青貴子対英雄王:神の子

 その日以降、一度としてネーデルクスは勝利を掴んでいなかった。負けては後退、負けては後退を繰り返し、じわじわじわじわ領土を喰い取られていく。もちろん守りに徹しているのでその侵攻は比較的緩やかなものであったが、それでも気をもむ展開が続いた。

 ネーデルクス内ではルドルフに対する不信が募り、酷い扱いを受け続けているラインベルカを見て、また自身らも軽々に扱われている状況に、『黒』の面々は爆発寸前であった。

 そんなこと気にもせず、ルドルフは結局場末の娼婦を買い漁り、揉んでは捨て、揉んでは捨てを繰り返していた。戦いだけを切り取れば、ネーデルクスは大敗の後傷口を広げているだけにしか見えない。愚者の戦を続けていたのだ。

 しかし――

「ウェルキンゲトリクス様、またも疫病が。感染した兵たちは高熱、嘔吐を繰り返しており戦どころではありません。一応、自覚症状の見られる者たちは隔離しておきましたが」

 これで幾度目かわからぬ報告。この時期に疫病が蔓延するなど珍しいことであった。しかも立て続けである。ウェルキンゲトリクスが軍を率いて半世紀、このようなことは初めてのことであった。

「風邪の蔓延に始まり、馬は破傷風にやられ、咳や喀血するものが現れ始めたと思えば、次は高熱と嘔吐、別の疫病が同時期に……しかも片方は南方高温多湿の地域で多く見られる症状、この時期、この土地では非常に珍しかろう」

 聖ローレンス軍は不運続きであった。勝ち続けているものの、それを上回るほどの勢いで不運が立て続いている。疫病や病だけではない。進軍中落石にあったり、狼に襲われるという事態も発生した。とある百人隊長がちょっとした崖で足を滑らせ打ち所が悪く死んだ事案もある。

「神の試練でしょうか?」

 こわごわと問う部下を見て、ウェルキンゲトリクスは微笑んだ。

「なればじき収まる。我らは神の使徒、神とてこれ以上の試練は与えまい」

 少しはにかむ部下はまだ軍に所属して日が浅い。ウェルキンゲトリクスに子供はいないが、幼少の頃より世話をしたり自身の子代わりに育ててきた間柄である。本来ウェルキンゲトリクスと言葉を交わせる位ではないが、微笑ましい光景であると黙認されている現状があった。

「とはいえこの試練、急ぎ乗り越えねばならん。ついてこれるかな? セレスタン」

 セレスタンと呼ばれた少年は胸を張って「はい!」と返事をした。その顔つきを見て英雄王は父親のような顔を見せる。

 セレスタンの剣技は今まで育ててきた甲斐があって卓越した技術を持っていた。あとは実戦経験を積むだけ。自信と経験を蓄積し自らの代わりとなるその日を、英雄王は楽しみに待っていた。


     ○


 その日は乾いた風が冷たい冷気を運んでいた。青空の一切見えぬ深い曇天に覆われた天蓋。一片の光すら通さぬ薄暗い世界に英雄王は佇んでいた。

 戦には勝った。今日は拠点を一つ落とす大きな進展もあり、不運続きの聖ローレンス軍にも士気の向上が見られた良き日である。しかしウェルキンゲトリクスにとっては違った。その日は英雄王の記憶をして、遥かに遡らねばならないほど最悪の日となった。

「悪魔の疫病、まさかよりにもよってこれを発症するとは」

 見るも無残なその死体に、近づくことすら出来ないウェルキンゲトリクス。死体と英雄王の関係を知るものは皆一様に沈痛な面持ちであった。子のいないウェルキンゲトリクスにとって、彼は生きる意味のひとつであったのだから。

「安らかに眠れ。神のしもべセレスタンよ。いずれ私も、彼女も、そちらへ行く。しばし待て」

 そう言って自らがたき火を取り、悪魔の疫病のかかったものたちに火をつけた。

 この世界において最も恐れられている疫病、悪魔の疫病。全身に痘痕を生み、高い致死率、治癒しても痕の残ることから不治の病として恐れられている。この死病にかかったものは、国によって扱いは異なるものの多くはこのように火葬とされる。時には生きたまま焼かれることもあり、愛するものを燃やしてでも食い止めねばならぬほど、世界中で忌避されていた。ゆえに悪魔の疫病と呼ばれているのだ。

