幕間:胎動する新星たちⅠ

 『黒狼』のヴォルフはサンバルト王国の先っぽ、南の島でバカンスに勤しんでいた。冬などこちらはどこ吹く風。流石に海に入るほど暖かくは無いが、それでも雪に埋もれることなど絶対無い、そんな場所である。

「……ユーウェインよぉ。何で俺は今こんな状況なんだ?」

「仕方ありません。羽目を外しすぎました。でも良かったじゃないですか、間違いなくきていますよ、モテ期」

「…………いや、こりゃちびっと違うだろ」

 今、ヴォルフとユーウェインは正座させられていた。後ろ手に縛られ、砂浜の上にわざわざ石を設置し、そこにヴォルフたちを座らせている。動けないし、動けばどうなるかわかったものではない。

 遠くに聞こえるのは「キャッキャ」という黄色い声。団員たちが街の女の子と戯れている。夏の残り香、褐色の女性たちは見ていて健康的で、何よりもエロい。そんな中をただ正座して過ごす。こんな拷問があるだろうか。

「おいアナトール。せめて後ろ手は外してくれよ。きちーんだけど」

 隻腕の男が薄く目を開ける。

「無理だ。副団長と雇い主の命令、如何に団長の頼みでも聞き届けるわけにはいかぬ」

 元ネーデルクス軍団長、『哭槍』のアナトール。なし崩し的に『|黒の傭兵団(ノワール・ガルー)』の一員となってしまったかわいそうな人である。フランデレンが燃えた後、怪我の影響でしばらくこん睡状態。目が覚めたら聖ローレンス王国で高額の治療を受けており、戦場からそのままのため無一文であったアナトールは当然支払うことが出来ず、それを全額ヴォルフが払ったことで逃げ場を失った。全部ヴォルフの策である。

 そんなこんなで先のサンバルトとエスタードの一戦では、『黒の傭兵団』の一員としてしっかり功を上げたことによって、なおさら抜けづらくなってしまった。もう本人も本国に戻ることは諦めている。戻っても居場所が無いことは明白ゆえに。

「それに……見ていないようでしっかり見られているぞ」

 アナトールの視線の先には、二人の女性が団員やこの国の兵士たちと戯れていた。しかし時折刺すような視線がこちらに飛んでくるため、見張り役のアナトールとしても居心地が悪い。

「っくしょう! ちょっと報奨金で女の子買っただけじゃねえか! 悪いことなんて何もしてねえ! 女の子遊びの何が悪いんだよ! 俺は男だぞ!」

 ヴォルフの嘆きは誰にも届かない。ユーウェインにしろアナトールにしろ内心ヴォルフに賛同しているが、権力を持った乙女の前では無力。アナトールは颯爽と裏切り、機を逃したユーウェインは同じように罰せられている。

「あと、地獄耳のようだ」

 超遠距離からのスローイングナイフ。綺麗な弧を描き、ヴォルフにぶすっと――

「この死因は流石に哀れか」

 がくがく震えるヴォルフを他所に、アナトールは片腕で器用に槍を用いナイフを弾く。それによって彼女たちから物凄い目で睨まれるが、何とか直接的な制裁は無かった。背中に嫌な汗をかくことになったが。

「まあ、悪い気はしないだろ。モテる男は辛いってやつだ」

「ですね。おや、ニーカとお嬢様がこっちに……突貫してくる模様です」

「こえーよ畜生!」

 ルドルフの活躍を聞いてテンションが上がってしまった。それでちょっと羽目を外してしまった結果がこの地獄。ニーカだけならともかく、色々あってもう一人増えてしまった現状では、少し羽目を外すことすら致命的であった。

 ヴォルフたちの冬がやってくる。


     ○


 ベイリンは困った顔で自身の主を見ていた。

 ガルニアの冬は厳しい。と言っても緯度的にはアルカディアとそこまで変わらないが、海流の関係でアルカディアよりも寒さが際立つ。くわえてアークランドの位置はガルニアでも北寄りの土地。確かに寒い。寒いのだが――

