北方戦線:反転蹂躙

 シュルヴィアが中央を抜けた先、そこにはウィリアム・リウィウスがいた。馬にも乗らず、剣も抜かず、ただ待っていた。シュルヴィアを迎えるように、悠然と、何の不安も無く、一片とて勝利を疑っていない。不快極まる仇敵の姿。

 シュルヴィアはここで気付いてしまった。ようやく、ずっと迷っていた答えに辿りついた。我ながら腹立たしい話である。仇敵を前にして、仇敵の思い通りにせねばならぬ自分。その弱さと相手の強さ、彼我の差に――

「さあ賭けの答え合わせといこう。俺が勝ったのか、それとも俺と君が勝ったのか?」

 眼前、シュルヴィアは大斧を振り下ろす。それは、ウィリアムに当たることも無く虚空を振り抜いて地面に突き立った。憎しみに燃える眼が、ウィリアムを貫く。

「此処からでも勝ち切る自信はあるんだな」

「さて、俺は君次第だと言ったが?」

「嘘つきめ。やはり私は貴様を好きになれん。此処から先、未来永劫、貴様を憎み続けるぞ。必ずだ」

 シュルヴィアは苦渋に顔を歪める。それでも、この胸を焼く思いに眼を逸らすことなど出来ない。復讐は――

「私は貴様が大嫌いだ。だが、だからこそ貴様の敷いた道を、ぶら下げられた餌を貪り食らう真似など死んでも出来ぬ。貴様を殺すのは私だ。私の意志だけが貴様を殺す。他の不純物は要らない。ましてや貴様が差し出したものなど、死んでも受け取らぬ!」

 己が手で為さねばならないのだから。

「良い憎悪だ。それでこそ復讐者。それでこそ、俺の軍に相応しい」

 シュルヴィアは大斧から手を放した。ウィリアムは自身の背後に突き立て、並べられた新兵器の方にシュルヴィアを手招く。

「私は、私が許せぬ。今を持って、私は、己が手で貴様を殺せる力量を持たぬ。そのことが何よりも許せぬのだ。貴様以上に、無力な己が憎い」

「俺もそうだったよ。だから死ぬほど努力した。今もなお、な」

 シュルヴィアはウィリアムに視線を合わせることも無く、その背後にある武器を手に取った。それにくくりつけられた旗の切れ端、白い布は本物の『白熊』が使っていたもの。もはや切れ端しか残っていないが、それでもシュルヴィアにとっては何よりも尊い。

「貴様を殺す。私が、私自身の手で、もう、迷わない!」

 シュルヴィアは『それ』を掲げた。

「私の道は、私が切り拓くのだ! この、シュルヴィア・ニクライネン自身の手で!」

 白銀が舞う。その身から溢れ出る憎悪の一片たりとも全てがウィリアムに向けられる。だからこそ、不純物は必要ないのだ。他者に手伝ってもらった復讐に、価値などないのだから。復讐とは実利の問題ではない。

 復讐とは、誇りの問題である。


     ○


 それは、打算を超えた何かであった。動くはずの無い駒が動いてしまった。古狸の思考に、そんなものはなかった。あれほど、思いっ切り戦っていたのだ。中央を瓦解させるほどの破壊力で、アルカディア軍を追い詰めていたのだ。それが裏返るなど――

「ふざけるなこの売女がァ!」

 古狸の怒号が響く。しかしそれは戦場に何の影響ももたらさない。否、もたらすことは出来ない。あまりにも想像を、想定を超えた事態、古狸の引力はすでに解かれていたのだから。

「こんな、バカなことが」

 中央軍を瓦解させた張本人たちが、中央軍最後の一線として暴れ回っているのだ。ヴィリニュスとしてはまさに青天の霹靂。寝返った理由も、寝返られた理由も、何もかもがわからない。しかし現に旧ラトルキアの者たちはすべてシュルヴィアに、アルカディア側に回っていた。

「理解できぬ。ふざけた、あまりにふざけた話だ! こんなもの道理にそぐわぬ!」

 それでも、シュルヴィアたちラトルキアが敵に回った程度ならどうにでも出来た。士気は落ちるがそこは古狸、立て直す術などいくらでも心得ている。

 問題は、立て続けに起きたその他の問題であった。

 中央を押し込んだことにより横に広がったアルカディア軍。それが次第に包囲陣形となってヴィリニュス軍を包み込んでいく。そして放たれるのは軽量化された本命のクロスボウ。誰にでも扱うことが出来、誰が使っても同じ威力を発揮する兵器は、練度の低い兵士が扱っていた。その背後から高い練度の兵が弓を曲線に射掛ける。どうにか抜けようと足掻くも、二列目から伸びる長柄の武器で押し返されクロスボウの餌食となる。

