フランデレン攻防戦:白黒つかず

「あっはっはっはっはっはっは! 燃えてる燃えてる。綺麗だねえ」

 ルドルフは燃えるフランデレンを見て爆笑していた。移動式大馬車には屋上すらあるのだ。その上で、あの地獄を喜劇でも見ているかのようにルドルフは哂った。

「おっぱいをもみながら、夕焼けを眺めるなんて凄い贅沢だよね。しかもこんな綺麗な夕焼けは滅多に見れないよ。空がほら、赤く燃えてる」

 ルドルフは満足していた。結局ルドルフにとって自分が矢面に立たない勝ち負けなどどうでもいいのだ。確かにウィリアムは危険であるが、まだまだ警戒に値しないことがわかった。ヴォルフは試金石、ウィリアムを測るものでしかない。

「んー、あっちじゃどんな顔しているかな? 『剣騎』ヴィリブランドと『剣鬼』クリストフ、二人を失ったアルカディアはどんな顔をしているのかな? それを想像するだけで僕は楽しくて仕方がない。ほんと良い仕事をしたよ、僕の『死神』ちゃん!」

 測った結果、ウィリアムは想像ほどではなかった。そしてヴォルフは想像以上だった。今回はこの結果でよかったのかもしれない。調子に乗せたらまずいのはヴォルフも同じ。互いに苦渋の結末だからこそ、悪くない。

「……ただ、次は僕が勝つよ」

 ルドルフの目に笑みが消えた。余興でも、土をつけられた事実は消えない。ウィリアムは想像ほどではなかった。それでも想像の範囲内では充分危険域。ヴォルフもおそらくこれから伸びてくる。ユーウェインやギルベルトなど綺羅星になりうる才もある。白きアルカディアも黒の傭兵団も、いつかネーデルクスの前に、ルドルフの前に立ちはだかるかも知れない。

 その時ルドルフは――

「白も黒も、選ばれし青の前では――」

 ルドルフは自国の通貨を天へ弾く。そのままそれを見ることなくフランデレンへ背を向けた。

「――無力」

 そう言ってルドルフは自らのおっぱいが待つおっぱいベッドに戻っていく。

 弾かれた硬貨は、大馬車から墜ちて地面に突き立った。表でもなく裏でもない。白黒つかない状況。第三の青が揺れ動くことなく其処に聳える。

 神の子、『青貴子』ルドルフ・レ・ハースブルク。神に愛されし彼の真の力を知るものは少ない。そして知る者は、たとえ怪物でさえ彼には逆らわないのだ。人は神に勝つことは出来ない。神の子は、現世の勝利を約束されている。


     ○


「俺が知る中で最強の女性だ。力、速さ、技術、全てが高次元でまとめられている。二番目は貴殿だがな、ニーカ殿」

 ニーカはてれを隠すようにユーウェインの背中を蹴った。地面に顔面から突き刺さる『獅子候』。今回いいところなしである。

「だが、それはあくまで表の顔。騎士であり、将として模範たろうとする姿だ」

 アナトールは燃えるフランデレンを哀しげな眼で見ていた。

「本当の姿は違う。残忍で冷酷、などという言葉が陳腐に聞こえてしまうほど、あの御方は人から逸脱してしまう。身が張り裂けんばかりの殺戮衝動。正気を失い、全てを殺し切るまで虐殺を止めることはない」

 アナトールの脳裏に写るのは、正気を失った自身の姿を嫌悪し、必死に別の姿になろうともがく少女の姿。しかし結局人の本性というものは変わらない。生まれ持った才能というのは確かにある。彼女の場合、それが人を殺すことだっただけ。

「ラインベルカ・リ・パリツィーダ。『三貴士』の一角にして『黒』を背負うもの。『死神』のラインベルカ。あの御方の戦いに人はいない。あるのは、殺戮衝動だけだ」

 戦闘ではなく、ただ殺すことだけの天才。人の命を摘み取る怪物。

「あの御方に、勝てるものなどいない」

 アナトールは断言する。貴族の、騎士の鑑たらんとするラインベルカも強い。自身よりも強い。しかし、黒き鎧を身にまとい、死神に身を窶したラインベルカは別次元。強い弱いを比べることすらおこがましい。

「人を超えた化け物に、誰が勝てるというのか」

 死を前に、人は無力なのだから。


     ○


「ふざけるな! 俺が出る!」

 ギルベルトを必死に抑えるグレゴールとアンゼルム。異変にはすぐ気がついた。これだけ濃厚な雰囲気の変化、気付かぬ方がおかしい。それでもギルベルトが動かなかったのは二人を信用していたため。今回はその信頼が二人を殺し、ギルベルトの命を救った。

