幕間:ゼロ結びて無限と成す
ウィリアムは久方ぶりに昼間をテイラー家で過ごしていた。何故カールと軍団が別々になった後もテイラー家に厄介になっているのかと言うと、カール本人の強い希望と毎朝毎夜の訓練終わりにルトガルドに袖を掴まれ、仕舞いにはロード・テイラーから笑顔で「あせることはないよ」と言われ今に至る。
すでに明日以降の予定も組まれており、そこで会う者の趣味趣向を暗記したウィリアム。正直暇な時間を持て余している状況であった。
「…………」
ウィリアムは本を読んでいた。毎日毎日を忙しく送る中、しばらくおろそかになっていた習慣である。こっそりと薬品の物流に混ぜて輸入した読みたい本も溜まっており、それを消化する日として今日を定めた。
寒い自室で読むのも辛いので、大きな暖炉のある広間で読書に勤しむウィリアム。少し離れた椅子にルトガルドが座っており、ちょこちょこと織物に勤しんでいた。
そんなゆったりとした時間が流れる昼の居間に、
「ん? なんだ邪魔をしたかな?」
突如、アインハルトが現れた。あまり自室から出てこないアインハルトが顔を見せたことに、ウィリアムも家人であるルトガルドも、ついでにメイド長である女性も軽い驚きを見せた。それらを見てアインハルトは小さく苦笑する。
「少し温まりに来ただけだ。こっちの方が暖炉も大きくて隙間風もないしな」
そう言ってアインハルトはウィリアムの横を通り過ぎる。
ふと、アインハルトはウィリアムの読み物に目を落とした。
「……旧エスタード文字か。それを読めるのか?」
ウィリアムは驚いた顔でアインハルトを見る。自身が興味をもたれたこと、そしてこの文字について知識を持つアインハルトそのものに対しての驚き。
「こっちの本はガルニア戦歴。多種の噺をまとめたものを字も理解せずそのまま写しただけのもの。あっちは国家の隆盛が激しいからな。ガルニアの人間でも全部読むのは不可能だろう。こっちはケイオスの本か。古文書だ。俺でも読めん」
アインハルトは興味深そうに本の山を見つめる。時折手に取り、それらをめくり、「ふむ」とか「うぅむ」と声を上げる。そして本を置き、ウィリアムに目を向けた。
「全部読めるのか?」
「いえ、一部完全には読めないところもあります」
「逆に言えばおおまかには読めるということか。大した知識量だ」
アインハルトの賞賛にウィリアムは苦笑で返すしかない。この知識の出所を察知されるわけにはいかないのだ。もはや遥か昔の出来事とはいえ、誰かが覚えていないとも限らない。内心、ここで本を読んでいたのは間違いだったと歯噛みしていたほど。
「アルカディアの文字は書けるのだったな?」
「はい。問題なく書けると思います」
こちらは嘘をついても仕方がない。いくつかローランに向けた書状も書いているし、そもそもカールにアルカディアの文字を使って宿題等も出していた。
「つまり訳せるということか。ふむ……少し難儀している本がいくつかあってな。それの訳本を頼めるか? もちろん報酬は弾む」
ウィリアムは少し考え込む。訳本を作るリスクはもちろん、それを製作する時間と報酬が見合うとは思えない。ウィリアムが商会で儲けている金や今精力的に出会っている人が生み出すであろう金や金に換えられない価値。それらと釣り合うような金額を現在まともに働いていないアインハルトが出せるとは思えなかった。
その沈黙を見て、アインハルトは笑みを浮かべる。
「そう馬鹿にした目で俺を見るな。なに、俺も元は商人。お前の時間を拘束するという意味くらい理解している。ちゃんと見合う報酬を出すさ」
「いえ、そんな馬鹿にした目など」
