フランデレン攻防戦:積み上げし凡戦

 戦場が揺れ動いたのは、毎日死闘を繰り広げている『上』ではなく、両軍の実質的に大将である二人が激突する場でもなく、中央より少し川下の方、グレゴールとニーカの戦場であった。

「よし!」

 グレゴールはガッツポーズをした。狙いが綺麗に嵌まったのだ。本日のサプライズ――

「後ろは取らせてもらった」

 アンゼルム・フォン・クルーガーを動かすという駒捌き。一時的とはいえ要の場所を空にしてでも、黒の傭兵団の副団長ニーカという駒を取りに来た。堅守、手堅い打ち方を貫き通してきたからこそのこの驚き。本来想定すべきことも、慣れは思考を奪い取る。

「ざ、っけんな!」

 自軍の損耗を度外視して攻めに攻めていたニーカ。その破壊力はグレゴールの陣を突破してしまうか、と思わせるほどのものであった。それゆえに生まれた隙。守りを捨て攻めたがゆえに生まれた背後のスペース。そこを狙い打つ。

「諦めろ女! このグレゴール・フォン・トゥンダーを前にして良く頑張った! しかし所詮は女、所詮は傭兵。俺の敵ではなかったということだ。はっはっはっはっは!」

 グレゴールのことは無視して、ニーカは兵を誘導する。此処まで来てさらに攻めるほどニーカも馬鹿ではない。全力で逃げる。逃げの一手。

「逃がすと思っているのか?」

 しかし阻むはアンゼルム。詰めを誤るような男ではない。

「ちっ」

 ニーカは舌打ちをする。そしてヴォルフのいるであろう中央を見て――

「わりー。先逝ってるな」

 女性らしく微笑んだ。


     ○


 ニーカの戦場の異変に真っ先に気づいたのは、見晴らしの良い『上』で戦っていたユーウェインであった。此処までギルベルト相手に上手く凌がれてきたが、依然優勢を保ちつつ戦場を少しずつ掌握してきた矢先――

「ヴォルフ!」

 最も遠くにいる己に何か出来ることはない。今から向かったところで何の意味もないだろう。それでも願わずには、叫ばずにはいられない。

 自分が主と見定めた男の半身と言っていいほどの、あらゆる面で支えであったニーカを失えば、ヴォルフは今まで通りとはいかなくなるだろう。表でそれを表すことはないかもしれないが、裏側、自分の中身は騙せない。

「余所見、するなよ獅子候!」

 ギルベルトの剣がユーウェインを縦斬る。ギリギリスウェーで回避したが、頬やまぶたに走った一筋の線、その線から血がにじむ。

「君の相手をしている余裕はない!」

 ユーウェインの剣。それをギルベルトはしっかりと受け止めた。鍔迫る二人。

「ぐ、ぉぉぉぉぉおお!」

 余裕をかなぐり捨て、ただ全力で戦うだけの思考。それゆえ今ギルベルトはユーウェインと拮抗していた。若手の中で一対一ならおそらくギルベルトと比する者はそういない。今のギルベルト相手では特に――

(負ける気はしないですが……殺せる気もしない。これほどですか、剣の一族)

 ユーウェインは焦っていた。状況が悪すぎる。自分は動けずニーカは窮地、ヴォルフもまた容易に動ける状態ではないだろう。今日は中央を押して、白仮面を炙り出す予定だったのだ。そのために攻めているはず。

(生き延びてくれ。ニーカ!)

 ユーウェインには願うことしか出来ない。


     ○


 ヴォルフはすぐさま戦場の異変を察知した。ウィリアムの土城を崩す途中、攻めている最中でのこと。もしこれが攻める前であったなら、間に合うような時間であったなら、ヴォルフは策を変えていたのだろうか。

 それとも――それでもなお勝利だけを追い求めるのか。

「……防備の厚い右を押す」

「了解」

 ヴォルフはニーカを切り捨てた。勝利を投げ打ってまで救い出されることをニーカは望まない。ニーカは昔馴染みである。ヴォルフの過去を、原点を知る唯一の生者。間違いなくヴォルフにとって大切な人であった。

