巨星対新星:行き詰まり

 ウィリアムがアルカスに戻っていた頃、世界の興味は一時的にアルカディア領ラコニアに集中していた。最近オストベルグ方面のみ負け越しているアルカディア軍。第二軍の師団長が都市の防衛大将を退き、新たな武官が着任した。

 その男こそ、

「カスパルだ! カスパル・フォン・ガードナーだぞ!」

 アルカディア第三軍大将、カスパル・フォン・ガードナー。武の名門であるガードナーの地位を揺ぎ無いものとした名将であり、第三軍の大将に任じられるまではバルディアスやベルンハルトと共に戦場を荒らしまわっていた猛将である。

「すげーな。異様にでかく見える」

 男のまとい持つ雰囲気は、ただそこにいるだけで遠近感が狂うほどであった。

 年若いものにとってカスパルの名は第三軍の大将、温和で誠実、実直であり優しげな印象が強い。しかし戦場でのカスパルは違う。

「挨拶代わりに私兵だけで敵本陣を叩き潰されたか。こりゃオストベルグも戦々恐々とするしかねえだろ。ガリアスへの睨みを利かせるためにストラクレスはおいそれと動かせないし、キモンじゃカスパルは止められない。詰ます気満々ってとこだ」

 本来、王都の守護として動かせない大駒であるカスパルを動かす。それほどに今のアルカディアは調子がよく、その揺り返しを恐れてもいたのだ。

「万事任せよ」

 たった一言で負けが込んでいたオストベルグ方面軍を安心させ、士気を取り戻す。そこかしこから「カスパル万歳、アルカディア万歳」の声が上がる。それほどにカスパルという男はアルカディアの中で大きな信頼を寄せられているのだ。下々から王までも。

「よし、これで俺も流れに乗れる!」

 オストベルグ方面に配属されていたグレゴールは人知れず拳を握りこんだ。誰が悪いというわけではないが、勝ったり負けたりの繰り返し。最近は負け越しており、出世をもくろむグレゴールとしては歯がゆい日々であった。それも今日で終わり。

 周囲では――

「第三軍の精鋭まるっと全員、一人娘のヒルダもいる。本気だぞ、本気でアルカディアはオストベルグを落とそうとしている。今回の人事異動はそういうことだろーが」

 第三軍の実戦投入。それはまさに今のアルカディアの姿勢を現していた。守ることなど考えず、ただ攻め勝つことだけを考えている。そのためのカスパル。そのための三軍合同。

「先日はベルンハルト様肝いりの『金剣』もラコニア入り、気付けばうちが一番肩身狭くなってるじゃねーの」

 第一軍の将はオスヴァルトに連なる『金剣』ホルスト・フォン・グリルパルツァー軍団長。第二軍はヤンの部下であった『戦槍』グスタフ・フォン・アイブリンガー師団長。そして第三軍は『国盾』カスパル・フォン・ガードナー大将である。

 出し惜しみなしの布陣。アルカディアが今出せる実力と実績を兼ね備えた精鋭たち。血気盛んな新鋭たちの勢いに乗せられて、最も脂の乗った世代が動き出した。

 間違いなく今、七王国の中で最も勢いに乗っている国はアルカディアであった。


     ○


 エスタード王国とガルニア島を挟む海峡、そこを横断しようとする船団があった。ガルニアを統一したアークランド王国である。一つの島から出てきたとは思えないほどの大船団。本気で大陸に打って出ようというのだ。アポロニア・オブ・アークランドは。

 だが――

「制海権は渡さぬよ。島国の女王陛下」

 エスタードにはこの時代最強の海軍、『烈海』ピノ・シド・カンペアドール率いるカンペアドール船団が存在した。海上においてならばガリアスでさえ正面から戦おうとしない海の覇者。

