フランデレン攻防戦:両軍相打つ
大一番の日。それは今までの戦争が遊戯であったが如く凄惨を極めた。
アルカディア軍が今までの鬱憤を晴らすかの如き、鬼のような進軍を見せ、勝ちを確信していたネーデルクス軍の虚をついた。アルカディア軍の中心を率いるのは破壊力に優れるグレゴール隊。一気呵成の猛攻は、ネーデルクス軍の中央を一発で粉砕。鎧袖一触とはこのことであった。
「な、なんだ? 何が起こっている?」
グレゴールだけでなくほかの百人隊長たちも、溜め込んだものを吐き出すかのように全てを投げ打ち進軍を続ける。消耗は激しいが、その倍相手を喰らって勝利を重ねていく。此処までの激闘を経て、緒戦より遥かに激しく進撃する若きアルカディアの精鋭軍。
「こんな、バカな」
崩れ落ちるのはネーデルクスの軍団長。横で険しい顔をしているアナトールに視線をあわせることが出来ない。あれほど大口を叩いたのだ。視線を合わせることなど恐ろしくて出来ないだろう。
「やはり、か。随分手の込んだやり口だ」
そんな様子に興味もなく、アナトールは相手の動きだけを注視していた。といっても対策など取れようはずもない。山岳方面のアルカディア軍全隊が攻めてきているのだ。アナトール一人の武勇でどうにか出来る範囲など高が知れている。
(あの男ならどう対処する? この死戦を、どう捌く?)
アナトールの脳裏に浮かぶのはあの自信ありげな笑み。己を絶対と信ずるあの男なら、この状況をどうにかできるのか。少しだけ興味があった。
「ふ、知っても意味がない。奴らを切ったのは他ならぬ我らだ」
そう言ってアナトールは自らの仕事道具を背負う。それを見て軍団長は「ぁ、ぁぁ」と言葉にならぬ魂の抜けた呟きをこぼした。
「出撃する。貴様も誇り高きネーデルクスの軍人ならば、その意気を見せよ」
アナトールは前を見つめる。結局のところ自分に出来るのは、一兵卒と変わらぬ個人の戦いだけ。ならばせめて他のものよりも少しばかり良き働きを見せねばならない。それくらいせねば『哭槍』の名が泣く。
「征くぞ」
『哭槍』のアナトール、出る。
○
戦は熾烈を極めた。グレゴールを先頭とした中央軍の勢いは凄まじく、ネーデルクス軍が下手に前がかりになっていた結果、短い時間で中央が瓦解。それでもグレゴールの足は止まらず、前へ前へと進んでゆく。
それを陰で支えるのはアンゼルム。勢いが減衰しないよう、要所要所で上手く作用する。この両輪がかみ合って異常な勢いが生まれていた。
この二将が率いる中央軍こそが本山岳戦における最大兵力。ぐいぐい攻めるグレゴール。本来グレゴールはこう動いてこそ真価を発揮する。小細工抜きの全力突貫。足りない小細工はアンゼルムが補う。
中央軍の破壊力は凄まじく。蛮勇とも取れる突撃により多くの死者を出したが、その倍の兵を蹂躙してのけた。
これを眺める黒い影。
「おーおー。グレゴールとアンゼルムか。さすが良い動きだねえ」
ヴォルフたち黒の傭兵団であった。彼らは一所に集まり伏していた。
「二人とも良い駒です。それゆえ替えが利かない。『空き』ましたね」
ユーウェインはある一点を見つめていた。ヴォルフが早朝発表した本日の狙い。あくまで全体の勝ちにこだわるならば、あそこを落とすしかない。
「ニーカは中央を抑えて時間を稼げ。ユーウェインと俺はあそこを潰す」
ユーウェインの見ていた場所が本日の戦術目標。もはやヴォルフたちに全体への影響力はない。ならば狼の群れが一丸となって一つの戦場を圧倒するしか道はなし。
「落ち合う場所はさっき言ったとおりだ。各人、生きてたら会おうぜ」
その一つを抑えれば、まだ『全体』での勝機は残される。それをヴォルフたちは狙っているのだ。一発逆転。前がかりになっているのは何もネーデルクス軍だけではない。アルカディアもまたリスクを犯して攻めている。付け入る隙はある。
「さーて、いっちょ決めてやりますかね!」
黒の傭兵団、始動。
○
中央を押し進むグレゴールとアンゼルム。若手随一の破壊力を持つグレゴールと、アルカディア全軍を通してトップクラスに器用であるアンゼルム。二人が組むことで軍の破壊力は相乗していく。
抑えるべく出撃したアナトールであったが、個では圧倒できても多では別。上手さと勢いを兼ね備えたアルカディア軍に押される形となる。これでも一時期よりは持ち直したのだが、根本的な解決には至っていない。
「アナトールを近づけるな! 矢で牽制し続けろ」
アンゼルムの命が飛ぶ。手堅いながらも効果的な英傑封じの遠距離戦。如何に『哭槍』とて近づけなければ槍の振るいようがない。接敵できず、じわじわと削られていく。