「そんなに慌てて否定すると逆に勘繰りたくなってしまうな。それにお前の思考は間違っていない。今の俺にまとまった金はないし、金で報酬を払うことは不可能だ。さて、どうしたものかね。金以外、と言うのはどうだろう?」
ウィリアムの表情が変わる。その瞬間をアインハルトは見逃さなかった。ウィリアムの察しの良さ、父であるローランが重用している理由もわかるというもの。金でないもので払う。そっちの方で初めて興味を持った。もうそこまで成長しているのだとアインハルトは理解する。ゆえに切る。己の持つカードを――
「俺が商人をやっていたことは何となく知っているな。その中で俺が面白いと思った人脈を訳本の対価で紹介してやる。金にするか、無駄にするかはお前次第。どう価値を見出すかもお前次第。どうだ?」
テイラー家の長男。しかし今は跡継ぎとして扱われていない。本人もその気構えはまったくない。そういう人物をどう評価するか。普通なら一顧だにしない。その程度の人物が持つ人脈など高が知れているからだ。だが――
「……お受けしたいと思います」
ウィリアムはその申し出を受けた。何か確信があったわけではない。それでも、そういう取引をしようとするアインハルトに興味が湧いたのは事実。金ではなく、それを生み出す人を紹介する。そんな提案を堂々と出来る人物を、ウィリアムは知らなかった。
「良かった。ならまずはこの本を訳してくれ」
アインハルトが手に取ったのはウィリアムの持ち物であるケイオスの本。中身はすでにほぼ滅亡したケイオスの民が残した歴史と文化、その中に存在する様々な失われた技術などが書いてある。簡単に手に入るものではない。そういうものにまったく興味のないエスタード史上最狂の王、『狂王』カンデラリオの手で滅ぼされたのだ。残された文献は少なく、希少価値も高かった。
「期限は?」
「特にない。暇なときにでも訳してくれたら良い。訳し終わったら報酬を支払おう」
アインハルトはそれだけ言い残して自室に戻っていく。結局温まる暇もなく、ただウィリアムに訳本を依頼しただけ。何故今ふらりと自室から出てきたのか、本当に温まりたかっただけなのか、気まぐれなのか、何か意図があったのか、ウィリアムにはわからない。
そもそもこの取引に価値があるのかもわからない。訳本は簡単な作業ではない。特にこの本は難儀な翻訳作業自体を楽しむために手に入れたもの。人に読ませるものに仕上げるにはどれほどの手間がかかるか。それに見合う価値を創出できるのか、わからないままで貴重な時間を潰す。そのことは恐ろしいと思う。同時に――
「正解だと思います」
ウィリアムは声のした方に向く。
「アインハルト兄様は商会の中では邪道と言われていました。お父様や商会の方針と相容れることはなかったと思います。でも、一番儲けを出していたのはアインハルト兄様でした。他の誰よりも、お父様すら凌ぐほどに」
ルトガルドの言葉に、うっすらとしていた予感が、形を持たない確信と化す。今のウィリアムでさえテイラー家傘下の商会の中では中堅より少し下程度。この短期間でそれだけ成長させたのは凄いことであるが、上を見ればあまりに果てしない道。そこに一度到達した男の紹介する人脈。ウィリアムは俄然興味が湧いてきた。
ウィリアムは本を持って立ち上がった。今日は暇である。ならば今日、今すぐにでもやらねばならない。時間は有限なのだから。
「あと、お部屋が寒いと思うのでこちらを羽織ってください」
ルトガルドが編み終えたばかりの毛糸の羽織りものを渡してくれた。「ありがとうございます」と謝辞を述べて退室するウィリアム。まだこの家には切り崩す相手がいた。しかもその相手は存外優秀かもしれない。
だからこそ、奪うに足る。ウィリアムは溢れ出る笑みを止められなかった。
○
