北方戦線:ヴィリニュス攻め
「随分無茶をしたものだねえ」
「好きにして良いとおっしゃられたので」
ウィリアムとヤンは盤を挟み二人で向かい合っていた。両者が見つめるのは挟み合う盤上。いくつかの駒が入り乱れる戦場を模した遊戯であった。
「ただの感想だよ。結果として成功してるんだから僕が何か言うことはないよっと」
「む、厳しいところをつかれました」
世間話を興じながらも、真剣な表情で盤上を見る二人。
二人が興じている遊戯は、エスタード発祥とされる将棋(シャトランガ)、それを改良して現在の形に仕上げたのがガリアス発祥の軍将棋(ストラチェス)である。駒の動きは源流である将棋とほぼ変わりないが、軍将棋は自陣内での配置を好きに弄れる点と殺した駒を捕虜として味方に引き入れることが出来る点が大きく異なる。後は盤のサイズに従って駒の数や兵科が異なっており、複雑かつ奥の深い遊戯に仕上がっていた。まあ盤のサイズに関してはオーソドックスなもの以外ほとんど使われることは無いが――
「しかしねえ。憎しみを利用するなんて……なかなかにくいねえ」
「……王手」
「ありゃ、参ったね。でもそれは通せんぼ」
ヤン渾身のギャグはスルーされたが、王手は別の駒を壁にすることにより防いだ。しかしその動きはウィリアムの思考の内側。続く手は当然用意してある。
「ほう、確かに戦車(縦と横方向を好きに移動できる駒)の紐付き。この手は予想してなかったなあ。まいったまいった」
ヤンは顎の無精ひげを撫で付ける。ウィリアムは勝ったと思っていた。この手を凌ぐ方法はない。次の手で必至、どう防ごうとも後二手か三手で詰みとなる。
「春になったらヴィリニュスを攻めようと思っています」
ウィリアムの突然の申し出、ヤンはあごひげをさすりながらウィリアムに視線を向ける。
「ふむふむ、何故ヴィリニュスなのか聞いてもいいかね?」
「旧ラトルキアに接している国で一番強いからです」
ヤンの眼が薄く見開かれる。
「強いから攻める、か。言葉尻だけでは道理に合わないねえ」
「言葉が足りませんでしたか?」
ヤンは笑みを浮かべる。
「いや、そうだね。一番強いから攻める、否、攻めやすい。ありだと思うよ。僕でもそうする」
ヤンはすっと駒を動かす。無造作に、あまりに易々と、ウィリアムの急所をついた。しのぐのではなく、あえての攻め。薄い、本当に薄い線だが――
(……繋がるのか。この攻めは)
ウィリアムは目を見開く。この手は、想像の外側であった。
「他国はいつ攻められるかとひやひやしている状況、小国ながらアルカディアに対する防備は万全。だからこそ一番強く、一番慢心しているだろうヴィリニュスを狙う。意外性はあれど存外理に適っている。強襲して、落とし切る自身があるなら有り、だ」
ウィリアムはヤンを見ていなかった。全力で頭を稼動させているのだ。遊びとはいえ勝負は勝負。ルールは元から知っていた。定跡も相当数頭に入れている。貴族と交流を深めるために覚え、上手く『負ける』ためにかなりやり込んだ自負がある。この冬何人かの貴族と接待で軍将棋をやったりした。もちろん負けたやったが、あくまで接待。本気で勝てない相手とめぐり合ったことはない。
今までは――
「君は少し相手を低く見積もり過ぎる癖があるね。そこを突かれたこともあったでしょ」
ウィリアムの脳裏に浮かぶのはヴォルフとの戦い。あの男レベルが存在することを想像しろと言う方が無茶な気もするが、それでも最初に舐めてかかったツケは大きかった。あの男が正規軍であればウィリアムたちはどう足掻いても勝てなかったのだから。
「……まだ、やれますよ」
ウィリアムは駒を動かした。苦し紛れの攻め手。あくまで相手を喰らい殺そうと動く。
「これも君の弱点だ。最後の最後、君は感情で動いてしまう。誰よりも合理性を尊ぶ君が、その実、誰よりも感情に支配されている。心当たりはあるかい?」
