復讐劇『序』:剣闘王

「アル、かっこよかった」

 眼下に広がる熱狂の渦。それを眺めながらファヴェーラは親友に賛辞を送った。聞こえないのはわかっているが、それでも言いたくなったのだ。格差の先で一人奮闘する親友のために。

「あの人に似てきた。そしてあの人からかけ離れてきてもいる」

 カイルはさびしそうな表情で去り行くウィリアムを見つめていた。

「少しは騎士らしくなったじゃないか。やせっぽっちの騎士様」

 カイルは哂う。アルは騎士になった。あの頃想像した何物をも超えて。しかし護るべきものは未だない。騎士でありながら、彼は未だ喪失の中に居る。これを哂わずにいられようか。こんな喜劇があるだろうか。こんな悲劇があるだろうか。

 護るものなき業欲なる騎士。歪みはさらに大きく歪さを増す。

「でも敵は強大。私でもわかる。あれは別格」

 ファヴェーラはエアハルトを思い出す。嫉妬心すら塗り潰してしまうほど、エアハルトの輝きは常識を超えていた。憧れや畏怖、そういった感情しか浮かんでこない。敬意の欠片も持たないファヴェーラでさえこう思うのだ。その他大勢がどう思ったのか、考えるだけでゾッとする。

「そうか?」

 しかし、カイルはきょとんとした声を発し首を捻った。

「すぐに抜くさ。あの輝きの源泉は権力だろう。王族の中では機転が回る方なんだろうが。だだそれだけ。権力と言うのは実体がない。それゆえに厄介だが、それだけでは真の強者に喰われるだけ。力が足りんよ。あいつを喰らうには」

 ファヴェーラが振り向くと、そこには全てを下に見る、王者の顔がそこにあった。子供の頃から時折、彼はこのような貌を浮かべるのだ。ファヴェーラの知らぬカイル。出会う前のことを彼は二人にすら話したことは無い。

「この国であいつを止められるものはいないさ。見る限りじゃ」

 カイルがまとうのは王者の輝き。しかしエアハルトのような美しいものではない。もっと歪で、もっと泥臭く、遥かに血生臭い、戦よりより純粋な闘いの輝き。そしてかすかに、焦げた臭いがした。

「怖いのは身の内だ。あいつの場合はな。どうしようもなくなったら、誰かが止めてやらねばならない。あの日あいつの中で生まれた狂気、そして生来持つ飢えと渇き。持て余すときが来るかもしれん。手に終えなくなり、あいつの意に背く事になれば――」

 圧倒的力の奔流。

「俺があいつを殺さねばならない」

 凄まじい力を感じる。それなのにどこか儚げに感じるのは、ファヴェーラの気のせいだろうか。彼は過去を語らず、武を誇らず、優しさを貴ぶ。普段の言動とは相反する今の姿に、ほんの少しだけファヴェーラは哀しくなってしまうのだ。

「そうならないことを、祈っているがな」

 カイルは哀しげに哂う。そうなるであろうことを確信しているかのように。

 カイルは群集に背を向けた。

「何処に行くの?」

「今日は祭りだ。仕事もかき入れ時なのさ」

 普段通りのカイルがそこにいた。それでも、背から伝わってくる何かは変わらない。そのまま歩き去っていく背を、ファヴェーラは追う気にはならなかった。

 カイルが今日の光景から何を悟ったのか。それをファヴェーラが知るのは遥か先のことである。


     ○


「どうしましたか? バルディアス将軍」

 バルディアスはある一点を見上げていた。そこにはすでに何もなく、誰もそんなところに目をやっていない。しかし――

「いや、何でもない。お前たちも集中し、陛下の護衛に当たれ」

「はっ!」

 バルディアスはその男と視線を合わせていた。それは時間にして数秒にも満たない時間。それだけで男は自分を見切り、その上で興味をなくした。つまり取るに足らない存在だと認識されたのだ。そして、その差をバルディアスも感じていた。

(俺では勝てん。というよりも、あんな化け物に誰が勝てるというのだ」

 バルディアスは知らず震えていた。どこにあのような怪物が潜んでいたのか。アルカディアという国に、何故あのような怪物が存在し得るのか。軍にはいない。あんな傑物がいれば嫌でも目に付いてしまう。なら闇のものか、だがその考えにバルディアスは首を振る。