ウィリアムはいくつかの予定をキャンセルしてまで時間を空けた。アインハルトが驚くほどの速さで訳本を仕上げたウィリアム。勝手知ったる作業、ウィリアムがアルであった頃、真っ先に手に入れた『力』、知識。それを一番容易く仕入れられるものこそ本である。知識を得るならば本と戯れるのが一番手っ取り早い。だからこそアルはノルマンの店の門を叩いたのだ。
その時の力がここで活きた。
「おいおい。そんなかしこまった格好をするような場所じゃないぞ」
アインハルトはいつもの格好にコートを羽織っただけ。モノは良いものに見えるがいかんせん地味である。対するウィリアムは貴族然とした格好。格好だけなら立場が逆に見えてもおかしくない。
「今日赴くところを私は知らされておりませんので」
「……むう。そうだな。少しばかり誤解があるか」
アインハルトは頭を掻く。
「まず今日赴くところだが、とある豪商の三男坊、が隔離されているところだ。貴族でなければ商人でもない。ただの趣味人と言ったところか」
ウィリアムは仮面の奥で目を大きく広げた。騙されたと思ったわけではないが期待値が下がったのは事実。アインハルトはその空気を察してかため息をつく。
「お前がどんな想像をしていたのか知らんが、そもそも今、金のある奴、誰が見ても金になる奴を紹介して、お前に何か出来るのか? 今ある商売に首を突っ込めるほどの『力』がお前にあるのか?」
ウィリアムは挟む言葉を持たないでいた。アインハルトは続ける。
「お前が扱っている薬品関係は、このアルカスにおいて隙間産業だった。もっと言えば裏の連中が統べていて表側が触れて良い領域じゃなかった。だからこそお前は勝てた。だが、所詮は隙間を征したに過ぎない。表側の、既得権益を食い取る力は今のお前に存在しない」
ぐうの音も出ないウィリアム。実際に手を広げようとしても、なかなか広がらなかった理由は此処にあった。結局のところウィリアムの商会は弱いのだ。テイラーの傘の下ですら。ウィリアム自身も商人としてはまだ未熟。知識はあれど積み上げた実績がない。そして実績の無い者には仕事はやってこない。
「よしんば相手の領域を侵すことに成功しても、今度はお前の領域が侵されるぞ。商売は攻めるより守るほうが難しい。豪商が本気を出して潰しにきたら、なりふり構わず攻めてきたら、裏を押さえているお前でさえ消し飛ばされる」
ウィリアムは背中に嫌な汗をかいていた。何故ならアインハルトは知っているのだ。ウィリアムと夜の王国の関係を。詳しくは知らないだろうが、それでもある程度は知っていると見て良い。ほとんど絡みのないはずのアインハルトが知っているという事実、それがウィリアムの背中に汗を浮かばせる。
「今のお前に既得権益に食い込める力はない。そしてその暇もないだろう?」
そう、ウィリアムは結局のところ武官である。どれだけウィリアムが頑張ったところで、春が来れば戦地に赴く必要がある。春夏秋とアルカスにいる時間は短い。
「だからお前は隙間を征せ。もっと言えば価値を生み出せ。まあ、今日のところは黙ってついて来い。お前が気に入らなかったのならば、もう訳本を作る必要はない。一日分くらいの駄賃をやる程度、俺にも出来る。それで終わりだ」
そう言ってアインハルトはウィリアムから視線を外した。そのままずんずんと歩いていく。ある程度大きな通りだが、除雪されているのは一部だけ。そんなもの一切気にせずアインハルトは歩を進める。ウィリアムはとりあえず思考を切り替えてアインハルトについていった。
今日という日に価値があるのか。価値を生み出すに至るのか。アインハルトの、そしてウィリアムの関係が決定付けられた日である。
○
そこは鉄の匂いが染み付いた部屋であった。鉄と煙、そして熱。
(なんだこれは?)