ヤンの王は必至。されど今殺し切れるわけではない。後一手、一手必要なのだ。それで勝てる、勝てるはずだった。
「この遊戯は面白いねえ。人の色んな面が垣間見える。僕は軍将棋が好きでね、よく人を測るのに使っているんだ。今の君でもヴィリニュスは落とせるよ。でも、その先行き詰る。巨星を堕とすには、まだ足りない。熱も、冷たさも、ねえ」
ヤンは王手をかける。逃げ場はある。しかし、中盤に打たれた意味不明の一手がここで生きていた。逃げた先をじっと睨み続けた駒が、ウィリアムの王を殺す手と成る。この深さがこの遊戯の面白いところであり、怖いところでもあるのだ。
「……精進します」
「その素直さは良いよ。すぐに君は強くなる。定跡は充分、あとは経験だけだ。だから焦ることはない。もちろん止まる必要もないけどね」
ヤンは暗にヴィリニュス攻略の了承を告げた。そしてそれは同時に遊戯とはいえウィリアムに敗北を刻んだ形となる。
「この場合なら一度冷たくなって王を逃がせばよかった。一手下げる。そしてたくさん犠牲にして、王を生かす。この遊戯は、そういう性質のものだ」
圧倒的敗勢。しかし王が生きている限り遊戯は終わらない。負けねば、もしかすると勝機が回ってくる可能性も残されているのだ。死なばそこで終わり。
この遊戯は現実の戦争を模している。軍将棋が強ければ戦に勝てるわけではないが、戦に強い人間で軍将棋が弱い人間はいない。矮小化してあるが、これも立派な戦なのだ。
「古狸は強いよ。経験値が違う。でも、定跡は君のほうが上だ。力も、ね。圧倒してきなさい。古狸の経験値を喰らって、少しでも巨星に近づけるように」
ヤンはすでに冷めたお茶をゆったりと飲み干した。
「君に期待している人間は多い。もちろん敵も多いけどね。どちらも君の想像の倍はいると思って良い。僕はどっちかというと期待している方。でも、そうだなぁ、軍将棋を通して、ちょっぴり君が怖くなったから、今は保留にしておこう、そうしよう」
ヤンの微笑が崩れることはなかった。それが今のウィリアムの限界。
「この北方は良い経験になるよ。全部喰らい切った君がどこまで成長しているのか、興味深くもあり、怖くもある。頑張りたまえ。うん、ちょっと上官っぽくなかった? 今の」
ウィリアムは挑戦的な笑みを浮かべた。巨星どころかアルカディア国内でも自分より上がいる。その事実は重かったが、今知ることが出来てよかった。つまらない慢心に溺れるより、やはり自分は貪欲に上を目指す方が性に合っている。
まずはこの男を超えよう。ウィリアムは手近な目標にヤン・フォン・ゼークトをすえた。
このことがウィリアムの成長を爆発的に促進することを、自身も含め誰一人想像していなかった。もしかすると、ヤンだけはそれを理解していたのかもしれないが――
○
ウィリアムは思考する。自身の中身、積み上がった業の塔、その上で一人屍の玉座に座る。考えるべきことはいくらでもあった。思考は救いである。思索にふけっている間は中身がざわつくこともない。ただ頭の中に思考が埋め尽くされるだけ。
それは心地良い時であった。
「狸狩りに必要なものは揃えてある。北方の戦力、新兵器、そしてタイミング。俺が北方に配置されたことをヴィリニュスは知らない。だからこそ、備えは完全ではないはず。崩すのは容易い。だが、もし古狸が俺よりも強かったなら? それでも備えは万全と言えるか?」
ウィリアムの脳裏に蠢くのは手痛い敗北。数は少ないが、ひとつひとつが鮮明にその身に刻まれた。自身が最善を行っている自負はある。されど、敵もそうでないと誰が言えるか。警戒するに越したことはない。もちろん警戒して動けないのでは本末転倒だが。
「俺が動かせる駒は限られている。自身の百人隊とアンゼルムの百人隊、シュルヴィアの扱いは百人隊長だから、これも動かせる。計三百。あとは北方連中といくらかのアルカディア兵、精々五百がいいところだろう」
