フランデレン攻防戦:凡人

 違和感に気づいたのは、重傷を負いネーデルクス本陣で傷を癒していたニーカであった。

「……なーんか俺らを見る目、戻ってねえか?」

 アンゼルムとグレゴールといった実力者を押さえ込んでの負傷であるニーカはともかく、他の隊を指揮する黒の傭兵団を見る目が変わった。ヴォルフやユーウェインはさして重要視していないが、嫌な予感がニーカの胸に去来する。

「最初俺らと会ったときの目だ。嫌悪ってほどじゃねえけど、拒絶されてるみたいな。ちっと前までは救世主みてーな扱いだったのによ」

 明らかな変化があるわけじゃない。しかし空気感はかなり変じた。当初の期待感は影を潜め、戻ってきたのは猜疑的なまなざし。

「ちーっとヴォルフに言いに行くか。立てないほどじゃねーし」

 ニーカはゆっくりと立ち上がる。

「いちち。ちぐじょーあの木偶の坊とメンヘラ野郎。いつか必ずぶっ殺してやる」

 陣幕から抜け出て、ヴォルフの下に向かう。


     ○


 ニーカがヴォルフの下にたどり着いた時、自身の嫌な予感が的中したことを知った。

「馬鹿かテメエ! あとちょっとで勝てるってのに、何寝言ほざいてやがる!」

 ヴォルフが怒号を飛ばす相手は、アナトールの代わりに山岳戦を指揮する立場に立った軍団長であった。アナトールが復活したところで一度指揮権が入れ替わった以上、未だに軍団長がトップであることは変わらない。

「ならいつ勝てる!? 我々は充分に待った。機会もやった。しかし勝てていないではないか! 結果の出せぬ傭兵なぞにこれ以上指揮を任せられるか!」

 ヴォルフの額に青筋が浮かんだ。拳を振りかぶり殴ろうとするところを、ユーウェインとアナトールが押さえ込む。

 軍団長はその様子を見て、

「荒くれ者め。所詮貴様ら下賎の出などこんなものだ。たまたま運良く盛り返せたのか知らんが、その時この私は指揮していなかった。『哭槍』どのには悪いが、私ならばもっと上手くやれたはずだ。やれる自信がある」

 強硬な姿勢を強めた。これにはヴォルフも怒りを通り越して呆れるしかない。個人の武勇で比較にならず、戦術だって同じネーデルクス軍である以上、アナトールと彼では将というくくりの中での差はない。客観的に見ればこんな馬鹿げた話はないのだ。しかし地位に酔った男に理屈は通じない。

「指揮権は私が引き継ぐ。貴様らの珍妙な策にも辟易していたところだ」

「待て。この者らを重用するのはルドルフ様の意向。それを無碍にするか?」

 アナトールが諭すも、

「私はラインベルカ様に貴方の代わりとなれと言われただけだ。重用せよとは命じられていない。貴方の意向に沿って今までこやつらに従ってやったが、大した戦果も上げておらず、副団長の一人は相手の策に嵌まって重傷。良い所など何もないではないか」

 これを聞いてニーカは悔しそうな顔をする。自分が足を引っ張ってしまった、そう思ったからだ。その言葉を聞いたヴォルフは潮の引いたように冷めた顔つきになった。

「わかった。指揮権はテメエらに返すよ。好きに戦え。俺たちも好きにやる」

 短く言い切ったヴォルフはくるりと背を向けて立ち去ろうとする。

「待て! 勝手は許さん。貴様らも今は我らネーデルクス軍の一員。私の命に――」

 軍団長は途中で言葉をつぐんでしまった。目の前の男が背から放つ、膨大な殺気に怯んだためである。

「行くぞ。ユーウェイン、ニーカ」

 有無を言わせぬ迫力。ヴォルフはずんずんと去っていき、ユーウェインも後に続く。ニーカは足を引きずりながら懸命に後を追おうとするも、慌てていたのか段差に躓き倒れかける。

「危ない。貴殿は重傷なのだ。無理をするな」

 そこをアナトールが槍を巧みに操り倒れかけたニーカを救った。

「わ、わりい」

 ニーカは謝る。それに笑みを浮かべながら頷き、アナトールは地位に溺れた部下を一瞥もせず彼女を担いでその場をあとにした。


     ○


「出来の悪い将だ。すまぬ」

 アナトールはヴォルフたちに頭を下げた。驚いたのはユーウェインとニーカ。ヴォルフは考え事でもしているのか、あさっての方向を向いていた。

 アナトールはすでにヴォルフたちの実力を認めていた。個人の武力もそうだが、集団となった時の力はネーデルクスでは見られない強さであった。強さを認めた以上、アナトールが指揮官であったならば彼らと心中する覚悟はある。そうするつもりでもあった。

