復讐劇『破』:復讐者の末路
マリアンネが今までにないほどの親愛をこめてウィリアムを見つめる一方で、ウィリアムはあえてその視線を外す。あの目は毒である。
自分が視線を向けるべき相手は――
「おっと」
するりと手練の男の剣をかわすウィリアム。されど容易い相手ではない。もちろん剣を扱えばてこずるような相手ではないが、今は愚行により剣を持ち得ない状況であった。
「あの時の青年がここまで上り詰めるとはな」
元兵士の男は眼光鋭くウィリアムをにらみつける。
「あの時というのがどの時かはわかりませんが……光栄ですね」
じりじりと間合いを詰めてくる男の動きは熟練者のそれ。場数だけならばシュルヴィアを筆頭とする若手たちでは及びもつかない。もちろん総合的には才能面で大きく劣るであろうが、それでも――
(無手で容易く勝てる相手ではない、な。だが――)
ウィリアムは相手が詰めようとしている間合いを自らの足で縮めた。驚き目を見張る男。だが驚いた程度で手を止めてくれる相手ではない。瞬間、炸裂する剣技。ウィリアムはそれを大きく身体をそらしてかわす。
(――時間をかけて良い状況じゃないんでね)
マリアンネを確保されたならその時点で詰み。ウィリアムの登場でパニックになっている今しかないのだ。マリアンネを手中に収めてこの場を制す機は。
「これもかわすか白騎士!」
ウィリアムの頬が裂ける。紙一重の回避。余裕は見えない。
「あの時とは大きく違うな。ラコニアで暴れ回っていた小僧とは思えない進歩だ」
ラコニアという単語を聞いてウィリアムは苦笑してしまう。
(なるほどね。まだぺーぺーだった頃の俺か。これは……活かせるかもな)
ウィリアムは相手が自分を知っていること、当時の自分しか知らないことを言葉の中で理解した。そして組みあがる算段。
「だが、あの時見せた狂面には程遠い。あの獣のような危うさこそ貴様の強みだろう。あえて智者の道を往くならば……断たせてもらうぞ!」
ウィリアムの横っ腹に大きく切れ込みが入った。血が噴出するまではいかないが、それでも相手にとって大きな戦果。無傷で得た傷としては大きい。
「ぐっ!」
そこから間髪いれずの猛攻。着々とウィリアムに刻まれるダメージの痕。元兵士の仲間は見入っていた。自分たちの仲間が白騎士を追い詰めている状況を。剣が刺さった男すらその奇跡を見て悦に浸っていた。
英雄を自分たちのようなどん底の人間が蹴落とす。その状況は、その光景が、彼らの何かを満たしていく。アルカディア史上最速に近い速度で出世する男。戦場では負け知らず、たったの一年で北方を平定した化け物。
「にいちゃん!」
彼らは知らなかった。その怪物がどれほど強いのかを。元兵士の男は知らなかった。その怪物がどれほどの速度で成長し、どれだけの『力』を手に入れたのかを。知らないこと、それは致命であったのだ。
「これで、終わりだ!」
武骨なる一撃。下からの切り上げ。ウィリアムの頭部、右側が縦に裂ける。そのまま後ろに吹き飛び――
「ああ、終わりだ。テメエらがなァ」
着地した先はマリアンネのすぐそば、そしてそこには剣の刺さった男がいる。
「しまった!」
ウィリアムは男から剣を引き抜き、その流れで男を二重に断つ。ルシタニアの名工が鍛えた剣はやすやすと肉と骨を絶つ。白騎士は血が垂れる目をぬぐった。そこに刻まれた傷は浅くないが、眼球には達していない。他の傷も同様であった。見た目は派手だが、動きに支障はない。
「狙っていたのか。この状況を」
震えるは元兵士の男。ウィリアムの意図を理解して、理解したことで崩れ落ちるほんの少し芽生えた自信。作られた優位に、男は戦慄する。
「良い夢は見れたか? この場の全員、戦場ならば貴様ら程度、観ることすら出来なかった白騎士の苦戦を拝めたんだ。冥土の土産としては上等だろう」
苦戦して注目を集める。ウィリアムに注視すればするほどマリアンネへの意識は遠のく。ウィリアムに勝てないならばマリアンネを人質にとる必要があるが、ウィリアムに勝てるならばそんな手間は必要ない。殺して、後はまた考えれば良いだけのこと。
