フランデレン攻防戦:終結の先へ

 戦争は終結した。アルカディアはヴィリブランド、クリストフら精鋭を失い。ネーデルクスは都市一つとその中の市民を失った。あまりに多くを失った激戦。廃墟と化したフランデレンの炎について、誰もがその真実を知ることはない。アルカディア国民はネーデルクスが、ネーデルクス国民はアルカディアが燃やしたと思っている。真実などどうでもいい。互いがどう思うか、そしてその感情の行き着く先はどこか、それが肝要なのだ。

 ヴィリブランドら『上』が空いた事により、ギルベルトのようにわかりやすい功を上げたものたちは軒並み昇進した。あくまで勝利したという形は崩せないアルカディア側にとって、武功を上げたものは率先して昇進させる必要がある。

 敵軍団長の首を取ったギルベルトは筆頭百人隊長へ。地味に敵百人隊長の首を取っていたアンゼルムとグレゴールは上級百人隊長に昇進した。

 国が祝勝ムードでゆれている中、此処だけはそれとは逆の空気を醸し出していた。

「……テイラーか」

 黒い喪服をまとったギルベルトは、屋敷の庭で犬と戯れている(いじめられている)カールの姿を見つけた。

「ご、ごめん。ふざけているわけじゃないんだ。でも、あ、やめて、ズボン破けちゃう」

「……シュヴェールト、放してやれ。一応それでも客人だ」

 ギルベルトが命じると、犬はきちっとカールを放してお座りをする。なかなか賢い犬であった。

「…………」

「…………」

 沈黙が二人の間に横たわる。カールはわかりやすく青ざめており、ギルベルトは平然と黙している風に見える。その間、犬はしっかりとお座りを続けていた。その犬にじゃれ付く小さな少女を見ている余裕は今のカールにはない。

「……今日は身内の葬儀に来てくれて感謝する」

 ギルベルトが頭を下げたことにより、カールは「ひゅ!?」と変な声をあげ、犬と少女もまたびくりと驚いていた。

「……そこまで驚くな。俺だって頭くらい下げる」

 カールは内心「嘘だ」と叫んでいた。もちろん表情にすら出さない。

「ヴィリブランドとクリストフは俺の目指すべき最初の壁だった。俺が越える前に死んだことは許されんことだ。俺は……絶対に許さん」

 今日はオスヴァルトの屋敷でヴィリブランドとクリストフの葬儀が行われていたのだ。カールは式に参列した後、広い庭をうろついていたら犬にじゃれつかれた(襲われた)。

 ギルベルトにとって二人は特別な存在であったのだろう。今まで見せたことのない悲哀に満ちた表情をカールの前で見せていた。

「……ギルベルト」

 カールは自身が母を失ったときの経験から、喪失の苦しみは理解していた。しかしかけてあげる言葉が見つからない。思いは共感できる。でも言葉にならないのだ。そのどうしようもない思いが顔に出ていたのか、

「……変な顔になっているぞテイラー」

 ギルベルトがそれを見て苦笑した。

「え? ど、どんな顔? へ、変かな? 普通だと思うけど」

 カールは自分の顔をぺたぺた触り始める。その様子を見てギルベルトは「ぷっ」と軽く噴き出した。その様子を見た少女は信じられないものを見る眼でギルベルトを見た後、なぜか思いっきりカールを睨みつける。カールはよくわからず自分の顔を触り続けていた。

「先の戦いで第一功は俺だった。だが俺は、貴様こそがその栄誉を授かるに相応しい働きをしたと思う。以前言った言葉は訂正させてもらおう。良くぞかの獅子候を止めた」

 カールは首を捻る。以前ギルベルトに何かを言われた記憶がないのだ。ギルベルトもそれ以上何も言わず、無言で犬の首下を撫でてやる。気持ち良さそうな犬。

「貴様は今、第二軍に所属していたか?」

 唐突に話題が切り替わる。

 アルカディアには第一軍から三軍まであり、微妙に役割が異なっていた。その中でカールが所属しているのは第二軍。ギルベルトが所属しているのは第一軍である。余談だがヒルダは第三軍所属であった。

「そうだった、かなあ?」

 自信なさげな表情のカール。それを見てギルベルトはため息をついた。

「自分の所属する軍団くらい覚えておけ。貴様は二軍、グレゴールも二軍だ」

 表立って一軍や二軍、三軍に差はないが、裏ではもちろん大きな差がある。武に精通する名家中の名家は一軍、微妙な立ち位置の貴族は二軍、三軍はある意味特別なので他の二軍と比較にならない。役割も異なり、大都市の防衛は一軍、小規模の都市の防衛、辺境の土地なども二軍の管轄である。

