復讐劇『破』:エルネスタの誕生会

 北方にて熾烈な商の争いが行われる少し前、ウィリアム・フォン・リウィウスはエルネスタの誕生パーティに出席していた。少々遅れての登場であったが、話題の白騎士ということもありすぐさま人垣ができる。人垣の合間からちらちらと見えるベルンバッハの華々は、その内面を知るウィリアムでさえ見惚れるほど美しく咲き誇っていた。

(恐ろしいのはそれほどの器量を持ちながら――)

「あ、ウィリアム、様だ!」

(それをかき消すほどのバカだってことだ)

 普段呼び捨てにしている癖で一瞬『様』を付け忘れるヴィクトーリア。確かに公衆の面前で殿方を呼び捨てにするのはよろしくないが、付け忘れたからと言って無理やり付け直すのはなお見苦しい。

「申し訳ございません。まだ主賓にご挨拶をしていないので」

 周囲に謝罪して人垣を離れるウィリアム。向かう先は華々が咲き乱れる主賓席。何名かは欠けているがウィリアムの会ったことのない姉妹もいた。例に漏れず全員が絶世の美女。今は亡きベルンバッハ夫人がどれほど美しかったのかそこからも想像できる。

「御無沙汰しておりますヴラド伯爵。今宵は私のような無作法者を招待していただき感謝の言葉もございません」

「そうかしこまらんでくれ。息子になるやもしれん男ではないか」

「精進致します。しかし……さすがは名高きベルンバッハの華。招待された殿方は皆眼福の極みにあるでしょう」

「ウィリアム君はどの華がお好みかね?」

「ははは、そう苛めないでください」

 ヴラドの眼は笑っていないがここは押し通す。無駄なことを口に出し言質を取られてはたまったものではない。見たところヴラドより高位の貴族も何人かいる。沈黙は金、尻尾は掴ませない。

「それでは主賓にご挨拶を……今日は一段と美しいですねエルネスタ様」

 ヴラドの隣に座っていたエルネスタは頬を染めて目を伏せる。姉よりも器量は劣るがその分気が利き頭も良い。他の姉たちが過ぎたる高嶺の花とすれば、エルネスタはぎりぎり手の届く花、むしろ人気があってもおかしくはない。

「……言われたことない」

 ぶすっとするヴィクトーリア。それを聞き、ウィリアムは他の者には見えないようにため息をついた。

「いつも御綺麗ですねヴィクトーリア様」

「心がこもってないもん」

 顔が引きつる思いであったがそこは我慢。ウィリアムは我慢の男である。

「あの、ウィリアム様は、今日何をなされていたのですか?」

 エルネスタの質問。少し強引な話の入り方に他の姉たちはほんの少しの驚きを見せた。

「ああ、遅れてしまった件ですね。申し訳ございません。少しばかり世情が騒がしく、もしかすると本日はご挨拶だけになるかもしれません」

 ウィリアムのぼかした言い方でエルネスタは自身が踏み込むべきでないと察した。男の仕事に足を踏み込まないのが女の――

「え、何があったの!?」

 そういう空気を読めないヴィクトーリアが食いつく。

「秘密です」

 ウィリアムはばっさりと断ち切る。「ぶー」とぶーたれるヴィクトーリアを無視してウィリアムは他の姉たちを見る。その視線を見てエルネスタは静かに目を伏せた。

「まさに華。姉妹揃ってこれほど美しいとは……神の不公平を感じますね」

 エルネスタは目を伏せながら苦笑する。

「本当に……不公平だと思います」

 まるで他人事のような物言いにウィリアムは少し首をかしげた。

「私はエルネスタ様も含めて言ったつもりですが」

「お世辞は……私が一番わかっていますから」

 ウィリアムはどうしたものかと頭をかく。エルネスタは掛け値なしの美人である。確かに姉たちに比べて華に欠けるきらいはあるが、元々の顔のつくりはそこまでの差はない。多少平坦な胸と自信なさげな表情、そしてそこから生まれる立ち居振る舞いや地味めな衣装が彼女の印象を決定づけている。全体で見れば美人というカテゴリーではあるが顔だちも地味なルトガルドとは似て非なる差がある。