「何年も前にラコニアで見た実力のままで異人が師団長になれると思うか? 平民以下のやつが男爵になれると思うか? もしそう思ってしまったなら、その時点でテメエは其処どまりだ。そこらの百人隊長に毛が生えた程度、当時の俺なら勝てないだろうが――」
ウィリアムはマリアンネにささやく。「少しの間、目を瞑っていろ」と。言いつけ通りぴったりと目を閉じるマリアンネ。それを見てウィリアムは「良い子だ」と頭を撫でてやった。そして動き出す。
「――今の俺じゃあ勝負にもならねえよ!」
ウィリアムの本気、そこから溢れ出す雰囲気を感じ取り元兵士の心は折れた。感じ取れない凡夫とは比較にならないほどの絶望。知らぬことで救われるものもある。知ることで絶望することもある。
(剣なしでも、勝てただろうに)
下手に実力差を悟られたなら、全員がマリアンネに殺到しただろう。マリアンネを盾に交渉しようとしたはずである。交渉できずともマリアンネを傷つけることは出来る。一矢報いることが可能だった。それも過去の話。
「ぼーっとしてんなよおっさん」
茫然自失の状態であった元兵士の男。それでも長年培ってきた経験が剣を振るわせる。だがそれは徒労に終わった。ウィリアムの切り上げが男の手首を両断、剣を持たない方の手まで一瞬にして断ち切る。戦闘能力を喪失した男を蹴り飛ばし、その勢いを使って反転、左手の方の男の首を跳ね飛ばし、そいつの身体を蹴って逆側の男を真一文字に断ち切る。
「あ、ああ」
叫ぶことすら出来ない瞬く間の惨劇。斬って、斬って、斬られるだけ。集団だというのに彼らは逃げ惑う羊にすらなれなかった。彼らに一抹とて本物の復讐心が残っていたならば、もしかすると幾人かは逃げ出せたかもしれない。
(代替行為で娘を殺すことにした、つまりテメエらは諦めたんだ。あの男への復讐を。だから生き残ることが出来ない。身体が生きるほうに動いてくれない。生きる意味を自らの手で喪失したテメエらはとっくに死んでるんだよ)
ウィリアムは最後の一人を力任せに縦に断つ。空ろなる目、哀れとすら思えぬ幕切れであった。彼らは本物の復讐者ではなかった。少なくともウィリアムの求めるモノではなかったのだ。
「ぐ、がァァァァアアアアア!」
(いや、一人いるか)
自らの手を喰らい千切り、血が噴き出る両腕亡き痕に意も返さず男は立ち上がる。その口にくわえるは男の人生。兵士としてある程度の場数を潜り抜けてきた自負。何よりもひしひしと伝わってくる。このまま死んでなるものか、と。
突貫してくる男に対し正面に構えるウィリアム。命を燃やすその姿はなんと美しいものか。ウィリアムは微笑む。彼にだけ褒美を与えよう。『力』は足りぬが、ただ一人諦めず自らの足で立った男に、せめてもの手向けを与えよう。
ウィリアムは悠々とその剣を跳ね飛ばし、男の腹に深々と剣を突き立てた。
「ご、ぶ……くそ、すまないエマ。俺は、君の仇を」
元兵士の男が浮かべるのは、解放奴隷を親に持つ男の出世を願い、男のためを思いヴラドの甘言に乗ってしまった最愛の妻の姿。理不尽なことばかりであった。自分より功をあげていないものが出世していき、自分より弱いものが上に立つ日常。当時は妻に憂さ晴らしで酷い言葉を投げかけたこともあった。最後まで、優しい言葉をかけてやれなかった。
後悔ばかりの人生であった。せめて、仇くらいはと思い兵士を辞めて復讐に走った。そして自らの弱さを知る。復讐のため剣を磨いた。それでも届かぬと知った彼は『あの男』の言葉に乗るしかなかった。そして今がある。
「……安心しろ。ヴラドは俺がきっちり殺す。誰よりも凄惨に、生きてきたことを後悔するほどに、絶望の海に沈めてみせる」
男の耳元でヴラドの犬と思っていた白き騎士がささやいた。男の耳にだけ届く言葉。一瞬幻聴と思ってしまう。しかし、横目で見るウィリアムの表情、それを見て――