 部下たちは口を挟まない。ヴォルフとニーカがただならぬ関係であることくらい彼らは弁えている。それでも、それだからこそ、ヴォルフはニーカを切った。そこに異論を挟むことなど彼らは出来ない。

「それで俺が……退くと思ってんのカ!?」

 黒き狼が哂う。これで退けない自分を、退く気の一つも湧かない自分を、

(厚いってことは、守りたいってこと。そこを潰せば……陣は死ぬ)

 勝利に餓え、渇き、欲する己に――

「まぁだまだ。攻めて攻めて攻め潰す! 待ってろよ白仮面。すぐ殺してやるからな」

 ヴォルフは哂った。


     ○


「……やはり動かないか。ますます――」

 ウィリアムは縦横無尽に兵を動かしながら、少しずつ前進し続けているヴォルフの姿を眺める。一瞬でも迷いを見せなかった。おそらく今日も隙はないだろう。副団長のニーカを討ったとしても戦局に大きな変化はない。上のユーウェインに代わりはいないが、ニーカ程度ならば代えがきく。

 ウィリアムの見立て通りであった。

「戦術面では互角。少し俺が劣るか。個人の武でも同じ」

 戦闘における多くの面で、ヴォルフはウィリアムより少し先んじていた。現状、ウィリアムがヴォルフに戦術面で勝る部分はない。こうやってじわじわと攻め込まれ続けるくらいしか、遅延させるぐらいしか出来ることはないのだ。

「それでも、勝つのは俺だ」

 ウィリアムは哂った。


     ○


 ニーカは絶体絶命の窮地に立たされていた。前方にはがっちりと陣を構えたグレゴール。後方には逃がさぬよう薄く広く陣を配置し、確実にニーカの息の根を止めるようアンゼルムが動いていた。どうしようもない。

「ニーカ。あんただけでもどうにかならねえか?」

 部下の一人が声をぽつりとこぼした。ニーカはそれを聞いて鼻で笑う。

「バーカ。出来たらやってるっつーの」

 おそらく、恥も外聞も投げ捨て、女であることを最大利用すれば、ニーカだけは助かる。生きてさえいればどうにか出来る。いつかまたヴォルフと共に生きる道だってありうる。

「俺は……戦士だ」

 女は捨てた。いや、女を売る道を捨てたのだ。男に甘え、男に縋り、男に媚び、そうして寄生虫のように生きる道を捨てた。ニーカの母はそういう女だった。周りの女はみんなそうであった。綺麗なおべべを着て、男に媚びた作り笑いをして――

「今更あんな生き方するくらいなら……死んだ方がマシだ!」

 でも自分は違う。ヴォルフと共に戦い生きると決めた。ニーカにとって唯一にして最大の友を失った時、それを最愛としていた男と同じ道を選択した。戦わなければ生き残れない。己が手で勝ち取らねば意味がない。他人任せの人生など真っ平ごめん。

 ニーカの矛が唸る。動きの大胆さに誤魔化されているが、ニーカの武技は繊細そのもの。鎧の継ぎ目、間接、そして首。装甲の薄いところを鋭く切り裂く。速く、しなやかに、鋭利に敵の首や手足を跳ね飛ばす。

「じゃんじゃんかかってこい! 簡単には殺されてやらやらねえぞ!」

 死ぬ時は前のめり。そう生きる。

「ったく。我らが副団長様は……やるしかねえや!」

 忘れてはならない。手負いの狼ほど、恐ろしいものはいないのだと。

 群狼、吼える。


     ○


 アンゼルムは異変を容易く察知していた。ニーカを甘く見ることなどしない。若手の中で最高クラスの突破力と破壊力を持つグレゴールを封殺していたのだ。それどころか攻撃力ではグレゴールの上を行く。その相手を侮るのは愚か者。アンゼルムは違う。