ヤンは自由に動いて良いと言ったが、他の百人隊長はそう思っていないだろう。動かざるを得ない状況を作る必要がある。それは勝利以外にない。ヴィリニュスを落とす過程で、こいつに協力すれば美味い汁が吸えると思わせなければ成らないのだ。
「緒戦で圧倒する。だが、そうなると油断している相手の軍備が薄いのが響いてくる。圧倒して、味方を作るには相手にもそれなりの力が要る。……つまり、緒戦で古狸を引き出してその上で殺すのが最善」
今までの思考では、雪も解け切らぬ時点で一気に攻め潰す力技が第一候補であった。それでも勝てると踏んでいたし、古狸の戦はすでに古くなっているという目算もあった。だが、ヤンに敗北を喫したことにより少し考えが変じる。より確率の高い、より派手な勝利が必要である、と。
「まだ少し時間はある。やるなら、徹底的にやらねばならない」
ウィリアム・リウィウスは――思考の海に深く深く入り込む。
最善手を掘り当てるために。
○
ウィリアムは旧ラトルキアの兵たちが練兵している場所に来ていた。浴びせられるのは膨大な殺意と小さな恐怖。その小さな恐怖を植えつけることで、彼らの手足を今は縛れている。彼らの中で一際目立つ女がいた。そちらにウィリアムは足を向ける。
「何か用か?」
言葉短に応対するシュルヴィア。取り巻きは守るようにシュルヴィアの近くに寄った。
「用向きが無ければ会いに来てはいけないのかな?」
ウィリアムの社交辞令的な笑みに、シュルヴィアは嫌悪感をありありと浮かべた。
「訓練はしている。貴様に与えられた武器も扱いも体得した。言われたことは十全にやっている。用向きが無いなら帰れ。私は貴様が嫌いだ」
「用向きが無いとは言っていないが? それに俺は存外お前たちのことが好きだぞ」
「…………貴様は最高にクソ野郎だな。さっさと用向きを言え」
シュルヴィアがウィリアムに視線を向ける。ウィリアムの表情は仮面に隠れて測り知ることが出来ない。そのことがさらにシュルヴィアを苛立たせるのだ。
「少し賭けをしたいと思ってね。乗るかどうかは君次第。何、俺を殺す機会を与えてやろうと思っているのさ」
シュルヴィアは驚いたような顔をした。他の者もいぶかしげにウィリアムを見る。
「内容を言え。それで判断する」
「聞いてくれるのか。ありがとうシュルヴィア」
「名前を呼ぶな。虫唾が走る」
想像通りシュルヴィアは徹底的にウィリアムを嫌っていた。当たり前であるが、これほど人に嫌悪されるのは久方ぶりのことで、今となっては少し心地よくもある。
「ではニクライネンと呼ぼうか? おっと、そんなに睨まないでくれ。話は簡単だ――」
ウィリアムの口から飛び出た言葉に、シュルヴィアたちは終始唖然としていた。
「本気か貴様。その作戦が、私たちを使って成立すると思っているのか? 私たちの憎悪を、少しなめすぎてはいないか? 言っておくが、私たちは心の底から貴様が憎いし、貴様を殺せるならば喜々として殺すぞ」
話し終わった後の感想はこうであった。予想通り過ぎて苦笑を禁じえないウィリアム。
「わかっているよ。だからこそ賭けなんだ。君たちの憎しみがどれだけ根深いか、業の深いものかを測りたいと思ってね。さて、どうする?」
シュルヴィアは顔をしかめたまま固まっている。ウィリアムの真意がわからない。額面どおり受け取れば、間違いなくシュルヴィアらにとって好機となる。ウィリアムを殺す機会を手に入れることが出来るし、うまくいけばラトルキアすら取り戻すことも出来るかもしれない。
「賭けになるのか? 私には理解できないが」
「賭けになるさ。君たちがより深く俺を憎んでさえいれば、ね」
シュルヴィアは――
「いいだろう。後悔して死ね、ウィリアム・リウィウス」
賛同する以外の考えを持てなかった。周囲もまた同様である。
ウィリアムは笑みを持って、彼らの困惑に応えていた。
○
ウィリアムらの目の前にはまさかの展開が広がっていた。慢心していたはずのヴィリニュス軍が完全武装でアルカディアを攻めるべく、古狸を総大将として軍を興していたのだ。古狸を頭としている点で、ヴィリニュスが本気であること、そして準備をしていたことが伺える。
