復讐劇『破』:風と闇
ウィリアムがここを訪れたのは意外にも初めてのことであった。今まで集まるのは決まって夜中であったり、いつもの場所であったり、そもそもウィリアムが自発的にこの住処の主に会いに来ること自体ほとんどない。避けてきたといってもいい。自分に、ウィリアムの道に巻き込まないがために。
「入るぞ」
ノックを三度。扉を開けて中へ侵入する。そこはがらんどう。何もない部屋。
「おはよう。寝起きか?」
ウィリアムは自身の直上、扉を抜けてすぐの天井を見上げた。
「そこそこ。……珍しい。はじめて?」
そこには天井にぶら下がっているファヴェーラの姿があった。旧知の仲、無表情だがこういういたずらっ気があることをウィリアムは知っている。
「そうだな。カイルは良く来るのか?」
「そんなに。二、三回、来たくらい。何かの何かで勝って褒めて欲しそうだったから褒めてあげた。そしたら嬉しそうに帰って行った」
カイルもこの手のことは行動が遅い。いったいいつまでやきもきさせるのか、ウィリアムとしてもさっさとゴールインしてほしいものだと思っていた。まあそんなことはさておき――
「頼みがある」
「もっと珍しい。驚いている」
まったく感情に動きがあるように見えないが、目を大きく開けて驚いている様子。冗談みたいな微細な変化だが、本人は空前絶後の驚きを見せているつもり。
「断りたかったら断っていい。その選択は自由だ」
「たぶん断らない。死ねって言われたらちょっと迷うけど」
相変わらずのファヴェーラ。そろそろ自愛してほしいところであった。
「ベルンバッハの娘を助けたい……って言ったら?」
ファヴェーラが「ふむ」と一呼吸噛み砕き、
「やっぱり断る理由がない。父親だったら嫌だけど娘は別」
断る理由がないと言い切った。そのことに驚き、そして変わらない親友に感謝し、ウィリアムは頭を下げる。ファヴェーラは親子を完全に別人として割り切っていた。彼女が両親を他人と思っているように、他の血縁に関しても割り切った考え方なのだ。あの頃からまったくブレていない。泰然とありのままで生きている。
「でも、理由は聞きたい。これは、『ウィリアム・リウィウス』に必要な事?」
ファヴェーラがあえてウィリアム・リウィウスと言った。頑としてアルと言い続けてきたファヴェーラが、ならば意図があるだろう。まあ考えずとも理解できる。彼女とて愚かではない。むしろ聡いから、全部お見通しということ。
「必要ない。まったくもって必要ない。まさに愚行だ。笑ってもいいぞ」
ファヴェーラは頷いた。そして破顔する。
「笑わない。そういう『貴方』が大好きだったから」
ファヴェーラの、底抜けの笑み。もしカイルが知ったら嫉妬するだろう。ウィリアムほど長い付き合いでも見たことがなかった。カイルだって見たことはないはず。『貴方』が誰を指しているのか、そんなことはわかりきっている。今のウィリアムでないことなど明白なのだ。それでも、ドキリとさせられる圧倒的な魅力がそこにあった。
「それで、私は何をすればいい?」
「娘が誘拐された。表向きは金目当て。その居場所をつかんでほしい」
「探すにもいくつか情報が必要。何かある?」
ウィリアムは懐からヴィクトーリアが見つけてきた靴を取り出す。
「年のころは八から十歳ぐらい。身長は俺のへそより少し高い程度。髪は金色がかった栗毛で巻いたように軽くカールしていて短め。そしてこれがアルカス南側の貧民街で拾った靴だそうだ。場所はいつものりんご置き場、おっと、果物屋の近く。知りうる情報はこの程度だ」
「充分。すぐに集める」
ファヴェーラはいきなり服を脱いだ。ウィリアムの反応よりも早くそそくさと着替える。闇夜に紛れるような盗賊装束。ファヴェーラのミステリアスな雰囲気によく似合う。
「一応俺も男なんだが……そろそろそういうのは気にしてもいいと思うぞ」
「どういうの?」
本気でわかってないのか、わかってないように見せているだけなのか、長年の付き合いをもってしても判断がつかない。少しほくそえんでいるように見えるのは気のせいだろうか。
早々と着替え終わり、少し申し訳なさそうな雰囲気を出してウィリアムを見る。顔はいたって平静、無表情であったが。