(闇のものであればあの輝きの説明がつかん。あれはどちらかといえば、王の――)

 巨星にこそ数えられていないが、バルディアスとて歴戦の武人。それが一目見ただけで畏怖しているという現状。理解が遠い。されど感性は正しく現状を認識していた。自らよりも、この場の誰よりも強い傑物がこのアルカディアにいる。

(わからぬ。わからぬが、震えが止まらぬなァ)

 己が愛するアルカディア。そこにこれほどの人材が集っているのだ。若く強く、何よりも伸び白のあるものたちばかり。おそらく今名を上げている全員が、順調な成長を遂げればバルディアスを超える。そして今日出会った怪物。

「悪いが、アルカディアは強くなるぞ。ストラクレスよ」

 アルカディアは強くなる。その確信が、バルディアスに歓喜を与えていた。


     ○


「それで、何がどうなっている?」

 ウィリアムとアンゼルムが人目につかないところで話し合っていた。

「確定的なことは何も。私やオスヴァルトが騎士位を動かすことは、ご承知の通り適わぬ事。騎士位は武官に与えられるものでありながら、その裁量を持つのは文官です」

 ウィリアムは歯噛みする。わからない状況ほど怖いものはない。

「王陛下の計らいでは?」

「ありえない。それをするならエアハルトがそう言っているはずだ。王族以外の誰かが俺に騎士位を与えるよう陳情した。そうとしか考えられん」

 ウィリアムは考え込む。どうしたってこの状況は良くない。与えられた地位に喜ぶだけならば馬鹿でも出来る。そこにこめられた意図がわからぬ限り、迂闊には動けない。

「ただ噂レベルですが、貴族の間で少し妙な話が」

「何でも良い。出来るだけ情報が欲しい」

 噂でも何でもかまわない。ウィリアムはいち早く、今の宙ぶらりんな状態から脱したがっていた。理屈で道を切り開いてきた男にとって、理屈を組み上げるパーツが著しく足りていない現状は不安を通り越して恐ろしさすら感じていた。

「とある貴族が動いたと……真偽のほどはわかりかねますが」

「理由は?」

「あります。あの時、貴方様がお助けになった貴族です」

「助けた……まさか」

 ウィリアムの脳裏に一人の人物が浮かび上がった。今でもその姿はありありと思い出すことが出来る。忘れるわけがない。その人物の名は――

「ヴラド、伯爵か」

 ウィリアムの、アルの仇なのだから。

「おそらくは。押し付けがましくない噂で伝わるというのも貴族らしい話です」

 噂を広めたのはおそらく本人。ほんの少し、微量に馨る程度にもらした。あいまいであやふやだが、だからこそ嫌味なく世に回る。

 調べる必要がある。火のないところに煙は立たないのだから。

「ヴラドは貴族の中でどんな地位にいる?」

「バリバリの文官、政治屋です。現在は貴族会の書記長を務めており、温和で親しみやすい人柄は上下問わず好かれているようです」

 貴族会の書記長。文官としてはまずまずの地位である。いち伯爵ではここが限界かもしれない。騎士位を陳情するだけならば、何の問題もない地位であろう。

「好かれている、か。ふん」

 ヴラドの内面を知る者としては反吐の出る話である。しかし今はそんな感情論で語る時ではなく、必要なのは理性でヴラドについて考えを巡らせる時。

「まず会う必要があるな。今日中に会えるか?」

「そう言われると思いましてすでに使者を送っています。もしヴラド伯が動かれていたのだとすれば、断られることはないかと」

 アンゼルムの動きの速さに、ウィリアムは内心ほくそ笑んだ。あとあとどう響くかわからないが、少なくとも現状は非常に優秀なしもべである。ウィリアムの望むことを出来る限り先回りしようとする姿勢も、今までの部下にはなかった心がけであった。

「まずはあちらの挨拶を済ませておきましょう」

「わかっているさ。どうだ? 身嗜みに不備はあるか?」

 アンゼルムが恍惚の表情で震えだす。「あ」とウィリアムは自分のミスに気付いた。だが、時すでに遅し。

「まったく。これっぽっちもございません! 貴方様の輝きは天を越えるもの。美しさに留まるところはなく、月も太陽も貴方様に並ぶところはありません! 唯一無二、存在だけで凡人ならばひれ伏すことでしょう。否、ひれ伏さねばなりません!」