「もうフランデレンを取る意味がない! 此処は廃墟になる。突撃した本隊も、これでは生きていられまい。地獄だ、これは」

 アンゼルムの声も聞かず、ただ二人の兄弟子を思い戦おうとするギルベルト。今のギルベルトを放っておくと、炎の中でも突っ込んでしまうかもしれない。

「諦めろよギルベルト。あの炎の中で、いったい誰が生きてるってんだ?」

 ギルベルトの瞳に涙が溜まる。必死に食いしばり、口の端から血が流れる。

「残念だ。とても、残念だ」

 悲しげな声でアンゼルムは首を振る。

「く、そぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!」

 ギルベルトの咆哮が哀しくも赤い夕焼けに飲まれていった。

 そのギルベルトの姿と地獄絵図を見て、アンゼルムの口元が不自然に歪んだのを見た者は誰もいなかった。


     ○


 血と臓物の海、燃える屍の中でラインベルカは泣いていた。

 踊るように人を断ち、歪んだ笑みで草刈の如く人を刈り尽くした怪物の姿はない。あるのは、あまりに深い悔恨、己に対する嫌悪と憎悪。罪なき者たちすら殺し尽くしたことに対する畏れ。

「すまない、すまない、すまない」

 泣き、震えるラインベルカ。

 死神となった自分をラインベルカは制御できないのだ。

 ラインベルカは処刑人の家庭に育った。建国以来それを生業とする一族にとって、死とは身近なものであり、畏れる対象ではなかった。そんな彼らの末裔だからこそ、神の子の対として『死神』を宿すに相応しいと王家は判断し、とある儀式を敢行する。神の子に先んじて、神亡き世界に神話を再誕させてしまった。

 初めてその依り代が我を失ったのは五歳のころ。気がついたら二つはなれた最愛の弟が死んでいた。全身バラバラに分断され、それを玩具に遊んでいたラインベルカ。手には血濡れの草刈用の鎌が握られ、骨を幾度も切り裂いた鎌は刃こぼれしていたと言われている。

「父様。動かなくなってしまいました」

 平然とそう言ってのけるラインベルカを、死を生業とする者たちでさえ畏れた。

 それ以来軟禁されたラインベルカだったが、食事を運ぶ給仕があらゆる臓物をぶちまけ、部屋に飾られていたことや、鋭利なものなど与えていないはずなのに人を綺麗に分断していたことなど、凄惨な事件は後を立たなかった。

 結局、人の手には余る、制御不能であることを理由に、ラインベルカを処刑することに決めた一族は、王家に隠れて一族総出で私事での処刑を行った。そして――

「わお。凄く綺麗だ。びゅーちほーだよ君」

 ラインベルカの一族は滅んだ。処刑しようとした者たちが、逆に処刑されてしまったのだ。より凄惨に、より残忍に。あらゆる非道、あらゆる悪意を凝縮したかのような光景が広がっていた。地獄である。

「コロセ」

 その後、ルドルフに拾われたラインベルカは理性と道理を学び、三貴士と呼ばれるまでになった。もともと武の才能はずば抜けて高く、後見人がルドルフであることもあり、最年少での出世を果たす。

 しかし根っこは変わらなかった。ルドルフも変わる必要はないと思っている。むしろ彼が欲しているのは『死神』なのだ。人を殺すためだけに生まれてきた怪物、『死神』のラインベルカを求めている。それがまた彼女にとって歯痒い事実であった。

「私は、何処まで行っても私のまま、か」

 自嘲するラインベルカ。脱ぎ捨てたフルフェイスの兜を見る。これがラインベルカのスイッチ。この鎧と兜を身にまとうことで、ラインベルカは死神となる。

「お疲れ様ですラインベルカ様」

 長年鍛えたおかげで、自分と同じような装備をしたものには手を出さなくなった。そのおかげで何とか軍の中で機能することが出来るようになった。

「そろそろ戻りましょうラインベルカ様。ルドルフ様が待っています」

 黒き鎧をまとう部下たち。彼らは死神の部下であり、地獄を作り出す死神の手足でもあった。火を煽り、油を撒き、フランデレンを焼いたのは彼ら。死神の手が回らないところで殺戮の助力をしていたのも彼ら。

「ああ、そうだな。今行く」

 渇いた笑みを浮かべながら、ラインベルカは立ち上がり涙をぬぐった。

 地獄の炎の中、死神たちだけが生き残る。ネーデルクス三貴士、『黒』の軍が忌み嫌われているのは、彼らが人ではなく死神に従う怪物たちばかりであるゆえであった。


     ○


 ウィリアムとヴォルフは思う存分打ち合った。お互いがこれで最後、相手を切り殺すつもりで戦う。生き残った方が勝者。そのつもりであった。

 ガギン。火花が舞う。示し合わせたかのような鍔迫り合い。そして両者一気に後ろへ跳び、距離を置いた。そして――

「ち、やめだやめ。こんな状況でやってられるかってんだ」

 先に剣を引いたのはヴォルフであった。肩で息をしているウィリアムに対して、ヴォルフは未だ余力を残している。このまま行けば勝つのはヴォルフ。

「ふざけるな。俺はまだやれる」

 情けをかけられたと思いウィリアムが吼えた。

「殺してやりたいのはやまやまだけどよ。フランデレンがあのざまじゃ金を取り立てることすら出来ねえ。ただでさえ負け戦。その上都市一個潰したんだ。誰が俺たちに金を払うってんだ?」

