幕間:胎動する新星たちⅡ
ウィリアムが英雄王と青貴子の戦いを知ったのは、アンゼルムの報告によってであった。最初、アンゼルムはウィリアムを刺激し過ぎるのではないかと、伝えることをためらう様子であったが、あまりにもウィリアムが平静なので逆に不安になってしまっていた。
クルーガー家の離れにて――
「そうか」
それだけ言って、ウィリアムは手元の資料に目を落とす。
「それだけでございますか?」
反応の薄さに確認を取ってしまうアンゼルム。三大巨星と引き分けた、防衛戦と見れば辛勝したと言ってもいい。世界が現在進行形で揺れている話題。ウィリアムが食いつかないはずがないと思っていたのだ。
「逆に聞くが、その話で俺の動きが変わるのか? 同じ世代が頑張っているから俺も頑張らなきゃと奮起すれば良いのか?」
アンゼルムは返答に窮する。
「ネーデルクスと聖ローレンスの戦が俺に影響を与えるのはまだ先だ。俺の力はそこまで至っていない。今の俺の戦うべきは遠い異国の人間ではなく、近くの人間だろう?」
ウィリアムは資料から目を離さず言葉を発していた。
「申し訳ございません。思慮が足りませんでした」
「別に良い。ただ優先順位は常に頭に入れておけ。やるべき時にやるべきことをやる。今、頭に入れるべきはお前が作ってきたこの資料だ」
ウィリアムは自分の手元にある羊皮紙、そして机に重ねられた羊皮紙の束を見る。それらはアンゼルムが自分で作成した資料であった。自らで調べたものもあれば、色々な手を使って調べさせたものもある。
アンゼルムやヴラドの交友関係、そこから派生する繋がりをまとめていた。ヴラドは交友関係が広く、また娘を使った親戚付き合いも多い。政略結婚で培われた人脈や文官としての人脈、また積極的に社交の場に顔を出し築き上げてきたポジション。それらの利用価値は計り知れない。
まとめには主だった人物の名前、地位、好物、趣味趣向など様々なことがまとめられており、ウィリアムはそれらをしっかり頭に叩き込む。そして――
「今年の冬は忙しくなるぞ。折角手に入れた騎士位、ヴラドらを利用しない手はない」
ウィリアムは髪をかき上げた。
「戦争は勝つか負けるか。要は勝てばいい。しかし政治って奴はもう少し複雑だ。勝ち負けをどう判断するか、線引きがあいまいで難しい。実利を取るか、繋がりを取るか。目先の得を取るか、目先で損をしてでも長期的な得を取るか、様々な要因が入り組んでくる」
そう言いながらもウィリアムは資料から目を離さない。一時として無駄にせず、此処にある全てを頭に叩き込むつもりなのだ。必要なことを必要なだけする。これを完全にこなせるものは、もはや常人ではない。
「だが、こちらもその実単純。根本は、人から好かれればいいだけだ。そいつに好印象を与えておけば、俺が力を持った時、自然と味方になる。だからこそ人と直接顔を合わせることが肝要なんだよ。これは政治も、商売も同じ。敵も味方も、そうでないものも、好かれて損はない」
だからこそ好かれる努力を怠らない。人は自分をよく知るものを無下にはしない。知られて不快に思うものなどいないだろう。好物を手土産にされて嬉しく思わないものはいないだろう。人との関係性はそれらを積み上げた先にある。
人に好かれたいならば、とにかく与えればいい。それが対人関係を攻略するに当たって最も手っ取り早い方法である。
ウィリアムは資料から顔を上げ、アンゼルムに視線を合わせた。
「この冬は繋がりを増やす。今すぐに実利に結びつかなくとも構わない。零と一では雲泥の差。まずは一の数を揃えるぞ」