「ふむ、では今度一緒に服を仕立てに行きましょう。知人に一人優秀な人間がおります。その時は私の言葉が世辞でないことを証明して見せますよ」

 主賓は立てる。もちろん姉たちに比べて多少劣る点はある。しかし一般から見ればエルネスタとて高嶺の花。周りを見渡しても姉たち以外でエルネスタより美人な人間は見当たらないほどである。ベルンバッハの枠を外せば最上位の存在となるだろう。

「え、えと、その……よ、宜しくお願いします」

 顔を真っ赤にして頷くエルネスタ。それを見てほっとしたのもつかの間、隣から猛烈な熱視線が――

「むー!」

 ふくれ面のヴィクトーリアがウィリアムを睨んでいた。「……ヴィクトーリア様も行きましょうか」と言えば、花も綻ぶ満面の笑みが咲き誇る。単純にして明快、普段策謀と謀略の中にいるウィリアムにとって不安さえ覚えてしまうほど、ヴィクトーリアという女性はわかりやすかった。

(いや、そうでもない、か)

 思い出すのはあの時の寝言、そして寝顔。苦痛とは違う、苦渋とも違う、見たことのない顔がそこにあった。その顔を見てウィリアムは驚くと同時にほっとした。裏表のない人間はいない。いないはずだという観念を破壊しかけたのが他ならぬ彼女である。しかし現実はそうでなかった。ヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハという人間には別の顔がある。ウィリアムには隠している別の面が。そうした一面があることに安心を覚えるのだ。ウィリアムと言う男は。

 己が嘘まみれであるがゆえに。

「そういえばマリアンネ様がいないようですが」

「……社交の場には早いとの事で。お父様が止められました」

 おそらく泣き喚いたであろうマリアンネの駄々を想像する。ヴィクトーリアもよく止められた経験があるのだろう「てへへ」と笑ってごまかしていた。

「今度お菓子でも用意しておきましょう」

 今回の件でふてくされたマリアンネに対応する布陣を敷いておかねばならない。来訪して不機嫌を爆発され、家屋に損傷等々たまったものではないのだ。理で征せぬなら利で征すまで。ようはお菓子で釣ろうという考えである。お子様には非常に効果的、ヴィクトーリアにも効果的な方法なのだ。

「ではまた後程伺います」

 いったん席を外して他の来訪者に挨拶をする。あまり主賓を独占しているわけにもいかない。それにウィリアムにとって今回のメインはそっちなのだ。少しがっかりした表情のヴィクトーリアは放っておいて踵を返す。

 歩き去る中、一人の青年が主賓席に挨拶に向かおうとウィリアムとすれ違う。柔らかな笑顔で会釈、そのまま歩き去る。

(誰だ、こいつ)

 柔らかなまなざしの中に潜む挑戦的な炎。それをウィリアムは見逃さなかった。

「――――――」

 後ろで始まった会話に聞き耳を立てるのも恥ずかしいので、ウィリアムは他の者との会話にいそしむ。集まったお歴々はさすがある程度高位の者ばかり。一言一言に気を付けながら会話の中で『力』になりそうなものを模索する。

 ウィリアムの背後で場がざわついた。ウィリアムはとある侯爵と会話しており目が離せない。ざわつきが強まっていく中、とうとう会話をしている侯爵がそちらの方を見た。あわせてウィリアムも振り向く。

 そこには――

「ほお、これは穏やかではないね」

 他人事のようにつぶやく侯爵の弁は耳に入らなかった。目の前の光景があまりにも突拍子なく、予想外であり、ウィリアムにとってあまりに、あまりにも――

「――君が始めて社交界にデビューしたパーティで、僕もそこに同席していたんだ。凄く緊張して、顔が硬直していた君は、とても美人だった。でも、僕はその後に見た君の顔が忘れられないんだ」