「これほど立て続け……本当に偶然なのでしょうか?」

 震える声を放つ部下。周囲も身体を震わせている。知っているものも多いのだろう。今、自分たちが何と呼ばれているモノを相手にしているのか。それを誅するために動き出した自分たちに降りかかる災厄の数々。もはやこれは偶然と呼んでいいものなのか――

「偶然だろう。それともネーデルクスは疫病を操る術を見つけたのだとでも申すか? それならば一年もしないうちに世界はネーデルクスのものであろうな」

 ウェルキンゲトリクスの軽口に周囲の空気が弛緩する。

「明日以降少し無理攻めをする。犠牲は多くなるだろう。それでも冬に入る前にあの男を討つ。そうして初めて、今日まで失ってきた友たちに顔向けできるというものだ」

 部下の顔つきが変わる。やはりウェルキンゲトリクスは一流のモチベーターであった。このような状況においてさえ、彼の一言は部下の心を発奮させる。聖ローレンスの大黒柱、国家の象徴である聖女を支える最強の剣。三大巨星最強の男。

「ルドルフ・レ・ハースブルク、討つべし」

 ウェルキンゲトリクスだけがこの場で理解していた。それは理解というにはあまりにあやふやで、合理性に欠き、あまりに不条理なものである。それでもウェルキンゲトリクスは理解する。この状況を生んでいるのは、他ならぬあの男であると。

 神の子、『青貴子』ルドルフ・レ・ハースブルク。神に選ばれたものの不条理なまでの天運が、疫病すらもこの地に呼び寄せたのだ。


     ○


 少し本営から離れたところに豪奢なテントが設営されていた。その中にいるのは大柄な男が二人、女性としては大きいが二人と比して小さい女性が一人。

 三貴士がこの場に集まりワインを飲んでいた。

「洩れ聞こえてきた情報によると、今度は悪魔の疫病らしいわねぇ。あーやだやだ、恐ろしいわぁ。わたくし明日から矛を交える気になれないもの」

 ジャクリーヌはワインを口の中で転がし風味を楽しむ。優雅な飲み方だが、肝心の見た目があれなので優雅とは程遠い。

「同じ土地にいるのにこちらは疫病のえの字も無い。まさに神の子、か」

 マルスランも満悦顔。一向に勝てない戦の将とは思えぬ顔つきであった。

「あれが頭になるだけでこの有様。洩れ伝わってくる情報の数々は冗談みたいな話の連続。これで士気を保ててるんだからやっぱり英雄王は化け物よねえ。それでも冬まで持たないでしょ。疫病は流行ってからが地獄だし」

 一度として地力では勝てていない。もちろんジャクリーヌやマルスランが局地的に勝利をもぎ取ることはあったが、ウェルキンゲトリクスの進軍を阻むほどではなく、英雄王の本隊とは緒戦以降一度として矛を交わしていない。だというのに勝てる。そのあまりの不条理さに、戦いに生きてきた者たちは嗤うしかなかった。

「敵が急いでくる可能性もあるぞ。無理攻めでもあの英雄王なら形にするだろう。死に物狂いで来られると厄介だ。何か策を講じる必要があるか」

 マルスランがワインを一気飲みする。光明が見えたときこそ気を引き締める必要がある。幾多の経験からマルスランたちはそれを理解していた。

「おそらく、必要ありません」

 ぼそりと、今まで口を開かなかった三貴士、ラインベルカが口を開いた。

「あら? 信頼って奴? 妬けるわねえ」

 軽口を叩かれるも、ラインベルカの表情は変わらない。ただ淡々と語り始める。

「あの方は生まれついての勝者です。私が出会ったとき、すでにあの御方は勝者でした。欲するもの、発さざるもの、何もかもがあの御方に集まってくる。それこそ神という父が子に何でも買ってあげるかのように。ハースブルク家の『嫡男』という地位も、そのひとつです」