ウィリアム・リウィウスは揺らがない。ただ為すべきことを為すだけ。長期的な視野にたって物事を進めていく。この冬が過ぎるのをただ待つものが多い中、この男だけは動けない冬こそ精力的に動き回る腹積もりであった。
そこで世界に差をつける。それがこの男の理。
「あとはウィリアム様の百人隊、どう組み上げるおつもりですか? 必要であればクルーガーゆかりのものを集めさせますが」
これもまた重要な事項であった。ギルベルトやアンゼルムなど名家の出はやはりそれらゆかりの優秀な人材で固めてくる。そこまで名家の出でなくとも、自らの十人隊程度は、優秀な人材を揃えてくるだろう。
「いや、どうせなら一から揃えてみるのも一興。あのフランクやイグナーツでさえ数戦勝たせてやれば使い物になった。カールでさえあれだけの経験を積ませれば花開いた」
カールの名を聞いた瞬間、アンゼルムの顔が少し曇る。
「そこの部分の投資はいずれする。が、今の段階で必要性は感じないな」
「しかし周りを優秀な人材で固めてこそ常勝の軍が出来るのでは?」
ウィリアムは少しばかり武の方面をおろそかにし始めている。アンゼルムは最近とみにそう感じるのだ。白仮面改め白騎士の原点はやはり武であり戦である。ここで負けるようなことがあってはすべての土台が崩れ去るだろう。
「ふむ、俺が負ける、か」
ウィリアムは笑みを浮かべていた。薄い笑み、そして瞳は遠くを見つめている。
「そこまで戦で勝つことは難しいことか?」
アンゼルムは肌が粟立つ感覚を覚えていた。この寒気は知っている。遥か格上と戦った時に覚えるもの。名だたる将軍たち、そして以前矛を交えたユーウェイン。彼らと戦った際に覚えた寒気。しかし、この寒気はそれらより遥かに深く、そして冷たかった。
「古今東西の歴史を知り、自分なりに噛み砕き生かす。先んじて情報を握り、相手に有効な戦術を取る。知識と実践、万事を尽くして勝てない相手が、果たしてどれだけいるものか」
寒気が深まる。
「無論、今の段階で俺が巨星に勝てるとは思っていない。まだ、勝利の数が足りないからな。勝利は次の勝利を生み、勝利は人に輝きを与える。勝った者に宿るカリスマ性、それこそが将軍の重みだ。ならば勝てばいい。誰もが俺の勝利を疑わなくなるくらい勝ち続ければいい。その頃には、もはや巨星などこの地に存在しないだろうが」
アンゼルムは、恍惚で絶頂しそうな気分であった。ウィリアムを自身の矮小な秤で計ろうとしたこと自体不敬極まる行為。見ている先が違いすぎる。見ている景色が違いすぎる。ウィリアムの景色はすでに遥か先を見据えていた。
「当然勝つために最善は尽くすさ。そのためにどう動くかも考えている。強い群を作るのは、何も強い人材を集めるだけじゃない。百人の英傑より、俺に忠実な弱兵百人の方が優先される。安心しろアンゼルム。勝って当然。勝ち続けてこその『道』だ」
アンゼルムは震えた。己が主の英道。そこに揺らぎはなく迷いもない。ならば突き進むだけでいい。その先には約束された勝利があるのだから。
「明日以降一刻とて無駄にするな。勝負は来年の春、そこでどれだけ動けるようになっているか。そのための冬だ」
ウィリアムの自信たっぷりの笑みを見て、アンゼルムは震えが止まらない。やはり己が主は他の有象無象とは大きく異なっている。あの日垣間見せた本性、美しき月の獣、それでも充分素晴らしかった。アンゼルムが頭を垂れる程度には――
(より美しく、より強く。……嗚呼、愛おしさが止まらないィィ!)