ウィリアムの目の前にはずらっと並んだ不可思議な武器があった。それは武器といえるのかわからないほど、曲がったり折れたりぐねぐねしたり、全てがユニークであったのだ。そしてそのほとんどが――
(つ、使えねえ)
実用性皆無のゴミであった。
この部屋の主とアインハルトが話していた。仲が良さそうに会話しているというよりも、家主が一方的にしゃべり倒しているのを、アインハルトがニコニコと聞き続けているという状況が続く。
(いったいどういうつもりだ。いくらなんでも酷すぎる。創作武器のつもりなんだろうが、実用性云々の前に実用できるのかも怪しい代物ばかり。こんなものを見せられて価値を創出しろなどと言われてもな)
無価値。ウィリアムの頭の中で今回の一件は片付きかけていた。
「紹介しようエッカルト殿。彼がウィリアム・リウィウスだ」
アインハルトに話を振られて、ウィリアムとエッカルトと呼ばれた男の視線が交錯する。そのままエッカルトはウィリアムのそばによってきて、じろじろと至近から舐めるように見る。身体を、足先から後頭部、背がそこまで高くないので頭頂部までは流石に見れなかった。と思いきやウィリアムの頭を引っつかみしっかりと頭頂部まで観察する。
(こ、こいつはなんなんだ!?)
口には出さないがあまりに無礼千万な振る舞いの男。今度は匂いを嗅ぎ始めた。
「ウィリアム・リウィウス、白仮面、白騎士、うん。いいにおいだ。鉄の匂い、血の匂い、そしてほのかに香る悪の薫り。身体もぎゅっと締まっているし、全身が理想的だ。土台が貧弱でありながら、此処まで高められるものか。うん。綺麗な白だね」
くんくんと匂いを嗅ぎ、そのままウィリアムの首筋をぺろりと舐めた。
「ちょ、やめろ!?」
ウィリアムは堪らず距離を取った。その様子を見てアインハルトはにやにやと笑みを浮かべていた。当のエッカルトは、そしらぬふりをして口の中でもごもごとウィリアムを咀嚼する。
「こんな人間は初めてだ」
うっとりとするエッカルト。そのままめちゃくちゃに散らばった机の上にあるものをすべて吹き飛ばし、一枚の羊皮紙を広げて何かを書き込んでいく。
「どういう、つもりですか?」
言外に隠し切れない怒りがこもっているウィリアムの問い。今日キャンセルした相手はそれほど有力者ではないが、無下にしていい相手ではない。それとの顔合わせを断ってまでこちらを選んだのだ。それがこのような相手との出会いではあまりに割が合わないだろう。
「見ての通り変わり者だ。豪商の三男坊、家も継がない継ぐ気もない。こうやって自分だけの空間で好き放題やっている生産性皆無の世捨て人。発明する武器はガラクタばかり、ほとんどのものが本人と同様無価値。それが世間様の見立てだ」
ウィリアムの見立てとも同じ。これが使える人材とは思えない。
「無価値、つまりゼロだ。誰の手も入っていない。誰の手垢もついていない。これに価値を付加できたなら……お前の総取りだぞ?」
一瞬、ウィリアムの背筋に怖気が走った。ウィリアムはエッカルトを、そしてアインハルトを見定めているつもりだった。あくまで見定める立場だと思っていたのだ。しかしそれは一方向でしかない。アインハルトもまたウィリアムを見定めていた。
(この中で価値を見出せって? いったいどんなものがあるってんだ)
ウィリアムは此処に来て初めて頭をフル稼働させていた。ある意味圧倒されていたガラクタの山。しっかり見る前に使えないと切り捨てたモノたちを見る。
(やはりゴミばかり。そもそもこの筒はなんだ? どうやって使うんだ?)
