フランデレン攻防戦:凪ぎの戦場
「まさか……大胆な手を打ってくる」
ユーウェインの相手は昨日までアンゼルムであった。昨日はよく粘っていたし、彼以上に守勢に長けた我慢強い将はいないとユーウェインは思っていた。しかしアルカディア軍はその予想をはるかに超えた手を打ってきた。
「昨日の借りを返すぞ。『獅子候』、サー・ユーウェイン!」
今日の相手はギルベルト・フォン・オスヴァルト。アルカディアが誇る若手最優と謳われる男にして、剣聖の血を色濃く受け継ぐオスヴァルト家の新鋭。
「かの獅子候が相手。腕が鳴りますな」
『上』は死守せねばならない攻めの拠点。勝つ気ならば手放すなどありえない。大胆な配置転換だが、理には適っている。ギルベルト以外いったい誰が『獅子候』を止められるというのか。
「獅子候、か。今の私はただの一傭兵なのですが」
ユーウェインはやる気満々のギルベルト隊を見て苦笑いを浮かべた。
「生まれは変えられん。血は正直だ。ガルニア十二の騎士王が一人、『獅子候』ユーウェイン。貴様が何故傭兵などに身を窶しているのかは知らんが、オスヴァルトの名に懸けて貴様を討ち果たす!」
遠い西の果て。海を挟んだ大きな島を人はガルニアと呼んだ。そこには多くの国が乱立し、生まれては消え、消えては生まれを繰り返していた。その中で燦然と輝く十二の国家が一つに結集したのが十年ほど前。その王たちの多くは年若く、また力もあった。彼らは戦に明け暮れ、十二の国が同時に入り乱れたこともあったという。それらが結集し海を渡ってローレンシアへと遠征した際、結果として敗走することと成ったが、その武勇から彼らは騎士王と呼ばれ、遠きアルカディアの地にまでその武名は轟いている。
その中の一人が『獅子候』ユーウェイン。十二の騎士王の中で最も攻撃的で、苛烈な戦を得手としていたと言われている。それほどの男が何故傭兵団に所属しているのか、何故ヴォルフの下についているのか、わからないことだらけだが、一つだけ明確なことがある。
「私を獅子候と知って、なお勝つ気ですか」
「無論だ! オスヴァルトの剣に敗北はない!」
二人の間に闘気が立ち上る。両軍将気に当てられて軍そのものに雰囲気がまとわりついた。一つは剣。アルカディアが誇る白刃の剣を筆頭に兵の数だけ無数の剣となる。一つは獅子。白金の獅子に先導された狼の群れが咆哮する。
剣と獅子。二つが激突した。
○
ニーカと対峙するのはあいも変わらずグレゴール。互いに手の内を知っているのであまりやり合いたくない。そもそもグレゴール側はギルベルトの命(ウィリアムの命)により、積極的に攻めようとせず、しっかりと距離を取った上での遠距離戦。ニーカとしても地理的にも優位な相手に無理攻めして兵を失いたくないこともあり、ニーカ得意の勢いのある速攻が封じられていた。
結果として戦場はこう着状態。両軍の将は――
「「ひまだ」」
一度も刃を交えることもなく一日を終えそうな勢いであった。
○
アンゼルムはギルベルトが守っていた要の防衛。此処まで敵軍が入り込んでくることは滅多になく、アンゼルムのやることは少ない。とはいえ離れることはありえないので、アンゼルムは己に出来ることをやっていた。
「土は丁寧に盛れ。その壁の出来が私たちの命運を左右するのだ」
拠点の強化。ギルベルトもアンゼルムも、こういう面は割りと無頓着であった。何よりもアルカディア軍の兵士、特に専業軍人がこのような大工仕事などやる前例がなかった。とはいえこの世界でそういう事例がなかったわけではない。超大国ガリアスなどこういった土木技術も軍人に必要な素養として扱われているし、それがかの国の強みとなっている。
「ガリアスは常に革新を求めている。軍事面でも見習うべき点は多い、か」
半世紀前まではガリアス自体七王国の中で飛びぬけた存在ではなかった。しかし革新王と呼ばれた王が即位して十年、たった十年で七王国最大の国家へ変貌し、以後そのまま超大国であり続けている。
誇りや格式、決まりごとであったり伝統が重きを占める七王国。その中でガリアスはそれを捨て去ることに成功した。ゆえにこだわりなく、合理的なのだ。政治も、商業も、そして軍事もまた――
そこから生まれた兵が土木作業に従事するということ。現地で兵士がそれをこなせば人材を雇う必要もないし、雇う暇も必要ない。時間と金の短縮に繋がる。特に時間は戦において重要な観点。一分一秒が生死を分ける。