 エスタードに原生する船に最適な木材を使用した最強の船。しかも正面は鉄で補強されており、その体当たりは並みの船ならば打ち砕いてしまう。強く、そして速い。

 加えて数も多い。アークランド側も大船団であるが、エスタード側はその倍近い数の船を揃えている。国力の差、何よりも海軍に懸ける思いに大きな差があった。

「抜けられるものなら抜けてみろ」

 海上最強の戦力が睨みを利かせる。

 準備万端なエスタードとは裏腹に、アークランド側は不測の事態が起きていた。

「…………」

 大黒柱であるアポロニア・オブ・アークランドが船酔いで使い物にならなくなっていたのだ。これには騎士たちも大慌てである。勢いで海に飛び出したは良いものの、その勢いも失い目の前には海上最強の船団。

「まったく、これじゃあ勝てるものも勝てねえでしょうが」

「致し方あるまい。陛下は初めて海に出られたのだ。船酔うこともある」

 ローエングリンとペリノアは勝てる見込みの無い状況にため息も尽き果て、乾いた笑みを浮かべていた。すでにヴォーティガン辺りは自身の船団を後方まで下げており、いつでも逃げ出せる準備を整えている。

「どうにかして勝てないか?」

「無理に決まっている。相手は『烈海』だぞ」

 ベイリンの問いをユーフェミアがばっさりと断ち切る。事実として、烈海というどうしようもない壁が横たわっているのだ。抜けられぬ以上退くしかない。

「その通りだ。『騎士王』でさえ海上でエスタードと交戦していない。海上で戦わぬよう根回しをして、地上戦に持ち込んだのだ。ガルニアの歴史で、エスタード相手に海戦で勝利した記録は無いのだからな」

 最後にアポロニアの軍門に下った騎士、『弓騎士』トリストラムが語る。

 それでもアポロニアならばその歴史を覆せると考えていた。歴戦の騎士であるトリストラムをしてそう思う。それほどにアポロニアの輝きは条理を超えていたのだ。しかしその輝きも船酔いの前にはくすんで見えない。

「戦う前に引き返すことになろうとはな」

 ローエングリンはちらりとアポロニアの方を見る。自らも納得して担ぎ上げた御輿。されど海すらも渡れぬようなら主として頭を垂れる理由もなし。『騎士王』が旗手となって作り上げたガルニア連合。歴史的大攻勢、そして歴史的大敗。エスタードによってもたらされた敗戦を雪げると思いこの場にはせ参じたのだ。呆れもする。

 この中では唯一利害なくアポロニアに心酔しているベイリンでさえ、この状況を擁護する言葉は持てなかった。

 状況は詰んでいる。主だった騎士を集めたところで所詮陸の戦士。海は門外漢である。勝てる策など浮かびようも無い。

「……皆、すまぬ」

 アポロニアからこぼれた言葉は諸侯に失望を与えた。欲しかったのは謝罪ではない。勝利への針路、王としての導が欲しかったのだ。

 ベイリンはこれ以上語られるのはまずいと制止しようと――

「それでも私は大陸で戦いたい。大陸で戦をし、我が名を奴らの歴史に焼き付けたいのだ。勝者として、な。私を大陸に運べ。さすれば、貴殿らは覇者の騎士となる」

 制止する必要はなかった。この状態においてもアポロニアは王であったのだ。これほどの欠陥が見つかってなお、自らを覇者であると信じて疑っていない。陸にさえたどり着ければ瞬く間に大陸を我が炎で染め上げる。短い言葉であったが、