大義は、北方の盟友を救うため。
「……動き出しましたか」
アンゼルムはウィリアムが以前被っていた仮面、断ち切られ半分になったものを付けていた。ウィリアムが少し苦言を呈したものの、なぜかそこに関しては頑として譲らず、片目だけ隠した歪な格好を取る。
「そのようだな。しかも古狸が頭、ヴィリニュスは本気で勝ちに来た。出来ると踏んだ」
「愚かですね。七王国であるアルカディアに勝とうなどと、小国風情が夢を見過ぎです」
「……そうでもないさ。アルカディアにも面子はあるが、古狸にラトルキアの部分を食い取られた程度なら、おそらく動かない。それだけ北方はアルカディアにとって重要ではないんだ。奪われたところで痛くもかゆくも無い。加えて相手が古狸ならば仕方ないという論調も出来る。取られても動かない。俺はそう見る」
つまりこの戦を勝たねば汚名をそそぐことすら出来ない。北方を攻めるという気概も失われ、ウィリアムには小国に負けた百人隊長という雪げぬ汚名がこびりつく。勝たねば成らない。しかし、目の前のこれは――
「如何にこちらが防衛側とはいえ、この数の差、覆せますか?」
「さて、どうかな?」
「加えてあちらには……裏切り者のシュルヴィアらもおりますし」
アンゼルムの視線の先、そこにはためく旗をウィリアムは知っていた。かの白熊と戦った時に掲げられていた旗、すでにその旗を掲げる国は無く、旗の持つ意味は失われつつあった。それでも、ああして掲げられていれば馬鹿でもわかる。
相手は、旧ラトルキア軍所属、白熊の娘シュルヴィア・ニクライネンであることを。
○
シュルヴィアはヴィリニュス軍の先頭で旗を掲げていた。北方における伝説と化したシュルベステルの娘が味方となったヴィリニュス軍の士気は高い。加えて大将はヴィリニュスが誇る英雄、『古狸』なのだ。
「さすが、我が盟友の娘。末恐ろしいほどの雰囲気を持っておるわ」
大将である古狸が声をかけた。
「お恥ずかしい話ですが、私よりよほどウィリアム・リウィウスの方が恐ろしい男でしょう。すでにお話させていただいた通り、あれは私の部下を殺し、恐怖で味方を纏め上げようとした男です。悪魔のような、許しがたい屑です」
古狸は神妙な顔になる。うんうんと頷き、シュルヴィアの横に立った。
「その煮え滾った怒り、私にも理解できるぞ。私もかけがえの無い友を失ったのだ。しかし私の言う恐ろしさとは違う。将が味方を高める時に用いる手が恐怖では三流以下。その程度の手合い、いくらでも殺してきたわぃ」
古狸はこの陣容を見て、そして相手を見て、アルカディアが本腰でないことを見抜いていた。今攻めたところで返しの刃は来ない。時期が悪すぎる。古狸の見立てでは雪解け早々にネーデルクスかオストベルグが動く。そういう時代なのだ。乱世とはいつもそう。古狸はそれを知っていた
「なぁに、私を頼ったこと後悔はさせんよ。私は君の父上の、友であったのだから。その娘の窮地、手を貸さぬ理由が無い」
シュルヴィアは無言で頭を下げる。気を良くしたのか古狸がかっかと笑った。
シュルヴィアらがヴィリニュスに寝返ったのはほんの一週間ほど前のこと。そこでウィリアム・リウィウスがヴィリニュスを攻めようとしている旨を伝え、自分たちが虐げられてきたこと、ウィリアムを心底憎んでいることを伝えた。
アルカディアが攻め気なこと、あの『白騎士』が北方に着任したことを知り、ヴィリニュスに激震が走ったのは言うまでもない。シュルヴィアらが憎んでいることに疑いはないし、白熊の娘がただで手に入る好機、ヴィリニュスが見逃すわけが無かった。
加えてヴィリニュスには勝算があった。英雄、『古狸』の存在である。以前、アルカディアに辛酸を舐めさせた英雄が残っている。しかも彼は知将ゆえシュルベステルのような劣化はしない。頭脳は成熟し、知識は満ち満ちており、将として完熟を迎えていた。その古狸が勝てると踏んだのだ。攻めない理由は無い。