「アンゼルムとギルベルトは一軍だよね」

「ああ」

 その後しばし沈黙。結局、何故ギルベルトがこの話題を出したのかカールには理解できなかった。

「……あと少しで、あの男が百人隊長になる」

 あの男が誰を指すのか、察しの悪いカールでも理解できた。

「そうだね。やっぱりウィリアムは凄いもの。いっぱい首を取ってるし、これからだってきっと……僕なんかあっという間に追い越されちゃうよ」

 今はまだ百人隊長になったとしても同じ立場。しかしこの先それが維持できるとはカールには思えなかった。下ではなく対等になれば、ウィリアムとの関係は今まで通りとは行かなくなるだろう。ウィリアムを失えばカール百人隊の戦力はがくっと落ちる。夢から覚めたように不敗神話は崩れ去ることになる可能性の方が高い。

「くだらんな。過ぎたる卑下は見苦しいぞ」

 ギルベルトは心底呆れた顔でカールを見た。きょとんとするカール。

「ふん。間抜けなのは変わらず、か。客人を案内してやれ、ベアトリクス」

「え、やだ。こいつへなちょこだもん」

「……一応、俺の客だ。礼節を持って接しろ」

 ぶーたれるベアトリクスと呼ばれた少女。カールをちらりと見てげんなりする。

「そろそろ陽が落ちる。さっさと帰れ」

 言葉少なにギルベルトは愛犬を引き連れ去って行った。

 残されたのはカールとベアトリクス。

「おいへなちょこ。兄様があまいからってちょーしにのるなよ」

「え? 君、ギルベルトの妹さんなの?」

「あたりまえだへなちょこ。わたしのことはベアトリクス様とよべ」

「うん。僕はカールだよ」

「しらん。おまえはへなちょこだ。ついてこいへなちょこ!」

「あ、ちょっと待ってよベアトリクスちゃん」

「ちゃんじゃない! さまをつけろへなちょこ!」

 そんなこんなで猛烈な勢いで蹴られたり殴られたりしながら、カールはやっとのことでオスヴァルトの屋敷を出た。その頃には完全に陽が落ちていた。

 さすがの公爵家、広すぎる。


     ○


 ウィリアムは自身の商会を見回った後、既存の同業商会を回り、自分たちが扱っている商材はあくまで他の商会が扱っているものとは異なり、皆の縄張りを侵すものではないということの説明に明け暮れた。

 ある程度利益が出てくるとこうなることは予期できていた。テイラーの庇護があるとはいえ、そこは他業種での商売。色んなしがらみがある。

「これで何社回ったっすかね? 朝から動いてたのにもう夜っすよ」

 イグナーツはげんなりとした表情。フランクもお疲れモードですらりと高い背中が縮こまっていた。イグナーツは最初から縮こまっている。

「とりあえずこれで当面は問題なしだろう。安い商材を扱う気はないし、奴らの領分をこれ以上侵すこともない。ただ、これ以上の売上もないがな」

 ウィリアムは薬品関係の商売に早くも行き詰まりを感じていた。これはウィリアムの見極めが甘かったというよりも、最初の時点で大きな取引先が用意され、初動の素早さにより多くの医者や研究者、錬金術師、果ては魔術師に至るまで、大口の取引先はほぼ喰い切っていたのだ。

 テイラー家の商売におけるブランド価値が大きく、新業種でもある程度の信頼をいただけたのはそれが大きかった。早々に大きな売上を立てることも出来た。

 夜の王国にあった密売人などの裏ルートも一掃し、全てウィリアムが商流を掴んだ。これもニュクスの庇護があってこそ。もちろん相応の利益は夜の王国に還元しているが、それでも現状は助けられている面の方が大きい。

「……上手く行き過ぎてつまらんな」

 誰にも聞こえない声でぼそりとつぶやくウィリアム。

 勝つべくして勝っている現状。この状況でも数年であのルビーを取り戻し、其処から先も夜の王国、テイラー家との蜜月を築くには申し分ない状況。

 だが、つまらない。

「扱う商材を増やすぞ」

 唐突に言い放ったウィリアム。それを聞いてフランクは怪訝な顔をする。

「商売において一つの商会が手を広げすぎるのはタブーです。各業界でしがらみもありますし、全てを調整するのは至難の技かと思います」

 フランクの言い分も最もであった。フランクも長く商売に携わる商家の出である。宝石や貴金属を扱う専門商会であり続けたのは理由があるのだ。

「もちろん今すぐにではない。だが近いうちに……そうせざる得ない状況を作る。誰にも口を挟むことなどできない、そういう状況をな」

 ウィリアムにはビジョンがあった。それはまだ夢想の域を出ない。口に出せば馬鹿馬鹿しくて自らでさえ笑ってしまうだろう。だからこそ、今は胸に秘めておく。此処で満足していないと、それだけは伝えて。

