幕間:廻る因果

 血の海で佇むウィリアム。その背後に白龍が現れた。

「……俺の処理にでも来たのか? こいつが何をしたのか知らんが、これだけ幸せそうに逝ったんだ。さぞ見事な手で俺を殺したのだろう?」

 嗤うウィリアム。両腕、首を失ったブリジットは酷く滑稽な姿で倒れている。しかしウィリアムにはそれがとても幸せそうに見えた。終われたのだろう。この世という地獄から開放されて。それが酷くまぶしく見えた。

「いや。ニュクス様が気にする必要はないとおっしゃられていた。その娘の思惑は外れた。貴様は貴様の道を気にせず歩めと。今までどおり」

 いぶかしげな眼でウィリアムは白龍を見た。白龍がニュクスの名を出した以上それは事実なのだろう。だが、ブリジットは勝者の目をしていた。つじつまが合わない。

「結局、こいつは何をした?」

「知らん。ただ、いずれわかる時が来るそうだ。貴様が道を誤らなければな」

「……そうか。ならそれを楽しみに待つとしよう。処理は任せた」

「治療は?」

 ウィリアムはかなり深い傷を負っていた。死ぬことは無いが、決して甘く見ていい傷ではない。

「必要ない。これ以上金を払うのは少しきついからな」

 ウィリアムは苦笑する。白龍はついでとばかりに金貨の入った袋を投げた。

「任務は失敗した。ユリシーズ・オブ・レオンヴァーンはアーク・オブ・ガルニアスと共に国を抜けた。暗殺をしくじったのは今日が初めてだ」

 アークの名を聞いてウィリアムは少し眉をひそめる。しかし疲れが思考を妨げるのか、深く考えるには至らない。そのまま頭からユリシーズたちのことを一旦削除する。

「足止めには成功した。半分くらいくれてやるぞ」

「それこそ必要ない。俺はプロだ。半端なことはしない」

 白龍は表に見せぬが相当悔しそうである。その様子を見てウィリアムも少しばかり落ち着いた。冷静に考えればユリシーズを逃がしたのはまずいし、アークに全てを握られた状態で自身の手の届かないところに行かれたこともまずい。それでも、

「ご苦労だった。ニュクスによろしく言っておいてくれ。いずれ今日の礼は果たすと」

 今は疲れの方が勝る。思考に割く力が残っていない。

「礼を言う必要はない。あの方は今日手出しをしていない。まあ、貴様が訪れるとあの方も喜ばれる。そう言えば軍将棋でも指そうとおっしゃられていたな」

「……耳が早いことで。いずれ伺おう。では後のことは任せた」

 ウィリアムは袋を白龍に投げ返す。後片付けの駄賃とでも言わんばかりである。まあ血痕がそこかしこにある状況の修繕には人手も手間もかかる。金貨一袋ではあまりに高過ぎる駄賃だが、もはや今のウィリアムに損得など思考する余力は無い。

「一つ問う。あの女の居合い術、どうやって破った?」

 それは全てを見ていた白龍でさえわからなかったこと。最後の勝負を除いてすべての居合い術を無傷で攻略しているウィリアム。普段の、暗殺者としての白龍ならばこの問いを発することは無かっただろう。しかし今宵は武人の血が騒いでしまっていた。問わずにはいられない。

「……大したことじゃないさ。居合い術の性質上、剣は利き腕の方からしかこない。あらかじめそこに剣を置いておけば力で勝る俺が防ぐことは難しくない」

「バカな。あの娘は上下の打ち分けも出来る。その程度の浅知恵で破れるほど、甘い術者じゃなかった」

「体捌きは見切ることが出来る。上下はそこで見極めた。俺の剣も女の体捌きにあわして動かしていたからな。浅知恵とはいえ露骨には見えまいよ」

 居合い術は不完全な武術である。あくまで初動であり、戦いの一要素としてみるなら強力な武器になるが、それのみで戦うとなれば話は異なる。体捌きは軽妙なれど、居合い術に関してはほぼ一定。よく言えば型に特化した、悪く言えば型にはまった、それがブリジットの、ルシタニアの居合い術。冷静になって判断すれば、見えずとも恐れることは無い。