 古狸はその戦術を知っていた。戦術家なら誰でも知っている基本戦術。包囲殲滅。これが決まってしまえば勝敗が決してしまうほどの威力。ゆえに戦術家ならば真っ先にこれを上手く決める方法、相手に決めさせない方法を考える。

 中央突破で速攻をかけるのはそれに対応する戦術のひとつである。力量差があれば、包囲殲滅が決まる前に決着をつけられる。それが出来ると見込み、古狸はその戦術を選んだ。下位の相手に時間を与えるのは可能性を与えるのと同義。間違っていない。実際に裏切られる前は確実に勝てていた勝負。

 問題は裏切られたこと。そしてその武力がそのまま中央で最後の一線を守り続けているということ。そして――

「閣下! 危険ですお下がりゅ!?」

 先ほどまで歓談していた部下が大石によってバラバラに弾け飛んだ。

 そして、ウィリアムが用意した新兵器。弩本命の兵器。その無慈悲なる攻勢が、古狸たちに絶望を与えていた。抗えぬ絶望、抗ったところで何が出来よう。

「これが、新しい時代の戦だというのか!? こんな、こんな無機質な、ロマンの欠片も無い戦が、こんな、こんなものに私は、人生を賭けていたというのか」

 大石の雨が降る。雨というには大粒でまばらだが、人を狂騒させるには十二分のインパクトを誇っていた。それは無機質に人を蹂躙する雨。

 本来攻城兵器として使用されるそれの名は――


     ○


 アンゼルムの騎馬隊が包囲陣形最後の穴である背後を完全に塞いだ。彼らの手に握られているのはシュルヴィアも北方の兵たちも扱う新兵器、『ハルベルト』。斧と槍の性質を併せ持った長柄の武器だが、その真骨頂は武器一つで多くのことが出来る万能さにあった。

「最初は扱い辛かったが、慣れてしまうとこれほど面白い武器も無い」

 形状は槍の先端に斧がついている形。反対側には突起が付いている。

「ウィリアム様が作り上げたものだ。素晴らしいに決まっている」

「で、ありますか」

 斬る、突くは言うに及ばず、鉤爪で引っかいたり鉤爪で叩いたり、相手を引きずり落とすことや相手の足を払うなど広い使い道があった。しかしこの武器には大きな欠点がある。色んな用途を詰め込んだがために重さが増しているのだ。それゆえ使えるものは限られてくる。

 ウィリアムの百人隊はダントツで練度が低いため使えるものはおらず、アンゼルムの騎馬隊と北方の兵たちでも精鋭以外使いこなせているものはいない。それでも、使いこなせる練達者の視点から見ると、これほど面白い武器は未だかつて無かった。

「様々な方法で人を殺すことが出来る。その選択肢の広さは、相手に己が意志を汲み取らせず、常に戦いを優位に進めることを可能とする」

 それを扱える練達者は元々強いが、その強みが増した。北方の者たちが鬼神の如く暴れ回ることが出来たのも、武器の性能が向上したがゆえ。誰よりもこの武器を使いこなしてるシュルヴィアは、騎馬でなくとも誰にも止められなかった。

 北方の者たちが味方に回ったのは、シュルヴィアを除いてその兵器の数々を知っていたからである。それらを向けられることの恐怖を身をもって知っていたからであった。シュルヴィアほどの怒りが無ければあの恐怖心を超えることなど出来ず、シュルヴィアは怒りによって逆にウィリアムの側に付いた。

「恐怖が支配する戦場……これほどに甘美なものか」

 ヴィリニュス側で広がる惨劇。蓋として逃げ場を塞いでいるアンゼルムは一人も生かす気など無い。すべてをこの雪原に沈める。それがウィリアムの命令である。それを忠実にこなす傍ら、アンゼルムは己の中で広がる甘美なる闇に溺れていた。


     ○


 おそらく、普通に戦っていても勝てたとウィリアムは思う。古狸の戦術理解度は確かなものを感じたが、新しいものに対する対応はお粗末極まりない。既知の戦術には強いが、未知のモノを取り入れる貪欲さまでは備えていなかった。