 ウィリアムの問いにまったく答えていないアンゼルム。こういう面はなかなかにうっとおしいとウィリアムは思っていた。優秀さは比類ないが、どうしてもめんどくさい面が大きい。

(分離できねえかな。こいつ)

 煩わしい部分だけどうにか切り捨てる方法はないかと、真面目に考えるウィリアムであった。


     ○


 ギルベルトは一人の男と向かい合っていた。ギルベルトに似た金髪を短く刈り上げ、その眼は猛禽を髣髴とさせる。ギルベルトでさえ緊張してしまうほどの相手。

「何用だ?」

 現オスヴァルト家当主、ベルンハルト・フォン・オスヴァルト。武家の頂点であるアルカディア軍の大将にして、バルディアスに次ぐ実力者。『剣将軍』の異名を持つ。

「お願いがあってまいりました。ベルンハルト大将閣下」

「父上でなく、ベルンハルト大将閣下、か。申せ」

 ギルベルトは生唾を飲み込む。偉大なる父と対面する時、ギルベルトはどうしても緊張してしまっていた。幼少時、武芸大会でも緊張により良い所を見せられず、叱責されたこともある。成長してもこの感覚は変わらなかった。それでも――

「わたくしも師団長になりました。ゆえに、一人副将を欲しく思います」

「……ぬ? それはあてがったはずだ。あれでは不足か?」

 ベルンハルトがよこした人材。実力に間違いはない。剣も知も、兼ね備えている。しかし――

「不足であります」

 ギルベルトはきっぱりと言い切った。ベルンハルトは面白そうに眉を上げる。

「では、誰が欲しい? まさか今流行の白仮面ではあるまいな?」

 その言葉を聞いて、ギルベルトは嫌な顔をする。それを見てベルンハルトは内心苦笑した。もちろんウィリアムを部下につける気はない。将軍として、貴族として、また父として、その判断はありえない。

 ベルンハルトのウィリアム評は、優秀であるが自信家で野心家、誰かの下につく男ではないと見ていた。良くも悪くも真っ直ぐなギルベルトに御し切れる手合いではない。あれを捌くには、最低でも同程度の知略と武勇を備え、かつ手綱をきっちり絞ることの出来る者でなければならないだろう。そう言う意味で第二軍に置いておくのが現状ベターな選択肢。毒には毒を、あの軍には『彼』がいる。

 おそらくバルディアスでは早晩、制御し切れなくなる。それは己とて同じこと。新たな時代と向き合うには、自分たちは年を重ね過ぎていたのだ。

 それはそれとして、ウィリアムではないとすると――いくつかベルンハルトは名前を浮かべるも――

「わたくしが欲しいのは……アルカディア第二軍上級百人隊長、カール・フォン・テイラーであります。あれを引き抜いていただけたなら、他に何もいりませぬ」

 ベルンハルトは思いも寄らなかった名前に驚きを隠せない。よりにもよって、わざわざ自分の下に足を運んでまで、欲した人材があのテイラーだというのだ。

「何故そのような二流を欲しがる? まさか己が剣才のみで戦場を征するなどと夢想を抱いているわけではあるまい。良き将は良き部下を抱える。それが鉄則」

「なればこそ、私はテイラーを欲しているのです父上!」

 ギルベルトの目に揺らぎはない。そして、ベルンハルトは息子の圧に今までにないものを感じた。

「腕は立つか?」

「いいえ」

「才はあるか?」

「わかりませぬ」

「それでも欲すると?」

「はい」

 ベルンハルトには理解しがたいことであった。しかし将軍として、父として両面から頼まれれば断ることなど出来ない。何よりも、かすかに見えた兆し、天才がさらなる高みへ向かうために必要なのだというのならば――

「わかった。それを望むというのなら叶えてやろう。丁度第一軍から第二軍へ移りたいと申す酔狂なものもおってな。交代要員という形で移行させる。ただしこれほど俺の手を煩わせるのだ、結果は期待しても良いのだな」

 ギルベルトは笑顔で胸を張った。

「無論でございます」

 その自信に満ち満ちた表情。そこから溢れる才。ベルンハルトは内心ため息をついた。

(何故長男として生まれてこなかった。ギルベルトよ)