(それでも、見えない死を、死への恐怖を断ち切り理性で征したというこの男は……つくづく規格外だ。この男には死への恐怖は無いのか)

 見えないという恐怖。見切れない状態は達人であればあるほど恐ろしいものである。受け違えれば即死の世界。そんな山勘にも似た方法に命を賭けるなど並の度胸では出来ない。しかし、ウィリアムは今の自分にはそれしか出来ないと判断し、それをあっさりと実行した。自分の命においてすらそういう冷静な判断が下せる。そこが恐ろしい。

 白龍の内心を他所に、ウィリアムは話し終わったとばかりに背を向ける。

「今日は、疲れた」

 ウィリアムは疲れ果てていた。その背を見て、白龍は押し黙ることしかできなかった。

 歩くたびにわき腹に鈍痛が走る。麻痺していた痛みが戻ってきたのだ。今はその痛みが心地よい。ウィリアムは苦い笑みを浮かべる。

 今日の勝者は、敗者はどちらなのか。自らの血の海、ゴミ溜めの中で幸せそうに逝った女と、泥まみれ血まみれになりながらまた一つ業を積み地獄を歩む男。生き残ったのは男。死したのは女。されど、勝った負けたはわからない。

 とにもかくにも、生き残った男は地獄を歩き続ける。死するその時まで。


     ○


 一人の少女が歩いていた。すでにお開きとなり灯も消えかけた通りを、踊るように通り抜けていく。軽快なステップと鼻歌は少女の機嫌が素晴らしいものであると告げていた。おとなしめの少し大人っぽいドレスは、今の少女にはとても不釣合いであった。

 胸に踊るは緑の翡翠。宝石としてそれほど高価ではないが、ドレスにはとても似合っていた。しかし今の少女には似合わない。

 愉快気な仮面だけが、今の少女にとてもよく似合っていた。

 軽快に、高らかに、少女は通りを抜けた。そのまま階段を駆け上がる。

 そこにおしとやかさはなかった。ただ嬉しさだけがそこにあった。

 少女の胸に長年くすぶり続けてきた思い。長年秘してきた思い。最初は勘違いだと思った。遠き日の幻影がそれを見せるのだと。そもそもまるで違うではないか。だから期待してはならない。嘘ばかりの彼を、嘘で塗り固められた彼を、嘘にまみれて、嘘の中でもがき苦しむ彼を、嘘を支配した彼を、愛してはならない。

「奪われたら許しましょう」

 彼は地獄の業火で今も焼かれている。

「盗まれたら許しましょう」

 彼は永遠に許されない業を背負っている。はじめて見た時からわかっていた。彼の目の底に宿る弱さを。弱いから、覚悟が要る。覚悟があるから、強くなる。

「殺されたら許しましょう」

 許されない業。少女はそれを癒す術を持たなかった。共有する術も持たなかった。

「許しは何物よりも尊く」

 少女はただ見ていることしかできなかった。自分は絶望的なほど運動神経には恵まれなかったし、肩を並べて戦ったところで、それでは真の共有には至らない。

「乞うて天を仰ぎ見れば」

 少女はただ待つことにした。そんなことをしても、遠ざかって行くだけなのに。

「神は許しと慈悲を与えてくれるでしょう」

 少女は青年に初めて女性の匂いを嗅ぎ取った。華やかな舞踏会で美しい麗人たちと知り合い、仲を深め、そしていずれは――

「だから許しましょう」

 少女は絶望した。待った結果、最悪の結末が待っていた。でも――

「許しましょう」

 きっと彼女たちには青年を理解できない。成り立ちを知らない。嘘に気づけない。それでは共有には至らない。ただの一方通行。それでは他の有象無象と変わらない。美しいだけではやはり意味がない。

「許しましょう」

 それでも、最近周囲の女性たちが色めき立ってきたのは事実。彼の引力がそうさせるのだ。未だ対面したことは無いが、王女すらそれに飲み込まれている節がある。

「わたしの小さな宝物」

 だが、彼女たちでは真の理解には遠い。遠過ぎる。彼は徹頭徹尾変わっていない。それなのに態度を変えているのは中身を見ていない証拠。だから少女は安心する。結局のところ中身を愛しているのは自分だけなのだと知っているから。