「包囲陣形を崩さず弓で射殺せ。接近されれば何が起きるかわからん」

 殺意を漲らせた狼相手に接近戦はないとアンゼルムは踏んだ。

「抜かりはない。私は完璧でなければならないのだ」

 アンゼルムは手で口を押さえ、大きく息を吸い込んだ。


     ○


 矢傷にまみれ、多くの躯の上で狼は吼える。副団長たるニーカを先頭にしての突貫。矢の雨が降り注ぐ中、木や岩陰、高低差を利用し回避し続ける。もちろん完璧にかわし続けることなど不可能。数本の矢が深くニーカの肌に刺さる。倒れる部下もいる。立ち上がろうとして矢まみれになる部下もいる。

「マァダマァァダァアアアアアアア!」

 もはや意味もなさない咆哮。立ち、動き、あくまで生き延びるために戦う。相手を殺し、勝ち残る。野生の獣のように――

「面倒な! 挟むぞアンゼルム!」

 待ち切れなかったグレゴールが動き出す。

「勝手に動くな馬鹿が!」

 しかし動き出してしまったものは仕方がない。確実に殺すためには包囲を縮め接近戦。確かに正しいがこれでは多くの犠牲が出る。美しくない。アンゼルムの美意識を汚すがごとき行い。

(あの単純馬鹿が! ふざけるなよ! この私が……あの御方に見限られたらどうするつもりだ!?)

 黒き炎がめらめらと燃える。美しく完璧であらねばならないのだ。戦術で上回り、敵に意図通りの動きをまったくさせず完封。味方の損害はなく、相手は全滅。これがアンゼルムの絵図であり、今回の作戦を組み立てた『モノ』の意図。

「女ァ! 貴様の奮闘、それにこのグレゴール・フォン・トゥンダーが応えよう!」

 大剣を振り上げ突貫。手負いの部下を切り刻み、ニーカの前に立つ怪物。

「ハッ! テメエから死にに来たかよバァカ!」

 矛を振るう。大剣がそれを受け止める。

「貴様の首、俺が取らねば気が済まん!」

 幾度も打ち合い伯仲する両者。そこに――

「死ね」

 アンゼルムが割って入る。部下を置き去りにして、単身怒りの炎に身を燃やしこの場にやってきた。黒き炎の剣がニーカの首を狙う。

「ずあ!?」

 ギリギリで矛を用い防ぐニーカ。代償は矛そのもの。矛が柄の部分からすっぱり切り落とされる。

「アンゼルム! 俺の邪魔をするな!」

 突然のことで驚くグレゴールを無視して、アンゼルムは冷酷にも無手となったニーカを狙う。剣を振り上げ表情一つ変えずニーカの首を再度狙う。

「今度こそ死ね」

 アンゼルムの宣告。それは相手の命を手中に収めた絶対者の言葉。

(……くそ)

 この絶体絶命の窮地。グレゴールとアンゼルムの二人に挟まれた時点で詰み。此処で死んでも仕方ない。そう思う心が――

「死ぬかよ!」

 消えた。アンゼルムの言葉が引き金となって。

「むう!?」

 グレゴールが唸ってしまうほど、その剣技は美しかった。蝶のようにひらりと舞い、アンゼルムの剣をいなす。まるでアンゼルムがそう振ったかのように自然な軌道で、アンゼルムの剣はあらぬ方向を振りぬいた。

 この剣こそニーカが戦場で生きるために、最初に教わった自分を守るための力。一攻一守の双剣である。

「こ、んのォォォォオオ!」

 グレゴールは自然と手が出てしまった。ニーカの出した闘気に当てられたのか、それとも他の理由があるのか、何もわからない。わからないが、

「ふは!? これが、貴様の本気か女ァァアアア!」

 グレゴールの剣もまたそらされる。その間隙をニーカの剣が突く。グレゴールの鎧が削れ飛ぶ。追撃をかけようとするも、アンゼルムの剣が滑り込む。それを左手の護剣が上手くそらす。美しい音色を奏でながら。

「バカな!?」

 アンゼルムもグレゴールも手抜きはない。今のニーカにそれをする余裕などない。

「俺は死なねえ。戦って戦って戦って、死ぬ時まで生き抜いてやる!」

 二対一。アンゼルムとグレゴールにとっては屈辱以外の何物でもない。二人の猛者に挟まれて、生き抜いている対象の生命力。ギリギリの世界でこそ輝く命の咆哮。美しき黒曜石の輝き。黒曜の毛皮を纏いし麗しの雌狼。