 ベルンハルトはギルベルトの才覚に惚れ込んでいた。それを前に出さぬよう厳しく接してきたつもりであったが、結局長男や他の兄弟親戚に悟られてしまっている。疎み排斥しようとする動きもある。長男であったならば、後継者であったならば、こんなことはなかったはずである。

「委細承知した。下がってよいぞ」

「はい!」

 溢れる才覚。剣才だけではない。将としても、人としても、ギルベルトはオスヴァルトの中で秀でている。それは兄弟のように育てさせたヴィリブランドやクリストフも太鼓判を押していた。オスヴァルトの未来を背負って立てる才能があるのだ。だからこそ今は厄介な状況。

 颯爽と退出していく背に、未来の剣聖を見た。

「カール・フォン・テイラーか。お前が推すのだ。何かあるのだろうな」

 師団長となった以上、ギルベルトの動きは戦局を左右するようになった。彼の一挙手一投足で勝ち負けが決まる。だからこそ、ここからが始まりなのだ。オスヴァルト、剣聖の血を最も色濃く受け継ぐ男が、どのような戦歴を刻んでいくのか。楽しみで仕方がない。

「邪魔立てはさせぬ。存分にやれ」

 家は全力で押さえる。ゆえに進めとベルンハルトは心の中で激励する。

 その程度しか出来ぬ自分を、名家のしがらみを、ベルンハルトは疎ましく思っていた。


     ○


「もーう。ヒルダのせいでウィリアムの雄姿見逃しちゃったじゃないか!」

「どうでもいいでしょあんなやつ。ほらルトもこっち来て。はい特等席」

「あ、ありがとうヒルダ」

「え、僕は?」

「その辺で立ってろ抜け作」

「酷い!」

 ヒルダとルトガルド、そしてカールは闘技場に来ていた。お祭りの華、市民最大の娯楽がこの闘技場である。今日はその中で最大のイベント、一年を締めくくる大決戦。絶対王者を倒すために各国から集められた武芸者が覇を競うための場。

「はーん。やってるやってる。へえ、まあまあ強いのもいるじゃん。ほら見なよカール」

「はえー。闘技場なんてはじめて来たけど、色んな人がいるんだね」

「当たり前でしょ。戦場とは違ってこっちは一対一が基本。集団戦とは一味違った純粋な闘争ってやつよ。あーもう! 私も出ればよかった!」

 ヒルダは闘志を充満させ、眼下で戦う闘技者たちを見ていた。さすが打倒絶対王者を掲げるだけあり、かなりの実力者が集まっている。何人かは明らかに雰囲気の異なる怪物たちも混じっていた。

「ちなみにカール上級百人隊長様はどれが強いかわかるぅ~?」

 絶対わからないであろうとニタニタするヒルダ。現在筆頭百人隊長であるヒルダは、カールに追いつかれつつある状況にちょっぴり苛立っていた。

「……僕がわかるわけないじゃないか。……あの双剣の子とか女の人とか、あのおっきい人とかは強そうに見えるけど」

 ヒルダはその答えを聞いて目を見開いた。それはヒルダが別格と見立てた三名でと相違なかったが、他の闘気を漲らせている有象無象に比べれば表向きは落ち着いて見える。真の強者とは必要なとき以外牙を隠しておくものなのだ。秘した牙は間違いなくあの三名が抜けている。

「い、意外と悪くない見立てじゃん」

 とてつもなく小さな声でもらすヒルダ。

「え、何か言った?」

 カールが聞き返すも、ヒルダはむすっとした顔でカールの頭を叩いた。「なんで!?」と嘆くカールを無視して、ヒルダは闘技者たちを見直す。

「こりゃ流石に絶対王者も陥落でしょ。あの三人も強いけど、他だって相当できる。あの大きいのなんてたぶんうちの将軍クラスよ。こっからトーナメントか何かで挑戦者を削るんだろうけど、ま、私の見立てではあの男が勝つわ。賭けてもいい」