「あなたを産んだ美しい世界を」

 理解者足れるのは自分だけ。

「愛して頂戴」

 本当の意味で愛しているのは自分だけ。

 だから少女はじっと待つ。そしてたまたま手に入れた。少女は武器を手に入れた。その中身は少女の想像を裏付けるもので、少女の愛に絶対を与えた。

 少女はアルカスの街並みが一望できる場所まで駆け上がった。すでに祭りの灯は消えている。街はほとんど眠りについていた。世界を一望できるこの場所で、少女は万感の思いを込め――

「これは許さないでください」

 少女は『手紙』を破った。

 祭りを隅で見物していた際、明らかに普通の様子ではない片腕を喪失した女性から受け取ったもの。片言の言葉で聞き取りづらかったが、すべての言葉を余すことなく理解した。女性の口から語られる言葉の何と甘美なことか。すべて少女の欲しかった事実ばかりなのだ。

 ルシタニアに送ってくれと頼まれた手紙を受け取るとき、少女の手は震えていた。それを女性は恐怖で震えているのかと勘違いして、しきりに「ゴメンナサイ」と謝っていたが、何のことは無い。ただ嬉しかっただけなのだ。それにも増して滑稽だっただけなのだ。

 よりにもよって、女性にとっての頼みの綱を、よりにもよって、少女に渡してしまったのだから。女性にとってこれほどの悲劇は無いだろう。これを俯瞰して見ている神がいるとすれば、これほどの喜劇は無いだろう。

 少女はさらに破く。女性の思いが詰まった大切な手紙を。

 たまたま祭りの喧騒に疲れて通りの隅っこで座って見学していた際、すぐそこの路地から出てきた女性に出会った。これがこの喜劇の始まり。女性は用件を伝え少女が了承したと伝えると「アリガトウ」と言って裏路地の方へ消えていった。少女は一瞬のためらいも無く手紙の封を解き、中身を見る。並べられていた文字はルシタニアの言葉。そして少女は、有り余る自身の余暇時間をそれの勉強にも当てていた。誰にも伝えていなかったが、少女だけがその中身を認識できた。片言の言葉だけでは補完出来なかった部分、少女にとって必要なことが記されていた。

 この国に女性の知るウィリアム・リウィウスはおらず、別の者がそれを名乗っているということ。女性は真実を確かめて仇を討った後、自害し愛を示すと。身勝手な自分を許して欲しいと。様々なことが書かれていた。そのほとんどに少女は興味が無かった。唯一の興味は、ウィリアム・リウィウスが別人であったこと、ただそれだけである。

 では何処から今のウィリアム・リウィウスが生まれたのか。何故、ウィリアム・リウィウスに成り代わる必要があったのか。少女は容易く結論に至った。それは少女が望んでいた答えであったから。

 少女はもっと、もっと手紙を引き裂いていく。

 その中の言葉は自分だけのものであると、その中に書かれている真実は自分だけのものであると、自分だけが共犯者になれると、少女は満たされていく。

 こうして真実を知り、それを得るだけで、それを振りかざすだけで思いを遂げられる。これを武器に愛を乞うことも出来よう。それなのにその武器を自ら破く。その行為に少女は愛を覚える。人知れず、想い人にすら知られず、少女のみの中で真実は生きる。そこにこそ愛は宿る。

 少女は笑った。笑いながらバラバラになった手紙をアルカスの夜闇に放り散らす。真実はこれで闇の中。少女のみが知りうる。

 少女は最後に自らの仮面も放り投げた。その下で恍惚の表情を浮かべていた少女、彼女の名は――


 ルトガルド・フォン・テイラー


 許されざる業を、彼女は喜々として背負った。


     ○


 各地の集落が合同で初夏の祭りを開催し、大いに賑わっている中、金の森の奥、ひときわ大きな木の前で一人の男が祈っていた。

 彼女が無事でありますように。息子が無事でありますように。幾度も、幾度も、自身が剣を捨てた時から一度として欠かしたことの無い祈り。一日二回、全てが寝静まった深夜と誰もが目覚めていない早朝。