「嗚呼、そういうことか。さすが白騎士……遠大な計画だな。そうだな、君に、任せるよ」
「任せろ。お前は逝け。最愛の下へ。今度こそ離すなよ」
「そう、させてもらう」
そう言って男は崩れ落ちた。ウィリアムの双肩に重みが増した。この弱き男の想いは決して軽くない。想いの強さはウィリアムと変わらぬものであるだろう。命二つ分、ずっしりとした重みが肩へ、胸に宿る。
「……さて、と」
ウィリアムは律儀に目を閉じたままのマリアンネを見てため息をついた。あれを馬鹿の下へ運ぶまでが仕事である。
「もう少し目を閉じたままでいろ。いいな」
「うん!」
マリアンネを担いでこの血まみれの空間を離脱する。この光景は一般人が直視するにはあまりに凄惨過ぎるのだ。戦場ではよくある光景だが、子供に見せていいものではない。ましてやマリアンネは貴族の令嬢、今後このような光景を見ることもないだろう。
血濡れの復讐劇は、彼らの望んだ血を一滴も流すことなく終幕を迎えた。
○
「ウィリアム!?」
見た目だけなら重傷のウィリアムがベルンバッハ邸に戻ったのは真夜中であった。背中ですやすやと眠っているマリアンネを、驚いた顔をして呆然と立っているレオデガーに預ける。他の姉たちは嬉しさと驚きが混じった顔をしていた。
「約束は守ったぞ。ちびには傷ひとつついていない」
ぶっきらぼうに言い放つウィリアム。もはや猫を被っても仕方がないので普段部下と接するような態度をとる。
「傷だらけに――」
「たいした怪我じゃない。お前の手の傷の方が深いさ」
ウィリアムはヴィクトーリアの手を掴む。突然の行為に驚く周囲。
「治療はしっかり行われているな。言わんでもわかるだろうが傷口は清潔にしろ。布は都度交換。傷口が完治するまで極力物に触れるな」
ウィリアムはご機嫌斜めの様子。言葉も態度もとげとげしいが、行動自体は相手を思いやるものであった。その行動にヴィクトーリアが一番驚いている。
「それじゃあ俺は仕事に戻る。後のことは雲隠れした伯爵がうまく納めるだろうよ」
「あ、でも、ウィリアムも治療を」
「要らん。かすり傷だ。俺はこう見えても忙しいんでな。これで失礼する」
ヴィクトーリアの行為をばっさりと断ち切るウィリアム。ウィリアムの中ではヴィクトーリアは否定すべきものとなった。無闇やたらに突き放すのも負けたような気分になるのでしないが、おべっかを使うとか気遣いをする気はさらさらない。
それでも追い縋ろうとするヴィクトーリアに視線を合わせず背中越しに言葉を放つ。
「ちびのそばにいてやれ。あいつはお前に助けを求めていた。お前の注いだ愛がちびを満たしている。宝物なんだろ? その愛に責任を持てよ」
ウィリアムは頭をかく。
「ひとつ忠告だが、二兎追うものは一兎も得ずって異国の格言がある。自分にとって本当に大事なものは何かってのをよく考えろ。今日の一件はそれをわかってなかった者たちが起こした悲劇だ。今日を忘れるな。そうしたらお前の取るべき道がわかる」
それは自分への言葉であった。弱き復讐者の末路。失ってから気づいた愚か者たちが織り成す悲劇にして喜劇。彼らの悲哀をウィリアムは嫌というほどわかっていた。そして自分もまた彼らの仲間であると自覚も持っていた。違うのは『強さ』と『方法』、そして『目的』である。だが、行き着く先にさしたる違いはないことも、ウィリアムはとうに理解していたのだ。
「うん、今日で確信できたよ。私の道は」
「なら結構。じゃあな」
ウィリアムは一切の視線を向けず背中越しに手を振ってその場を去った。慇懃であったウィリアムの豹変。それを引き出したのはヴィクトーリアであろう。その変化に戸惑うものはこの場にはいなかった。彼らの中で、一人ひとり別の形であるが納得していたのだ。
一人は諦めを。一人は嫉妬を。一人は宥恕を。一人は理解を――
そして最後の一人は確信を。
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