 先ほどすれ違った青年が膝を折った。そっと手を取り、自然な所作で、

「ダンスが始まって、緊張が解けた時の、あのまばゆいほど煌いてた笑顔が、僕は忘れられない。僕と結婚してください、ヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハさん」

 ヴィクトーリアの手の甲にキスをした。ウィリアムは遠目から見ているだけ。周囲の盛り上がりを他所にウィリアムは動かない。動けない。

(動く意義を感じない)

 ウィリアムは予想外の光景に驚きながら、一呼吸を置いて落ち着きを取り戻す。心のざわめきは一瞬、過ぎ去った後は打算が駆け巡る。

「え、あ、あれ?」

 ヴィクトーリアにとっても驚きの事態。どういった顔をすればいいのかわかっていない様子。そこに畳み掛けるかのように青年は口を開いた。

「君が白騎士と、ウィリアム・フォン・リウィウスと付き合っているのは知っている。同じ屋根の下で生活を共にしていることも知っている。その上で、僕は此処にいる」

 青年は立ち上がり壇上からウィリアムを見下ろした。

「僕は自分が君に見合う男になるまで声をかけぬと誓っていた。勝手にね。君が何人とも婚約し、そのたびに焦って、破局したのを聞いて安堵していた。そして僕自身ようやく父の跡継ぎとして一人前になったと思えた時、ウィリアム・リウィウスとの件を知った」

 青年はその穏やかな顔を歪ませる。

「最初はすぐに上手くいかなくなると思っていた。だってそうだろう? 誰が一年前、ウィリアム・リウィウスが此処まで駆け上がると想像できた? たった一年だ。一年で彼は貴族になった。師団長になり、大将バルディアスの側近にまで上り詰めた。身分の差は、もう意味がない。だってもう、君は黙っていたって駆け上がるだろう?」

 青年はウィリアムに問いかける。肯定も否定も出来ない問い。

「だから、僕は今日諦めるために此処に来たんだ。ウィリアム・フォン・リウィウスという男を見て、僕の大切な想い人を託せる相手かどうか。ヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハを幸せに出来るか否かを、見定めて、静かに消えようと、そう思っていた」

 青年はウィリアムを睨む。

「だけど、君は僕の思っていた男とは違った。君の目は野心に満ち満ちている。僕は仕事柄、君のような目をした男をいくらでも見てきた。偉くなるために、駆け上がるために、それしか考えていない!」

「も、もうそこまでにされては」

 ヴラドが止めに入る。しかし青年はヴラドに目を向けなかった。

「君がこの会場に着いたとき、まず君は周囲を窺った。誰が出席しているか、誰と交流を持ち、誰を利用しようか、ヴィクトーリアさんに目もくれず、君はヴィクトーリアさんが気付くまで主賓席に来ようともしなかった!」

 ウィリアムの表情が変わる。周囲の視線も変わった。取り巻く空気感が変貌する。

「君ではヴィクトーリアさんを幸せに出来ない。いや、君は誰かを幸せにするような男じゃない。我が父や叔父たち、この王国に跳梁跋扈するおぞましい怪物どもと同類だ! そんな君に、ヴィクトーリアさんは渡せない!」

 ウィリアムは大笑いしたい気分であった。ここまで的確にずばずばと本質を射抜かれたのは初めてである。たったあれだけの行動で本質を読んだこの男は普通ではないのだろう。

「なるほど、面白い考え方です。失礼ですがお名前を頂戴してもよろしいですか?」

「失敬、我が名はレオデガー・フォン・アルトハウザーです。今後ともよろしく、白騎士ロード・リウィウス」

 アルトハウザー、その名を聞いた瞬間、場が騒然となった。ウィリアムも目を丸くする。今回の出席者にアルトハウザーの名はなかった。あったならこの場にいる全員が血眼になって彼を捜しただろう。ほんの少しでも交流を持てれば良い。ほんの少しでも付き合いを持てれば、それは社交の場で絶大な力を持つ。