「昨日の敗因は本陣の作りの甘さ。入られないであろうという油断があのような隙を作った。油断してはならない。我らに後はないのだから」
これをプレゼンしたのはウィリアムであった。この点がガリアスの強みであり、七王国の中でガリアスが秀でている最大のストロングポイント。これを真似しない手はない。グレゴールとギルベルトは苦い顔をしたが、すでに作戦の全権はウィリアムに与えられていた。受け入れるしかない。
(ウィリアム・リウィウスの策に煌くようなものはなかった。だが、王道とは泥臭いものだ。その道を手抜かりなく真ん中を歩む……これ以上の策はない)
今回のウィリアムに奇策はなかった。一切攻めず堅守に徹するなどセオリーから外れた部分はあるが、奇策というほどではない。剣ではなく槍や弓を中心とするのも奇策ではないだろう。地形を有効利用することも奇策ではなく王道。しかしこれらを絡めてしっかりとこなした軍は強い。
王道とは強いからこそ王道なのだ。
黒き狼たちは実感させられることだろう。世界各国の軍事的な基礎を学び修め、あらゆる王道を知るウィリアムが、その数多から生み出したその男なりの王道。基礎は頑丈、作りは丁寧、最高の王道を前にして、奇策は何の意味もなさないことを。
(やはり……強い)
アンゼルムは、どこからか拾ってきた血の付いた包帯の匂いを深く深く嗅ぐ。そしてほんのりと紅潮した顔で、
「嗚呼、素晴らしい」
褒め称えた。その対象も意図もアンゼルム以外にはわからない。
慣れぬ土木作業であったが、持ち前の指揮力と万能さを生かして、日没までにはかなり良い感じに仕上がっていた。
○
戦場はこう着状態に陥った。ウィリアムという駒を欠き、一枚落ちの状態で戦うアルカディア軍だが、堅い守りとそれを抜いても別の陣が形成されている幾層もの壁。ネーデルクス軍(ヴォルフ指揮)の『速さ』という長所を打ち消す重い守りは、数々の戦を勝ち抜いてきた黒の傭兵団でさえ突破しきれない状況。
あれから三日目、対応する駒がないヴォルフ隊のみ陣を喰い散らかしていくが、後に続く部隊がいない。結果単独で突出するわけにもいかず、退かざるを得ない状況になる。
対策を練った四日目、ヴォルフとニーカでグレゴールの陣を強襲。一気に突破を図るが引いて守るグレゴールの指揮が光り、時間を稼いだ中で他の百人隊が援護に間に合い、結果両軍の損耗を増やしただけとなる。
奇策をぶつけた五日目、ヴォルフの真骨頂である我流の戦術が炸裂する。あえて『上』ではなく『下』から要の地点を一気に突破するため、ユーウェインを除く多くの隊で、川が広がりを見せるギリギリの地点から突貫。アルカディア軍を大いに驚かせるも、アンゼルムが用意した陣の強固さによって速さが消されてしまい、結果対応されてしまう。動かざる時もしっかり働いていたアンゼルムの真面目さが敗北を防いだ。
そして両軍互いに多くの兵を損耗しながら、戦は緩やかに時を重ねていた。
「……これだけ徹底して引いて来た相手は初めてかもな」
ヴォルフは八方ふさがりな状況に頭をかく。別に状況は悪くない。攻め手であるネーデルクス側と守り手であるアルカディア側、兵の損耗率に其処までの差はない。本来守り手が優位になるはずのそこでイーブンに持っていけているのは指揮者であるヴォルフの腕と言ったところ。
「勝つ気がないわけじゃない。かと言って援軍が来る様子もない。いや、援軍が来るならこっちも坊ちゃん脅しつけて借りてくればいいだけ。平地は未だ小競り合い程度だし、動かしてもそこまで支障はない。もちろん平地を一枚欠けさせるのは賭けになるが……」
守り続けていれば負けは遠のくが勝ちは近づかない。攻め手と守り手ほぼ同数に対し損耗率が似通っている状況は、お世辞にもアルカディア優勢とは言えないのだ。むしろこのまま押していけば早晩『穴』は空く。それに気づかないウィリアムではないはず。
「狙いが読めねえ。時間稼ぎだってのは馬鹿でもわかるが……その先は何処にある?」
先のない戦い。アルカディアがしているのはそういう類の戦いである。殻に引きこもっていてはいずれ破綻する。これは全てのことに通ずる真理であった。