「心苦しいけど仕事だからお金がいる」
「……結構するのか?」
ファヴェーラは羊皮紙を取り出して数字を刻む。
「親友割引込みでこれくらい」
その大きさにウィリアムは「むう」と唸って天を仰ぐ。
(ちび一匹にこの値段か。冷静になると馬鹿らしくなるな)
得る物のない行動。ウィリアム・リウィウスの行動原理から大きく外れている。今まではどんな行動にも何か得るものがあった。得るものを見出してから行動した。今回はそれがない。どれだけ考えても浮かばないのだ。
(得をするのは馬鹿女とちび……ったく、心底間抜けだよ俺は)
「今日は……最悪だよ。どうにでもなれって感覚だ。いくらでも払うさ。今日の間抜けな俺ならな」
「うん。知ってる。でも足元は見ない。これは仕事で、アルはお客さん。ちょっと割引したけど私の沽券にかけて仕事は遂行する。任せて」
どんと胸を張るファヴェーラには自負があった。アルカスで自分ほどこういう仕事に長けているものはいないという自負。ウィリアムは知らなかった。自分が依頼した相手がどれほどその筋で有名な存在なのかを。
○
それは影であった。光と隣り合い存在している。どこにでもありどこにでもない。掴めそうで掴めない。形はあるのに容はない。
それは風であった。アルカスを奔る一陣の風。風を掴まんとする者はいない。風は掴めないものだと皆がわかっているから。
「散れ」
「…………」
無音にて散らばる風たち。その長は悠然とそれを見送った。そして彼ら風の通った音を聞く。その音が彼女に伝えてくれるのだ。
「……」
今の『アルカス』を――
○
マリアンネがうっすらと眼を開くと薄暗い部屋の隅に縛られていた。明かりは机の上にある蝋燭だけ。蝋燭の周りには幾人かの男がいて喧々囂々の騒ぎになっている。
「――取引場所には白髪の男が一人。おそらくは白騎士だろう。遠目から見ても異質な雰囲気だった」
マリアンネはそれを聞いてちょっぴり嬉しくなった。どんな理由があれウィリアムが動いてくれたのだ。ほんの少しだけ許してあげようとマリアンネは思った。
「ヴラドは来なかったか」
「そのようだ」
父親が来ないのはマリアンネでもわかることである。物心ついた時からマリアンネの知る父は、優しげな言葉は吐くも娘に対し無関心であることが容易に見て取れた。結婚適齢期を迎えて初めて興味が芽生えるのだ。どの家に嫁がせようか、と。
「だが、白騎士が動いているということは、ヴラドにとってその娘は無価値ではないということ。まだ望みを捨てるのは早い」
それは無駄であると小さなマリアンネでも理解していた。あの父が自分の為に動いてくれるわけがない。むしろウィリアムが動いていること自体大きな驚きである。ヴラドが動かしたとは思えないマリアンネは一つの結論に至った。
(さてはマリアンネのことが好きになったな)
大層な勘違いであったが、経緯を知らないマリアンネがそう思うのも無理からぬことである。というよりも、そうであってほしいという願望であろうが。
「そんな余裕があるとは思えないがな」
扉が小さな音を立て開く。その先から頬のこけた男が現れた。
マリアンネが知る由もないが、この男は周辺の警戒要員としてあの身綺麗な男に雇われた人物である。その男が自嘲気味に笑っていた。
「白騎士は闇を操る。今回動いている様子はねえのが救いだが、ある意味でそれ以上に厄介な存在が動いてんだ」
男の皮肉げな笑みが深まる。
「何が動いている?」
「アルカスで最も有名な盗賊、『風猫』のファヴェーラ一味だ」
「有名な盗賊? それは二流だろう」
盗賊とは闇の存在。二流三流はへたくそが高じて名が売れる。一流は誰にも知られずものをかすめ取るのだ。ゆえに名が売れている盗賊は有能ではない。
普通ならば――
「あいつは別だ。普通の盗賊じゃねーのさ。俗に言う義賊ってやつでな。蓄えこんでる貴族どもから金銀財宝を盗んで、自分らの分け前を差っ引いて残りは全部ばらまく。別に大々的にやってるわけじゃねえが、回数を重ねるごとにそっち側から有名になったのよ」
男は笑みをさらに深めて、
