北方戦線:始国式

 そこは絢爛豪華な王宮の頂点。玉座のある部屋であった。居並ぶは政界の重鎮、文官の頂点である大臣や重臣、対するは軍部の重鎮である将軍たち。普段あまり仲の良い関係でない両陣営は睨み合いを続けていた。

「エードゥアルト・フォン・アルカディア陛下のおなぁりぃ!」

 この瞬間までは。

 全員が一斉に頭を下げる。訓練されたかのような一糸乱れぬ動き。

「よい、頭を上げよ」

 このアルカスの頂点。王であるエードゥアルト。横に控える王子たちと比較して未だ圧倒的に高み。その重圧は他を寄せ付けない。

 頭を上げたみなが一様に息を呑む。これこそが王であるのだ。

「バルディアス、ベルンハルトの両名が見えぬがどうなっておる?」

 軍部の者たちはびくりとする。普段このような席に遅刻するような二人ではない。その二人が同時に席を外しているともなれば、如何に大将である二人であっても不興を買うのは避けられないだろう。

 エードゥアルトの眼が薄く引き伸ばされる。そこからこぼれる眼光の恐ろしさ。対峙したものしかわからない。

「お待たせした」

 その空気を引き裂くように、玉座に繋がる大扉が開いた。

 アルカディア王国第一軍大将、『剣将軍』ベルンハルトの登場である。遅刻したにも拘らず堂々とした立ち姿。歩く姿もまた威容を醸し出していた。

「意気揚々と現れておるようだが、余を待たせた事実に変わりはないぞ。ベルンハルトよ」

 御前に立つベルンハルト。そして誰よりも美しく膝を折り頭を下げた。

「申し訳ございません陛下。一件急報が入ったゆえに、取り急ぎ伝令から話を聞いてきた次第。遅刻の咎は甘んじて受け申す」

 エードゥアルトは眼を細めた。刻限に間に合わずとも聞きたかった情報。王を待たせるよりも重い情報など限られてくる。

「申せ。話如何によって処罰を決める」

「はっ! まずは第一報として、雪解けと同時にフランデレンを三貴士マルスラン率いる軍勢が強襲。その情報が入ったのが昨夜のことであります」

 周囲に激震が走る。動くとは思っていたが、まさかマルスランを差し向けてくるとは思っていなかった。三貴士で最も破壊力に勝るマルスランは普段エスタード方面を指揮しているため、アルカディアに差し向けられるとは思ってもいなかったのだ。

「フランデレンがよほど大事と見える。それで、状況は如何に?」

 すでにこの場の誰もがベルンハルトの処罰のことなど考えていなかった。フランデレンが落ちればそれこそ二年前の犠牲が無駄になる。若手期待の星『剣鬼』と『剣騎』を失ったのはまだ響いているのだ。

「その状況が入ったのは先ほどになります」

 周囲がごくりとつばを飲む。フランデレン陥落ともなれば、第一軍の将軍幾人かの首が飛ぶ。それほどフランデレンは対ネーデルクス上大きい。

「大勝であります! 我が方の勝利、ほとんど敵方に何もさせず追い払ったとのこと」

 この場が一気に盛り上がる。王であるエードゥアルトでさえ目を見開くほどのことであった。

 マルスランを差し向けた以上ネーデルクス側も本気で取りに来ていたのだろう。それを弾き返したともなればまさに大勝である。

「フランデレンの防衛隊長は確か今年から――」

 誰かがつぶやいた言葉。それを聞いてベルンハルトは笑みを隠し切れない。

「マルスランを討ち果たすことは叶いませんでしたが、マルスランの右腕である軍団長オーレリアンの首を取ったとの報告もあります」

「して、その者の名は?」

 ベルンハルトは笑みを隠すことなく顔を上げた。

「アルカディア王国第一軍師団長、ギルベルト・フォン・オスヴァルトでございます」

 場の熱が最高潮に達する。若き新鋭がかの三貴士を追い払った。この事実は大きい。あまりに大きい。諸外国に対する大きな牽制となる。

「ギルベルトは打って出たのか。では、フランデレンで直接指揮をしたのは誰なんだい?」

 エアハルトの問い。ベルンハルトは痛いところを突かれたと苦笑する。

「異例でありますがギルベルト師団長はカール・フォン・テイラー上級百人隊長を抜擢。見事大義を果たして見せました。その指揮はまさに鉄壁。また、巨額の私費を投じてフランデレンに大掛かりな兵器を設置し、それが今回役立ったと報告にはございます」