「怪我を治すため? いや、そんなことで軍を抑えられるか? どっか絶対あるはずなんだよ。狙いが。ないわけがない。あいつは白仮面だぞ」
白仮面に対する敵としての信頼が、ヴォルフを悩ませていた。
○
「そろそろ、か?」
怪我がほぼ癒え、包帯を全て取り除くウィリアム。もちろんウィリアムが参戦したところで根本的な解決には至らない。『狙い』はそんなところにないのだ。
「明日は俺も出る。少しだけ揺さぶりをかけてみるか」
ウィリアムはいつまでも申し訳なさそうにしているカールの頭を撫でてやった。
「まったく、いつまでべそをかいているつもりだ? あれで良かったんだよ。おそらくギルベルトやアンゼルムは察していた。ヒルダ辺りなんて最初から疑っていたからな。あの辺りを誤魔化すのは難しい。それならバレてしまった方が楽だ。……って昨日もその前も前の前から同じこと言っている気がするな」
しょんぼりするカール。
「それとも俺がお前から離れてしまうとでも思っているのか?」
カールはびくりとした。そう、もちろんカールは自分の無力さやウィリアムと釣り合わないこと、そしてそれらからバレてしまったウィリアムとの関係、それらにも申し訳なさそうにしていたが、本当の底にあった考えは別のことであった。
「だって……もうウィリアムが僕と一緒にいる理由がないもの」
カールも馬鹿ではない。ウィリアムがカールと一緒にいる実利の部分などとうに察している。もちろんウィリアムとの友情に疑いはない。それでも、少しだけ不安なのだ。ウィリアムという武と知を兼ね備えた存在が、いつまでもカールの下についているのだろうか。関係が露見しても、ウィリアムは持ち前の『力』でギルベルトたちを納得させた。そこにカールが入り込む余地が果たして残っているのだろうか。たかが男爵の家の次男、それだけの実利しか持たない存在が――
「その程度の関係だったか? 俺たちの関係は。それは、ちょっと……哀しいな」
「え?」
悲しそうな顔をするウィリアム。それを見てカールは驚いた顔を見せる。
「俺にとってカールとの日々は驚きの連続だった。貴族なのに平民以下だった俺と同じ目線で接してくれる。それだけで驚きだったし、嬉しかった。ルシタニアからこっちに来るまで、こっちに来てからだって皆から異人扱いされた。外の人間で、髪も白くて、そんな……扱いだったんだ」
ウィリアムは優しくカールを抱擁した。さらに驚くカール。
「君に出会えて俺は救われたんだ。階級や生まれだけが全てじゃない。平民以下の俺と貴族のカールの間にだって友情は生まれる。そういうことだってありえるのだと……俺は知ることが出来た」
ウィリアムの熱がカールに伝わる。カールは涙腺が緩みそうになった。
「俺は君の剣だ。そして永久に友でありたいと願う。それじゃあ、ダメかな?」
「ご、ごめんよウィリアム。僕、僕、うわぁぁあああああん」
泣いているカールの背後、ウィリアムは――
(めんどくさい奴だな。ほんと)
優しげな抱擁とは裏腹に、表情は完全に醒め切っていた。
(テイラー家傘下で商売を始めた俺が、お前から離れられるわけがないだろうが。少しは頭を働かせろこの馬鹿坊ちゃん)
まだテイラー家には利用価値がある。他の家にはない『金』という部分。
(まだまだ利用させてもらう。それこそ貴様らが抜け殻になるほど、なァ)
ウィリアムにとって友は二人だけ。その他はすべて他者。喰らうべき対象でしかない。カールはまだ喰らうべき時ではない。それだけ。
(もしお前が奴隷の時代の俺に会っていたら、きっとお前は俺をムシケラのような目で見ていただろうよ)
ウィリアムは信じない。あの『目』を、ウィリアムは忘れない。
○
今日もまた緩やかに膠着する戦場。攻め手も守り手もどこか集中力が切れている。『上』で死闘を繰り広げているギルベルトとユーウェインを除けば、明らかに両軍消耗戦に飽き飽きしていた。ヴォルフとしても一応優勢を保ちながら戦線が維持できているので、戦術面でてこ入れする場面ではなく、とりあえず中央を押しているような形。
「さーて、じゃんじゃん行きますか」
とはいえ――
さすが『黒狼』と言わんばかりの速攻、猛攻、大攻勢。中央を瓦解させるほどではないが、ヴォルフが指揮する隊はやはり強い。接敵してしまえばこっちのものとばかりに盾を傘にして矢の雨を突破。一気に敵陣に飛び込みこれを蹂躙していく。