 ネーデルクスにいるならば一度は聞いたことのある話。二十九人もの後継者候補が『不運』にも死に絶え、四歳の誕生日の日に嫡男として扱われることが決まった。そうすると今度はハースブルク家の調子がどんどん上向いていく。元々大貴族の家であったが、特に何かをすることもなく、気付けば国家で最高の地位にあった。勝手に蹴落とされていくライバルたち、自滅するものもいた。

「王家を凌ぐ力もそう。すべてはあの御方が生まれてからのこと。坊ちゃまが成人なさった時、おそらく今の当主様は死に絶えるでしょう。そして高く聳えるハースブルク家当主の椅子に坊ちゃまが座られる。負けることなく、勝ち続けて」

 順風満帆。一度として躓きの無かった人生。思惑を外したのは、もしかすると少し前のフランデレンが初めてだったかもしれない。それにしても二人の軍団長を討ち取るオマケ付きの痛み分け、かつルドルフが矢面に立つことのなかった戦である。

「何もせずとも勝ちます。坊ちゃま一人でも勝ちます。ただ坊ちゃまは面倒くさがりなので御自身で動きたくないだけなのです。私は、本来必要ない存在なのです」

 凄くさびしそうにうつむくラインベルカ。それを見て二人はため息をついた。ルドルフがラインベルカを切り離して半月、未だに叱責されたことが尾を引いているのか、落ち込み続けている彼女を預かる二人としてため息の絶えない日が続いていた。

「とりあえず飲みましょ、ね」

「はい。飲みます」

 ジャクリーヌらが止める間もなく一気飲みするラインベルカ。その散々な有様を見て、やはり二人はため息を重ねた。


     ○


 ルドルフは一人世界を睥睨する。下界で蠢く不運の数々。誰の手を借りたわけでもない。もちろん自分の力などではありえない。天からの贈り物。神はルドルフに全てを与えてきた。そして今回もまた勝利を与えようとしている。

「大したことねえなあ、巨星ってのも」

 ルドルフの眼は退屈に染まっていた。この戦の間、どれだけの欠伸をかみ殺したことか。結局質の悪いおっぱいにも飽きて、ここ数日おっぱいに触れていない。ラインベルカの部下に女がいるのでそれでも揉むかと考えたが気乗りしなかったので止めた。

「今回は、もしかしたら負けられるかもしれない。そう思ってたんだけど」

 ルドルフは餓えていた。退屈という名のがらんどう。それを埋めてくれる相手を探し続けていた。もしかするとおっぱいを揉むのも退屈しのぎなのかもしれない。

「まあいっか。どうせ巨星はいずれ堕ちる。ウィリアム、ヴォルフ、新星たちの手によって。他にも何人か面白そうなのがいる。なら僕はそれを待てばいい」

 ルドルフは立ち上がり、両手を広げた。

「早く上がってこいよ。僕は退屈で死にそうなんだ。早く僕を満たしておくれよォ」

 ルドルフの顔は狂気に満ちていた。何もせずとも勝ち続ける数奇な運命を持つ男。ネーデルクスが生んだ神の子。彼は待っていた。自分を満たす何かを――

 ルドルフの表情がいつもの柔和な表情に戻る。

「何か楽しいことはないかなっと」

 ルドルフは椅子の隣に重ねられている羊皮紙の山に手を突っ込んだ。それは三貴士はもちろん軍団長、師団長、百人隊長たちにまで公募した作戦が書かれたものであった。それをルドルフが適当に選んできて、用いる。それらの策に関して今のところ完璧に嵌まっていた。ただしそれを凌ぐ勢いで英雄王に喰い取られているのだが――

「へえ、ちょっと面白いかも」

 ルドルフは暗い笑みを浮かべる。引き当てた策を見て。


     ○


 聖ローレンス軍は先日の勝利で士気が上がっていた。そして英雄王の苛烈な攻め、死をも恐れぬ兵団が熱狂の渦を形成する。その空気感はネーデルクスを粉砕していく度に増し、そのたびに絶望感がネーデルクス軍を覆う。