さらなる高みへ昇らんとする怪物。そしてそれについていける者は自分ひとりだとアンゼルムは確信していた。カールなどという有象無象はもはや主のそばにいない。主の右腕は自分ひとり。その確信こそアンゼルムの原動力――
「ただ、折角育てたカールを失ったのは痛いな」
ビクン。アンゼルムの体が軽く跳ねた。震えが止まる。
「オスヴァルトの坊ちゃんも思い切ったことをする。これがあの時の交換条件というわけか。嫌っている俺にわざわざ助言をしてまで俺から切り離したかった。そこまでして欲した。自分に何が欠けているか、それを埋める欠片は何か、よくわかっているじゃないか」
ウィリアムが手に取った羊皮紙には、次節から適用される軍の編成表があった。そこに書かれている人員配置、それを見てウィリアムは微笑む。
「外ばかり見ている場合じゃない。一番身近な競争相手こそ、一番厄介かもしれないからな」
笑うウィリアム。それに視線を合わせず、アンゼルムは己が腕を強く掻く。ガリ、血が滲み、その貌は――
○
ヒルダ発案の元、大親友のルトガルドとついでのカール、いつもの三人でアルカス郊外へ出かけていた。冬眠に入る前の熊狩りと称したピクニック。特に熊と遭遇することもなく、たき火を囲みルトガルドの作ってきた料理を食べる。
そうしようとしている中、早馬が三人の下に届いた。
手紙の内容に目を通すカールとヒルダ――
「「はへ?」」
カールは呆然としていた。隣で同じ羊皮紙を見るヒルダも唖然としていた。料理を広げるルトガルドだけは事態を飲み込めず、普段どおりであったが。
「な、んであんたが、男爵家で、しかもコネの一つもないあんたが、泣き虫カールが、アルカディア第一軍に編成されてんのよ!」
カールはぽけーっとしている。ヒルダが軽く蹴り飛ばす。ころころと転がるカール。ルトガルドは特に慌てるそぶりも見せず転がったカールが落とした編成表を拾い上げ、其処に目を通した。
「カール・フォン・テイラー上級百人隊長、アルカディア第一軍、ギルベルト・フォン・オスヴァルト師団長の副将に任命する。凄いですねカール兄様」
ルトガルドが紙を見て放った言葉。ヒルダの顔が歪む。
「あんのクソ次男坊! よりにもよってカールに目を付けやがった。確かにカールは、少し、ほんのちょっぴりマシにはなったけど、それでも第一軍でやっていけるほど才覚も、器用さだってないってのに。そこまでして競争相手の力を削ぎたいってこと!?」
ヒルダは憤慨していた。本来ならば喜ぶべき話である。各軍団に差は存在しない。そんな建前を信じる馬鹿はアルカディア全土を探しても見つからないだろう。第一軍とその他には明確な差がある。その差の分だけ、第一軍に所属するものには差に見合う力が求められるのだ。その競争に、カールが耐え切れるとはヒルダには思えなかった。
「カール」
びくりと意識を取り戻すカール。この声のトーンはヒルダが本気の時である。このときにへらへらしていたら彼女の鉄拳が飛んでくる。昔、カールが兵隊になると言ったときにも同じような声色で諭され、頑として退かなかったカールに思いっ切りの鉄拳が飛んだことは記憶に新しい。
「第一軍行き、辞退しなさい」
「そ、それは無理だよ。僕の権限で人事をどうこうなんて出来るわけないじゃないか」
「父上にお願いしてあんたを第三軍に入れてあげる。こっちならあんたの才能を活かせるかもしれないし、何よりも私が守ってやれる」
ヒルダはカールを見ていない。カールがどんな顔をしているのか見ていない。
あの時だってせめて軍に入るならば第三軍に入れと言われた。私が守ってやると言われた。申し出は嬉しかった。でも――
「勘違いしないでよ。私はルトを悲しませたくないだけ。あんたが死んだらちょっぴりくらいルトだって悲しむでしょ。だから私は親友のために――」
「ごめん。僕は辞退しない。第一軍で頑張ってみるよ」
ヒルダは硬直する。そして見る見る顔が紅潮していった。
「あ、んたって馬鹿は。私がどれだけあんたを!」
拳を握りこみ、ヒルダはカールの方に向く。そうすればいつだってカールは後ろへ下がり逃げようとした。それを追いかけて言うことを聞かせてきた。例外はひとつだけ。あの時だけであった。
そして今もまた――
「気持ちは嬉しいよ。だけど君は勘違いしている」
退かなかった。あの時と同じように。そして強くなった分、あの時からも変化が生まれる。思いを口に出す勇気を手に入れた。
だからこそ――
