ゴールドラッシュ:それぞれの立場Ⅲ
一人の女性がウィリアムの家の門を叩いた。一見して地味な見た目の女性。年齢は若く見えるが女性としてはそろそろ行き遅れに分類される年齢。王都では年々上がっていく結婚適齢期だが、それでももう少しで足が出る頃合である。
「どちら様ですかー?」
門扉を開けて女性と対面したのはこちらも女性であった。一見して派手な見た目。それも下品な派手さではなく生まれ持った華と愛嬌が彼女の色を作っている。年齢はまさに花盛り、丁度良い頃合であろう。
「ルトガルド・フォン・テイラーと申します。ウィリアム様に御用があって参りました」
地味な女性の名はルトガルド・フォン・テイラー。
「ウィリアムなら居間で読書し……おりません」
派手な女性の名はヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハ。
明らかな嘘であったが、おそらくウィリアムに言い含められていたのだろう。読書をしたいから留守であるとうまく言え、とでも言われていたならばまさに悪手。これでは客人に不信感を与えかねない。まあルトガルドでよかったということだ。
「ルトガルドがお仕事の話で参りましたとお伝えください。それでも留守であるならば何も言わずに帰りますのでご安心を」
ヴィクトーリアは「むむむ」と考え込む。ない頭を必死に動かして、この状況の対処法を考えるが――
「ちょっと聞いてくるね!」
結局ウィリアムに聞いてくるという選択を取った。これもまた悪手である。完全無欠に居留守だと相手に伝えているようなもの。
「宜しくお願い致します」
ルトガルドの返事を待たずして、てててと走り去るヴィクトーリアの背中はとても貴族の令嬢には見えなかった。だからこそルトガルドの胸中がざわめいてしまうのだ。あの何をしても許されてしまうような愛嬌で、己が大切なものに踏み込み全てを破壊してしまうのではないかと。
「誰が居留守をバラせって言った? あ? お前は鳥頭か?」
「でもでもこの場合なんて言えば良いのかってちょっと難しいよね」
「……ここまで馬鹿だと清々しいな」
「えへへ」
「褒めてないし嬉しそうに笑うな! もういいから部屋に戻ってろ。客人は俺が相手をする」
「……会うの? 本は?」
「たとえ会う必要のない相手でもお前のおかげで無視出来なくなってるんだよ。わかったらさっさと部屋にもどれ。本でも読んで勉強しろ」
「はーい」
玄関まで聞こえてくる痴話喧嘩。これを聞いてルトガルドの笑みにほんの少しひびが入る。知らぬ間に生まれていた関係。自分が遅々として動かぬ間に、待っていた結果がこれである。自分の揺らぎに気づきルトガルドは小さく深呼吸をした。
(大丈夫。彼女はあの人の本当を理解できない。理解できるのは、共犯たる私だけ)
そして申し訳なさそうな顔をして現れたウィリアムに、ルトガルドはいつもの笑みを向けるのだ。「馬鹿が失礼をした」「いえいえ、元気があっていいですね」「馬鹿なだけだ」と軽い言葉を連ねる。
「……君がこの時期に来るとは思っていなかったよ」
「この時期だからこそ、少し会ってお話をしたかったのです」
「わかった。あがってくれ、ルトガルド」
「はい、ウィリアム」
ウィリアムの手招きに応じるルトガルド。初めて踏みしめたウィリアムの領域。そこを犯すことにルトガルドは背徳感を覚えていた。もちろんこれはルトガルドの認識している線よりも遥か外側。ウィリアムの琴線に触れることはないだろう。
それでも、初めてと言うのはやはり緊張するものである。わかっていても――
○
「兄がご迷惑をかけております」
開口一番、ルトガルドは謝罪した。その謝罪を聞いてウィリアムは苦笑する。やはりこの女は賢いのだ。少なくとも最近の動きがウィリアム主導でないことを見抜いている。優秀である。男であったら部下に欲しいほどであった。
「何、勝てば俺の考えよりも上にいける。アインハルトさんが俺を上回っただけのこと」
「父が病に倒れたならばノーリスクで勝てた勝負です」
「我ながらつまらない話さ。ノーリスクハイリターンより、ハイリスクだが最高を得られるならばそれを取るべき。今後のことを考えたならば。君の心配は杞憂だよ」
「であれば何も申しません。存分に戦いください」
しばしの沈黙。久方ぶりの平穏がウィリアムを包む。無言でありながら決して嫌味のない空間。喧騒の中にいるウィリアムにとってそこは思っていた以上に心地良い空間であった。