 ヒルダは自信満々の表情。ルトガルドは首を捻る。

「絶対王者なのにヒルダは見たこと無いの?」

 常連っぽさを醸し出していたが、実は常連じゃなかったのではないかと暗にルトガルドは問う。問われ頬をちょびっと赤く染めるヒルダ。

「……来てみたかったけど一人じゃさびしいし、家の問題もあるもん」

「そうなの? じゃあ僕とおんなじじゃないか」

「……あんたに言われるとすっごくむかつくわ」

「ふふふ。二人は仲良しね」

「「ちがわい!」」

 闘技場初体験の三名。しかし武人の腕を見切る目はヒルダにも自信がある。実力者を当てることくらい造作もないし、勝負は時の運とはいえ抜けている実力者を推すのは至極真っ当。

「あ、オッズが表示された。……ん? 何で項目が二つしかないのよ?」

 遠目で見える数字。それはかなり拮抗して見えた。しかし――

「ハァ!?」

 その内訳を見てヒルダは素っ頓狂な声を上げる。カールやルトガルドも、さすがにその内容に唖然とするしかない。その内容とは、


「ようこそ! アルカディア王国最大の闘技場、ジーク・アルカスへ! 今日は絶対王者であるあの男がとうとう敗北を喫する日、それだけの面子を集めさせていただきました。いずれも劣らぬ剛の者。きっとあの男を玉座から引きずり落としてくれることでしょう!」


 声の大きな恰幅の良い男が全体に語りかける。円形の闘技場全体に響き渡る声はさすがの一言。よく通る声であった。

「今日の演目は至ってシンプル。これだけ集まったもののふたちを相手に、あの男がただ一人で立ち向かう。それだけでございます。集めに集めた武人百名。もしこれを抜けたなら、あの男は人に在らず」

 ふざけている。あまりにふざけた話である。ヒルダはどさりと椅子に座り、つまらなそうに頭を振った。

「話にならないわ。こんなの公開処刑じゃない。庶民最大の娯楽ってんだからどんなもんかと思えば低俗極まりないわ。酷すぎる」

 憤慨するヒルダ。見たかったのは彼らがしのぎを削る闘争であって、個人対集団のリンチではない。これほどの武人を集めたのだ。普通に戦わせたってきっと面白い。もったいないと思っていた。

「それでもカイルだろ? あいつは人間じゃないぜ」

「いやいや。百人抜いたらマジで人間じゃないだろ。……難しいな今日は」

「最近賭けが成立しなかったからなあ。まあ強すぎるからこんなもんで丁度いいだろ」

 周囲からこぼれてくる会話に、ヒルダがやれやれと首を振る。

「庶民に見る目なし。今日集まってる連中はそんじょそこらのレベルじゃないっての。あの三人ひとり一人でさえ勝てないってのに、他に何人いるってのよ」

 あきれ返るヒルダを他所に、カールは何か胸騒ぎがしていた。とてつもない、途方もない何かを目撃する。そんな不思議な予感があった。

「じゃあ、僕はその絶対王者に賭けるよ」

 カールはぽつりと言葉をこぼしてしまった。普通なら賭ける気にもならないふざけた話。それでも、なんとなく賭けてみたくなった。

 それを聞き逃さずヒルダはカールの頭をがっしり掴んだ。

「折角ちびっと見直してあげたのに残念ね。何を賭ける? お金?」

「ううー。今考え付かないよ」

「じゃあ命令権一回。どんな命令でも一回は絶対従うこと。それで良いわね。そうしましょう。さーて、カールに何をやらせようかなぁ」

 にししと笑うヒルダ。「えーやだなあ」と言うカールだが否定はしない。そもそも負けたところでヒルダ相手ではいつだって絶対的な命令権をもたれているようなもの。正直普段と変わらない。

 そうこうしている内に、百人の選手紹介が佳境に入っていた。

「――シタニアの女剣士ナナシ。謎の女性の実力は如何に!? そして遠いガルニアの地から放浪の旅を続けている双剣使い、ユーリ。彼の経歴もまた謎に包まれているが、今まで各国の闘技場を渡り歩いた戦績は無敗。これは大きな期待が持てます。そして本日のメイン、きっとこの御方ならばあの男を下してくれることでしょう。百人の中でおそらく最強の男!」

 全員の目が一点に集う。今日会場にいるものは目が肥えているのか、かなりの人数がその男の実力を察していた。抑えているのだろうが、隠しきれていない相当の力。

「ガルニアス、アークランドの元王にして、今、破竹の勢いで快進撃を続けているかの国の礎を作った王。『騎士王』アーク・オブ・ガルニアス。退位したのち世界を放浪し世界中の闘技場を荒らしまわっている正真正銘の本物。今のところすべての王者が屠られております! この男はアルカディアが誇る王者をも喰らってしまうのか!?」

