北方戦線:北の蹂躙西の殲滅

 ヤンはウィリアムから届いた報告書を見て苦笑していた。

 緒戦で古狸を討ち取り現在に至るまですでに三割もの領土を喰らっていたのだ。その速さもさることながら、その方法があまりに常軌を逸していた。

「一歩退くのではなく、三歩進んで相手を圧殺する、か。ほんと、怖いねえ」

 ヤンは報告の端々からウィリアムの常識に囚われない戦い方を感じていた。特に緒戦、ヤンの耳にも伝わっているがシュルヴィアの裏切りから始まり、そこから再度裏切らせての圧勝。これが最も素晴らしかった。シュルヴィアを知るヤンはこの策の恐ろしさを理解していたのだ。

「シュルヴィア・ニクライネンは演技が出来る女ではない。彼女は武人だ。不器用で、すぐに思考が顔に出る。ヴィリニュスの重鎮、いわんや古狸を騙し通せるとは思えない」

 ならば本気で裏切らせた。そしてそこから再度裏切らせる手を打たねばこの策は成就しない。そんな手をヤンは思いつくことが出来なかった。

「だが騙し通し、結果として包囲殲滅を完成させた。広範での戦いで拡散するはずだった新兵器を一箇所に集めて、古狸ごと一気に圧殺する。出し惜しみ無く、すべてを」

 攻めの戦より守りの戦の方が強い。攻め手は相手の準備した守りに自ら突っ込まねばいけないのだ。ウィリアムは自身が攻め手となるよりも守り手として古狸と戦う道を模索したのだろう。裏切られ、奇襲されてどうしようもないと嘯き、明らかに一箇所の備えとしては過剰な軍備で相手を蹴散らした。

「古狸に攻めさせた時点で勝ちは必定。参ったね、これは参った。こういう切り口は僕でさえ思い至らなかった。古狸には同情するよ。これは、勝てない」

 ヤンは苦笑を超えて歪んだ笑みを浮かべていた。ウィリアムは武人ではない。戦術家でもなく、そもそも戦場に重きを置いていない。誇りも浪漫も無く、冷たい合理性と熱された破壊衝動、それが根幹。だから理解できない。戦場のみで生きるものには。そこに意味を見出そうとするものには、理解できない。ゆえに勝てない。

「さて、と。この報告は難しいね。実に難しい。とりあえずじい様向けとその他向けの二つは必要だろう。その上でどう噛み砕くか」

 ありのままを報告すれば、功績よりも疑心が大きくなる。ベルンハルトやカスパル辺りはウィリアム・リウィウスという怪物の存在に気付くだろう。それはバルディアスの本意ではない。まだ、早い。

「ま、それ用の報告書草案まで作ってるんだから凄いよね、ほんと」

 ヤンの苦悩を全て見透かしたように、ウィリアムは報告書と共にその報告に対しての報告書草案を添えていた。その中にはとりあえず雪解け時の目標をヴィリニュスに絞った旨、そしてそのためにウィリアム、アンゼルム、シュルヴィアの三隊を合同で動かす許しが欲しい。それだけを伝えるようにとの求めがあった。

「このペースなら、始国式までに大きな報告が出来る。そう踏んでいるんだね。小出しにするよりも、一気に結果を伝える。そちらの方が与える印象は大きくなる」

 ヤンは少しだけ迷った。このままウィリアムの思う通りに動けば、自身も含め取り返しのつかない状況に陥るのではないか、と。もちろん自身の主であるバルディアスがそれを許した、自由にさせるためにこの辺境の地に赴任させたのだ。言う通りにするのが筋、ヤンがそれを曲げることは無い。

 それでも――

「ちょっと、想像以上、かなぁ」

 溜め込んだ力をこれでもかと爆発させているウィリアムの勢い。その加速度をヤンは見たことが無かった。このまま一気に天頂まで駆け抜けそうな勢いを持ってウィリアムは駆ける。その過程で積み上げられる業は、計り知れない規模になるだろう。