「むー」

 ぶるぶる震える己が主、『騎士女王』アポロニア。戦場では比類なき輝きを見せる彼女であったが、昔から寒さにはめっぽう弱く、冬になったら自分が狩った獣の毛皮を何重にも重ねて引きこもる、真性の引きこもりと化してしまう。

「折角姫様の傘下に入ってくださった騎士王たちが集まっているのです。少しくらい顔をお見せしても良いのでは?」

「やだもん」

 性格まで退化してしまう冬のアポロニア。ダメだこりゃ、とベイリンは頭をかく。

「いやはや、聞きしに勝る寒がりですな」

 背後で声がした瞬間、ベイリンは即座に剣を抜き背後を切りつける。

「入室許可を出した覚えはないぞ。ヴォーティガン」

「サーを付けろよ犬っころ。戦もせずに国を明け渡した騎士にあるまじき卑しき犬が」

 眼光鋭く両者の視線が絡み合う。互いに一瞬で抜き放った剣。実力は伯仲。さすがは十二の騎士王として数えられた両者。殺気が充満する。

 殺意の奔流。殺し切ろうとベイリンは二の剣を掴む。

 それを見たヴォーティガンは薄く目を細めた。

「それを抜かば俺も手抜きできんぞ」

「安心しろ。卿の本気程度俺の敵ではない」

 はち切れそうな殺意。それがピークに達した時――

「私の部屋で戯れるな」

 女王の殺意が全てを吹き飛ばした。騎士王として戦場を駆け巡った両者が剣を落としてしまうほどの殺気。大炎が襲い来る。まるで津波のようなそれは二人の戦意を消し去るには十二分であった。

 二人の戦意が喪失したのを感じ取ると、アポロニアはため息をついて二人を見る。

「会食には向かう。ただ今しばらく待て。もう少し日が昇ってからとする」

 とてつもない威圧感で二人の騎士王を征した女王。しかしというかやはりというか、それでもやっぱり寒さには勝てなかった。

「……お言葉ですが姫様。すでに日は天頂に達しており、これ以上昇る事はないかと」

 ため息をつきそうになるベイリン。

「なん、だと?」

 愕然とするアポロニア。「むむむ」と唸り、毛皮の外に出ようとするが、寒さで手を引っ込める。「ぐぬぬ」と唸り――諦めた。

「無理だ。またの機会としよう」

 あまりにも諦めが早いのでベイリンもヴォーティガンもずっこけそうになった。とことんまで寒さに弱いのだろう。春夏秋とあれほど戦場を駆け回りガルニアを荒らしまわった怪物が、まだ冬になったばかりの寒さでこのざま。これから先のことを考えれば頭が重い。

「か、会食の場は此処より暖まっております。特に姫様の席は暖炉の近くで――」

「それを先に言え! 今すぐ向かうぞ!」

 毛皮をまとったまま立ち上がり、自身の洋服箪笥に向かう。そのまま毛皮の中に衣服を取り込んで毛皮の中で着替えていく。かの毛皮こそ騎士女王の冬の住処。そこから出るは出陣と同義。

「往くぞベイリン、ヴォーティガン。暖炉へ出陣である!」

 颯爽と毛皮を脱ぎ捨てるアポロニア。中から出てきたは緋色の女性。赤き紅蓮の髪はふわふわと揺れ動き、眼は蒼く澄み渡り、顔はいじるところが思いつかないほど均整が取れている。たわわに実った二つの乳房は乙女なら憎くて憎くて仕方が無いだろう。完璧をかたどった存在、これで桁外れに強いのだから神が何物を与えたのかわからない。

「……いや、会食へ出陣である!」

 言い間違えたのを恥ずかしく思いちょっぴり顔を赤らめるアポロニア。しかしベイリンとヴォーティガン、特に見慣れていない新参者のヴォーティガンは改めてアポロニアの神懸り的な魅力を知る。

(やはり……美しい)