ウィリアムが手に取ったのは一メートルほどの筒。所々鉄で補強されているところを見ると鈍器か、それとも別の用途があるのか、ウィリアムにはわからない。
「ほう、運が良いな。それは俺も面白いと思ったぞ」
ウィリアムの脳内は疑問符まみれになる。気まぐれで手に取った鈍器のような筒。振り回すには少し不便、中が空洞になっていて強度不足。それでいて軽くはない。
「砂漠越えをしてきた東の民と俺が友人でな。そいつの持っていた傷塞ぎ用の爆発する粉をエッカルトに教えてやったのさ。そして生まれたのがこれ、火筒と俺は呼んでいる」
火筒。名前を聞いても使い方がピンと来ない。
「簡単に言うと、この粉は火に反応して爆発する。その性質を利用して筒の中で爆発を起こしてやるんだ。すると中に入っている丸石が飛び出してくるという寸法だ」
ウィリアムはふと考え込む。引っ掛かりがあった。
「欠点は粉の力不足。爆発力が足りないため弓ほどの威力も出ない。よしんば火力が上がっても、今度は石ではそれに耐えられない。まあ、欠陥品だな」
アインハルトは笑う。ウィリアムは笑わない。筒を見つめて、顔を歪ませる。
「逆に言えば、粉の威力と丸石の耐久力を上げれば、使い物になる」
ウィリアムの顔には笑みが浮かんでいた。ようやくわかったのだ。この場を紹介してもらった意味が。
「利点は人力を使っていない点。弓の限界は人の限界、どれだけ良い弓を生み出しても、弓である限り人を超えることはない。そして動物の腱などとはまったく別の爆発という力の生み出し方。実にユニークだ」
ウィリアムはつなげていく。自身の思考、そして自身の持つ『力』を。
「粉の威力を上げるために、私が扱っている薬品とその取引先である錬金術師たち。彼らを使って粉の威力を上げる。丸石は鉄の玉にでも置き換えれば良い。いずれ素人作りでは筒の耐久力に不満が出てくる。ならばテイラー傘下の金属加工のプロを使えば良い」
上手くいくかはわからない。しかし上手くいけば一つの武器を寡占することが出来る。危険な薬品、貴重な薬品はウィリアムの領域。テイラー傘下もある意味でウィリアムの領域であろう。金になるならばロード・テイラーは間違いなく協力するのだから。
「なるほど。面白いぞここは」
よく見ればどのガラクタにも製作者の意図がこめられている。ほぼすべてガラクタなのは言うまでもないが、中には練れば実用に足るガラクタも存在する。
「これは何かを入れるタンクがついているな。ほのかに油のにおいがする。火炎放射機か。確かサンバルト王国の前身、真央海の雄ペールポリス共和国が用いた海を燃やす兵器だったか。もちろんこれもただの油じゃ使い物にならない。ペールポリスの兵器の機構は今を持って謎。それでも、知恵を凝らせば」
薬品の中には普通の油よりも長く燃えるものもある。何よりも燃えることによって致死性の毒を撒き散らす薬品も存在する。色々とクリアするべき課題はあるが、これもまた面白い発想であった。
「この投石器は人力を必要としないのか? こっちの武器はなんだ? クロスボウ? それの大型版か。此処まで来ると攻城兵器だな」
ウィリアムは先ほどまでガラクタにしか見えなかった実用性皆無の兵器たちを見る。確かに現行では使い物にならない玩具の域を出ない。所詮素人作り、クロスボウがまともに矢を射ることはないし、投石器は小さ過ぎて小石を弾く程度のモノ。だが、発想は面白い。アイデアだけは普通じゃない。
「費用対効果は正直微妙だ。だが、金を湯水のように使える立場なら? 効果のみに着眼できる力を持っていたら? 面白いじゃないか」
ウィリアムが現状持っている『力』でさえ、いくつかのガラクタに価値を与えてやる道筋はたった。今後新しい『力』を得れば他のモノにも価値を見出すことが出来るかもしれない。
