巨星対新星:始動する星々
季節は巡る。始まりこそアルカディアの堅守猛攻により派手であったが、夏が過ぎる頃には喧騒も一つ落ち着きを見せていた。未だアルカディアの北方ではウィリアムらアルカディア第二軍が暴れまわっているが、あくまで僻地のこと。世界の興味は薄い。アークランドの動きも沈静化をみせ、このまま冬に突入するかと思われた。
だが、今年は多くのものが感じ取ったように激動の年である。戦の時代の始まりである。ならばこのまま終わるはずがない。そんなこと時代の流れが許さない。
後世の歴史書に記された始まりの年。此処からが本当の混沌である。
カールとギルベルトは軍将棋に興じていた。最近めっきり攻めてこなくなったネーデルクス軍。これ以上ギルベルトたちの裁量で攻め立てることも出来ぬほど相手を喰い取った。ゆえに攻めることも守ることも出来ず暇をもてあまし気味となっていたのだ。
「……守備は上手いが攻撃は壊滅的だな」
「そういうギルベルトだって攻撃は凄いけど守備はヘタクソだよ」
意外と拮抗する両者。というよりも二人ともあまり強くないので無駄に長引くだけなのが真相。ちなみにブラウスタット最強は意外にもフランクであった。子供の頃から趣味として軍将棋をたしなんでいたらしく、過去にウィリアムの先生をしていた経験も持つ。
「ぬ、逃げるなテイラー」
「逃げなきゃ詰んじゃうもん」
そんなこんなで長引きそうな軍将棋。
「急報だカール様!」「急報ですギルベルト様!」
そんなまったりとした午後の時間を、イグナーツとギルベルトの部下の声が引き裂いた。カールもギルベルトも盤上から一瞬で目を逸らし、二人の部下を見る。あまりに平穏なネーデルクス。あまりにも動かないため不気味に感じていた。ようやく動いたかと内心ほっとする二人。
「マルスランかジャクリーヌか。どちらにせよ今の俺ならば――」
「何言ってるんすか! そっちじゃねえっすよ!」
ギルベルトが眉をひそめる。カールもまた予想が外れ首を捻った。
「オストベルグですギルベルト様」
ギルベルトは目を見開いた。カールはさっと青ざめる。
「バカな。今、オストベルグ方面には三軍合同の大軍がつめているんだぞ。しかも総大将はかの『国盾』カスパル・フォン・ガードナーだ。貴様も良く知る『金剣』も――」
「金剣、ホルスト・フォン・グリルパルツァー軍団長は緒戦にて戦死。そのまま一気呵成に攻め立てられたとのことです。ラコニアを中心に広域を攻めていたアルカディア軍は後手に回り、結果ラコニアを失ったと報告を受けています」
カールは声にならない悲鳴をあげた。ラコニアにはヒルダが配属されていたはず。その安否を考えると血の気が引いても仕方がない。
「ホルストがあっさり討たれるとは思えない。相手は誰だ、誰がホルストを」
そう言っているギルベルトの頭には一人の名が浮かんでいた。というよりもそれしかないのだ。あの男を置いて、これほど見事な強襲を成功させられる将はいないのだから。
「ストラクレス、『黒金』のストラクレス」
うわごとのようにカールはつぶやく。一度だけカールはストラクレスを見たことがある。あの輝きを、あの圧力を、カールは知っている。姿を見せるだけで、声を発しただけで、当時のウィリアムを狂わせるほどの引力を持つ男。
「これで終わりじゃないっすよ。極め付けに最悪なのは――」
カールはごくりと喉を鳴らす。
「カスパル・フォン・ガードナー大将がストラクレスの手で討ち取られました」
ギルベルトは無言で軍将棋の盤を殴りつける。
駒が四方に散らばり、彼らの平穏は終わりを告げた。
○
その報せがエードゥアルトの下に届いた時、王は静かにグラスを落とした。朱色のぶどう酒と見事なガラス細工のグラスが床に散乱する。王の顔は蒼白を越え土気色と化す。それほど王にとってカスパルという存在は大きかった。王にとって最も身近な、最も頼りとする将軍の死は、王の心を砕くに充分すぎる衝撃をはらんでいたのだ。
「……まことか」
食事を共にしていた第一王子フェリクスが問いただす。深々と頭を下げている伝令の姿を見て、それが真実であると彼らは理解した。そもそも王に上がってくる報告が真でないわけがない。