 余裕を見せていたジャクリーヌやマルスランの手が回らないほど、聖ローレンス軍の足は速く力は強かった。英雄王の率いた軍の強さ、一兵卒に至るまで充満する覇者の空気。これぞ巨星の力と言わんばかりの圧巻の光景。

「くそ、化け物め! このままでは本陣まで届くぞ!」

 世間一般に言えばマルスランやジャクリーヌとて怪物の領域。しかしウェルキンゲトリクスは違うのだ。存在の桁が違う。世界に三人しかいない最強の存在。

「主よ。我らに光りあれ」

 剣を引き抜き突撃する。それだけで味方の士気は留まる事を知らず跳ね上がり、敵の士気はどん底にまで突き落とされる。もはや強い弱いではない。強さがどうこうの次元ではない。そこにいるだけで力が湧き出してくる。それが三大巨星の引力。

 覇者が持つ勝利を引き寄せる力である。

「森を抜ければそこが本陣。背後は崖、かなり遠回りせねば退くことかなわず」

 気付けばネーデルクス軍は詰まされていた。この日こうして無理攻めされなければ逃げ出す暇もあったかもしれない。だがその猶予を与えるほど英雄王は甘くない。

「取らせてもらうぞ、その首を!」

 ウェルキンゲトリクスの本隊が蹂躙する。


     ○


 乾いた風が吹いていた。方角はいつも南からの風。時折西や東に風向きが変わることはあるが、北側から風が吹くことは滅多に無かった。だからこそウェルキンゲトリクスやその側近たちも最初に思考から外してしまう。森に入るなら当然警戒すべき原初の策。

「よーし、そろそろいっちゃおう! 派手によろしく!」

 ルドルフの指示の下撒かれる油。近隣の町や村から徴収したありったけをぶちまける。動植物の油を混合した匂いがこの辺りに充満する。

「しかしルドルフ様。風向きが」

 言いよどむ部下を一瞥もせずルドルフは笑った。

「僕の命令は絶対でーす。逆らったら君たち全員死刑! とゆーわけでやっちゃって!」

 未だ風向きは変わらず。南から乾いた風が吹き荒ぶ。どう考えても風向きが変わる兆候は無い。そもそも北からの風など滅多に無い。

 死刑といわれても躊躇している部下を見てため息をついた。まあここで燃えれば風向きから考えて自分たちを燃やすも同義。焼身自殺はやりたくないという考えは理解出来る。

「んもう! しょうがないなあ。やらないなら僕がやるよ。貸して!」

 ルドルフはたいまつを手に取った。ぱちぱちとはじける焼ける芳香が、ルドルフの鼻腔をくすぐる。ルドルフは火が好きであった。派手だしかっこいい。しかも役に立つ。自分の次に火は偉い。そんなことを考えていた時代もあった。

「よーし、点火!」

 油を伝い一気に燃え始める。ルドルフは「あっちっち」と退散し、部下たちも慌てて逃げ出し始めた。火は燃え広がる。ルドルフたちの方へ。

「きゃあああああ。死んじゃうぅぅぅぅうう!」

 ルドルフの背後で部下の一人に火がつき燃え始めた。助けようとしたものにも引火し、あたりは騒然となっていく。風向きは変わらない。

「あれ、これ本当に僕死んじゃう奴? あはは、すっげえ! 最高にバカな死に方じゃん」

 ルドルフは笑っていた。この地獄で、部下が燃えてのた打ち回る地獄で、笑っていた。別に自分だけが助かるという確信があったわけではない。死んでも構わないと思っているだけである。神の子が自分の放った火で死ぬ。最高に愚かで派手な死に方ではないか。

「でも、死なないから、僕はルドルフ・レ・ハースブルクなんだよねえ」

 ルドルフは立ち止まり、迫り来る火を前に笑う。

 風が、変わる。

「さあさあ君たちの大好きな神の試練だ。精々楽しんでくれたまえ」

 ルドルフの背後から吹き始める風。北からの風が猛火を押し返す。もはやこの光景は神業以外の何物でもない。神がルドルフを生かした。何が何でもルドルフという存在を生かしたい、勝たせたい。そんな神のわがまま。

「イッツショータァァイム!」

 神の劫火が聖ローレンス軍に襲い掛かる。

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