「何事も過ぎると言うのは良くないんだけどねえ」

 おそらく、アルカディア一国では済まない。隣国であるオストベルグ、ネーデルクスはもちろんのこと、それらを超えてガリアスにまで届くかもしれない。そしてガリアスを揺るがすとなればそれはもう――

 世界を動かすに等しいのだ。


     ○


 ネーデルクスとの国境沿いの要所、旧都市名フランデレン。そこの防備を指揮するのは一介の上級百人隊長。なよなよしていて、剣は弱く、武の欠片も見出せない青年。ウィリアムに出会う前は落ちこぼれの烙印をこれでもかと押され続けてきた生粋の落ちこぼれ。百人隊長に成れたのが奇跡。昔を知る者はそう答えるだろう。しかし――

 今のカール・フォン・テイラーは、

「慌てないで。まだ距離があるから。撃っても矢の無駄だよ」

 落ち着いていた。別に自信満々というわけではない。武勇が成長したわけでもない。ただ落ち着いて、学んだことを生かせる地位についただけ。難しいことは出来ないし、しない。ウィリアムから叩き込まれた原則に従って、合理的に判断していく。

「臆病者め! さっさとこちらへ降りて戦わんか!」

 敵軍の罵声が飛ぶ。それを聞いてカールは苦笑いを浮かべていた。

「敵の大将わかってんじゃねーすか」

 イグナーツは軽口を叩く。

「皆がわかっている事実を大きな声で言っても無意味ですね」

 フランクは毒づいた。ちらりとカールを見ると、ここの総大将は頬を膨らませてすねていた。子供っぽい所作である。

「どーせ僕は臆病者ですよーだ。敵に馬鹿にされて、部下にも馬鹿にされて、ふんだ!」

 その場に爆笑が起きる。もはやカールを弄るのはフランデレンに赴任している兵たちの日課となっていた。一応総大将という位置づけだが、誰もそう扱わない。他人から見れば舐められているように映るだろう。

「すねるなよカール様ー」

「頑張れー」

 やいやい賑わう戦場。もはや誰も敵軍を見ていない。カールを弄って遊ぶのが彼らの楽しみなのだ。それを見て敵軍は苛立ちを募らせる。

「ふ、ふざけよって。我ら誇り高きネーデルクス軍を愚弄するか!」

 誰もそのような気は無いのだが、無視されることに敵の大将は耐えられなかった。

「フランデレンを落とすぞ! 全軍我に続けえ!」

「し、しかしダヴィド師団長、あの都市は」

「誇り高きネーデルクスの軍勢が馬鹿にされているのだ。許せることではない! あのような優男など、この俺が容易く捻ってみせる!」

 ダヴィドと呼ばれた男のまとう雰囲気は並ではなかった。それに圧されるように部下は黙認するしかない。ダヴィドがこの場の指揮を握っている。彼が進めといったら進むしかないのだ。それが軍である。

「往くぞ!」

 進軍を開始するダヴィド師団。敵に罵倒され、味方に遊ばれていたカールが顔を上げた。その眼は、先ほどまでの優しい色が消え、男の目つきと化す。

「イグナーツ、フランク、平衝錘投石機(トレビュシェット)の用意」

 カールはイグナーツたちを見る。

「ばっちしっすよ。全機準備は万端っす」

「超大型設置式弓(バリスタ)も準備できています。あとはご命令を待つばかりです」

 イグナーツとフランクに頷くカール。

 風が吹く。蒼い風が。攻められているというのに、あれほどの形相で、勢いで攻められているというのに、この場の何と穏やかなることか。

 カールは手を上げた。全員がそれを凝視する。そこに、引力が生まれた。

「よく我慢したね。充分だ。全軍、攻撃開始!」

 それを解き放つ。

 ダヴィドは眼を剥いた。自身の軍勢に降り注ぐ石と矢の豪雨。そして気付く。かのマルスランすら撃退した現アルカディア領、『青の要塞』ブラウスタット。旧フランデレンがマルスランを撃退した後の始国式にて名を変え、そしてギルベルトが正式にこの都市の総指揮となり、カールに指揮棒が譲渡されてついた二つ名。都市にこのような名がつくのは異例である。