「……一戦、交えてみるか」

 騎士たちの消えかけた炎を煽ることには成功した。

 戦いの支度を始める騎士たち。この場にはいなかった騎士たちも戦うとわかれば逃げ出すわけにはいかない。ガルニアの騎士は誇りを尊ぶ。そして――

 その誇りが前回の敗戦を招いた最大の原因である。

 今回もまた――


     ○


「何処へ向かっているのでありますか?」

 ぶすっとした声で問うのは、ユリシーズ・オブ・レオンヴァーン。四人の中で一番背が小さく、また存在感の塊である三人に比べると色々と小さく見えた。

 未だにブリジットを守れなかったことを引きずっているところが、まだまだ子供じみており成っていない印象を三人に持たれていた。好悪は三人の中でもそれぞれであったが。

「サンバルトである」

 アークが答える。ユリシーズはいぶかしげな顔をする。サンバルトはエスタードとガリアスに挟まれた国である。経済規模はともかく、武力で見たら小国と大差ない。争いごとは出来うる限り避ける印象を持っており、騎士王が向かう先としては疑問が浮かぶ。

「会ってみたくはないか? 獅子を従える黒き狼に」

 ユリシーズは眼を見開いた。

 そう、サンバルトには今、獅子と黒狼がいるのだ。世界に燦然と輝きを見せる新星。彼もまたウィリアムと同じく時代を作る英雄の卵である。

 一路、サンバルトへ向かう。


     ○


 ヴォルフはつまらなそうな顔をして椅子に座っていた。格好は黒の戦備え。今日も戦に向かうはずが、スポンサーであるサンバルトの姫君からストップがかかってしまった。最近勝ち過ぎたことにより、これ以上エスタードを刺激するなと正式な書状が届いてしまったのだ。

「勝ち過ぎてもいけない、か。理解、できねえなあ」

 苛烈を討ち果たした時、サンバルトの面々が浮かべていた顔は半分に分かれていた。長年に渡り苦しめられてきた将軍が討ち取られ喜色を浮かべる者もいれば、エスタードから報復が来ないか内心恐れの色を浮かべる者もいた。今はほとんどが後者である。

「姫様からってのがミソだな。こりゃ、そろそろ潮時かもしれねえなァ」

 ヴォルフたちにとって一番の理解者かつ協力者がサンバルトの姫君であった。たまたま依頼があって彼女を助けて以来、公私共に懇意な間柄になっていたのだが、そこから動かないでと頼まれれば流石のヴォルフも自由に出来ない。

「アナトールの伝手でも使ってまたネーデルクスにでも雇われるとするか。そうすりゃもう一度あんにゃろうと戦える。俺もかなり力をつけた。あいつも上げてるはずだ。力比べも悪くねえ」

 やはりヴォルフにとって一番楽しかった戦場はあの戦いであった。楽しかったと同時に苦しめられた。そして多くを学んだ。ヴォルフ自身は負けたと思っている。紙一重の差、しかしそれは見た目ほど小さくはない。それを埋められたか、試してみたい気持ちもある。

「ヴォルフ、入りますよ」

 ヴォルフの右腕であるユーウェインが入室してきた。視線で用向きは何かと問うヴォルフ。その横着っぷりにユーウェインは苦笑する。

「お客人です。少し荒っぽいやつですが」

 確かに先ほどから少し階下が騒がしくなっていた。また荒くれものの傭兵たちが喧嘩でもしているのかと思ったが、どうにも様子が変である。

「数は?」

「一人ですね。私が直接確認したわけではありませんが」

「ほーう、単独か。いいね、骨のある野郎だ」

 ヴォルフは少し興味の色を浮かべた。鉄の足音を鳴らして立ち上がるヴォルフ。

「俺が相手をする。お前にゃ表の三人をくれてやるよ」

「そちらの方が強そうに感じますが?」

「活きがいいのは中の方だろ? 俺は中が良い。うっし、戦を取り上げられた分楽しむぞ!」

「……かわいそうに。では、表の方々は私が相手をしましょう」

 そう言ってユーウェインはヴォルフの部屋の木窓を開けて表に飛び出していった。ユーウェインも言葉にしていないが最近のサンバルトには思うところがあるのだろう。戦を取り上げられて苛立ちを感じているのは何もヴォルフだけではないのだ。

「さーて、どんな奴かな? この俺様に喧嘩を売る野郎ってのは」

 ヴォルフは笑みを浮かべて階下に足を向ける。

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