「用件を聞こうか? まさか家人に対する謝罪のためにここまで来たわけではないだろう?」
ルトガルドがほんのり悲しそうな顔をする。
「用件がなければ来てはなりませんか?」
「ん、いや、そんなことはないが」
いたずらっぽく笑うルトガルド。ひとめでからかわれたのだとわかる。それを理解し苦笑するウィリアムを見て、ルトガルドもはにかむ。まるでここがテイラー家のような感覚。早朝と深夜の稽古終わりのような感覚に陥ってしまう。
「冗談です。用件はこちらになります」
ルトガルドが差し出してきたのは羊皮紙の巻物。ウィリアムの目が細まった。
「中身を見ても?」
「どうぞ御精査ください」
ウィリアムはルトガルドから羊皮紙を受け取って広げる。中に書かれていたことは今のウィリアムにとってありがたいことであった。融資の契約書といったもの。サインひとつで金百枚。金利は相当抑えられている。ほぼ無利子に近い。
「今の俺がテイラー家からお金を受け取るわけには」
ウィリアムは考えをめぐらせる。結果としてこの融資は受けられない。テイラー家との関係を勘繰られるし、負けた際の保険が使いづらくなってしまう。それとこの金を秤にかければ受け取るのは難しいだろう。
「そう思いましたのでお金の出所は、ヒルダに協力してもらいガードナーになっております。もちろんお金は私のものですが、これでご心配の種は除けたかと」
契約書によく目を通せば確かにガードナーからの融資と取れる文言。テイラー家のての字も入っていない。これならば受け取ることが出来る。むしろこの金利であれば断る理由がない。
ルトガルドと言う女性はおしとやかに微笑む貌に反して、やることに隙がなさ過ぎる。エルネスタと似たタイプだが、こっちの深さはその比ではなかった。
「御必要であれば理由付けもいたします。今後ともアインハルト兄様と、ひいては本家である私やカール兄様とお付き合い頂くための金と取っていただいて構いません。まあ私の蓄えなのでそれほど多くはないのですが」
「……金百枚はルトガルドの私財なのか?」
「はい。こつこつ貯めておりました」
ウィリアムはルトガルドがこっそりと働いていることを知っていた。貴族の服飾をコーディネイトするのが主な仕事。特にヒルダはほぼ全ての服飾をルトガルドに依存していたほどである。かくいうウィリアムも未だにルトガルドからもらった服を着ているのだが――
「それにしても……家長でもなく商会を運営しているわけでもない君が金百枚か」
「材料費、加工費、それらは乗せているブランドに比べれば微々たるもの。割が良いんです、私の商いは」
ルトガルドは間違いなくローランの娘であった。テイラー家のブランドに上乗せして『自分』という存在すらブランドに仕立て上げた。ウィリアムはその辺りに疎いので判断しかねるが、ルトガルドと言う存在は意外と貴族の中でも知られているものなのかもしれない。そうでなくばいち貴族の令嬢がどうして金貨百枚を貯められようか。そもそも貴族の令嬢は自分で稼いだりしないのだが。
「ありがたく頂戴しよう。助かるよ」
「いえ、お役に立てたなら何よりです」
ルトガルドはぺこりと頭を下げる。ウィリアムは改めて貴族連中の見る目のなさに呆れていた。ちやほやされるのは外面の良い連中ばかり、ルトガルドらのような華のない娘は目も向けられない。中身がどれだけ優れていても、家柄と華だけが女の価値とされている現状では輝く機会すらないだろう。
「君は客だ。何もない家だがゆっくりしていってくれ」
「はい。少し休ませていただきます」
小休止。ウィリアムは本を手に取り読書に集中、ルトガルドはそそと立ち上がり洋箪笥を開ける。少し眉をひそめた後いくつかの服を取り出し、自分のかばんから裁縫セットを引き出して服の修繕を始めた。
「かなり痛んでいます。服は最近購入されましたか?」
「……いや、以前使ってたものをそのまま使っている」
「見ている人は見ています。ちょっとした解れでさえ気にする人はいるのです。この状態はあまり感心できません」
「……ごめんなさい」
「新たに購入するか、裁縫の得意な使用人を雇うか、定期的に誰かに、たとえば私に頼むとか、何らかの方法を考えた方が良いと思います」
「検討しておきます」
服のことに関しては一家言を持つルトガルド。ウィリアムを思うが故の提言であるがちょっぴり願望も混ざっていたのは内緒である。