「しかし何故急にこうなってしまったんでしょうか? 折角勝てそうだったというのに」

 ユーウェインは首を捻る。此処まで勝勢なのだ、今更こうなるのはユーウェインにとって理解に苦しむ状況である。

「まー微妙だけどな。俺よくわかんねえけど、勝てそうだったの?」

 ニーカのとぼけた質問にユーウェインは苦笑する。武人としての実力はなかなかのものだが、将としての眼力はまだまだ、本人はその辺りを努力する気もなし。全てヴォルフに丸投げと言った形。戦術面では素人と差して変わらない。

 だからこそそれは――

「……そうか。そういうことか!」

 ヴォルフにとっての金言となった。

 いきなり叫ばれて驚き目を見開く三人。そんなことお構いなしにヴォルフは興奮していた。

「あんにゃろう! はじめっからこれが狙いかよ! 凡人に戦場の機微はわからねえ。わかるのは損耗していく自分の仲間と、停滞している戦場のみ」

 ヴォルフの頭が急速に回転する。見えていなかった敵の狙い。ヴォルフは策と言えば全て戦いでのことを考えていた。地形を用いたり、陣を偏らせたり、上手く相手軍を倒すことこそ策だと、思い違いをしていた。

 ユーウェインの苦笑が歪む。ようやく思い至ったのだ。かの『獅子候』と呼ばれ数多の戦場を駆けた男が、気づかなかった小さな穴。『黒狼』、『獅子候』だからこそ気づけなかった穴は、長い戦いの中で大きく開いてしまった。

「俺たちは傭兵だ。傭兵は結果が求められる。俺たちは結果を出しているつもりだった。だけど――」

「彼らにはその結果が伝わっていなかった。それどころか逆に苦戦しているとすら思われていたのか」

 ヴォルフは腹の底から笑い出したくなる感覚を抑えるので必死だった。

 ヴォルフは全てにおいてウィリアムの上をいった。力も、速さも、戦術でさえヴォルフの方が少し上。だからこそウィリアムは戦いの中で勝つことを諦めた。戦いの外、敵軍の中で勝利の芽をじっくりと育て上げたのだ。

「俺たちが傭兵だってのもこうなった大きな要因だ。余所者がでかい顔して軍を指揮している。それを良く思う奴はいねえ。しかも百人隊や十人隊の中に食い込ませて、俺たちの動きを強要させた。窮地ならともかく、此処まで緩やかな戦場だと、苛立ちも募る」

 この長期戦に乗ってしまった時点でヴォルフたちの敗北は決まっていた。ヴォルフは二つの要因を失念していたのだ。自分たちが傭兵であること。そして兵たちが凡人であること。その二つ。それが致命。

「ニーカだ、アナトールだってのはただの加点事項だ。ちびっと効果はあったかもしれねえが、根本的にやられてたんだ。この俺が、究極的天才であるところの俺様が――」

 ヴォルフはようやくウィリアムの見ていた景色に追いついた。その視界の広さに、ヴォルフは笑いを抑えきれない。一、十人隊長でしかない男が、いったいどれほど遠くを見ていたというのか。この若さで、これほど人を手玉に取れるものなのか――

「認めるしかねえ。天才は二人いた。腹が立つのはそいつが……凡人でもあるってことだ」

 ヴォルフは笑いながら頭を掻き毟る。わかっていればいくらでも対策は取れた。全ては自分の責任。視野の狭い自分が巻き起こしたこと。挽回しようにも一度梯子を外されてしまった以上、もはやこの戦場で主役に返り咲くことはないだろう。

「……まあでも、最低限の仕事はするさ」

 ヴォルフは笑いながら、悔しさのあまり口の端から血を流した。


     ○


 翌日、明らかにネーデルクス軍の動きが変わった。昨日までのような軽快な動きはなくなり、変わりにずっしりと重い用兵となっていた。どちらが良い悪いではない。変わったことが重要なのだ。ヴォルフが頭から退いた、その事実こそが――

「待っていた。待っていたぞ!」

 待ち望んでいた瞬間。ウィリアム・リウィウスにとって最も辛く苦しい時間が報われた。確信があったわけではない。これに賭けねば勝てなかっただけ。唯一頼みにしたのは人の弱さ。付け込めたのはヴォルフ以外の者達。