 ヴォーティガンの視線に潜む邪気に、ベイリンは無言で警戒の視線を向けていた。


     ○


 会食の場には十人の騎士王たちが集まっていた。いずれも劣らぬ剛の者たち。その中にあって一際輝きを見せるのが、今入室してきたアポロニアその人である。

 皆がそのカリスマに惹かれた。戦えばわかる。戦場でのアポロニアはこんなものではない。先代も強烈な引力を持っていたが、アポロニアはそれを超える器を有していた。

「大陸ではネーデルクスと聖ローレンスが矛を交えたようです。結果はほぼ引き分け……ただしネーデルクス側には奇妙な噂が立っております」

 口を開いているのは円卓上でアポロニア以外唯一の女である騎士王。

「奇妙な噂とは? そもそもその情報源はどこである?」

 他の騎士王が問う。

「私の弟が喜々として文を送ってきた。同時に兄も、な。見立てはどちらも同じようなもの。噂は噂として、英雄王を退けたのは事実。神の子、ルドルフ・レ・ハースブルクは傑物である。これに間違いは無いだろう」

 それを聞いて「くっく」と笑う騎士王。名をローエングリンと言う。この中でも指折りの実力者であり、騎士王の中の『騎士王』であったアークや『獅子候』ユーウェインとしのぎを削った猛者であった。

「ほう、『獅子候』か。久方ぶりに血が騒いできた。そう言えばかの男、『黒狼』のヴォルフという男の下についているとか。元騎士王でありながら、なかなか思い切ったことをする。なあ、ユーフェミアよ」

 戦友でありライバルの妹に声をかけるローエングリン。ユーフェミアは視線を交えることなく口を開く。

「あれは王ではなく騎士の道を歩んだに過ぎぬ。そして我らもまたその道を選択した。アポロニア・オブ・アークランドの御旗の下に。これだけ負け犬が雁首を揃えて集まったのだ。そろそろ騎士王などと薄ら寒いことを言っても仕方あるまい」

 ユーフェミアの痛烈な一言に、他の騎士王たちはざわめく。皆アポロニアに敗北こそしたが、王であることの誇りまで捨て去ったわけではない。ユーフェミアはそろそろそれを捨てろといっているのだ。

 その言葉を聞き、ローエングリンは苦笑する。言葉にはせぬがこの男もまた同じ意見を持っていた。

「王は一人で良い。確かにその通りだ。そして王がアポロニア様であることに異はない。僕らは皆等しく負けたのだから。だが、序列はどうなる?」

 年若い騎士王の発言。場がざわつく。

 またも飛び出した火種。頭は決まっている。しかしその手足の序列が決まっていない。この中の十人、いったい誰がどういう地位に着くのか、これを気にならないものはいないだろう。

「序列など決まっておろう。元あった国の大きさでよい」

 ヴォーティガンの発言に、先ほど火種を撒いた男が視線を向ける。

「僕より弱い卿が僕の上に立つということで相違ないか?」

 ヴォーティガンは立ち上がる。言葉を言い放った男は無視して魚の切り身を咀嚼していた。これがまたヴォーティガンの癪に障る。

「サー・メドラウト。騎士として貴様に決闘を申し込む」

「それは良かった。椅子が一つ空く」

 小柄なメドラウトと大柄なヴォーティガンが向かい合った。一触即発の空気。誰も止めようとはせず、にやにやと見物しているものもいた。

「仮面を取れ小僧。折角だ、素顔を見せて死ね」

「断る。そして死ぬのは卿だ」

 メドラウトは仮面をしていた。短く切りそろえた金の髪が揺れる。

「また貴殿かヴォーティガン。卿は血の気が大き過ぎる。メドラウトも剣を納めよ。両人とも器が知れるぞ」

 苦言を呈したのはこの中で最年長の男、『鉄騎士』ペリノア。若き俊英の多い中で長き経験を持つペリノアは一目置かれていた。ペリノアに言われては仕方がないとしぶしぶ椅子に座る両人。

「それでアポロニア様、お父上から頼りは届いておるのですかな?」

 ペリノアの問いにアポロニアは笑みを持って応える。ごたごたには一切興味がなかったようだ。

「先日父上の鷹が届いた。文には今、アルカディアに滞在していること、『白仮面』ウィリアム・リウィウスの昇進を直に見物したこと、そして父上が敗したことが書かれていた」