「若造がいきがりおって。教えてやろう、本当の戦場というものをなぁ」
古狸から溢れる自信、それは引力となって周囲を力づける。一度、たった一度の勝利が古狸を英雄に変えた。アルカディアという絶対者に傷を付けた北方の雄。
「さあシュルヴィア、一番槍の名誉は君にあげよう。存分に力を振るうが良い」
古狸はシュルヴィアの白銀の髪を愛おしそうに撫でる。それは愛する娘に対してというよりも、もっと別の、邪な何かを感じてしまう。
「ありがたき幸せ」
それを知ってか知らずか、シュルヴィアは笑みを浮かべていた。
そして旗を振るう。たなびく旗、居並ぶ英雄に、兵たちは北方の未来を見る。
「全軍我に続けェ!」
白銀の大地を疾駆するシュルヴィアたち旧ラトルキアの兵。それを先頭にヴィリニュスの軍勢も続く。雪原は彼らの故郷、一丸となった彼らは、強い。
○
アルカディアの軍勢は及び腰であった。アンゼルムを介したヤンの命令で配置された陣容。それは的確なものであったが、個人の士気が思うように上がらない。士気も無く、錬度も劣る。これで勝とうと言う方が無茶な話。
「終わりだ。ウィリアム・リウィウスの馬鹿がつまらんことをしたせいで、俺たち北方方面軍は壊滅的な打撃を受けるぞ」
中央を守る百人隊長が絶望の表情を浮かべていた。兵力差、士気、個人の練度、全てが劣っている軍勢で勝てるわけが無い。先頭を疾駆するシュルヴィアの力は旧ラトルキアに配置されている者なら嫌というほど知っている。
「き、来ます!」
「全隊、命がけで通すな! この戦にはアルカディアの威信が――」
接敵。
「――かかって、いる、ぞ」
瞬間、アルカディア兵の臓腑が爆散した。北方の、ラトルキアの、シュルヴィアの力に唖然とする百人隊長。まるで無人の野を往かんが如く、白銀の大地を血で染め上げていく。
「む、無理、だ」
眼前に迫る鬼神と化したシュルヴィア。それに対して動くことも出来ず、習慣で剣を握るも、それを振るうことも無くシュルヴィアの大斧の餌食となる。シュルヴィアの咆哮が北方の地に轟いた。これで両軍共に知ることになる。
シュルヴィア・ニクライネンは本当にヴィリニュスについたのだ、と。
○
「勝ちましたな」
古狸の部下が声をかける。古狸は底意地の悪い笑みを浮かべていた。
「所詮この程度よ。若造がいきったところで、英雄の持つ力の前には無力。見えるだろう? この私の力が、私から溢れ出る力の発露が、英雄とは、大勢を動かして初めて英雄足りえるのだ。百人程度しか動かせぬ小僧では、逆立ちしたところで私には勝てぬよ」
古狸は確信を持っていた。戦う前から戦の勝敗とは見えているものである。そのとおりの結末になったに過ぎない。亀の甲より年の功。それに古狸はツいていた。
「さすがはかの白熊の娘、桁外れに強いですな。当時はまだ若く、軍に入ることを許されていなかったのが幸いでした。あれほどの武勇、滅多に見られるものではありませぬ。ましてやそれをただで手に入れるなどとてもとても」
「確かに。あの無骨な男から生まれたとは思えぬほどの美貌。あれを私のものに出来るならこの戦の価値もあったというもの。味わうのが今から楽しみだなぁ」
部下はその返答に苦笑する。
「年老いてもなお盛んですか」
「英雄を色なくして語ることなどできぬよ」
勝ちに気を良くした古狸は笑っていた。圧倒的勝勢。すでに中央はほとんど瓦解している。ここからの逆転などありえない。どんな手を使っても、彼らの持ち駒から勝利は生まれない。アルカディアの敗北は決まった。多少の足掻きはあるだろうが、それでも個人の武でここから崩すのは不可能。ゆえに敗北は必至。
「まあ、喰い足りぬ相手であったよ。ウィリアム・リウィウス」
古狸は笑みを浮かべていた。
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