アインハルトが此処を紹介した理由。何も難しいことはない。ここにはゼロが眠っているのだ。誰にも知られず、誰にも省みられることのない、無価値のガラクタの山。だからこそ、価値を生み出せば――
「白騎士、お前をイメージした武器だ」
エッカルトがいつの間にかウィリアムの目の前にぬっと現れていた。手に握られているのは何かを描いた羊皮紙。それをウィリアムは受け取る。
「お前は万能だ。何でも出来る。ありとあらゆる方法で人を殺す。原始の殺意を超えた先、理性と本能の融合体。現行の人の完成型。これで殺せ。旧時代の人間を殺せ。古き時代を殺せ。全てを奪い殺し尽くせ。そんな美しいお前をイメージした」
ウィリアムはその図面を見て笑みを浮かべた。
「まだ俺にはお前の全てを表現する力はない。お前もまたお前の全てを表現できる力を持たない。共に邁進しよう。全てを滅ぼさんがために」
エッカルトはいかれている。狂った男が狂ったような部屋の中で、ひとり狂い続けてきた。エッカルトは色々作ってきたがその全てがガラクタであった。ひとつとしてものになったものはない。しかし彼には兵器作りにとって最も重要な情念を持っていた。それは破壊衝動。殺しに懸ける情熱。世界を滅ぼしたいと願う殺意の塊。
それを爆発させた芸術こそエッカルトの真髄。一見してガラクタの山だが、どれも武器だとわかるのは、その情念ゆえであった。
「喜んで」
ウィリアムはエッカルトの手を取った。その瞬間、エッカルトはそこそこ付き合いの長かったアインハルトすら見たことのないほど純粋な笑顔を浮かべた。
その笑顔の意味を考えると、アインハルトは寒気を覚えてしまう。
人から奪うことの天才と人を殺す発想の天才。二つが交わる。
○
エッカルトの部屋から二人が出て行ったのは、すでに日が落ち始めていた夕刻であった。ウィリアムはエッカルトの性質を理解し、それを踏まえた上でエッカルトと活発な議論を交わしていたのだ。議論と言ってもそれらは理路整然としたものではなく、あくまで抽象的に人を殺める方法をお互いの見地からぶつけあっていただけだが。
「ご満足いただけたかな?」
途中から議論を見守っていただけのアインハルト。ウィリアムは笑みを浮かべて首肯する。これほど無為でありながら有益な時間はなかった。ウィリアムはそう思う。
「まあ逸ることはない。エッカルトが実を結ぶのは遥か先の話だろう」
アインハルトは商人としてエッカルトを金にすることをあきらめた。それは彼が軍部にコネを持たず、武器にも疎く、何よりもエッカルトを理解することが出来なかったためである。ウィリアムはその全てを持っていた。だからこそアインハルトは最初に彼を紹介したのだ。
「いえ、早速一つのアイデアを買い取りました」
素早い動きにアインハルトは目を見張る。どのアイデアにウィリアムが目を付けたのかわからないが、製作された武器ではなくアイデアを買い取るというのは悪くない選択である。エッカルトの武器は発想。そこだけが必要なのだから。
「エッカルトからは金は要らないと言われましたが、いずれ大きな商売になれば人が変わる可能性もある。エッカルトが変わらずとも周囲の目が変わる。利用しようとする者がいないとは限らない。だからこそ契約は厳密に、一部の洩れもないものを用意すべき。これは貴方の父上の教えですが」
完璧である。こういう小さな個人の案件はなあなあになりがち。多少めんどくさがられても縛りを入れねば後々火種になりかねない。商売の真髄は守り。最初から欠陥を作るのは愚の骨頂である。
「結構。その辺りは今更俺が何かを言う必要もないだろう」
アインハルトは寒そうに背を丸める。息も景色も真っ白なアルカス。夕日の朱が白い景色にアクセントを与えていた。白の世界、そこにもゆる紅蓮の日。アルカスの景色は美しい。そこに蠢く弱者が寒さと餓えに苦しんでいるとは思えぬほどに――
「アインハルト様。次は何を訳せばよろしいですか?」
ウィリアムの問い。アインハルトは苦笑する。