「よし、よし、よし!」

 ウィリアムにしては珍しい喜びよう。しかし今回ばかりは仕方がない。相手は全てにおいて自分よりも上。やれること全てやった上で、徐々に削られていたのだ。本来ならば守勢側が絶対的に有利な状況で、それでもなお少しずつ喰い取られていた。それは戦術家としても、将としても、敗北を意味する。

「俺の弱さは認めよう。しかし勝つのは俺だ!」

 ウィリアムは高らかに宣言する。人の心に付け込む最後の策。これで整った。


 アルカディア軍はこの日、昨日までの均衡が嘘のように大きく後退。ネーデルクス軍に『大敗』を喫したのだった。


     ○


「どうなってんだよ急に。これじゃあ――」

 ニーカの声が黒の傭兵団の陣幕に響く。ヴォルフはニヤニヤと剣を磨く手を止めた。

「これじゃあ、俺たちが指揮していたから停滞していたように見えるってか? その通り。それが奴らの狙い。完璧主義者白仮面様締めの一手ってとこだ」

 ユーウェインらは酒を飲む手を止める。

「これで俺たちに指揮を任せようなんて考えるネーデルクス人はいない。いたとしても圧倒的少数派。こうなっちまうともう一度、良い塩梅の窮地に陥りでもしなきゃ指揮権は返ってこない。そして白仮面がそんな間抜けをするわけがねえ。やる時は一瞬だ。攻め気の馬鹿どもをカウンターで一閃。あっという間に本陣が落ちるって寸法よ」

 わざと敗北してでもヴォルフたちを中枢から遠ざけたかった。それほどにヴォルフの指揮を恐れていたという見方もできる。

「これで戦場は俄然厳しい。形自体実はそれほど崩してねえしな。押してるように見えるが、楔の位置はしっかり抑えてある。攻めの姿勢は出来てんだ」

 戦場全体は圧倒的にネーデルクスが押せているように見える。実際、今の軍団長周りはそう考えているだろう。そしてそれは演出されたもの。見た目ほど悪い形ではない。

「おそらく軍団長の首まで取りに来るだろう。俺たちに出来るのは、座して無傷で負けるか、多くの損耗を出しながらも相打ち覚悟で敵に喰らいつくか、どちらかだけだ」

 ニーカは無言で自身の包帯を引き千切る。未だ傷は癒えていない。それでも、このまま負けて退くのはありえないという無言の抗弁。

 ユーウェインらも酒を床にこぼし捨てて、各々武器や防具の手入れを始めた。

(くっく、馬鹿ばっかだなおい。ほんと、だからお前らは最高だぜ)

 ヴォルフとてこのまま座して負けを見守るなどありえない。自分の方が優れている自信がある。自分の方が良い駒を持っている自信がある。なれば負けはありえない。

「おーし、明日は白仮面の首を取っておっぱいちゃんを仲間に入れるぞ!」

「よっしゃああああああああああああああ!」

 俄然士気の上がる黒の傭兵団。おっぱいコールが陣を駆け巡る。

「おーし、今日死ね」

 ニーカがナイフを思いっきりぶん投げて、そのままの勢いで突進する。ヴォルフはナイフをかわすも突進はかわせずたこ殴りにされた。そこから怪我の影響をまったく感じさせない軽やかな動きで首を絞め、にひひと笑いニーカは謝罪を待つ。

「ぐ、ぐるじい。づ、つーかお前ほんど胸ねーのな」

 それがヴォルフの本日最後の言葉となった。

「……なンか文句あんのか?」

 絞め落とされ泡を吹く我らが大将の無残な姿を見て、さらにおっぱいで盛り上がろうとする空気の読めない馬鹿はいなかった。ニーカは女を売る道こそ捨てたが心は乙女。真っ平らな地平を胸に宿すが、そこを指摘されると修羅に変じてしまう。仕方ないことなのだ。持たざるものの悲劇である。

「軍議は明日の早朝。解散」

 言葉の少なさが余計怖い。皆すごすごと自分の寝場所に戻っていった。

 誰もいなくなった場所でニーカはぽつりと――

「……まだ成長期だ。まだ」

 黒の傭兵団ニーカ。御年二十一。未だ成長を信じる(信じたい)乙女であった。


     ○


 最後の軍議を終えたウィリアムは一人夜空の下で佇んでいた。全てを明日で終わらせる。この長い戦いの全てが明日で決まる。もちろん黒狼も動いてくるだろう。それら全てを潰しかわし、相手を詰ませれば自分たちの勝ち。