 その意味を、ダヴィドは甘く考えてしまった。

 打ち下ろしの矢はネーデルクス軍より飛距離が出る。打ち上げる矢は届かず、一方的に蹂躙される。盾で矢は防げても石は防げない。狂騒するダヴィド師団。

「ぐぬ、撤退、撤退ィ!」

 ダヴィドの判断は迅速であった。それほどにブラウスタット側の攻撃が苛烈であっただけなのだが。それでも撤退は正解である。この距離を、この雨の中突っ切るのは少々命知らずが過ぎるというもの。

 ダヴィドの視界で遠くの百人隊長が一人弾けた。射抜いたのは超弩級の矢。

「やった。きっとあれは百人隊長ですよイグナーツ」

「うっせー! さっき俺の投石部隊もそれっぽいの潰したっての!」

 準備の質が違う。懸けた金が違う。ここまで準備されて、どうやってこの都市を落とせばよいというのか。ダヴィドは苦渋の表情で、しかし何とか雨を抜ける。

「くそ、大将っぽいの逃がした!」

「折角上手く誘い出せたのに、もったいなかったなあ」

 部下たちはカールを見る。この圧倒的勝勢、押せば、より高い武功が積める。

「よーし、全軍攻撃やめ! みんなお疲れ様ー」

 だがカールは追わない。当たり前のように攻撃の手を止めた。欲をかかない。これもまたカールの強みであった。だからこそ、このブラウスタットに隙はないのだ。カールは守備以外しない。出来ないし、する気もない。

「たまには押すのも悪くねーんじゃねえすか?」

 イグナーツの問い。カールは微笑む。弱弱しい笑みではない。それは――

「それは僕らの役割じゃないよ。僕の仕事はみんなを守ることだ。だから危険は冒さない」

 自信に満ち満ちた表情であった。危険さえ冒さなければ、全員を守る自信があると、表情から伝わってくる。それを見ると好戦的なイグナーツでさえ、出した欲を引っ込めるしかない。カールは絶対攻めない。出来ることはやり、出来ないことはしない。

 だからカールはウィリアムに重宝されたのだ。ウィリアムと最も長く戦場にいた男。隣でそれを見続けていた男だからこそ、その判断だけには自信がある。力も弱く、頭も突出しているわけではない。だが、素直、そして無欲。

「それに、もう詰んでいるさ」

 カールは成長していた。その欠点を補う剣を手に入れるところまで。

「そ、んな!?」

 ようやく雨を抜けた先、彼らを出迎えたのは純白のアルカディア旗を掲げた騎馬隊であった。その先頭に立つ男を見て、ダヴィドは身震いする。一瞬で理解してしまったのだ。彼我の戦力差に。

「この程度でブラウスタットを、テイラーを抜こうというのが間違い。あれは俺の盾だ。貴様のような凡百の抜けるものではない!」

 『白剣』ギルベルト・フォン・オスヴァルト。英雄の血を色濃く受け継ぎ、自身もまた英雄にならんと成長を続ける剣の天才が、ダヴィドたちの障壁として君臨していた。

「蹂躙する。一匹も逃すな」

「承知!」

 ギルベルトのひと睨み。それでダヴィドたちの心は折れた。

 あとは蹂躙するだけである。


     ○


「お疲れ様ギルベルト」

「ああ、そちらの被害は?」

「特に無いよ。そっちは?」

「特に無い」

 三日前から遠征して留守にしていたギルベルトをカールが出迎えた。漂うのはぎこちない間。周囲はそのぎこちなさにそわそわするが、当のカールはニコニコしている。ギルベルトもそれを咎めることは無く、至って平静。