「あ、アルトハウザー、大公家、王族の血に連なる大貴族だぞ」

 ヴラドは驚きのあまり思考が停止していた。近くにいる姉たちなど頭を下げているものもいる始末。それほどに大公家というのは桁が違うのだ。貴族としての、この国のヒエラルキーで王族に次ぐ存在。それがアルトハウザー家である。アルカディア王国に二席存在する大臣を戴く家、左大臣家とも言われている。

「よろしくお願い致します、レオデガー様」

 大公家、ウィリアムの予想の範疇では最高位。予想していなかったわけではないが、それでもいざ大公家といわれるとなかなかどうして平常心ではいられない。

「申し訳ございませんヴラド伯爵。この名を出してしまえば無用に場を乱してしまう。そう考えてとある知人の名を借りてこの場に参加させていただきました」

 レオデガーがヴラドに頭を下げる。「いえいえ滅相もございません」と取り乱しながらも体裁を取り繕う。今、ヴラドの頭の中にはとてつもない速度で打算が動いているのだろう。何しろ大公家である。嫁げば王族に連なる血を手に入れることになる。なんとしてもこの機会は得たいはず。しかし――

「…………」

 レオデガーを得るということはウィリアムを手放すと言うことに等しい。折角手に入れた軍部への影響力、簡単に手放すほどヴラドも愚かではない。

「さて、仕切りなおそうか。今まで語ったのは僕の思いだ。このまま思うように進めるのは、いかにも権力を振りかざす貴族的やり方だろう。それは僕の望むところではない。だから聞こう。君の思いを、君がヴィクトーリアさんをどう思っているのかを」

 レオデガーはウィリアムから目を逸らさない。優男のように見えるが頑固者なのだろう。筋を曲げるような真似はしない。だからこそやりづらいのだが――

「僕の想いと彼の想い、二つを聞いて貴女が判断してください。どちらを選ぶか、を」

 レオデガーは微笑む。まるで自分が選ばれずとも良いと言う風な、そんな笑み。おそらく彼の中でヴィクトーリアという女性は何よりも大きな存在なのだろう。この状況も彼女の不遇を思えばこそ。貴族の令嬢が殿方と同じ屋根の下に住み、これほど好意をあらわにしているのに、肝心の男がのらりくらりとかわしているのだ。

「さあ、聞かせてもらおう!」

 それはレオデガーの中で許せないことである。打算で、政略で、ヴィクトーリアという華を散らすわけにはいかない。真の愛だけが彼の諦めを生むのだ。

 そんな中、ウィリアムは――

(やばいな。久方ぶりだ……こんなに苛立たしい感覚は)

 苛立っていた。レオデガーに、好奇の目で見つめる野次馬に、嬉々として頭の中で利を計算しているヴラドに、おろおろと困惑しながらも答えを聞きたそうにしているヴィクトーリアに、この場の何もかもに苛立っていた。

(そもそも俺にとってもはやベルンバッハとの関係は御荷物以外の何物でもない。利用した手前降ろすに降ろせなくなった厄介な荷物。今となっては優先度は限りなく低い)

 今日来たのもヴラドのご機嫌取りと言うよりも、周囲に恩知らずではありませんよと宣伝するために他ならない。あまりにあっさり関係を断ったのでは薄情ものだと思われてしまう。それに、他にも関係を断てない理由があった。

(ヴラドを殺す刻限はあと二年。もう少しヴラドが俺に信頼を置き、俺に依存して、そこで裏切り殺す。その時の表情が必要なんだ。どん底の中、絶望の海で溺死させる。そうして初めて依頼を完遂できると言うもの)

 ヴラドを殺す算段の中では絶対の信頼が必須。ウィリアムに依存して天を目指す分不相応な状況、それが要る。だから関係は切れない。

(ヴラドを殺した後、ベルンバッハとの関係は切る。そもそもとしてヴィクトーリアと結婚なぞありえないんだよ。俺に得が一切ないじゃねーか。それなら金を持っている分、ルトガルドと結婚した方が何倍もマシだ)