 フランデレンほどの大型都市の防衛をいち百人隊長に任せるなど前例がない。しかし、それを見事に成し遂げたというのだから文句の付けようもないだろう。雪解けし、まだ春の訪れを感じ切れるほど暖まりを見せていない季節。今期しょっぱなから大きな功を上げて見せたギルベルト師団は期待以上であった。

 いきなりの吉報に文官も武官も浮かれてしまう。

 その最中――

「急報! 北方にて大変なことが起きました!」

 急いできたのか旅装束のまま伝令が転がり込んできた。後ろには此方も息を切らせて走ってきたバルディアスの姿もある。北方と聞いてこっそりとエアハルトが笑みを浮かべた。

「どうしたバルディアス。いくら遅刻とはいえそのような姿では大将としていささか不適切。ましてや息を切らせてまで走って来るなど」

 ベルンハルトが背後のバルディアスに苦言を呈した。如何に急報とはいえフランデレンの件に対してはいささか迫力に欠けるだろう。その情報の後に何を出したところで――

「ヴィリニュス共和国陥落。作戦指揮者は第二軍軍団長ヤン・フォン・ゼークト。そしてほぼすべての拠点を落とし、小国とはいえ多くの将軍首をあげた実行部隊がウィリアム・リウィウス百人隊長が率いる臨時三百人隊でございます!」

 まだ、雪解けしたばかり。世間では戦すら始まっていない。だからこそマルスランの強襲は驚かされたし、それを防いだギルベルトは高く評価されたのだ。

 しかし、一国を落としたとなれば話は大きく変わってくる。

「臨時三百人隊とはどういうことだ? ヤンがその権限を与えたのか?」

 武官の誰かが問う。バルディアスがそちらに視線を向けた。

「我が許可した。ウィリアムの小僧とクルーガーの青二才が懇意なのは知っておろう。加えてラトルキア、あの『白熊』シュルベステルの部下どもを手懐けたとあっては許可せぬわけにもいくまい。ラトルキア併合後、最も面倒であった気性の荒いラトルキア軍人を篭絡したに等しいのだからな」

 臨時三百人隊は初めからバルディアスを通していた。ならば此度の侵攻、計画的であったものだと思われる。それでもこの時期に未だ雪解けすら叶わぬ北方の一国を落とすのは異例中の異例。前代未聞であった。

「ヴィリニュスならばあの『古狸』がいたはず。どうやって落としたというのだ?」

 ヴィリニュスの古狸。北方連合としてアルカディアに立ちはだかった時、その知略にアルカディアは大きく苦しめられた。すでに二十年前の話だが、当時はまだ精強であったシュルベステルと共に七王国を苦しめた、まさに北方の誇りである。

「詳しいことは不明です。ただ、かの古狸の首はすでに此方に届いております。他にも大勢の大将首と共に、捕虜となった政治屋も後日送られてくる模様」

 まさに完璧な手際。

「バルディアス、貴様狙っていたな?」

「まさか。動くとは思っていたが一国を落とすなど考えもしていない。嬉しい誤算だ」

 ベルンハルトとバルディアスが睨み合う。ベルンハルトは第一軍の大将、バルディアスは第二軍の大将、二人は共に戦場をかけた戦友でありながら犬猿の仲でもあった。ベルンハルトの方が十以上若いが、名家出身ではなかったバルディアスが百人隊長になったと同時に入隊。そこからほぼ横並びで出世を重ねていた。ライバル関係でもある。