「意図はわかりかねるけどよ……このままじゃ喰い終わっちまうぜ」
ヴォルフの苛烈な攻めによって中央の色合いが変わる。
○
「ち、またあの木偶の坊かよ。そろそろ飽きてきたっつーの」
ニーカの目の前にはグレゴールの陣があった。アンゼルムが身をもって示したとおり、陣の強化は付け焼刃でもかなりの効果を上げた。結果が示せば後に続く。グレゴールもウィリアムの手順書に従い、付け焼刃ながらちょっとした土城が聳える。
これの攻略にニーカは難儀しており、何日かかっても攻め切れていなかった。この場の損耗率はかなりグレゴール優位であり、ニーカとしても面白くない。
「だぁぁああああ! うぜえええええ! さっさと出てこいよ引きこもり!」
ニーカが叫んだところでグレゴールは動かない。
(こりゃあ、楽だな)
戦ってみてわかる。ウィリアムが多くの本から得た知識、その集積は千の経験、万の経験に等しい。そこから精査して美味しいところだけをわかりやすく文字に起こす。その効果は驚くほどこの戦場でのアルカディア軍の意識を変えた。
(しっかり組めば負ける気がしない)
正面からぶつかれば死闘は必至。腕前はほぼ互角。命の危険が常に付きまとうはずであった。グレゴールが普段する戦い方は騎士的であり貴族的、およそ合理とは言えぬものであった。しかし今、グレゴールは合理を体感している。
「この倍来たところで、落ちる気もせんぞ」
グレゴールの隊は地力がある。ニーカ率いる軍勢でも平地でしっかり抑えきれる。それを守る側が絶対的に有利な条件を作り出しているのだ。この戦場に負けはない。少なくともグレゴールの手応えとして負ける気がしなかった。
「それに今日は……少し面白いからな。ぐふふ」
グレゴールの怪しげな笑みに、ちょっぴり引き気味の部下であった。
○
ヴォルフの目の前に現れたのは明らかに雰囲気の違う土城。ところどころ木も使われておりクオリティが高い。一朝一夕で出来たものではなく、此処まで押されることを予期してこれをせっせと作っていたのだろう。そんな酔狂な人間を、ヴォルフは一人しか知らない。
「おっしゃ! 仕切り直しといこうぜ、白仮面!」
白仮面。ウィリアム・リウィウスが土城の上からヴォルフを見下ろす。仮面の下からでもわかる余裕の色。体調もほぼ万全なのだろう。顔色はよく、外傷も見当たらない。
「此処まで来れたら遊んでやるよ」
ウィリアムの挑発。当然ヴォルフは――
「小生意気な!」
挑発に乗る。確かに見事な築城。突貫でこれだけのものを作り上げる。そういう人材を所持していた。どれもこれも素晴らしいほどそつがない。だが、それでもなおヴォルフは、己が優を疑わない。勝てると、突破できると踏んだ。
「攻め潰してやるぜ!」
持ち味の速度を生かした突貫。速さは戦場でこそ生きる。騎馬を封じられてなお、狼たちの快速は留まるところを知らなかった。
「ほう。やるな」
矢を盾の傘で防ぐことなど、どんな軍でもやっている。しかしその状態でこれほど速く動き回り、攻め方にバリエーションを持たせているのは見事。山岳戦において矢は平地ほどの性能を望めない。だからこそ、そこに付け込む隙がある。
「シャラッ!」
矢の雨は通り道さえ気をつければ雨になり得ない。障害物は上にも下にも多いのが山。平地での面制圧で現行最高の武器である弓でさえ、木一つ枝一本、葉の一枚で無力化されてしまうのだ。
そうして生まれた隙を、ヴォルフは見逃さなかった。
「お邪魔するぜ!」
速かった。そう言うしかない速度でヴォルフは一気に距離を詰める。恐ろしい矢の雨とて避け方さえしっかり理解しとけば問題なし。そして飛び込んでしまえば――
「二戦目といこうか……白仮面」
ヴォルフの双剣が一瞬で二人の首を跳ね飛ばす。そこが突破口となり、続々とウィリアムの作成した土城に入り込んでいく。速く、強い。
土城の上にいるウィリアムからもその光景は見える。ヴォルフの速度はやはり厄介であった。個人の速さもそうだが、集団を率いた時の速さは別格。
「ふん。テメエは俺の相手じゃねえよ」
それを潰す策もまた、ウィリアムは用意している。
白と黒。此度は集団戦にてあいまみえる。
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