 ざわつく円卓。ペリノアも目を大きく広げた。

「アルカディアは実に面白いらしいぞ。父上の見立てでは白仮面の総合力は私に匹敵するらしい。そもそも総合力が何を総じたモノかはわからぬが。加えて父上が敗した相手も戦場に出ることはないと書かれているが、それもどうなるか」

 アポロニアは本当に嬉しそうに文を抱いた。

「白仮面、いや、今、アルカディアでは白騎士と呼ばれているそうだ。今、私の興味はその男にある。遠く彼方より感じる。この予感は……嗚呼、私とウィリアム・リウィウスは運命で結ばれているのだ!」

 アポロニアの熱狂に、ベイリンらは複雑な表情をしていた。

「嗚呼、早く大陸へ参りたい。今すぐにでも海を渡り、ウィリアム・リウィウスの下へ参りたい。そして……血で血を洗う戦がしたい! 私の全てを賭して殺し合いたい! その時初めて私は、この胸に宿る熱情全てを吐き出せる気がするのだ」

 アポロニアにとって好敵手こそが想い人であった。大陸には大勢の好敵手がいる。その中でもなぜかウィリアムが気になって仕方が無い。これはもはや恋であろう。ならば殺し合わねばならない。それがアポロニアの理屈である。

「我が兄、ユーウェインが仕える『黒狼』のヴォルフもエル・シドの腹心の一人を討ったと報告を受けております」

 ユーフェミアの報告にうんうんと頷くアポロニア。

「うむ。ヴォルフも好きだぞ。きっと良い戦が出来る。なればこそ、いち早く大陸に渡らねばならぬ。来年には橋頭堡を得たい。サー・ベイリン!」

「ハッ!」

 ベイリンはあらかじめ用意されていた羊皮紙を広げる。そこに書かれていた行程、あまりにも戦まみれなその予定に、一同苦笑いを浮かべるしかなかった。この場にいる全員が戦好きと言っても過言でない中、やはりアポロニアだけは偏執なほど戦に傾倒している。狂っているとさえ思う。

「年の初め、雪が解けてすぐに最後の騎士王を落とす」

「サー・トリストラム。最後にして最強の騎士が残りましたな。あれは『騎士王』アークの懐刀であった三騎士の一人。『太陽騎士』と『湖の騎士』の両名はアークと共にガルニアを去り、残された『弓騎士』だけがガルニアに国を設けた。かの者、並大抵ではございませぬぞ」

 ペリノアの言葉にアポロニアは深い笑みを浮かべた。

「それを崩せぬようならガルニアを出ても意味がない。来年には世界が大きく動く。それに乗り遅れるわけにはいかぬのだ。『弓騎士』を倒し、すぐさま海を渡る。出来ぬなら私はそれまでのものであったということ。潔くこの首を掻っ切り、ガルニアは貴様らで奪い合え」

 アポロニアは宣言する。この言葉に嘘はない。それはこの場にいる全員にも理解できた。そして全員が直感する。『騎士女王』は宣言どおり事を運ぶであろうことを。

「あと、序列に関しては全員で戦い決めよ。強き者が上に立て」

 円卓に座る全員が頷いた。強きが上に、わかりやすくて一番納得できる。

「もちろん私も参加しよう。王たるもの、最も強くなければな」

 アポロニアを崩すことなどできようはずも無い。崩せるならば今この状況になってなどいないのだから。ガルニアを平定する目処は立った。後は年明けを待つばかりである。

「ところで、なんだ、少しこの部屋寒くは無いか?」

「いえ? 特に感じませぬが」

 早く冬よ終われ。アポロニアは切実にそれを願っていた。

 まだ冬は始まったばかりである。


     ○


 ルドルフは真剣におっぱいを揉んでいた。おっきいおっぱい、ちっちゃいおっぱい、王都の高品質おっぱいに囲まれて、ルドルフのうきうきが止まらない。世界がおっぱいで埋め尽くされていた。この世はおっぱいである。

「坊ちゃまお父上が……聞こえていませんね」

 王に呼ばれたとしても今のルドルフは不動であろう。折角、巨星と引き分けたことによって手に入れた王都への道、つまりは良きおっぱいへの道。それこそがルドルフの到達点であった。

 全はおっぱい。一もおっぱい。森羅万象こそおっぱいである。

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