 常日頃剣を打ち鍛える際の祈りと二度の大樹への祈り。それらが彼の日課であった。

『あの二人をどうか……俺はどうなっても良い。明日死んでも構わない。だから、どうか大樹よ。神なる木よ。どうか、二人を』

 祈り続ける。すでに家族は自分と妻の二人だけと成った。その妻も床に伏せる時間が多くなっている。男は彼女の無事も祈る。自分はどうなっても構わない。リウィウスとしての役割を全うし、剣はあの日以来一度として振っていない。

 自らの望みは全て捨てた。だから――

『いつもより長いな。ウォーレン』

『……ブラッドか』

 少し前から背後に何かの気配があったことは気づいていた。

『胸騒ぎがしたか?』

『気のせいだ』

『俺もしたと言ったら?』

『……あの子は強い。俺の息子はともかく、彼女は未熟であってもレイだ。容易く死ぬはずは――』

『アルカディアの白騎士、ウィリアム・リウィウス』

 ウォーレンはその名を聞いて顔をしかめた。

『リウィウスは剣鍛冶の一族だ。昔から交易のため、外との関わりがあり、外に出た一族も少なくない。ウィリアムも、珍しい名では』

『だが、同世代でウィリアム・リウィウスだぞ。何か関連があると思うのが普通じゃないのか?』

『その男は白髪だという噂だ。俺の息子じゃ、ない』

『ふん、一応調べてはいるんだな。お前も人の親、ということか』

 二人の間にしばし、沈黙が流れた。二人の間にだけ流れる無音の共通言語。周囲からはいがみ合っているように見えているが、二人は幼馴染で、親友で、何よりもライバルであったのだ。すでに遥か過去の話だが。

『白騎士が、あのカンペアドールどもと同じ実力を、三貴士の如き力を持っていたとしたら、ブリジットでは勝てない。ルシタニアの剣では、勝てない』

 先に口を開いたのはブラッドであった。

『ああ。そうだな。勝てんだろう。それは俺たちが身をもって証明した』

 ウォーレンは口の端を歪めながら頷いた。

『そうかな? 俺はともかく、お前は多少なりとも食い下がっていたように見えたがな。もちろん、今も剣を握り続けていれば、だが』

『俺は剣を捨てた』

『くだらない。あれは偶然だ。たまたまあいつは生き延びた。記憶を失っていたのも偶然。四半世紀前の、ただ一度の偶然にしがみついて、いつまでこの無意味な行動を続けるつもりだ? こんなでかいだけの木に祈ったところで、お前の息子も俺の娘も帰ってこない! 本当はわかっているんだろう、ウォーレン!』

 ウォーレンは、やはり動けない。

『俺はお前を許さんぞ。いつだってお前は全てを選べる立場にありながら、全ての選択を他者にゆだねてきた。お前の強さなら、無傷でブリジットを止められたはずだ。そもそもお前が息子を止めていればこんなことにはッ!』

『すまない』

『その顔だ。全部、全部、本当は、お前が持っているのに。いつだってそうだ。その癖お前はいつも持っていないような顔をする。卑怯者め』

 ブラッドはそう言った瞬間、腰をかがめ居合いの体勢を取った。溢れる殺気の鋭さに、ウォーレンは瞬時に反応し後退する。その姿を見て、ブラッドは嗤う。

『ほら見ろ。何が剣を捨てただ。お前に染み付いたそれは、何も消えていないじゃないか』

 ウォーレンは呆然と、自らの姿を見つめる。月明りの下、自らが打ち鍛えたブラッドの剣に映る自身の姿を見て、消したはずの妄執を見た。

『お前の祈りに価値など無い。それはお前が一番理解しているはずだ』

 そう言って去って行くブラッド。彼の抜き身が映した幻影、捨てたはずの剣、無いモノを探し虚空を握らんとする武人の、居合い術の構え。

 ウォーレンは思いっきり自らの頭を地面に叩きつけた。あの日から自分は間違っていたのだと、祈りに意味は無いのだと、半ば理解しながらやめられぬ。それに意味がないのなら、剣を捨てたこと、愛する者を諦めたこと、息子を、義娘を止められなかったこと、家族に向き合わずただただ己を縛り続けたこと、全てが無為と化し、全ての選択が間違っていたとするならば――