(くそ、やはり矢で殺しておくべきだった)

 牙がアンゼルムの頬を掠める。たった一匹の狼が猛者二人の間で美しく生き延びる。剣は虚空を穿ち、牙は鎧に刻み込まれる。本来なら圧倒せねばならない状況。しかし倒せない。殺せない。

「女ァァアア!」

 グレゴールの渾身の一撃がさらりと流され、

「くそ!」

 アンゼルムの剣が虚空を舞う。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 ニーカは呼吸すら忘れて永遠とも思える短い時を必死に生きる。死は怖くない。怖いのは死を認めた自分、死を畏れ戦う人生を放棄した自分、ただそれだけである。

 ヴォルフと同じ道を歩むと決めたとき、弱い自分は捨てた。長かった髪をばっさりと切り、必死になってヴォルフの背を追いかけた。友との約束を果たすため、友の果たせなかった夢を、友が飲まれた世界そのものと戦うために――

 狼は此処にいる。


     ○


 それは時間にしては短い、ほんの少しの間であった。脳裏に焼きついた雌狼の死闘。短い中鮮烈にこの場全員の胸に刻まれた。均衡など呼吸の一つでもすれば崩れ落ちる。それほどの極限であった。ゆえに時間は精々一分か二分程度。

(ハハン。俺ってばやっぱつえーじゃん。見てるかよリーリャ。俺は――)

「……ぁ」

 二人の剣を弾き反撃に転じようとした瞬間、ニーカのひざが崩れ落ちた。ほぼ無呼吸状態で動き続けた代償、全身から色みが消え肺が空気を求め暴走する。喘息のような音を立てて、ニーカのゾーン状態とも言える極限状態は崩れ去った。

「な、に」

 グレゴールもアンゼルムも一瞬呆然となる。戦っていた二人だからこそ、この状況が頭に入ってこなかった。それほどニーカの奮戦は神懸り的なものであったのだ。

「ひゅーひゅー……くそっ、ひゅー、たれえ」

 終わりは突如やってくる。

「首はお前にくれてやる」

 アンゼルムは戦いの終わりを理解した。グレゴールは真面目な表情で剣を振り上げる。その表情は小娘と侮っていた男の顔ではなく、好敵手を前にしたリスペクトに満ち溢れたものであった。

「よき相手であった。見事だ」

 グレゴールの賞賛に顔を歪ませるニーカ。最後まで諦めない。必死で身体を動かそうとするも、空気を欠乏した身体は全てを拒絶した。

 首には興味がないのか、アンゼルムは次に待つ戦いに思いを馳せる。

「さて、これで明日にでも――」


 救いもまた、突如やってくる。


 アンゼルムの耳の一部が消し飛んだ。最後に聞いた音は死者の嘆きにも似た亡き声。

「グレ、ゴー……」

 アンゼルムが注意を喚起しようと言葉を発しきる前に、グレゴールの巨体が大剣ごと吹き飛ぶ。速く、強く、重い一撃。

「な、んだこれは!?」

 驚愕するしかない。その一撃の破壊力に。この場に存在するはずがない相手に。今回の戦場では出てくるはずのない、終わったはずの人間。片手を失い、軍団長としてこの場での総指揮権も失い、それでもなお、

「見事な武であった。同じく戦いに生きるものとして、貴殿には敬意を送ろう」

 『哭槍』のアナトールは戦場に立つ。

「何故だ!? 『哭槍』の腕は白仮面が奪ったと」

 よく見ればアナトールは隻腕。片腕だけで槍を持っていた。

「片腕で……俺の巨体を吹き飛ばしたというのか?」

 まだ万全ではないのだろう。血の滲む包帯と痩せこけた青白い顔色がそれを表す。

「狼の生き残りを丁重にお送りしろ」

 背後で「俺、は、ま、だやれる」とニーカが息も絶え絶えに言っているのを聞き、アナトールは微笑んだ。あれほどの武を見せられた。なれば武芸者がたぎらぬわけがない。

「私はここで未熟者二人を相手取る」

 槍がひゅんひゅんと唸る。片腕になったばかりだというのに、槍は緩みなく撓り揺らぎなく弾む。槍を適当に回すだけでわかってしまう。目の前の相手のレベルが。

(くそ。包囲を薄く広げたことが仇となったか)