 明日は総攻撃。平地の軍にも話は通した。山岳を取るのは当たり前。平地を上手くサポートして、フランデレンを落とすことが出来たならば――

「もしかすると、もしかするかもな」

 百人隊長の地位。まだもう少し先かと思っていたが、今回の戦で勝ちを掴めば届かない場所でもなくなる。

「しかし……あの若さでこれほど強い奴がいたのか」

 天が与えた才能という括りで見れば、ウィリアムとヴォルフでは比較にならない。ウィリアムは自分を天才だと思ったことはないし、秀才ですらないと思っている。凡人があらゆる術を使い、時には業を背負い、此処まで上がってきた。相手が努力していないわけではないだろうが、ウィリアムのような合理的で徹底的な努力をしていたわけではない。それでも互角、少し相手のほうが上というのは、才能の差を感じずにはいられなかった。

「だが天才ってのも考え物だな。お前は見逃すべくして見逃してたんだよ山犬」

 ウィリアムは凡人であった。そしてラコニアでは腐った凡人に囲まれていた。その経験が、凡人の気持ちを理解し、凡人を上手く操ることを可能にしていたのだ。人は感情と理性では比率にして七対三だと言われている。どれほど合理的でも七割を抑えていなければ破綻する。それが人間である。特に凡人は理性の押さえが利かないからこそ凡人なのだ。

「凡人ほどプライドの高い生物はいない。奴らは常に自分よりも弱い立場を探し出し、それを踏みつけることを生き甲斐にしている。傭兵なんてのは正規軍から見れば格好の的、見下しやすい相手だ。それを下に見て優越感に浸る。そして充足させているのさ、ちっぽけなプライドをな」

 誇りを捨てることが出来るのは一種の才能。それを完全に捨て去れる人間は、一種の天才である。人は誰しもが誇りを持っている。どこか自分は違う存在だと考えている。しかし現実はお前が凡人だと突きつけてくる。だから下を探すのだ。優越感を覚えられる下を。

「お前たちの存在は凡人を刺激しすぎた。一時ならばそれでもいい。危機的状況ならば話は別。だが、平常時ならばやはりお前たちは下の存在なんだ。下でなければならない。それが傭兵という存在で、それが外側の、部外者って奴なのさ」

 内側の自分たちがいるのに外側が厚遇されて良い顔をする人間はいない。自分たちよりも圧倒的に優れているうちは良い。彼らは納得するしかないのだ。わかり易い結果が彼我の差を嫌がおうにも知らせてくれるゆえに。しかし、その差がなくなれば、少なくとも凡人の体感の中で差がなくなれば――

「一気に不平不満が爆発する。異国の正規軍ですらない部外者が、偉そうにしているのを彼らは我慢できない。そしてその空気感は簡単に感染する。凡人どもの感情をくすぐり、理性を失わせていく。そうなればどれほど理に適っていても意味はない。聞く耳がないからな」

 ウィリアムは戦場以外からも多くを学んでいた。奴隷であった時代から、どう立ち回れば鞭から遠ざかることが出来るのかを考え、本屋に勤めていた時代は、どういう言葉を選べば相手に気持ちよく本を売りつけることが出来るのかを考えてきた。今やっている商売にしても同じ。人間のほとんどは凡人なのだ。だからこそ理性よりも感情に訴えかけた方が効果的。それを理解しているかそうでないか、そこが今回の明暗を分けた。

「お前は凡人を軽んじた。凡人の浅はかさ、愚かさを甘く見た。凡人は考えない。凡人は学ばない。だから奴らは年を食っても凡人なのさ。理解し難いだろ? 天才の山犬くん」

 ウィリアムは幾多の努力と業を越え、凡人の外側に出た。初めから外にいる人間とは見ている視点が違う。そこが己の武器になるとウィリアムは認識していた。

「さて、明日はどうなるかな?」

 ヴォルフは絶対に動いてくる。それを受けるかひらりとかわすか。すでに考えは伝えてあるが、ウィリアムとしても少し賭けな部分がある。完全に勝ちきるために、ほんの少しだけリスクを犯したのだ。ウィリアムは成功すると確信しているが、こればかりはウィリアムの関知できない部分、しかし今はそれすら楽しめる余裕がある。

「全てを知った時、あの山犬がどういう顔をするか……今から楽しみで仕方がないぜ」

 ウィリアムは仮面をつけながらごろりと寝転ぶ。気持ちの良い夜風がウィリアムをくすぐる。今日は良い悪夢が見れそうだ、ウィリアムはそう思いながら夜の匂いと景色を満喫していた。


 明日が全てを決める大一番である。

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