カールは前に進み出た。ヒルダが拳を構えているのに、ヒルダが怒っているぞとアピールしているのに、それでも一歩前に進み出る。
「僕は君に守られたいんじゃない。僕が君を守りたいんだ」
カールの発言に、ヒルダは別の意味で顔を紅潮させた。構えた拳は向け先を忘れ、だらんと垂れる。そして、ヒルダよりも驚きに眼を見開いていたのは実妹であるルトガルドであった。あの兄が踏み込んだ、自分には出来ないことをあの兄が。
「確かに僕は弱い。まだまだ君を守れるほど強くない。だから、強くなるよ。今よりもっと努力して、いつか君に認められるくらい強くなるよ」
ふと、ヒルダは自分とカールの身長差が入れ替わっていることに気付いた。カールは自分の知らない間に大きくなっている。昔を知るヒルダにとって、それは信じ難いことであり、信じたくないことでもあった。
期せず見つめあう形になる。カールはぼんと顔を紅潮させた。
「あ、え、と。ちょっと僕用事思い出したから帰るね! それじゃまた!」
カールはちょっぴり恥ずかしくなったのか、馬に乗ってその場を去って行った。その先に進む勇気はまだ持ち合わせていないようである。
残された二人。
「ヒルダが引っ張らなくても、カール兄様は貴女から離れないわ。もう、無理をして縛り付ける必要もない。だってお兄様も男の子だから」
ヒルダはカールたちには絶対見せない顔をルトガルドに見せる。
「カールの癖に……生意気なんだから」
嬉しそうに、でも複雑な表情をしているヒルダを、親友であるルトガルドが優しく抱きとめてあげた。時間は流れている。もう二人とも少年少女ではなくなった。カールは弱虫ではなくなり、ヒルダもそろそろ自分の行く道を決めねばならない。
「ねえ、カールは私のこと、どう思っていると思う?」
弱弱しく問うヒルダ。それに微笑みながら、
「ずっと昔から好きだったと思うわ。ずっと前から言っているけど」
嬉しそうにぎゅうっとヒルダはルトガルドを抱く。いつだって本当に自信はないのがヒルダで、のほほんとしているカールの想いに不安なのがヒルダであった。強さも、理不尽な暴力も、全てが裏返し。
あまりに不器用な親友をいつだって支えてきたルトガルド。周囲やカールは勘違いしているが、ヒルダの精神はそこまで強くなく、唯一本音で話せる親友なしでは不安で押し潰されてしまうほど、か弱い乙女であった。
カールの第一軍行き、それは二人の関係を少し変化させることになった。時代の流れが迫る。カールにしろヒルダにしろ、このままで在り続けることはありえない。時は流れ時代は巡る。彼らの未来がどうなるのか、それを知るものはいない。
○
ウィリアムはひと月もしないうちに何十人、何百人という人と顔を合わせた。しっかりと事前リサーチした手土産と、興味の引くであろう話題を引っさげての訪問は、多少の例外はあれどおおむね好評であった。まるで文官のような立ち回りに、武官からは良い目で見られることは無かったが、武官があいさつ回りなど珍しく、奇異の目半分だがそれなりに話題にはなっていた。
もちろんこのような政治的な動きだけでなく、商人としても様々な人を訪問した。薬品に代わる新たな商売を模索する上で、他業種の話はウィリアムにとっても興味深く、またいくつか実用に足る話も手に入れた。
精力的に動く傍ら、このような訪問を可能にしたヴラドへの挨拶は欠かさない。そのたびに来るヴィクトーリアの攻勢に頭を悩ませながら、その攻勢を父であるヴラドに見せ付けることによって、関係の深さをアピールする良い機会ともなる。近づき過ぎず離れ過ぎず、此処が一番神経をすり減らす場面であった。
ウィリアムの動きは多くから奇異の目で見られ、周囲の反応は様々であった。しかしこの変わった動きがウィリアムに興味を持つきっかけになることもあり、名を売るということに関しては間違いなく効果的であったと言える。
世情に疎い古い貴族たちの間ですら白騎士の名は広がりを見せている。もはや『白騎士』ウィリアム・リウィウスを知らぬものはいない。少しずつではあるが、アルカディアにおけるウィリアムの影響力は増しつつあった。
そうして瞬く間に時は流れ、アルカディアの首都であるアルカスは真っ白な雪に覆われていた。人が外に出ることもなく、まともな家を持たない貧民層は凍死するものも多い。停止する世界で白き怪物は奔走する。
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