○
ヴィクトーリアは一時部屋に戻っていたものの、やはり気になったのでこっそりと階下に下りてきていた。しかし覗き見るほどの度胸はなく、仕事であった場合本気でウィリアムが怒ると思ったので、厨房でお菓子を作っていた。気慰めである。
「お邪魔するわね」
厨房にある裏口からぞろぞろと湧き出してくるのはベルンバッハの姉妹たち。みんなすごく暇なのだろう。暇があればヴィクトーリアの監視を名目にこの家に遊びに来ていた。テレージアはともかくヴィルヘルミーナはそろそろ家のことに注力した方がいいと思うのだが。
「ほう、女を連れ込んで、婚約者を二階に押し込んで情事に耽っているですって!?」
ヴィクトーリアの説明が下手なのか、ヴィルヘルミーナの受け取り方が極端なのか、止めない長姉が悪いのか、力のないエルネスタが悪いのか、何も気にせずお菓子を頬張っているマリアンネが悪いのか。
「不届き千万! 私がびしっと言ってあげるわ!」
「え、でも仕事かもしれな――」
「女は仕事なんてしません!」
言われてみればその通り。しないわけではないが他人の男の家で仕事というのは変な話である。しかも貴族の娘、間違いなく黒、浮気であろう。
「で、その……なんて名前だっけ?」
「んー、ル、ルトハルロ・フォン・ヘイラー、だったような?」
大間違いである。テレージアは大きく首をかしげた。そんな名前の貴族がいただろうか、と。エルネスタは暴食の徒と化した妹を全力で止めていた。最近あまりに食い意地が先行しすぎている。ちょっぴりぷにっとし始めて――
「とにかく不届きな輩の現場を押さえに行くわよ!」
暴走する四女。たぶん嫁ぎ先で嫌なことがあったのだろう。その目はウィリアムにとっていわれのない嗜虐心に満ち満ちていた。
「あらあら、元気ねえ」
困った顔をしつつ止める気のない長姉。一番の元凶である。
どたどたと廊下を渡り居間の扉の前に並ぶ。一番背の低いマリアンネが最下段、そこからエルネスタ、ヴィルヘルミーナ、ヴィクトーリアが扉の隙間に配置。少しだけ開けばあら不思議、部屋の中が全て見えるのだ。
「う、あ」
ヴィクトーリアが絶句する。ヴィルヘルミーナはむっとし、こっそりと覗き込んだテレージアもまた朗らかな表情を崩していた。エルネスタは――
そこにあった光景は情事などと言う俗的な風景ではない。しかしある意味でそちらの方がヴィクトーリアとしては良かった。良くはないが、それでもこの光景よりもマシかもしれない。
この、日常を切り取ったかのような穏やかな光景に比べれば――
読書に没頭するウィリアム。相変わらずの速読。ペースがおかしい。その横でまったりと糸を繕う謎の女性。その巧みな手さばきと繊細な動きは、やっていることに反してどこか貴族的な雰囲気を持っていた。二人には暗黙の空気があり、どちらもどちらを許容している。あまりに絵になる光景。其処に自分がいないことにヴィクトーリアは泣きそうになった。彼我の距離はまだ遠い。
「ウィリアム・リウィウス!」
ばたんと扉を開けたのはヴィルヘルミーナ。気づいていたのだろうウィリアムはちらりと視線を寄越しただけ、ルトガルドは驚いて立ち上がり頭を下げた。
「婚約者を差し置いて女性を家に連れ込むなんて……恥を知りなさい!」
「仕事です。ヴィルヘルミーナ様」
気だるげに回答するウィリアム。羊皮紙を見せるのは色々とまずいので証拠はない。そもそも証拠を示す必要もない。気遣う意味がないのだ。この姉妹に関してはもう色々と諦めている。
「お初にお目にかかります。ベルンバッハ家の皆様。私の名はルトガルド・フォン・テイラー。ウィリアム様のお召し物に関して長くお付き合いをさせていただいております。このたびはその修繕と新たな衣装の提案に参りました次第です」
完璧な回答。ぐうの音も出ないヴィルヘルミーナ。それ以上にヴィルヘルミーナはその名を聞いて驚いていた。テレージアやエルネスタも名を聞いて驚いた顔をしている。
「本当に、貴女自身が服を作っていたのね。テイラー家の御息女」
「はい。貴族らしくないことは承知しております。ですが性分ですので」
テレージアはそれ以上の空気を察していた。おそらくルトガルド側は隠す気もない。ヴィクトーリアは当人ゆえ感じ入るところがあるのだろう、先ほどからずっと神妙な表情をしている。機微を感じ取っていないのは尻の青い連中だけ。