 アンゼルムは後悔する。突撃する段階で包囲を狭めるか、背後を警戒した陣形を取るべきであったのだ。そうすればこのような闖入者を許すこともなく、完璧にニーカを殺すことが出来た。しかしそれはすでに叶わない。

「グレゴール……二人で殺すぞ」

「わかっている」

 二人は理解していた。この見るからに満身創痍の男が二人よりも強いことを。対峙すればわかる。先ほどまでのニーカは出来過ぎ。本人の力量に対して究極的なまでに絶好調であった。それに二人ともあの防御に特化した剣は初見。それゆえの苦戦。しかし――

「足りんな」

 アナトールは違う。『白仮面』ウィリアム・リウィウスが上手く捌いていたから目立たなかったが、本来『哭槍』と言えば七王国全体にも名の通った槍の名手。止めていたウィリアムが凄かっただけ、腕を奪った『白仮面』が卓越していただけ。

「っお!?」

 予備動作もなしに槍が二人に降り注いだ。何とかそれに反応し捌き切る二人。しかしそれもギリギリ。アナトールは明らかに小手調べ程度の動きで余裕がある。

 差は歴然であった。

「未熟」

 その一言は若い二人に火をつけるには充分な言葉であった。アナトールの死臭漂う『槍』を前にして、黒き『炎』と硬き『巌』が轟く。二人揃って負けたならば、二人合わせてもウィリアムに及ばないということ。

「未だ未熟」

 死者の嘆きが降り注ぎ、若き才能と衝突する。


     ○


 戦場は全体で見ればやはり膠着したままであった。一部では白熱した戦いが続いていたが、全体的には士気に欠け、動きは鈍重。しかしそれでも戦況は変わらず緩やかに攻め手であるネーデルクス側に傾きつつあった。ただし末端の兵たちにその機微を感じ取れるかと問えば、答えはノンであるが。


 山岳地帯中央では激戦に幕が下りる。

「ハッ! 逃げるのかよ白仮面!?」

 ヴォルフは離れゆく背に怒号を投げかけた。それに振り向き笑みを浮かべるウィリアム。

「おめでとう山犬くん。今回は君の勝ちだ。誇りたまえ」

 慇懃無礼とはこのこと。ヴォルフの眉間にしわが寄る。

 勝ったのはヴォルフ、攻め手側であった。再三に亘る執拗な攻撃を前にして、アルカディア側の陣がとうとう崩壊した。それを立て直す隙も与えずヴォルフは蹂躙し尽くし、陣を跡形もなく吹き飛ばした。ゆえに勝ったのはヴォルフである。

「……今日が最後のチャンスだったろ? テメエらが勝てる可能性を残す最後の砦が此処じゃねえのかよ!? これで終わりか!? この程度なのかよ!」

 ヴォルフにとって初めてといっていい同世代の好敵手。自分が認めた相手が、まさかこの程度でネタ切れになろうとは思っていなかったのだ。失望が火となりヴォルフの怒りが燃える。期待していた分、反動は大きい。

 劣勢であるウィリアムたちアルカディア軍が勝つためには、押し込まれないことが肝要。特にこの中央は押されてはならない最重要地点。此処を囮にしてニーカを討つという作戦は理解できないでもないが、結局あちらも思わぬ増援によって事なきを得た。中央は押され、ニーカは生き残り、アナトールも復活。

 風は、ヴォルフたちに吹いている。

「今の俺は貴様には勝てない。そんなことはわかり切っている」

 もはや万策尽きた。アルカディアが勝つことはありえない。

「だが――」

 沈む日が影となりウィリアムの表情は見えない。

「戦争は勝つさ」

 勝利宣言をしてウィリアムはその場を去る。その姿はとても負け犬のような姿には見えず、なおさらヴォルフを困惑させた。自らの弱さを認めてなお、まだウィリアムは勝つ気でいるのだ。