「今じゃ好き者の貴族がわざと高価な品を顕示して『風猫』を誘い出しているらしい。大量の衛兵や罠、それらを掻い潜って金品をかすめ取るアルカスを奔る風。誇り高い貴族どもすら魅了する猫の生き方。強きから奪い自分を満たす、余った分は弱きに回す。まさに正義の味方よ。悪側である貴族すら楽しませているってのがすげえ話さ。一度盗みの現場を拝見させてもらったが、ありゃあ別格だ。盗みを生業にしているのにどうしてああも綺麗なんだろうなあ」
最後は憧憬の念を込めた笑みに変わっていた。闇に生きてきた男でさえ魅了する義賊。敵に回ればこれほど厄介な相手もいない。
「なるほどな。しかし解せん。今回の件、我々は彼女の尺度で言うと正義側のはずだ。少なくとも表向きは。邪魔をする理由がない」
ファヴェーラの厄介さは十分に伝わった。だが根本がわからない。
「正直俺にもわからねえ。何しろファヴェーラは盗賊ギルド内でも独立独歩、闇の王国側には極力近寄らないようにしているらしい」
この場の全員が知る由もないが、ファヴェーラは一度暗殺ギルドに近づいて痛い目を見ている。後でカイルにも相当怒られたらしく、それ以来出来うる限り距離を置いているのだ。そもそも得体の知れない王が君臨する場所など近づきたくもないだろう。
「闇以外にも操る駒がいるってのか。そもそもウィリアム・リウィウスとはどういう男なんだ? だってそうだろ、あいつは異人だ。本来この国の人間じゃない。一族の伝手もなけりゃあ付き合いだって家同士のっていう濃いのはないだろ? なのに何故この地に巣食う闇の連中と付き合いがあるんだ。それってちょっとおかしくないか?」
ある意味で最も外部の人間が触れ辛い存在。そこを押さえていると言う事実。今回明らかになったウィリアムとファヴェーラの謎の繋がり。
「ファヴェーラに関しちゃヴラドの差し金って線もあるだろう。そっちで繋がってるんじゃないのか?」
「ああ、確かに。そう考えるほうが自然だな」
そして男たちは一縷の望みを抱き今後の話を繰り広げる。ヴラドが差し向けたのならばやはりマリアンネには人質としての価値がある。そう彼らは踏んだ。ヴラドも人の親である、そういう考えを信じたのだ。信じなければならなかったのだ。
(にいちゃん?)
ただ、マリアンネだけはヴラドが動くはずがないことを理解していた。だからこそ、今はよくわかっていないが、マリアンネは記憶する。ウィリアム・リウィウスはマリアンネの知らない『闇の連中』と付き合いがあることを。
○
ファヴェーラは踊るようにアルカスの夜を駆けていた。闇夜に紛れ、屋根の上や路地の死角をするりと抜ける。ファヴェーラの頭には、アルカスの地図が裏の道や地下通路も含めてかなりを網羅していた。把握できていない範囲は深い闇のみ。表側は目を瞑っても全力疾走できるほど歩き慣れた街であった。
「ふんふふん」
速きこと風の如し。
「ふふふふん」
身軽なこと猫の如し。
「ふんふふふん」
気まぐれに、されど彼女なりのルールがある。不規則なようで規則的なのだ。そして一味全員が彼女の思考を理解している。彼女の気まぐれをしっかり把握し、その気まぐれに沿って動くのだ。少しずつ範囲は絞れている。風が目標を捉えるのは時間の問題であった。
「……?」
風が異物を発見した。こそこそと自分の庭を這い回る存在。目標ではない。しかし、まるで何かから逃げるような動きは猫の興味を誘った。
高き尖塔の上から月下に浮かぶ美しい猫が見下ろす。
耳をそばだてれば、この距離なら独り言すら聞き漏らさない。
「くそ、伯爵を裏切って、侯爵に恩を売って、俺の人生は薔薇色になるはずだったのに。それこそベルンバッハの娘を一人貰い受けてもいい。そうさ、それぐらいが俺には丁度いい。こんなところで終わる俺じゃない」
伯爵はヴラドのことだろう。しかし侯爵は――新しい。
「ひゅ」
ファヴェーラはするすると尖塔から駆け下りていく。重力に沿って落下しているような速度。むしろ加速すらしている。そのまま男に向かって速度を落とすことなく、
「へ?」
「ふふん」