『許せないじゃないか。そんな、俺を』

 叫び出しそうになるのを必死に押し殺し、男はやはり祈る。もはや止めるわけにはいかない。意味があると信じ続ける以外、己を保つ方法がない。剣を捨て、リウィウスの直系として家督を継ぎ、ルシタニアの戒律に従って外界に出ることを諦めた。息子にそれを押し付けた。自分と同じ道を歩まぬように。

 全てが間違っていたのなら――生き続けることに耐えられないから。


     ○


『体調、大丈夫なの?』

『平気よ。夜中までこんなに騒がれたら、寝るに寝れないし』

『年に数回も無い娯楽だから、許してあげて』

 二人の女性は祭りの片隅で仄かに発酵した果実酒を飲んでいた。髪色はどちらも同じ色合いだが、全体の雰囲気は対極な二人である。元気溌剌とした雰囲気と病を差し引いても儚げな雰囲気の女性。

 二人は親戚に成るはずだった。二人の子が結ばれることで。

『そう言えばウォーレンもブラッドもいないのね。まさかまたどこかで喧嘩してるんじゃ……んもう、ほんと子供なんだから』

『……ふふ、その二人に甘えているのは、どこのどなたかしらね』

 棘のあるセリフに、元気な方がたじろぐ。

『元を正せば、全部貴女のせい。貴女がルシタニアを出るなんて言わなければ、貴女があの二人と、皆と一緒に外へ出て、ボロボロになって帰ってきて、それから全部おかしくなった』

 儚げな方の瞳にはどす黒い感情が渦巻いていた。長年蓄積されていた堆積物。ぐつぐつと煮えたぎった負の感情。

『私、最初は嬉しかったのよ。だって、あの人が、貴女を諦めてくれたんだもの。綺麗さっぱり、あの人の記憶と戦争の記憶を忘れた貴女を、ブラッドが掻っ攫っていった。ほんと、笑っちゃったわ。外に出た時点で、もう駄目だと思っていたから。そのために出たんでしょ? だって、ルシタニアじゃ貴女はウォーレンと添い遂げることが出来なかったから』

『何、言ってるの? 私、そんなつもり……そもそも私はウォーレンを』

『私も、手に入れた。ずっと憧れていたの。リウィウスの中でも一番優れた鍛冶師で、それなのにブラッドと剣を競い合っていた、あの人を』

『ウォーレンが、ブラッドと? そんなはずはないわ。だってあの人はレイで』

『でも、あの人は変わってしまった。剣を握ることは無く、狂ったように剣を打ち続け、誰ともかかわらず、誰にも心を開かず、誰のためか分からないけど、分かりたくも無いけれど、毎日こそこそと家を抜け出して大樹様に祈りを捧げていた』

 どす黒く、濁った眼で女性は睨みつける。

『私は貴女が大嫌い。結局、私は何一つ、手に入れることはなかった。家族は全部死んだわ。たくさん作ったのに、幸せになれると思ったのに。あの人は最後まで、私を見てすらくれなかった。だから、みーんな隠しているけれど、私は隠さない。突き付けてやるわ。死ぬ、前に。全ての始まりは貴女よ。貴女が若くて腕の立つ剣士を各集落から集めて、外に出た。そして戦争に参加して、半分以上死んだわ。全部、貴女のせいでね。ブレンダ・フィーリィン!』

 突き付けられた真実を前に、ブリジットの母、ブラッドの妻であるブレンダは血濡れた記憶がフラッシュバックし、意識を失った。騒ぎを聞きつけて近寄ってきた男衆が見たものは、気絶するブレンダを憎しみの目で見下ろす女性の姿。

 その口の端から血が零れるのを気にも留めず、彼女は見下ろし続ける。


 その騒ぎの一週間後、ウォーレンの妻はこの世を去った。その日からウォーレンはさらに、狂ったように剣を打ち続ける。愛する妻を、家族を失い、ただ独り男は祈り続ける。その祈りが何のために、誰のために向けたモノなのか、もはやウォーレンでさえ分からない。

 ただ一言、想いを伝えていれば――ウォーレンが正気を取り戻すのは、全てを失った後、もっと、ずっと先のことである。

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