「そんな……カスパルおじ様が」
母方にガードナー家との繋がりがあり、公私共に仲の良かったエレオノーラは蒼白な顔をして震えていた。隣に座るクラウディアは我関せずとばかりにぶどう酒をあおっているが――
「ラコニアはどうなった?」
エアハルトが問う。伝令は言葉短に「落ちました」と言った。
「……バルディアスに伝えよ。何が起きてもかまわぬ。必ずラコニアを奪還せよ。そして可能であるならばストラクレスの首を取れ」
エアハルトはカスパルを討ったのはストラクレスだと当たりを付けた。否、それしか考えられないのだ。優勢である戦域を、一瞬にして覆し敵の大将を討てる怪物など――三大巨星であるストラクレス以外ありえない。
「ベルンハルトにも伝えよ。第二軍到達前に第一軍の手で敵を討ち果たせ、と」
フェリクスはエアハルトに対抗して命令を下す。じろりとフェリクスはエアハルトを睨むが、エアハルトはあえて視線を合わせなかった。
「ふん、相手がいくら巨星とはいえアルカディアとオストベルグでは格が違うさ」
フェリクスの言葉にクラウディアは頷く。騒ぎ過ぎるなと、地力では此方が上であると、彼らは確信しているのだ。アルカディアという国を。しかし――
「陛下は、そう思ってはいないようですが」
エアハルトの言った通り、エードゥアルトは震えていた。カスパルを失ったこと、それも大きいだろう。しかし根幹は違う。とうとう動いてしまったのだ。昨今国力に多少の開きが見られた両国。それでも均衡を保っていられたのは相手にあの男がいたからである。『黒金』のストラクレスという巨星の存在。全盛期のストラクレスは一人であの三人を相手取った。そして勝利をもぎ取った。当時の大将も首を取られた。彼一人、たった一人の怪物が積み上げた将軍首は計り知れない数となっている。
それが本腰を入れて動いてきた。長き均衡を自ら破る形で。それが何を意味するのか、それを知るのは歴史を体感してきたものだけである。巨星が何故巨星を呼ばれるようになったのか、それを知るものだけである。
フェリクスはごくりとつばを飲み込んだ。父王がこれほどうろたえている姿を、長子である彼でさえ見たことがなかったのだ。危惧していた時代の流れが来る。荒れ狂う津波が如く調子付くアルカディアを飲み込まんと――
○
バルディアスは早馬を飛ばした。自身最強の駒である男を呼び戻すために。だが間に合う気がしない。北方まで早馬で三日、そこから一軍が反転し真逆である南のラコニアまで到達するのにどれほどの時間を要するか。しかも報告では、現在北方にて三ヶ国を同時に攻略中との報せが入っていた。間に合う目算はかなり低い。
それでも間に合う可能性に賭けるしかないとバルディアスは踏んだ。
自身が戦場に出るだけでは足りぬ。ストラクレスが本気を出すということはそういうこと。あの時の小競り合いとは違うのだ。
「遺書なぞ書く暇があれば準備せよ。我らが負ければそれを読む者すらいなくなるのだぞ」
バルディアス自らが出る。第二軍の長が始動する。
○
ベルンハルトは報告を聞いて早々、関係各所に命令を飛ばした。重要度の低い任地が多い第二軍とは異なり、第一軍が動かせる戦力は少ない。主要都市をがら空きにするわけにもいかず、余剰戦力をかき集めて送り出した『金剣』はすでに討たれている。
アルカディアはここ数年戦を重ね過ぎた。全速力で駆け抜けた数年間で知らず知らずのうちに戦力を大きく磨耗していたのだ。ようやく一番煩かったネーデルクス方面が落ち着いたと思った矢先にこれである。
「俺が出て、果たしてストラクレスを止められるか?」
ベルンハルトは強い将軍である。オスヴァルトの剣を振るい戦場では鬼神の如く暴れまわってきた。だが、此度の相手は自分が一度として勝ったことのない相手である。自分とバルディアスが共闘したとして勝てる目算は低い。そもそもどちらが指揮権を握るのかでももめるだろう。二人が望まずとも周囲が、『上』が黙っていない。されど軍に頭は二つも必要ないだろう。混乱の元である。