 おそらく、それが戦術家としての老いなのだろう。既存を磨くことだけに溺れ、新しい道を邪道とただ切り捨てた。それがこの結果を生んだ。

「俺なら駄目元で突貫していた、かな? くく、それじゃあ成長が無い。一手退く、一手押す、それで勝敗が決まらないほど、圧倒的に勝てばいい」

 シュルヴィアの言った通り、ウィリアムにとってシュルヴィアが味方になろうと敵になろうと勝敗に影響は無かった。シュルヴィアの役割はこの場に古狸を引っ張り出すこと、それだけだったのだから。

 シュルヴィアが欠ければシュルヴィアを殺してその穴をウィリアムが埋めればいい。その程度の力は持ち合わせている。シュルヴィアの進退がどうなろうと勝敗は決していた。この場に現れた時点で、攻めて来た時点で勝敗は決していたのだ。

(まあ、奴が本当に復讐者であれば、戻ってくるとは思っていたがな)

 自分に似た、しかし大きく異なる復讐者。その熱量はウィリアムが目の前に現れるまで決して大きくは無かっただろう。もちろん怨んでいたことに違いは無い。それでもシュルヴィアは何もかもが足りなかった。徹しきれず、今を持ってどこか甘い。まあそうでなくばすぐにでも殺しただろうが。自分より劣るから部下として使える。アンゼルムも同様である。使える駒が増えた。それだけのこと。

「そして、シュルヴィアが戻ってきてくれたおかげで俺が空いた」

 雪原を駆ける騎馬。数は少ないが必殺の一撃として機能する部隊である。

 すでに詰ませた戦場。それでも手抜きをしない。慢心を捨てた怪物が駆ける。


     ○


 シュルヴィアは己が怒りに燃えていた。許せないのは今まで動こうとしなかった自分。動かず、復讐に向かおうと思いもしなかった。ウィリアムの存在を遠くにいる父の仇、いつか会ったら殺してやると夢想していただけ。行動を起こそうとすらしなかった、出来なかった自分に腹が立つ。

「ほ、北方連合の面汚しが! 『白熊』の誇りすら忘れたか売春婦!」

 シュルヴィアは無言で雑言を放った雑兵を断ち切る。そう、忘れていたからシュルヴィアは動かなかった。偉大なる父を失い、生まれ育った祖国を失い、シュルヴィアは考えることを放棄していた。だから、勝てない。あの怪物に勝てない。

「今更、どいつもこいつも、私も! 父を語るなァ!」

 シュルヴィアの違和感が決定的となったのは、皆が白熊の死後これほど時間が経ったのに、今更思い出したかのようにシュルベステルの意志を担ぎ出したことにあった。今回の戦の大義もそう。北方でラトルキアが存在していたことすら忘れて、アルカディアの逆鱗に触れぬよう動かなかった腰抜けたち。

 シュルヴィア以外のラトルキア勢にとっても内心思うところはあった。今まで放置していた北方連合。このタイミングで――思わぬ者はいなかっただろう。

 彼らの口の滑らかさに、シュルヴィアは苦笑するしかなかった。あれはまさに自分そのものではないか、ウィリアム・リウィウスと出会う前、口だけが達者だった自分そのもの。今も、変わらず自分はそこから抜け出せていない。

 ウィリアムと出会い、自分の中の何かが刺激された。それに気付いた瞬間、シュルヴィアは自分が恥ずかしくなった。ほんの少し関わっただけでわかる。自分との努力の差を。質、量共に比較にならないほど、ウィリアムは積み上げている。

「私は貴様を殺す! 必ず、必ずだ!」

 だからこそ、ウィリアムのそばにいなければ成らない。ウィリアムに重用され、ウィリアムを超えるほど有能にならねばならない。そうして初めてあの男の笑顔を凍りつかせることが出来る。ただの駒としか見ていないあの男に絶望を与えることが出来る。

「足りないんだよォ! 貴様らじゃァアア!」

 足りないのは自分自身。未だ充足せず歩みを止めない怪物に追いつくために、自分は感情を殺さねばならないのだ。遠く薄い、この雪が覆い隠してくれていた熱情。それを吹き飛ばしてウィリアムは自分を曝け出させた。もう誤魔化しは効かない。自分に嘘はつけない。この熱情は膨れ上がってしまった。