「押し切れええ! 本陣は目の前ぞ!」
グレゴールの咆哮に呼応し全軍の士気が上がった。此処まで溜め込んできた攻め気を一気に爆発させ、相手を蹂躙しつくすまで殺意の放出は続く。
「ぐぬ。此処までか」
アナトールは敗北を覚悟した。敵に近づけさえすればどうにかする自信がある。しかし相手はアンゼルム。付け入る隙など与えない。
「申し訳ございません。ラインベルカ様」
かくなる上は決死の覚悟で突撃し、相手の将を討ち取るのみ。近づける可能性は低いが、国家に対する忠誠、自身の主に対する忠義が彼をこう動かす。
「どちらにせよ、敗北の責任は取らねばならぬ。それがネーデルクスの軍人である俺の責。征くぞ!」
命がけの突貫。数秒後には絶命しているかもしれない。それでもアナトールは前に進む。死は怖くない。数多の死を見て、生み出し、積み上げてきた。今度は自分の番が来た、ただそれだけのこと。
「来るか。惜しいな、あと少し早ければ仕留められたものを」
アンゼルムはアナトールの様子を尻目にひとりごちる。アンゼルムの視線はそこにない。今危険なのはアナトールではないのだ。今最もこの戦場で脅威なのは――
「やはり来たか。|黒の傭兵団(ノワール・ガルー)!」
グレゴールの叫びと同時に、アルカディア軍の側面が炸裂する。来る精鋭。その速きこと、その強きこと、狼の如し。
「おっと。お邪魔するぜ」
『黒狼』のヴォルフを先頭に黒の傭兵たちが牙を剥く。勢いに乗ったゆえにアルカディア軍の側面は隙だらけ。柔らかい肉を噛み千切るかのように軍が引き裂かれていく。
ヴォルフの空けた突破口を、
「失礼します」
『獅子候』ユーウェインが大きく広げる。その白金の輝きは副団長ながら先頭のヴォルフに匹敵する。戦場を制覇する王の御姿、威容の前に凡人はひれ伏すしかない。
「どけどけ! ニーカ様のお通りだい!」
怪我は完治していない。それでもニーカは戦場に舞い戻ってきた。取り戻すべきは勝利ただひとつ。勝ち残って初めて己が存在証明となる。
傭兵は勝たねば意味がない。勝って報酬をたんまりいただく。そして名を上げる。金と名誉を積み上げて、天を掴む。
「ニーカ。脇役どもの相手は任せる。乱戦は俺らの領域だ。勝て」
「誰に物言ってんだよ。テメエこそ負けるなよバァカ」
「はっ。俺が負けるかバァカ」
ヴォルフとニーカは短い間だけ視線を合わせる。ニーカがヴォルフの力に対して絶対の信頼を寄せる反面、ヴォルフはニーカの力に対してそれほどの信頼は抱いていない。しかし目的を同じくするもの同士、力とは別のところでヴォルフはニーカを信じていた。彼女は何があっても自分についてきてくれる。
だからこそ自分は全速力で駆け抜けられるのだ。
「よーし、お前ら全力で抜けるぞ!」
ニーカに中央を任せる。アナトールと組めば簡単に抜かれることはない。その間に急所を噛み砕けばネーデルクスの勝ちは見える。山岳が手遅れになろうとも――
「やはり狙いは……平地と山岳の要、平地と連動して勝利を得るつもりか!」
平地を制せば勝ち目は充分。忘れてはならない。あくまで山岳は平地での戦いを優勢に進めるための陣取り合戦。平地で勝てば、全てがひっくり返る。
「「此処まで読み通り!」」
この状況はすでにウィリアムが読み切っていた。最初の時点でこうなることは予想済み。今のところ全て机上での戦が再現されている。もちろん先日軌道修正したヴォルフの絵図もこの状況を描いていた。両者此処まで読み通り。
「あばよ三下ども」
ヴォルフたちは圧倒的な力でアルカディア軍の側面を喰らい切った。群れた狼はこれほど強いのか。アルカディア軍の誰もがそう思い、畏怖する結果となる。
完全に黒の傭兵団に突破され、分断された中央軍。その中心で、
「つーわけで……よろしくなアルカディアども」
「ふっ、心強い援軍だ」
今度は最初から一攻一守の双剣を構えるニーカ。アルカディア軍の荒れた側面をさらにぐちゃぐちゃにかき乱していく。一気に乱戦模様となる戦場。アナトールもその隙を突いて一気に接敵。死者の嘆きが一気に敵を討ち貫いていく。
「女と哭槍……難儀だなおい」
「持たせるのが最低限のノルマだ。気合を入れろ」
「わかってる!」
優勢は消えた。どっちが有利かわからぬ乱戦。中央がどう転ぶのか、それは戦っている当人たちでさえ未知数である。
○
ヴォルフたちの狙いは平地との要の地点。序盤はギルベルトが、中盤から終盤にかけてアンゼルムが守護していた場所。此処を取る事で平地ににらみを利かせられる。それだけでなく、山側から兵を送ることも可能になるのだ。取らば未だにらみ合いの枠を超えていない主戦場たる平地戦を一気に動かすことになる。