「俺よりもバルディアスの方がストラクレスには有利に働く。この国が飲まれていないのはストラクレスが苦手とする『不動』あればこそ。なれば頭は一つしかあるまい」
ベルンハルトはこの国を想い答えを出した。頭は一つで良い。その頭はバルディアスであるべきだ、と。普段ならばこのような決断はしないが、火急の事態である。
「俺が浮く、か。そうなれば動かせる駒も増える」
ベルンハルトは自室に飾ってある地図に目を向けた。その一点を凝視し――
「うむ!」
ベルンハルトもまた動き出した。
○
ウィリアムらにその報せが届いたのはかなり時間が経った後であった。普段飄々としているヤンでさえ顔色を変えた悪夢の報告。アンゼルムとシュルヴィアはそれぞれの思惑を秘めて己が主であるウィリアムの方を見た。ウィリアムは――
「ヤン軍団長、三日いや二日猶予をいただきたい」
アルカディアの地図を睨みつけていた。頭を全力稼動させる。ラコニア、否、集合地点までの距離、そこから導き出される行軍日程。今攻めさせている軍勢を再編成し反転させる時間もある。余裕などない。一日でさえ惜しいのだ。
「二日で何を変えられる?」
ヤンの口調は厳しい。それだけ切羽詰っている証拠でもあった。
「全てを。今すぐに軍を退かせて再編成するよりも……手早くまとめてみせます」
ヤンはウィリアムがしようとしていることに察しがついていた。しかしそれが難しいものであることも理解していた。予定では此処から一週間ほどかかるはずだった行程を二日に短縮するというのだ。出来れば、確かに反転しやすくなる。あらゆる条件が緩和されるのだから。
「出来るか?」
ヤンは短く問う。失敗して一日伸びましたすら許す気はない。二日、きっちり二日でまとめてみせろと短い言葉に意思をこめる。
「出来ます」
ウィリアムもまた短く答えた。いつもの如く、否、いつも以上に自信に満ち溢れた回答。アルカスから戻ってきたウィリアムは傍目に見ても変わっていた。より苛烈に、より精密に、強くなって戻ってきたのだ。何があったのか問うものはいない。強くなったという結果が大事なのだ。そのウィリアムが断言した。ならば――
「やってみなさい」
「御意」
ヤンはそれに賭けてみることにした。今すぐ反転せよとの命に背いてまで、ウィリアムの考えを取った。失敗すればウィリアムはもちろんヤンも斬首は免れない。
「アンゼルム、シュルヴィア、急ぎだ。一刻以内に準備をしろ」
ウィリアムは仮面を被る。さらに膨れ上がる雰囲気、そこから生まれる引力。
「万事上手くいくさ。俺も、本気でいく」
その一言で、二人の胸のうちにあった不安は掻き消えた。そのことにアンゼルムの忠誠は一層強固になり、シュルヴィアはまたも開いた差に苦い顔をした。
白き騎士もまた動き始める。
○
カールたちはやきもきした日々を送っていた。ブラウスタットを置いてラコニアに向かうわけにはいかず、しかもネーデルクスは見計らったかのように、連続して軽い揺さぶりをかけ始めてきたのだ。軽く攻めてきて、ギルベルトが向かうとすぐさま撤退。こちらの弓の届かぬ場所から罵声を浴びせかけてくるなど、嫌がらせにしてもレベルは低い。
だが、軽々に動けなくなったのは事実。ネーデルクスもこれをチャンスと取っているのだろう。カールたちが動けば即座に攻めるぞ、その姿勢を見せている。これでは動こうにも動けない。
「落ち着けテイラー。部下が見ている」
何よりも、ブラウスタットの防衛の要であるカールが、
「あ、うん、ごめんよギルベルト」
ラコニアにいるはずの幼馴染の安否を気にして使い物にならなくなっていたのだ。もちろんギルベルトとてヒルダは幼少の頃からの知り合いである。気にならないわけではない。だが公私は分けねばならないのだ。将としてこの場を預かる以上。
「俺たちは動けぬ。ここは対ネーデルクスにとっての要衝だ。理解しろテイラー。ここを守ることこそ俺たちの使命。それ以外は、些事だ」
カールは悔しそうに唇をかみ締める。理性ではわかっている。しかし感情を抑えられない。喪失の恐怖を、母を失ったときの記憶がよみがえる。