「貴様らにはやらないッ! あれは、私の獲物だァァァアア!」

 憎しみが情理を超えてしまった。結局シュルヴィアも取り付かれたのかもしれない。アンゼルムと同様、ウィリアムの深い闇に、絶望の炎に魅入られて――


     ○


 ウィリアムが敵本陣に辿りついた頃には、ほとんどの兵が敗走した後だった。残されたのは自力で動けぬ負傷兵と、すでに死んでいる遺体だけ。石の雨は見た目ほどの被害は出ていない。まだ試験的に何台か導入しただけ。当たるのはよほど運が悪いものくらいだろう。

「……死んだ振りは良くないなあ。古狸殿」

「ひい!?」

 石の下敷きになって死んだ振りをしていた初老の男。実際は足を石に潰され動けなくなっていただけだが、死体と化してこの場を乗り切ろうとしていたらしい。その生への執念には脱帽するが、英雄としてみた時には少しばかり落胆もする。まあ、大石に当たってしまう程度の運量。そもそもが英雄としては不足している。

「き、貴様! あのような兵器に頼るなど恥を知れ! 戦場に泥を塗る気か!」

 古狸が吼える。明らかな虚勢。笑い出しそうになるのを堪えて、ウィリアムは古狸の方へ近寄った。

「ふむ。あのような兵器とは平衝錘投石機(トレビュシェット)のことか? あれは良いものだぞ。大きく作れば作るだけ射程が伸びる。今回作らせたのは急増ゆえこの程度の距離だが、より大きなものを作れば、拠点から拠点への攻撃も可能になる……かもしれない。夢があると思わないか?」

 古狸は愕然とした表情になる。それを見てウィリアムは首をかしげた。

「理解してもらえないか。戦術家冥利に尽きると思うのだが」

「ひ、人を操ってこその英雄だ。貴様のは人の分を超えている。戦術家どころか貴様は破壊者だ。戦場の様式美を破壊し、戦争を混沌へと導こうとしている」

「詩人だねえ」

 ウィリアムは古狸の顔を蹴飛ばした。

「まあ、俺にとっちゃ戦場がどうなろうと知ったこっちゃねえんだよ。あくまでここは踏み台、あんたも含めてぜーんぶ俺の餌でしかねえ。精々あんたの死も有効利用してやるよ」

 ウィリアムは剣を引き抜く。古狸は声にならない悲鳴をあげていたが、ウィリアムにとってそれは普段頭の奥で鳴り響いている怨嗟の声と変わらない、馴染み深いものであった。そしてその程度で留まる男ではない。

「ご馳走様」

 ウィリアムは古狸をあっさり喰らった。あまりにも拍子抜けしそうなほどあっさりとした幕引き。ただしこれは相手に好きな動きをさせなかった、相手を新手で惑わしたからに過ぎない。平手で、しかも同条件で戦えばやはり厄介な相手であっただろう。

 そしてウィリアムは理解する。己が勝ち方を。

「これが理想だ。この地獄こそ俺の理想。完璧な勝ち方じゃないか。敵の兵力を根こそぎ奪い、敵の頭を砕き、中央に配置した捨て兵は俺にとって不都合な、思慮の足りない反抗的な馬鹿を配置、シュルヴィアに処理させた。完璧すぎる」

 ウィリアムは古狸の首を拾い上げる。他の首も集めねばならない。勝者の証、戦果を示す証拠。これから加速度的に上に行くための贄。

 古狸の苦悶に満ちた首を手に取り、ウィリアムは高揚感に包まれていた。

「人を操ってこそ英雄か。良いことを言う。シュルヴィア一人操れなかった偽者のお前が言うと説得力があるよ。そしてその憎しみすら利用した俺は、少なくとも貴様より英雄に近いというわけだ。まさに真なる言葉だな」

 ウィリアムは視線を別の方向に向ける。その視線はヴィリニュスの首都を超え、他の北方の小国たち全てを見つめていた。喰らうべき贄はいくらでもある。重ねるべき勝利もまた同じ数存在する。

「まずは一歩。すぐに全部喰らってやるさ」

 ウィリアムはマントをはためかせる。天への確かな一歩。リスクを犯して完璧な勝利を得た。これ以上ない結果にウィリアムの渇きがほんの少し満たされる。充足には程遠いが、此処久しくなかった確かな一歩。悪い気分ではない。

 結果として、全てがウィリアムの思惑通りことが動いた。

 この一戦が『白騎士』の快進撃、その序章であることを今はまだ誰も知らない。

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