すり抜けざまの手刀一閃。男の首筋に衝撃を与え、そこから脳を揺らして昏倒。その後ファヴェーラは落下の勢いを殺すべく全身のばねを使って衝撃を横方向に、そのままくるくるとスピンして止まった。ちょっとかっこつけすぎたと反省する。
「捕まえておいて。何か聞き出せるかもしれない」
「了解」
昏倒した男を部下に拘束させてファヴェーラは仕事に戻った。
「……全員気をつけて。嗅ぎまわっているの……私たち以外にもいる」
ファヴェーラはもうひとつ別の気配を察知した。これは正直手に負える相手ではない。これが敵か味方かはわからないが、気分のいい雰囲気ではなく、いやな動き方をしている。建物の中を探すのではなく、逃げ出そうとする相手を探すかのような動き。
「オルカ、ルルカの気配が」
部下の報告。ファヴェーラは無表情で頷く。
「近寄らないように徹底させて。先んじたのはこっち。あの男はお客さんに引き渡す。たぶん、役に立つはず」
ファヴェーラは横目で気配のほうを見た。ファヴェーラの嫌いな気配、血の臭いを纏う怪物である。
○
闇にまぎれて風の一部が捕らえられた。掴めなかったはずの彼らを、その闇は掴んだのだ。その行動だけでその闇が只者でないとわかる。
「お前たちはだぁれだぁ?」
闇の問いにオルカとルルカ、夫婦の盗賊は首を振った。仲間であり敬愛する風猫を売るなどどうして出来ようか。たとえ死んでも――
「とりあえず男は死ね」
オルカの頭が炸裂した。口を塞いでいた手がそのまま、万力のように握力のみで顎を破壊し、頭の下半分を押しつぶす。その過程で喉も潰れ、声なき声である風切り音がその場をこだました。ルルカは悲鳴を上げようとするが口を封じられているので叫べない。
「男の肉は硬いから伯爵は好まれない。女は……好物だ」
闇はオルカを放り投げ、血塗れた手でルルカの体に触れる。
「適度なやわらかさ。悪くない一品。喜びなさい、貴女は高貴なる伯爵の、贄となる」
ルルカの携行していたナイフを奪い取り、美しい軌跡を描いて喉を掻っ切る。血が吹き出るが闇は気にせず血抜きをしていた。食用とするために。
「あら、気づかれたみたいね。残念……不運にもあの男は確保された。でもそんなことはどうでもいい。だってそうでしょ」
闇は懐から趣味の悪い目玉をかたどったアクセサリーを取り出す。それをなめるように、いつくしむように、そして憎悪をこめて闇は見つめる。
「闇の王だけならともかく、ファヴェーラとの付き合いはありえない。ほぼアルカスにいなかった男が、アルカスから動かなかった盗賊ギルドの女と接点があるはずない。あったとしてもあのファヴェーラが心を許すはずがない。あれは昔なじみである剣闘士としかろくに付き合いもないはず。あるとすればもう一人の昔なじみ、死んだはずの、そう、そう。なら……答えはひとつ」
闇は凄絶な笑みを浮かべた。
「ウィリアム・リウィウスは異人ではない。この国の、この都市で生まれ育った。そう考えればファヴェーラとの付き合いも、この街に詳しいことも、今までの疑問点の何もかもが繋がる。そうでしょアルレット、だって……貴女の大事な弟だものねえ」
闇は、ヴラドの召使であるヘルガは血濡れで微笑んでいた。ずっと大事に保存していた愚かな女の眼。これを胸に着けて女の最後の希望を絶つのは最高に気分が良いだろう。
「確たる証拠があれば伯爵も信じる。そうしたら私はさらに伯爵の信を、私だけがあのお方に愛される。お前じゃなく、この私がなァ」
握りつぶしそうになるのを必死でこらえるヘルガ。まだ早い、まだ早計なのだ。
「確たる証拠、今日は、最高の夜になる」
ヘルガは風を捕らえるべく動き出す。伯爵を裏切った不忠者を始末するつもりが、そんなことが掻き消えるほどの大物を引き当てた。いつだって違和感があった。はじめて見た時からいやな予感がした。
「似ているんだよォ。お前ら姉弟はよォオ」
あの取り入るような眼、その先で取り込んでやるという意思、野心。少なくともヘルガの眼には這い上がろうとするさまが、ヴラドを踏み台にして先に至ろうとする姿が、二人の男と女が、重なって見えた。
動き出すのは愛亡き男の従者。
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