「そう言えばまた勝ったらしいよ、ウィリアム」

 ギルベルトがぴくりと反応する。周囲、特にギルベルトの側近たちは「おい馬鹿そいつの話は――」と声にならない悲鳴をあげる。イグナーツとフランクはその場から消えた。彼らもウィリアムに鍛えられているので引き際は心得ている。

「…………」

「凄いなあ。ヴィリニュスを落としたと思ったらすぐに別の国、二カ国同時攻略してるんでしょ? 本当に凄いなあ。僕なんかじゃ国を落とすなんて想像もできないよ」

 ギルベルトの部下たちも遅ればせながらこの場から消える。ギルベルトの身からあふれ出す雰囲気に耐え切れなかったのだ。すでにイグナーツとフランクは自室でごろごろしていた。流石の危機管理である。

「……テイラー。少し黙れ」

 カールは素直に口を閉じる。ギルベルトは周りを見渡して、誰もいないことを確認するとため息をついた。そしてカールの頭を軽く小突く。「いで!?」カールはのけぞった。

「此処最近、本国で一番評価の高い武官が誰だか知っているか?」

「……そりゃ、ウィリアムかギルベルトでしょ? 誰だってそう思っているよ」

 小突かれたおでこを撫でながらギルベルトに顔を合わせるカール。

「大衆はな。わかりやすい戦果をあげる俺たちは確かに目立ちやすい。だが、少し目端の利くものは違う見方もする。上の人間の評価と下の人間の評価、必ずしも合致するとは限らない」

 カールは首をかしげた。誰が考えてもこの二人の戦果は抜けている。大きく離れた次点でウィリアムの部下として立ち回っているアンゼルムが名を連ねるほど、両名は突出しているのだ。誰が一番かと問われたならば、この二人のうちどちらかしかない。カールはそう思っていたのだ。

「国家に対する貢献度で、誰が一番上かと考えれば、おのずと答えは出てくる。あの男がどれほど活躍しようと所詮は北方。土地は痩せ、生産性に欠ける。それに比べてここはどうだ? 対七王国の要衝、周囲の土地は肥え、安定すれば貿易の要になれる可能性をも秘めている。そこで一番貢献しているのは誰だ?」

「ならギルベルトだね。やっぱり赴任地っていうのは大事なんだなぁ」

「呆けるな。俺はフランデレン、ブラウスタットの防衛にも安定にも寄与していない。この都市を要塞化するに当たって大した私費も投じていない。この都市を守っているのは誰だ? この都市を強化したのは誰だ? 都市を安定させ、住民に好かれ、かのマルスランを弾き返し名実共にブラウスタットを我が国の領土と知らしめた者は誰だ?」

 カールは苦笑いをする。ギルベルトが何を言わせようとしているのか、察してしまったがゆえに。それを見てギルベルトはカールの胸倉を掴んだ。

「笑うな。貴様のその笑みは反吐が出る。いい加減理解しろ。貴様は優秀な人材として認識されている。部下も貴様を舐めているようで、要所ではしっかりとリスペクトを忘れていない。上も下も、貴様という人間の優秀さに気付き始めた。すでに貴様は落ちこぼれの成金三流貴族の子弟ではない。このアルカディアの要衝ブラウスタットの防衛隊長、今、ネーデルクスが最も警戒している憎き敵、カール・フォン・テイラーだ」

 ギルベルトはカールを睨みつける。

「貴様のその謙虚さが強みの一つなのは理解している。それでも、俺の前くらいはその道化のような顔を止めろ。貴様の守戦、その強さは俺もあの男も認めている。その顔は、貴様を認める者たちの信頼にも泥を塗っていると知れ」

 カールは無言で頭を下げた。ギルベルトの言っていることは理解している。それでも、どうしてもカールは理解できない。頭の中にこびりついた落ちこぼれという刻印。それは良くも悪くもカールを支配していた。

 ギルベルトはカールの胸元から手を放し、カールに背を向ける。

「貴様は俺の盾だ。そして逆に俺は貴様の剣でもある。あの日、二人で協力して三貴士を追い払った時、思った。最強の剣と最高の盾が合わされば無敵だ、と。俺は、そうなれると思っている。失望、させてくれるな」