 結婚すれば関係を切ることもできなくなる。ベルンバッハと言う中堅の貴族を背負って天まで羽ばたくのは苦労を要するだろう。結婚はありえない。ウィリアムにとっての結婚とは少なくとも自分に利があって初めて成立するものである。そこに愛などと言う不確かなものは存在しない。

(損得抜きの関係は……俺の内側にいる二人だけだ)

 そう考えた時、この状況のなんと滑稽なことか。愛とやらに頭をやられている二人、大公家が伯爵の娘を娶ってどうする。それに何の得がある。レオデガーが妻の価値として美醜を重きにおいているならばわからなくもない。それならヴィクトーリアはうってつけだろう。どうぞお好きになさってくれと言う話。

(全部放って帰りたいな。やるべきことが溜まっている。すぐにでも世界が動き出す、それほどの激震が走る。もう走っているかもしれない。西側の情報は此処まで伝わるのが遅いからな。すでに想定の下、動いてもいいはずだ)

 世界の動きに比べればこの場のなんと小さきことか。愛だの何だの、其処に何の価値がある。それはお金に換えられるのか。それは何か己に力を与えるのか。ウィリアムは断じて否と言う。なぜならばそれらは姿を持たないから、損得が根底にある信頼とは違って、愛は信ずるに値する形を持たない。

「何故黙っているのですか?」

 大公家、確かに大きい。しかし、彼ら文官にいったいどれほどの力があると言うのだ。此処から来る時代において、武力が支配する戦の時代において、彼らにどれほどの権力が与えられると言うのか。

「いえ、少々面食らっておりました。お恥ずかしい話です」

 本当に価値を持つのは、己だ。とウィリアムは微笑む。

「無論、私はヴィクトーリア様を愛しております。私自身、いまだ未熟ゆえ、それこそレオデガー様と同じいまだ己が釣り合わぬと思っているから手出しできぬだけのこと」

 ウィリアムの言葉に場がどよめいた。大公家を前にして堂々の告白、そう見えただろう。レオデガーはその中に潜むモノを見抜いたか、ヴィクトーリアは何かを勘付いたか、そんなことはどうでも良いのだ。必要なのは――

「それを前提としてお話をさせていただきます。両家、と言っても私に家族はおりませぬが、婚礼とは両家の合意があってこそ。家族のおらぬ我が家を抜けば、とどのつまりヴラド伯爵の差配次第になるでしょう。私とヴィクトーリア様の関係はヴラド伯が握られているのです。私がどれほど愛していると喚いても、ヴラド伯がレオデガー様と婚約させれば、それはもう動かざること。つまり貴方は交渉相手を間違えているのです」

 周囲の納得。周囲を納得させ、ヴラドの面子を潰さねばそれで良い。ヴィクトーリアなどこの男にくれてしまえば良い。おそらくヴラドはその後、エルネスタでも此方に寄こすだろう。それでベルンバッハとの関係が保たれる。ウィリアムとしても人物に興味はない。ベルンバッハと名がついていれば人形でも犬でも構わないのだ。どうせ結婚はしない。いずれ消え行く関係なのだから。

「君は、ぬけぬけとそのような戯言を!」

「では、貴方の行動を貴方の御父上は了承しておられるのですか? 貴方は大公家を継ぐと言った。ならば相応の振る舞いが求められるはず。番にも相応の格が求められるでしょう? それを、納得させているのですか?」

 レオデガーは顔を引きつらせる。今日いきなり現れた、しかもお忍びである。そんな下準備しているわけがない。そもそも大公家の立場からすればこの結婚はありえないのだ。レオデガーの第二夫人以下ならばわかる。しかし第一夫人を伯爵家の娘が座るなどありえない。それを納得させるのはなかなかに骨だろう。