「さて、あと一件回っておくか」

「え、いやちょっと、それは、なあ」

「……ウィリアムさんが言い出したら、僕たちじゃどうしようもないでしょ」

「腹減ったよお」

 今はまだ雌伏のとき。金を貯め、力を溜め、世界に挑戦する前段階。

 ウィリアムはまだまだ満足していない。金はいくらあっても困ることはないのだから。


     ○


 天へ駆け上る新星が現れる一方、この世界には遥か過去より輝き続ける巨星があった。


 七王国が一国、エスタード王国。首都エルリード。そこで最も大きく絢爛豪華な屋敷に、男はいた。圧倒的巨躯を誇り、身体に刻まれた数多くの傷は長き戦歴を匂わせる。芳しいほどかもし出される戦の匂い。偉大なる大将軍、

「ヴォルフ、か。ガルニア遠征の際やり合った獅子の小僧を従えておると聞く。あれは人に頭を垂れるような男ではないぞぉ。それがより若い未熟者に仕える。その意味や如何に」

 三大巨星の一角、『烈日』のエル・シド・カンペアドール。

「そしてそれをも止めたアルカディアの若造ども。世界が動くか」

 ただそこにあるだけで震えが走る巨大なオーラ。あまりにそれは大きく、常人では形を掴むことすらできない。この場にいる全員が、男の存在に飲まれていた。

「天へ手を伸ばす身の程知らずどもが。不愉快だ」

 エル・シドはそう言う反面、深く深く微笑んでいた。

 長きに渡る世界の頂点。それを脅かすものなど現れなかった。それがここ数年、明らかに今までと異なる異質な若者が現れ始めている。アークランドの『騎士女王』アポロニア、黒の傭兵団『黒狼』のヴォルフ、そして『白仮面』ウィリアムと『蒼き風』カール、『白剣』のギルベルト。『哭槍』の腕を奪い、劣勢のアルカディアを『黒狼』から挽回せしめた手腕。彼らのどれかがその偉業を為し得た。

「手を伸ばして見せよ。その手をこの俺様が捻り潰してくれる」

 渇望していた戦は近い。


 七王国でも異質な宗教国家、聖ローレンス王国。

 巨大で壮麗な十字架の下で跪く男は、嵐の来襲を予感していた。

「大きな時代のうねりが押し寄せてくる。主よ、また貴方は我らをお試しになるのか」

 男のまとうオーラは異質であった。優しく、冷たく、遠い。まるで神のような存在感。もし神が人を形どるならば、きっとこういう形となるであろう。

「ウェルキンゲトリクス様。聖下がお呼びです」

 ウェルキンゲトリクスは若く見えるが、すでに初老を超えた年齢である。しかし肌は艶めき、髪は流れるように美しき流線を描く。迸る活力は若者と比しても遜色ない。むしろ上回るだろう。

「すぐに参ろう」

 凛とした声が天蓋に響く。

「主よ。貴方が与えてくださった試練、何度でも私は超えて見せましょう」

 そのあまりの神々しさに、声をかけた者は失神しそうになった。

 時代の流れを神の試練と捉える男、幾度となく時代の流れを征し、この国に光をもたらしてきた英雄の中の英雄、『英雄王』ウェルキンゲトリクス。三大巨星に数えられており、隣接したガリアス、オストベルグ、ネーデルクス、エスタードから国家を守り続けてきた。四方を七王国に囲まれながらも聖ローレンスが今なお健在なのは、彼がいたからに他ならない。

 半世紀、一度として負けたことのない不敗の怪物は静かに流れを待つ。そしてそれを制すべく力を蓄え続けている。


 そして最後の巨星、オストベルグ最強の男、『黒金』のストラクレス。

 かの巨星は一言も発さず隣国たるアルカディアの空を見つめていた。時代のうねりが迫っている。過去であり現在でもある自分は未来と戦い勝利することが出来るのか。ストラクレスをしてわかりかねる。

 脳裏に焼き付くは、今までの戦歴。数多駆け抜けてきた栄光の残滓。そこには『黒狼』の挑発的な笑みと、暴走する『白仮面』の素顔もあった。次代を担うであろう新星たち。未来を喰らうか、未来に喰われるか、巨星となるか、数多ある星のひとつとして終わるか。

 ストラクレスは他の巨星と同じように笑った。ようやく来るのだ。

 戦乱の時代、混沌の時代、血の時代が。

 過去幾度も繰り返されてきた愚かなる人の業、戦の時代である。

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