「そう、貴女の勇名はよく耳にしていますよ。ガードナー家や名だたる貴族の淑女たちを最高の姿へ仕立てる名手。貴女にコーディネイトしてもらうために皆順番待ちをしているとか……社交界の憧れ、噂だけの存在、仮面のコーディネイター」
ルトガルドは照れたように笑う。それを聞いて一番驚いていたのはウィリアムであった。今までほぼ無償で服やらアクセサリーやらを選定してもらっていた相手が、これほど有名とは知らなかったのだ。女の世界では有名なのだろう。エルネスタなど目をきらきらさせている。ヴィルヘルミーナですらいつも回る口をもごもごさせているのはなかなかに笑える光景であった。
「大したことはしていません。皆さん魅力的な女性だから何を着ても似合うだけですよ」
今更ながらウィリアムが仮面を使用し始めたのはルトガルドの助言があったからである。ルトガルドもまたウィリアムの知らない仕事の際、仮面によって切り替えているのだろう。長く付き合っていても知らぬことばかりである。
「まさかそれほどの大物とは知らなかった。以前の頼みごとは少々付け上がりすぎていたな。悪かった」
「いえ、それはお受けしましたしお金も頂きました。やらせていただきます」
謎の会話についていけないベルンバッハの姉妹。
「それで、どの方でしょうか? エルネスタさん、という方は」
びくりとするエルネスタ。驚き過ぎて体勢を崩してしまった。当然下にいるマリアンネが「むぎゅ」と潰れてしまう。驚いているのでそこに意識は向かわないが――
「わ、私です。ルトガルド様」
「とてもお綺麗ですね。凄くうらやましい」
姉妹の中では抱かれたことのない羨望という感情。姉妹の中で最も華のないエルネスタであったが、それでも外側の人間から見れば十二分な美人である。
「まだまだ未熟な私ですが、どうか貴女という淑女を仕立て上げるお手伝いをさせてください。さらに華やかに、よりしとやかに、仕上げて見せます」
エルネスタは顔を真っ赤にしてルトガルドとウィリアムに頭を下げた。エルネスタ本人でさえ忘れていた誕生日パーティでの約束。覚えていてくれたこと、そして憧れていたルトガルドの手によって仕立ててもらえること、全てが嬉し過ぎて泣き出しそうになる。
「いだいよお。たすけてにいぢゃあん」
本当に泣いているのは下敷きになったマリアンネであったのだが。エルネスタは感極まっていまだ気づいていない。さすがに哀れに思ってウィリアムは本を閉じてエルネスタを持ち上げる。そこでもエルネスタの赤みがさらに深まった。そしてべそをかいているマリアンネを立ち上がらせてやる。
「エルネスタがいじめだぁぁあ」
ウィリアムの足に抱きついて泣き出すマリアンネ。エルネスタはようやく事態に気づいてマリアンネに謝り始める。それを無視してウィリアムの足に涙と鼻水をこすりつけるマリアンネ。ウィリアムはちょっぴりげんなりしてしまう。
「マリアンネもふくがほぢいよお」
「……わかったから泣き止め。俺がお願いするから」
結局そこまで痛いわけではなくエルネスタだけずるいから自分にも服をくれとの涙であった。そこは小さくとも女、結構打算的である。
そんな騒動の中、ただの一言も発さずルトガルドを見つめている目があった。ルトガルドもまた騒動から目をそらしてその視線に合わせる。ヴィクトーリアのへたくそな探る視線、それを一笑に付してルトガルドは微笑む。
火花が散った。兎と亀の邂逅。兎は自分が独走していると思っていた。しかし亀はそれより遥か以前より兎の前を走っていたのだ。兎は慌ててしまう。自分はまだ好かれる段階にすら到達できていない。対する亀をウィリアムがどう思っているのか、兎には推し量ることが出来ない。亀は悠然と歩いている。よどむことなく。かといって亀が自信に満ち溢れているわけでもない。
双方とも自信などないのだ。愛することに自信はあっても愛される自信などありえない。しかも相手は愛を拒絶している男。愛されること、踏み込まれることを極端に嫌っている。そんな相手にどう勝てばいいのか。
兎には兎のやり方が、亀には亀のやり方が、相反する二人の邂逅。女の戦場の火蓋が切って落とされたことを知るのはこの場で当人二人と、それを横目にしているテレージアのみ。ウィリアムは騒動を治めるので手一杯であった。
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