 そのままギルベルトは歩き去って行った。一人残されたカールは、複雑な表情を浮かべ佇んでいた。ギルベルトの信頼を嬉しいと思う反面、未来の英雄であることが約束されているギルベルトと自身が釣り合うとは到底思えないのだ。

 その行き過ぎた謙虚さが、カールから功名心という欲を奪った。それゆえの強さはあるのだが、それがないからこその弱さもある。まだ、カールは将として自身のあり方が定まっていなかった。


     ○


 ウィリアムたちは勝ち続けていた。そもそもが周辺では一番厄介なヴィリニュスを最初に喰らったのだ。勝ち続けるのも不思議ではない。むしろ必定と言えるだろう。北方方面軍全体の実質的な指揮権を得るに至ったウィリアム。度重なる勝利が、同じ階級、少々上の階級でさえ彼に付き従うのが吉だと思わせることを可能とした。

「退け」

 言葉少なに相手を威圧するウィリアム。膨らむ躯の軍勢。その背後に聳える業の塔。その頂点に君臨する白き仮面の王。その地獄のような幻想が、相手に抵抗する気すら失わせてしまう。心をへし折り、踏み潰し、そして蹂躙する。

「退かぬか。ならば死ね」

 退かないのではない。動けないだけ。そしてそんなことウィリアムは理解している。蛇に睨まれた蛙は捕食されるとわかっていても動けない。絶望が、彼らの足をすくませる。それを見て笑みを浮かべるウィリアム。

「全軍俺に続け」

 そして狂乱するアルカディア軍。ウィリアムの狂気は伝染する。戦わずとも敵を萎縮させ、味方を鼓舞して初めて一流。戦わずとも敵を砕き、味方に勝利を確信させて初めて超一流。ウィリアムはその域に達しつつあった。

「殺せ」

 ただし、ウィリアムという男は絶望から生まれた。

「奪え」

 ゆえにその指揮に誇りは無く。

「喰らえ」

 その指揮に情は無い。敵も味方もある意味で同じ狂気の中に喰らってしまう。味方は死をも恐れぬ狂戦士に、敵は死に取り込まれ絶望に堕ちる。人としての薄皮を剥ぎ取り、薄汚い真性をさらけ出させる。

 暴力の開放。欲望の爆発。

「さて、こいつらはこの先の街からやってきたそうだ。ところでユリアン。此処最近兵たちは連戦続きで疲れているだろう? しばらくアルカディア領に戻っていないがゆえ、まともな食事も取れていない。ふむ、これは困った」

 あらかた片付けた後、ウィリアムは自分の部下であるユリアンに声をかけた。ウィリアムの百人隊は精鋭ではない。少なくとも募集して集まった段階ではそこらの農民と変わらない練度であった。

「……皆にもうひと頑張りするように伝えてきます」

 それでも彼らはウィリアムと共に勝利を重ねた。まだ短い期間だが重ねた勝利の数は普通の部隊の幾年分か。それが彼らを強くする。身体も、心も。

「察しが良くなったものだ。食料は腹に入る分は喰らえ。残りは出来るだけ持ち出せ。男は殺せ。女は犯して殺せ。老若男女殺せ。後腐れなきようにな」

「御意。つまりはいつも通りということで」

「そういうことだ。この生産性の無い土地に、人は必要ない。奴隷にするにも運ぶ手立てが無い。残念だが、我々の腹の足しになってもらい、後腐れなく全滅していただこう」

「あはは。酷いですねえ。了解しました」

 ウィリアムの狂気は、あのような軍に志願出来る年齢に達したばかりの若い兵にも伝播していた。戦争には狂気が要る。自分で得るか、人から与えられるか、それだけの違いしかない。敵国で腹が減れば奪うしかないのだ。合理が道徳を押し潰す。