 明らかに不服げな大男。だがそれもそのはずである。一度は王として戦場を駆けた男である。その自負と自信があるのだろう。世界中荒らしまわった闘技場で己に敵うものはいなかった。なればこのようなつまらぬ余興をするまでもなく一騎打ちにて勝利をつかみたいと思うのが本道。

「あちゃーやっぱそういうレベルかー。将軍どころか王だもんねえ。こりゃカールちゃん負け確定かな? かな?」

 しょんぼりするカールを見て心底嬉しそうに笑うヒルダ。それを見てルトガルドはこっそりと微笑む。

「ま、まだ絶対王者が現れてないもん。物凄い怪物かもしれないじゃん」

「どんな怪物よ。それこそドラゴンみたいな伝説や神話の怪物でも持ってくるしかないっての」

 ヒルダは勝ちを確信していた。というよりも勝負にならないと思っていた。全選手の紹介が終わって、賭けの締め切り間近になるとオッズが激変する。王者不利、それでも一定層は王者に賭け続けている。それを見ても馬鹿だな、としかヒルダは思っていなかった。

「さて、それでは我らが王者、あの男に登場してもらいましょう!」

 闘技場が沸く。選手たちは一様にそれをいぶかしげな目で見ていた。異国のものにとってこの状況は公開処刑としか思えない。やり過ぎた王者なのだろうと、扱い切れず切り捨てられた王者なのだろうとたかをくくっていた。

 それは半分正解である。

「ジーク・アルカスにて無敗の男、『|剣闘王(ロードオブグラディエーター)』カイルの登場だァァァァアアア!」

 しかし半分は間違っていた。

 確かに彼はこの闘技場で持て余されている。だがそれは粗暴であったり、野蛮であったり、残忍であったりと、そういったマイナスの意味ではない。ただただ強過ぎる、その一点だけが彼を絶対者とたらしめ、ただの闘技者の枠には収まらないという意味で、持て余されているのだ。

 王者が、彼の住処に現れた。

「な、にあれ?」

 ヒルダは絶句する。カールも、まったくの素人であるルトガルドでさえ理解できる。

「こんな、こんな化け物が何で剣闘士なんてやってんのよ!?」

 強過ぎる。ただただ強過ぎる。戦場という知恵の入り込む隙間、闘争における不純物のない世界で育まれた純粋培養の戦士。その中で飛びっきりの才能と武芸者として理想的な体躯を持ち合わせ、一度も負けず戦歴を積み重ね王者となった怪物。

「なるほど! これはたまらんな!」

 選手であるアークは大きく笑った。まさか世界の片隅、七王国とはいえ大衆の見世物でしかない闘技場に、このような化け物が隠れていたのだ。これを笑わずにいられようか。庶民の中だけで完結していた最強。誰にも知られず、外にも漏れ出ず、ただひっそりと男は君臨していた。

「なんの! こっちは百人にいるのだ。全員でかかれば勝てぬ相手ではない!」

「おうよ!」

 その差に気付いていない闘技者もいる。

「我が武、どこまで通ずるか。見ていてください兄上、姉上」

 その差に気付きながら、自分を試そうとするものもいる。

「…………」

 何を考えているのかわからないものもいた。

 そしてその場の全員に言えるのは、先ほどまでの余裕や慢心、それらが完全に消えているということ。百人でさえ、釣り合ってしまう風に見える。それほど王者は図抜けている。戦場における巨星が如く。

「さあ、賭けも締め切られます。お賭けになる方はお急ぎください」

 揺れるオッズ。最後には五分五分にまで揺り戻った。

「それでは皆さん。ジーク・アルカス最大のイベント、一年を締めくくる総決算。王者が玉座を降りるのか、それとも玉座を護りきるのか、己が眼で確かめていただきます!」

 世界が揺れる。闘技場全体がヒートアップする。

「皆さん準備はよろしいか? 戦士は剣を握り、市民は券を握ります。白か黒か、王が勝てば黒が舞い、王が負ければ白が舞う。白黒付けていただきましょう!」

 一瞬、静まり返る闘技場。皆固唾を呑んで見守る。

「勝負、はじめ!」

 世界が爆ぜた。

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