ヴォルフたちが知る術はないが、山岳戦における実質的な本陣はここに移行していた。軍団長こそ別の場所にいるが、機能的には完全に此処が本陣。アルカディアにとって最重要地点であり、ヴォルフたちの戦術目標でもある。
「なるほど……見事な陣構えですね」
ユーウェインが感嘆の声を上げる。アンゼルムがせっせと拵えたであろう見事な陣。地形もまた大きな下りから緩やかなのぼりで、弓の射程など考えると黒の傭兵団側が不利。地形を最大限利用し、加えて手抜きなく作られる鉄壁の陣構え。
「……嗚呼、やっぱな」
この陣から薫るのはウィリアムの匂い。直接対峙していないユーウェインですらそう思ってしまうほど、それは基本に則った上、相当なアレンジを加えられていた。強固、堅固、鉄壁。それでいて柔らかさすら内包している。間違いなくウィリアム発案。
「もし此処を守るのがウィリアムじゃない方だとしたら……お前一人で落とせるか?」
だからこそ――
「私が落としてしまっても良いのですか?」
ヴォルフは微笑む。
「今日は俺より目立って良いぜ。好きにやりな『獅子候』。俺は――」
ヴォルフは此処にウィリアムはいないと踏んだ。あまりにも露骨過ぎるのだ。狼の嗅覚からは罠の匂いしかしない。そもそも、ヴォルフと同類であるはずのウィリアムがこんなところにいるわけがないのだ。
「お仕事を済ませてくらぁ」
そう言って十人ほど率いてこの場を離脱した。
「残念です。私も『白仮面』と戦をしてみたかったのですが」
ユーウェインは自らの剣を引き抜く。がっちり防衛側が構えた状況は攻め手にとってなかなか難儀である。多くの駒を失う可能性を秘めているのだ。それでも、
「まあいいでしょう」
獅子は腹を空かせていた。ヴォルフの下につくようになって面白い戦を何度もこなしてきたが、獅子の腹を満たすほどではなかったのだ。ヴォルフは己が唯一認めた王ゆえに立てる必要がある。それゆえ美味しい獲物や状況は譲ってきた。
「では、始めましょうか」
満面の笑みを浮かべるユーウェイン。しかし周囲を固める古くからの側近たちは知っている。獅子が戦場で笑顔を見せたとき、それこそが本気を出す合図なのだと。
「私に続いてください」
白金の獅子が万全の構えを見せる陣に突撃していった。
○
ヴォルフは笑っていた。かつてこれほど楽しかった戦場があっただろうか。これほど苦しかった戦場があっただろうか。そしてこれほど相手を信頼できる戦場もまたなかった。相手が馬鹿ばかりだったから、いつだってヴォルフは確信を持てなかった。確信などなくとも勝てていた。
考えに考え抜いて、そしてぴたりと噛み合う感覚。これはもはや運命かもしれない。
「神は俺たちを同じ時代に生んだ。意味を感じちまうよなァ」
ヴォルフの眼にはいくつもの道が見えていた。
自分たちが総力を尽くして要を攻めた場合でも間に合うルート。などというものはない。ウィリアムとしては要が陥落してくれた方がありがたいのだ。アルカディア軍上部の席が増える。加えて自らが本陣を落とせば救国の英雄。
(でもそれを俺が選択するとは思ってねえ。んなの当たり前だよなァ。本陣が生存して初めて要を取る意味が生まれる。そんくらい俺じゃなくてもわかるさ。だから、互いにとってこのケースを考える必要はない)
ヴォルフたちはあくまで軍単位で見れば一つの駒。それが敵の要である地点を取ったとしても、紐がついていない孤立した駒などすぐに取られてしまう。
(ならテメエが考えるべきは別のケース。中央にある程度兵を割き、かつ要を落とすべく戦力を割り振った状況。これならば間に合う道はいくつかある)
実際ヴォルフはそうするつもりであった。そして相手もこう考えているという確信があった。だからヴォルフは直前で動きを変じたのだ。
(幾筋にも光る道。でもよ、テメエなら絶対あそこだろ? だってよ――)
ヴォルフは足を速める。部下はヴォルフについていくので精一杯。あまりにもヴォルフの足は速かった。それは単純な脚力だけではない。地形を把握し、一瞬の迷いなく最適なルートを選択できる頭があって初めてこの進軍速度が生まれるのだ。
(だってそこは――)
ヴォルフの視界が開ける。そしてヴォルフは最高の笑みを浮かべた。
確信が、歯車が、運命がかみ合った。
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