「これで上書きしたつもりか、言っておくがヴィリニュス一国よりもマルスランの方が重いぞ」

「何を言っているかわからぬが、そのマルスランは討ち取れたのか? ん?」

 武官の頂点が火花を散らす。その威圧感に震える者すらいる始末。戦場での彼らはアルカディアを支える骨子であり、アルカディアにおける武の象徴。出陣しただけで味方の戦意は上がり、敵の戦意は地に落ちる。それほどの二人が睨み合う。

「落ち着かんか御両人。陛下の御前だぞ」

 一人の男が二人の間に割って入る。殺気にも似た威圧感を裂いて現れたのは――

「ガードナーか、すまぬな。少し熱くなり過ぎた」

「ガードナー殿に言われては私も立つ瀬がない。申し訳なかった」

「それでよい。陛下、これほどの吉報を運んだ二人、遅刻の責を問うのはありえぬでしょう。しかして此度は勝利二つ。いささか諸外国に刺激が強過ぎる気もします」

 ガードナーと呼ばれた男。その名はカスパル・フォン・ガードナー。アルカディア第三軍の大将であり、首都アルカスを防衛するアルカディアの守護神である。

 ちなみにヒルダの実父でもあるがこの場では関係がない。この場の隅っこにヒルダもいるが未だにカールの活躍が信じられないのか口をあんぐり開けている。が、特に関係はない。

「何か意見があるのかカスパル?」

 カスパルは陛下の御前に立ち口を開いた。 

「オストベルグ方面は私めの第三軍及びバルディアスの第二軍、そしてベルンハルトの第一軍、三軍合同で守備に当たるべきかと」

 三軍合同。この発言も周囲を驚かせた。バルディアスもベルンハルトも驚いている。

「この人材不足の折、必ずやかの『黒金』は動いてくるでしょう。ラコニアまでなら与えても構わない。しかし、そこで止まるようならあの男は巨星に数えられてはおりますまい。西の守りは若き俊英に託すもよし、北方はそも重要にあらず。南にこそ注視すべきかと」

 カスパルの弁はまさしく物事の本質を突いていた。アルカディアが動き出したのだ。動いたということは隙が生まれるということ。そこを狙わぬストラクレスではない。

「して、大将は誰に任せるつもりか?」

「三大将のいずれかでよろしいでしょう。相手はストラクレスでありますゆえ」

 本来なら本国から動かぬはずの自分すら含めている。その時点で今年は異常な年になると皆は予感し始めていた。

「動くか、世情が」

「動きますな。今までにない規模の嵐が来るでしょう」

 一拍、エードゥアルトは呼吸を整え、この部屋全体を見渡した。

「ベルンハルト、バルディアス、カスパル、余の前へ」

「「「はっ!」」」

 三人の大将がエードゥアルトの前に並ぶ。皆一様に歴戦の勇士。数多の戦いを超えて頂点に至った怪物三人。アルカディアが誇る最強の剣である。

「必ずやアルカディアを守りきれ。どんな嵐がこようと、お前たち三人が守護する限りこの国は揺らがぬ。頼むぞ」

 三人が膝を折り「はっ!」と口を揃えて応じた。

 嵐が来る。前例にないほどの大きな嵐が。それを凌ぐか、それとも利用するか、彼ら古き時代の人間はそれを凌ごうとする。じっと耐え、嵐が過ぎ去るのを待とうとする。

(……手緩いな、父上)

 エアハルトはつまらなそうな眼で父王を見ていた。自分が王であったなら、このようなぬるい手は打たない。自身の剣と同様、一気に世界を塗り替える所存であった。

(いいよ、素晴らしいスタートだ。褒めてあげるよ我が剣)

 自身の剣に思いを馳せる。最高のスタートを切ったウィリアム。その内実をエアハルトが知るわけではない。一国を落とした手腕、そもそも非協力的であったラトルキアの部下を扱っての勝利。実に興味深い。


 時は少し遡る。まだアルカスに雪が残っている時期、北方では厚い雪に覆われていた。

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