「なに、誰が悪いという話でもない。しいて言えば弱い方が悪い。弱肉強食、世界はいつだってこうやって回っているのさ」

 ウィリアムが思い出すのは弱かった自分。もはやあの時の面影は無い。年を重ね、業を重ね、ウィリアムは力を得た。だからこそウィリアムは弱者に寛容ではない。自分が努力で強者になれたのだから、未だに弱者であるものは怠惰な存在である、と彼は考えてしまう。

 ウィリアムは強くなった。同時に弱さを憎むようにもなった。自身の弱さも他者の弱さも許せない。やはり、歪んでいる。

 その歪みが強さの根源なのだが――


     ○


 ウィリアムが北方で暴れ回っている噂を聞き、奮起する者たちがいた。

 黒き狼たちが対峙するのは七王国エスタードの軍。ヴォルフもまた雪解けすぐにエスタードに仕掛けて勝利を奪った。だがそんなことはウィリアムやギルベルトの重ねる異常な戦勝の数々で打ち消されてしまう。

「……め、目立てねえ」

 今日もまた勝った。しかしそれは他のライバルたちも同じだろう。

 サンバルト王家に雇われているヴォルフは、アルカディアとサンバルトの差に焦りを覚えていた。一応、今はヴォルフも黙認されている形。小勝ちなら許される。しかし大勝し、あの男を引き出すような事態になったら、おそらくサンバルトはヴォルフたちを許さないだろう。あくまでサンバルト王国は特殊な立ち位置ゆえの七王国。正面から巨星が攻めてくればひとたまりも無い。

「ま、目立とうと思うなら、やっぱあれを倒すしかねえだろ」

 天に輝く『烈日』。それを堕とさばヴォルフの名声は確固たるものになる。ウィリアムらがどれほど暴れ回ろうとも、所詮は小物。巨星の首一つで評価は入れ替わる。

「まだ、貴方では勝てませんよ。ヴォルフ」

 背後でヴォルフをたしなめるのは、一度交戦した経験を持つユーウェインであった。その顔は珍しく険しい。

「だが越えなきゃいけねえ壁だ」

「ええ、いつかは。しかし今はその時ではありません。もっと力を溜めて――」

「あっちから来たら、戦わざるを得ないよな?」

 ヴォルフの眼は野心に燃えていた。取り付かれているといっても良い。ウィリアムと交戦してから、いやそのずっと前からヴォルフの中で燃える炎。ヴォルフが傭兵を志した理由、天を目指す理由に起因する。それは身をも焦がしかねない。

(動かないでくれ。エル・シド・カンペアドール)

 ユーウェインは祈る。最強が動き出さないことを。


     ○


 アポロニアの下に何か情報が入ったわけではない。遠くガルニアの地にアルカディアの情報が入ってくるのはかなりのタイムラグがある。だからアポロニアは知らない。知りえない。しかし――

「見よ。大陸が燃えている。私のおらぬところで、戦の時代が始まってしまった」

 アポロニアの眼には大きな炎が映っていた。遠く海を隔てた大陸。そのさらに東の果てにかの国はある。この火種は間違いなくそこに感じる。

「さすがはトリストラム。ローエングリン、ユーフェミアの猛攻を凌ぐか。他の騎士では戦において勝負にもなるまい。他のものにも経験を積ませたかったが……私の想像より世界の速度は速いらしい。この大火、乗り遅れるのは少々もったいなかろう」

 アポロニアの興味はすでに大陸に移っていた。トリストラムは部下たちの手で攻略させたかった。しかし時間が無い。得手ではない海戦を超えて大陸に至る、しかも今年中に。その時間を捻出するには、

「明日中にケリをつけよう。私自らの手で」

 アポロニア自らが動くしかない。渦巻く熱情。膨らむ激情。迸る愛。戦が好きである。戦の相手が好きである。全てを燃やし尽くす戦いをいつも求めている。

「しばし待て。すぐにそちらへ赴こう。我が愛しき好敵手よ」

 アポロニアは燃えていた。ただ――

「……少々寒いな。うむ」

 まだ雪解けしたばかり。愛用の毛皮はしばらく手放せない。

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