 ヴォルフはやれやれと首を振った。

「そんでもう一つ。俺が欲しかった三貴士の一角があんな化け物だとは思わなかった。あれは流石に扱える気がしねえよ。よくもまああの坊ちゃんはそばに置いてるもんだぜ」

 ヴォルフに与えられた仕事はウィリアムを殺すこと。その対価がラインベルカであった。しかしそれに対する欲は、本性を知った今、完全に掻き消えた。

「つかよ、ぶっちゃけもったいねえだろ? 超最高究極的天才様と一応ライバルのテメエが雌雄を決するってんだ。こんな誰も見ていない戦場の片隅で終わらせるにはちと勿体ねえ。どうせなら互いに、大勢引き連れてガチンコでやり合って、決着つけたほうが面白い。だから俺は剣を引く」

 剣を鞘に納めてウィリアムに背を向けるヴォルフ。

「つーわけでテメエも引いとけ。今俺とお前が置かれた状況は酷く単純だろ? どっちが強いか、それだけだ。戦術もクソもない。そりゃあ、やっぱ勿体ねえよ」

 このままいけばウィリアムは負ける。それは互いに理解していたことであった。単純明快。だからこそヴォルフはもったいないと思ってしまう。折角複雑怪奇な『戦争』を出来る相手が見つかったのだ。それに此処でウィリアムを殺してしまえば、『戦争』でつけられた敗北は二度と消えない傷となる。

 それをヴォルフは許せない。

「二度と、俺を殺せる機会などないぞ」

「バーカ。次、会った時殺してやるよ。完全無欠にな」

 ためらわず去っていく背中を、ウィリアムはゾッとするほどの表情で見つめていた。どう言い繕ってもウィリアムにとって情けをかけられた形。それを許せるほどウィリアムは寛容ではない。

「次は完全に殺してやる。個人でも、集団でもだ」

 ウィリアムは誓う。まだ、もっと、強くならねばならない。地を這う狼すら殺せないようでは天になど届きようもないだろう。あらゆるものが足りな過ぎる。それを今回ウィリアムは痛感した。

 必要なのは個人の武力と権力。自在に軍を統御できる力がなければ、この先出来の悪い他人に命を預けることにもなりかねない。狼たち相手にそれはあまりにも致命。せめて百人隊長くらいにならなければ話にならない。

「もっと、もっとだ。何もかもが足りない!」

 ウィリアムもまたこの場を去る。

 残されたのは地面や木に刻み込まれた激闘の痕。二人の才能がぶつかった痕跡。

 白と黒の伝説は始まったばかりである。


     ○


「おい、何で生かしやがったんだよボケナス」

「殺す理由がなくなった。それだけじゃ不服か?」

「たりめーだろ。あいつに仲間がどんだけ殺されたと思ってんだよ」

「俺たちだってあいつらの仲間をたっぷり殺しただろ? 戦場での斬ったはったなんざ恨みを抱いても仕方ねえ。金も出ない、おっぱいもダメ、戦う理由がない。それが傭兵だ」

 割り切れ、暗にヴォルフはそう言っていた。ニーカは不機嫌の極みである。普段口は悪いが未だ甘さを捨てきれないニーカ。それをヴォルフは悪いことだと思っていない。そういう人間がいてもいい。今回はそういうことを学んだ。

「なあユーウェイン。俺はやっぱり強かったよ」

「ええ、知っています。最初に出会った瞬間から」

 ヴォルフはすでに遠く離れた戦の空を見上げる。燃えていた赤い空、夥しいほどの血潮、その香り、遠く離れてなお鼻にこびりついたままである。

「でも、俺だけが強くてもダメだわ。それじゃ勝てねえ」

 今回ヴォルフが得たのは金でも名誉でもなかった。しかしそれ以上のものを得た。今回の犠牲はその投資。人の弱さを知った狼はようやく地に目を向けた。

「人ってのは馬鹿で間抜けでどうしようもないってのを理解して、上手く使ってやらねえとな。いやー、マジで参考になったぜ。これで俺に隙はねえ」

 ユーウェインはヴォルフの顔を見て笑みを浮かべる。自身が主に選んだ者は、やはり貪欲である。誇り高いが意固地ではなく、より良いものを取り入れる度量がある。狼はさらに成長するだろう。ユーウェインすら遥かに超えて――

「よーし、今度こそ真央海だ! 南のおっぱいちゃんとバカンスだ!」

「何処にそんな金があるんだよ馬鹿! 少しは学習しろ!」

 またも勃発するヴォルフとニーカの夫婦漫才。ナイフと血飛沫が舞う夫婦漫才だが、まあいつものこと。この場にいる全員が笑った。

(次はお互い大勢率いて、最初っから頭でやろうぜ。そんで今度こそ決めようや)

 ヴォルフはニーカのアッパーで頭を跳ね上げられながら、夜闇の空を見上げる。星星の瞬き。あの空のどこかで星が生まれては消え、生まれては消えを繰り返している。その中で一瞬の輝きで終わるか、この大空を照らし続ける巨星となるか、

(どっちが『強い』かってな)

 世界よ覚悟せよ。此処にも一人、世界すら飲み込まん新星が人知れず輝きを見せる。

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