「そ、それは……話がまとまればすぐにでも説得をして」

「ならばそうされるがよろしい。もし、ヴラド伯爵の望みであれば私は愛するヴィクトーリア様を手放しましょう。大恩あるヴラド伯に頼まれれば否とは言えない。残念ですが、私は主の命に従います。それが私の騎士道ですので」

 ウィリアムもレオデガーも見ていないところで、ヴィクトーリアは空虚な笑みを浮かべていた。喜びも、怒りも、憎しみも、悲しみも、何もその目には浮かんでいなかった。それを見たのはテレージアやヴィルヘルミーナ、そしてエルネスタのみ。ヴラドは娘に目もくれずウィリアムの言葉は嬉々として聞いていた。

「それを、君は騎士道と言うのか!」

「無論。私を此処まで引き上げていただいた恩に報いるためならば、私の半身を引き裂いてでも主の望みを果たすのみ」

 必要なのは女どもの納得ではない。此処にいる男の、欲望の怪物どもを味方につければ良い。彼らは口でなんとでも言うが、結局のところは女を政略の道具としか思っていない。彼らの納得に必要なのは男の論理。

「ここからは貴方とヴラド伯、そして貴方の家との話し合いです。私の意志はこの場で表明した通り、この言葉を曲げるつもりはございません。後はごゆるりとご精査ください」

 ウィリアムは優雅に頭を下げる。レオデガーの顔に浮かぶ憤怒など何処吹く風、ヴィクトーリアには目も向けない。もはやそんなことどうでもいいのだ。ヴィクトーリアがエルネスタに変わっても、マリアンネに変わろうがウィリアムには関係がないのだから。

「失礼するぞ!」

 ドアを蹴破ってどかどかと入ってきたのは、ウィリアムの側近であるシュルヴィアとユリアンであった。それにちらりと目を向けるウィリアム。いきなりのことに戸惑う周囲を他所に、ウィリアムは静かにほくそ笑んだ。最高のタイミングである。

「取り込み中だ。下がれシュルヴィア」

「こっちは火急の用だクソ師団長。サンバルトが堕ちたぞ」

 場が硬直した。レオデガーでさえ困惑を浮かべている。ヴラドも、来賓者も、様々な事態におどおどしていた令嬢たちも、すべての時が止まった。余裕を持って対応できるのはこうなることを予測していたウィリアムのみ。

「これが召集状です。第二軍大将バルディアス直参ウィリアム・フォン・リウィウスは早急に王宮へ向かい、本会議へ出席すること。これは王命であります」

 召集状の封印は王印であった。この封蝋に閉じられた文書はすべて王の勅命である。破らば即斬首。それほどに重く、それだけに価値があるものであった。これを受け取ったものは王に顔を覚えてもらっている、もとい信頼されているのと同義なのだから。

「……了承した。そういうわけなので仕方がない。話の続きはいずれ。と言っても私の意思表明は済んでいるので後は他の方での話しになると思いますが」

 ウィリアムは「では失敬」と踵を返した。最高の去り方、自分で自分を褒め称えたいほど、シュルヴィアやユリアンにキスしたいほど、完璧な演出であった。これで話はウィリアムと関係のないところで進むだろう。ようやくお荷物から開放されるし、ヴラドからの信頼はさらに厚くなったはず。最高の夜である。

「入ってきた情報はすべて、議場に着くまでに教えろ」

 会場から離れて暗い廊下を歩く三人。シュルヴィアはふとウィリアムの顔を見る。

「何を苛立っている?」

 ウィリアムの笑みは変わらない。

「何のことだ? 無駄話は要らんぞ」

 シュルヴィアは特に突っ込むこともなく、説明役をユリアンにゆだね自分は黙した。ウィリアムの表情は機嫌が良いように見える。ユリアンなど余りの上機嫌に質問したくなったほどである。しかし、カイルやファヴェーラがこの顔を見たら何と言うだろうか。それは、ウィリアム本人をしてわからない。

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