを傷つけられた。ある意味で、一番傷つけてはならぬものを。
○
七商会全てを傘下に治めたリウィウス商会は鉱山、製鉄所、工房、鍛冶師、全てをフル稼働させて武器を生産していた。今までどうにか小細工で誤魔化していた部分を埋め、ウィリアムの方で止めていた第二軍の仕事も全て己が商会へ振った。鉱山や製鉄所は当然として、これから支払わねばならない多額の返済金のためにも利益を上げる必要がある。
本国はディートヴァルトを筆頭に七商会の者たちが動く。北方の方はアインハルトが一人で赴き鉱山を採掘可能とすることと同時進行で製鉄所の設置を行う。本国が安定し次第ヴィーラントらを増援に充てようとウィリアムは考えていた。
「ローランはアインハルトに何を伝えたか……俺に利するか、俺に反するか。どちらにしても面白い。そしてどう転ぶにしろテイラー商会は俺のモノだ。商の世界は制したも同然、もはや黙っていても勝利が転がり込んでくる」
ウィリアムの興味はすでに商にはなかった。必勝の体制ができてしまった。もちろん薄氷ではある。製鉄所の設置や無理やり自分たちの商流に組み込んだ第二軍への武器供給、どの部分でも悪手を放てばその瞬間瓦解する可能性を秘めている。しかし、好手の必要はすでに失われた。平凡な手を指し続けるだけで勝てる。
「まだ楽しむ余地はある。だが、こいつほどじゃないさ」
ウィリアムの目の前には王会議で纏う衣装があった。ルトガルド渾身の一作。以前百人隊長の昇進式で纏ったものをさらにグレードアップさせた衣装。より鎧身を多くし武人であることを主張している。今回は王の騎士として、アルカディアの武力としてウィリアムは王会議への帯同を許された。なればこの方向性は正解であろう。
「王会議へこいつを纏い参じる。嗚呼、やはりあいつは俺のことを理解している。こいつは、俺だ。あの時よりもさらに強くなった俺自身。だから怖いのさ、俺はお前が怖い」
ウィリアムは白き衣装に触れる。其処からは何も伝わっては来ない。これはウィリアムが纏って初めて意味を持つ。この衣装に合わせて新調した仮面。そしてずっと輝き続ける血色のルビー。全て合わさり――
「だが、俺はお前たちの理解すら超える」
ローランが己に残した言葉を思い出す。おそらくウィリアムがアルカディアに戻ってきたとき、ローランはこの世にいないだろう。ゆえにあれは遺言であった。呪いと言ってもいい。その言葉の後にこの衣装を見ると幾ばくかの怖れが湧き上がってくるのだ。
「そして当然、各国の連中、全員の度肝を抜いてやる!」
それらの些事は一時横に置いておく。今は、こいつを纏って世界に躍り出ることこそ肝要である。欲望の炎が燃え盛る。
世界への第一歩。白騎士を世界が知る日は着実に近づいてきていた。
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