「……とにかくまだやる気ってことだな」

 ヴォルフは先ほどまでの怒りなど何処吹く風。期待に胸を膨らませていた。自分の方が総合力で勝るとはいえ僅差。絶対勝てるとは言い切れない。何が飛び出てくるのか、どんな手を使ってくるのか、あらゆることに頭を巡らせ――

「ハハ。イイね」

 考えに考えて、ヴォルフは笑う。頭の中で数多組みあがる策。それらは別の策に潰され、頭の中に残る策はゼロになる。つまりヴォルフではこの状況を引っ繰り返す逆転の一手を思いつかなかったのだ。

「本当に勝つ策があるのか……見せてもらうぜ」


     ○


「これが『哭槍』か」

 満身創痍というほどではないが、二人がかりでボロボロになったアンゼルムとグレゴール。猛者である二人を相手取り終始優勢であったアナトールはやはり化け物。それを止めたウィリアムもまた秀でていることを間接的に証明する結果となった。

「接近戦はない。ありえない」

 戦ならば勝ち目はある。今日は相手の得意舞台である接近戦に持ち込まれていたが、明日以降そうするべきでない。勝つためにプライドを捨て、距離を置いた戦いに終始する。そうせねば止められない。そういう相手であった。

「しんどい戦いになりそうだな」

「ああ、私は一度陣に戻る。グレゴールは陣の建て直しを急がせるんだ」

「心得ているさ」

 明日以降、アナトールが戦場に舞い戻ってくる。今日ニーカを継戦不能にさせておいて良かった。二人に協力でもされれば、その攻撃力は計り知れないものになってしまう。

 戦場は難しい局面に入っていた。


     ○


 ウィリアムの言葉とは裏腹に、翌日以降も凡戦は続いた。攻め手も守り手も消耗するだけの戦場。互いの士気はどんどん下がっていく。黒の傭兵団もニーカを欠いたことによる攻撃力低下で思うように戦果が上がらない。ユーウェインもギルベルトの奮戦により封じられ、ヴォルフもウィリアムが付きっ切りで対処。唯一復活したアナトールだけが戦場で輝きを見せていた。


「全て計算通りです」

 ウィリアムはギルベルト、アンゼルム、グレゴール、カールを前に笑みを浮かべる。続けに続けた凡戦の数々。失った犠牲は大きい。与えた犠牲もまた大きい。だからこそ届きうる勝利。奇跡の誕生。

「此処まで来てこういうのもなんだが……本当に絵図通りになるのか?」

 グレゴールは悩ましげな顔。これに関してはこの場にいる全員が思っていることでもあった。本当に此処から勝ちの目はあるのか。もちろん策に納得した上でのウィリアムの重用。それでも、疑問は残る。

「兆候は見られている。アナトール隊以外の戦場は、全て五分からこちらが僅かに有利。もちろん守勢側と考えるとあまり喜ばしい結果ではないが……最初の絵図通りではある」

 アンゼルムは冷静に諭す。必要なのは信じること。多くの疑問はウィリアムがあの日机上で全て説明済み。あまりに気長な策であり確実性に欠けることもあり、ギルベルトとアンゼルムは最初否決しようとしたが、カールとグレゴールはその策に乗った。

「たぶん、大丈夫だと思う。だって仕掛けてる僕らでさえ厭戦気分なんだし……あっちだってそうさ」

 カールは小さな声だが自信ありげに語る。それを聞いてグレゴールもまた頷いた。

「加えてアナトールの復活。これだけはアナトール個人の生命力に依存するため読み切れませんでしたが、ここまで派手に活躍してくれたなら……ありがたい」

 ウィリアムの笑みは深まる。全て計算どおり。そして全てが順調。ニーカを欠いた黒の傭兵団の不調、アナトールの帰還によりにわかに活気付く青の軍勢。

「所詮傭兵。身をもって知ってもらいましょう」

 全てが絵図通りである。

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