「先に言っておくが、俺が紹介できるのはあくまで隙間。もしくは現段階で無価値とされているものたちだけだ。その大半はものにならないだろうし、結局は俺も商売に出来なかった案件ばかり。割に合うかどうか、わからないぞ」
立ち止まる。紅蓮が色を強くする。
「私は今日まで狭い視野で商売をしてきました。アインハルト様がおっしゃられていたゼロに価値を付けるということ。他者から奪うだけが商売ではないと。今日実感として理解しました。私のような弱者が勝つにはそこしかないことを」
アインハルトはため息をついた。ウィリアム・リウィウスは間違いなく、
「私ならば、価値を生み出せることも」
今日一日で圧倒的に成長した。商人としてだけではない。視野が広がるということは人としての成長である。彼の中で世界が拡張された。それはあらゆる分野で応用が利くだろう。たった一日、ほんの一度の出会いが人を加速させる。
「お前はよく理解している。人の繋がりが価値を生み出す。精力的に人に会うのは正解だ。お前の同世代でそれが出来ているのは稀だろう。武官であればなおさら。今日という日がなくとも、お前はいずれ辿りついた筈。そういう動きをお前はしていた」
「今、気付けたことに価値があるのです。一日すら、私には惜しい」
「おぞましいほど勤勉だな。心底お前が怖いよ」
「ご冗談を。私には貴方の底知れなさの方が恐ろしい」
アインハルトは、少なくともウィリアムの先を見据えていた。それほど絡みのない相手。自身の立ち回りを把握することさえ難しかったはず。それでも現状を把握し、今日のようなピンポイントに必要としていた相手とめぐり合わせてきた。
「そう思うなら、もう少し父上に警戒を払え。あれは俺より強い」
「そうでしょうか? 私には貴方の方が上に思えますが」
今まで警戒どころか大して興味も払ってなかった相手。カールの兄であるが後継者ではない。その程度しか把握していなかった。だからこそウィリアムは恐ろしいと思う。同じ屋根の下でこれほどの爪を隠していた秘していた怪物の存在を。
「お前はあの男の本当の姿を知らないからだ。俺は結局あの男に一度として勝っていない。商人として売上で勝っても、俺が立っていた場所はあいつの築き上げた城の上。アルカスで一番の宝石商、ローラン・フォン・テイラーのお膝元でしかない。冷酷非道、血も涙もない商の怪物だ」
アインハルトの顔が歪んでいた。それを見てウィリアムは少し驚く。その貌は明らかな殺意と憎しみに彩られていたからである。肉親に向けて良い顔つきではなかった。
「まあ、その姿をお前が見ることはない。あいつはすでに喰らい切った。服飾関係でテイラーに反旗を翻すことは出来ない。そういう状況を作ったからな。攻めることすら出来ぬ鉄壁の牙城。それが奴の作り上げたテイラーという城だ」
ウィリアムはそう言われても理解できないでいた。確かにローランは、はじめて見た時から厄介な存在だと認識していたが、今となってはそれほどの相手とは思えない。少なくとも、今日を見る限りアインハルトの方が上だと感じた。アインハルトの方が深くものを見ている。それがウィリアムの認識である。
「今にわかる。テイラーが服飾以上に手を伸ばさなかった理由。テイラーという城の強固さがな。商売の基本は守り。攻めない強さもある」
そう言ってアインハルトはひとり歩き始める。その背がついてくるなと言っていた。
ウィリアムは一人佇んでいた。ずっと考えていたこと。もしかすれば解決するかもしれない。だからこそ、しばらくアインハルトと行動を共にすべき。
「さて、予定を組み替える必要があるな」
最優先事項は固まった。この冬一番の目的が設定されたのだ。
日が落ちる。紅蓮と白が闇に覆われる。その中でウィリアムはひとり哂っていた。
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