ギルベルトも悔しいのだ。国家にとって火急の事態。その救援に赴くことすら出来ない今の立場に。今すぐにでも飛び出したいのはギルベルトも同じ。
二人は立ち尽くすしかない。この国の将である以上――
「うむ。それでこそアルカディアの将だ。その姿勢、忘れることなきようにな」
ギルベルトはびくりとする。此処にいるはずのない人の声。ギルベルトにとって最も尊敬する、そして最も恐れている人物の声が背中からしたのだ。ありえないはずである。ありえるわけがない。何故なら――
「だが剣士としては失格だ。隙だらけだぞギルベルト師団長」
首筋に添えられる剣の気配。絶死の感覚にギルベルトは跳ねるように距離を取った。そのまま振り向きざまに剣を引き抜く。対峙してようやく脳が理解した。
「何故、父上がこのような場所に?」
目の前にいるのはギルベルトの父、ベルンハルト・フォン・オスヴァルト大将であった。その姿が放つ引力にカールは息を呑む。
「察しが悪いぞ師団長。大将たる俺がこの場に来たのだ。遊びに来たわけがあるまい」
ベルンハルトは背後の部下に一瞥する。それだけで部下は意図を汲み取り前に進み出た。書状を広げ、そこを読む。
「アルカディア第一軍所属、ギルベルト・フォン・オスヴァルト師団長ならびにカール・フォン・テイラー筆頭百人隊長、両名をブラウスタット防衛任務から解任する!」
二人は目を丸くした。続けて――
「両名は即座にオルデンガルドへ急行、速やかにラコニア奪還作戦に従事すべし。これは第一軍大将ベルンハルトの命によるものである。命令違反は斬首と心得よ。以上!」
それは二人にとって待ち望んでいた命令であった。しかし夢想と切り捨てていたことでもある。まさかこの大事なブラウスタットから二人が離れられるなど露とも思っていなかったのだ。
「し、しかし父上、このブラウスタットはどうなさるおつもりですか?」
ベルンハルトの目が細まる。
「公私を交えるな師団長。俺は大将である。そして貴様は師団長でしかない。俺の命令に疑問を持つな。ただ従えばよい。テイラー百人隊長、少し相談がある」
ギルベルトの疑問をばっさり切り捨てて、ベルンハルトはカールの方に向いた。
「貴殿の部下を幾人か借り受けたい。この都市の防衛について少しばかり勉強不足でな。ある程度モノを知る部下であるといいのだが……頼めるか?」
圧倒的高みにいるベルンハルトの『お願い』。カールは考える気すら起こらなかった。
「は、はい! ふ、フランク、イグナーツ両十人隊長が適任と思われます」
ぎょっとするフランクとイグナーツ。「うむ」と頷きベルンハルトは二人に視線を向けた。
「勉強させていただこう。よろしく頼むぞ」
二人は一瞬で三回ほど頭を下げた。カールでさえ天上に感じる相手、フランクとイグナーツでは視線を合わせることでさえ恐ろしい相手である。
「わ、私の部下は必要ないのですか?」
「……俺が為すべきことはラコニアが奪還されるまで、このブラウスタットを守り抜くことだ。貴様の兵がこの都市の守りについてそれほど造詣深いとは聞いていなかった。盾を手に入れて好き放題暴れ回っていたという報告しか受けておらぬのでな」
ベルンハルトの指摘にギルベルトの顔がさっと朱に染まる。
「まあそのことはおいおい、だ。今は急ぎ南方に向かえ。好き放題暴れ回り身につけた力、この奪還作戦で存分に披露せよ。ぬかるなよ、ギルベルト師団長」
ギルベルトは「ハッ」と膝を折り頭を下げる。
「準備は師団長に任せてテイラー筆頭百人隊長は俺に引継ぎをしてもらう。ついて来い」
「は、はい!」
ベルンハルトに連れられていくカールを見て、ギルベルトはちょっぴり安堵した。引継ぎが自分じゃなくて良かったとほっとしているのだ。それほどにベルンハルトは厳しい。
「……よしッ!」
気合を入れ直すギルベルト。やるべきことは定まった。それがやりたいことと一致した。父が与えてくれた機会、力を尽くさずにいられようか。
ギルベルトとカールも動き出す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます