フランデレン攻防戦:手足得たり
その頃、アルカディア側でも喧々囂々の話し合いが勃発していた。敗色が濃厚になったどころか、軍団長の首まで取られた。もはや戦争継続は不可能。継続するならば軍団長を何処から用意するか、そもそもこの状況の責任は誰が取るのか、槍玉に上がったのはもちろん――
「どう責任を取るつもりだカール!」
びくりとするカール。両隣にはフランクとイグナーツがカールを支えるも、顔色は冴えない。こうなるのは見え透いていたのだ。
「お前が空けた穴から敵は攻め込んだというじゃないか。動かなければ軍団長が討たれることはなかった、違うか?」
違う。と言いたい所だがそう言える根拠はない。カールたちが動かなければアナトールを通す羽目になったのだが、結果として陽動にかかってしまった形なのはまぎれもない事実。軍団長の下に『黒狼』を通したのは間違いなくウィリアムの、ひいてはカール百人隊の判断の結果であった。
「では貴殿がアナトールを討ち果たすか、『黒狼』を止めるかすれば良かったのでは?」
アンゼルムの発言。「ぐぬ」と口をつぐむ百人隊長。貴族としての格も軍人としての戦果もアンゼルムの方が上。
「他の皆もそうだろう? 急に動きの変じたネーデルクス軍に対応できず、突破された者も多いはずだ。そうでなければ今の状況は無い。粗を探すのも結構だが、墓穴を掘ることにもなりかねん。それよりも明日からの戦をどうするのか考えるべきでは?」
アンゼルムの言葉は至極正論。しかし発言が続かない。皆わかっているのだ。もはや八方塞であるということを。
「すでに軍団長の手配は済んでいる。此処を落とすのはアルカディアとしてもありえない。せめて今まで通り中立の緩衝地帯に出来るよう鋭意努力しろとのことだ。これ以上負ければ、この場の全員何らかの覚悟は必要だろう」
この場で最も格の高い上級百人隊長であるギルベルトが発言する。それによってこの場がさらに静まり返る。蝋燭の揺らめきだけがこの場で動きを見せていた。
「……カール・フォン・テイラー」
「ひゃい!」
いきなりギルベルトから声をかけられて、驚きのあまり裏返った声で反応するカール。
「あの男はどうしている?」
あの男。そもそもカールに問うた時点で誰のことなのかなどわかりきっている。
「ウィリアムは、えと、ウィリアム十人隊長は現在休んでいます。その、何か御用でしょうか?」
カールの言葉を聞いて、ギルベルトは顔をしかめた。慄くカール。しかしギルベルトはカールに何か思うところがあるわけではない。むしろその背後にいる、あの男に――
「この場は一旦解散とする。各自しっかり休め。早朝この続きをする。アンゼルムとグレゴール、そしてカールは残れ。以上解散」
言葉短くこの場を解散させるギルベルト。他の百人隊長たちはふらふらとこの場を離れていく。残されたのはギルベルト、アンゼルム、グレゴール、そしてカール。
「テイラーの十人隊長。あの男を呼んで来い。お前たちが戻ってくる必要はない」
フランクとイグナーツはびくりとして直立不動になる。深々と礼をしてこの場を去った。
「どーいうつもりなんだギルベルト?」
グレゴールの問い。今この状況でウィリアムを呼び出す意味がわからない。この面子だけを残したのだから責任追及ではないだろうし、そもそも責任は上官であるカールのもの。加えて作戦を考えたのも『カール』なのだ。剣であるウィリアムに知を求めるこの場に呼びつける理由がわからない。
「そろそろ、くだらん茶番は終わりで良い。今は、あのような男の知恵でも借りねばならん状況だからな」
ギルベルトの顔は、嫌悪で満ち満ちていた。
○
呼び出されたウィリアムは血の滲む包帯をあらゆる箇所に巻いていた。いつものような余裕はなく、時折痛みが走るのか歯を食いしばる音も聞こえてくる。満身創痍を体現しているかのような状態。今日の戦いでどれだけ無茶をしたかが透けて視える。
「呼び出された理由はわかるか?」
空ろな目をしているウィリアム。ぼそりと口を開いた。
「敵を通した私に対する糾弾、ですか?」
それを聞いてギルベルトが剣を向けた。この場にいるアンゼルム、グレゴール、カールの誰もが反応できない速度で。ウィリアムだけはそれをじっと見つめている。
「下らんことをぬかすな。ただでさえ俺は機嫌が悪い。手元が狂うこともあるぞ」
ギルベルトがカールの方を見る。
「テイラー。俺に虚偽の申告をすれば貴様の家を潰す。その上で答えろ。今まで貴様を陰で操っていたのはこの男だな? 武力はもちろん戦術面でも……全てこの男が操っていた。違うか?」
カールはウィリアムを見ようとする。その動きに対して、
「カール・フォン・テイラー! 貴様もひとかどの貴族ならば平民風情の顔色をうかがうな! 俺は貴様に問うている。是か否か、答えてもらうぞ」
ギルベルトの叱責が飛ぶ。これではカールにしろウィリアムにしろ迂闊には動けない。
カールはうつむいた。これ以上だまし続けるのは不可能。グレゴールだけはいまいち理解していないが、アンゼルムは涼しげな顔をしてカールの返答を待っている。
何よりも、これ以上カールの良心が耐え切れなかった。ウィリアムの戦果を横取りしているような気分、一方的に甘い汁を吸っている様な形、友達としてあまりにも歪。此処まで来て今更だが、カールはやはりウィリアムと友達でいたかった。対等の。だから――
「……そうだよ。全部、ウィリアムが考えてきた。僕はそれを利用しただけだ」
カールは顔を伏せながら、ポツリとつぶやく。
「な、なんだと!?」
驚いているのはグレゴールだけ。アンゼルムは黙したまま動かない。
「何もそれを咎めようと言う訳じゃない。そこを勘違いするな。これは確認だテイラー」
ギルベルトは再度ウィリアムの方に向き直る。
「上に賄賂を贈り、テイラーを操り、己が意を通す。随分手の込んだ事をする。やはり俺は貴様を好きになれん。たとえ貴様が貴族であったとしても、俺は貴様が嫌いであっただろう」
ギルベルトは椅子に座り込む。
「貴様も座れ。これより軍議を始める。貴様の悪知恵もないよりはマシだ」
これにはウィリアムも驚かされる。間違いなくギルベルトはウィリアムを毛嫌いしていた。蛇蝎のごとく嫌っているはずなのだ。しかしギルベルトはウィリアムの意見を求めている。ウィリアムの力を認めて、この場での発言を許した。
「明日以降の戦術について考えたい。案のあるものはいるか?」
手を上げるものなどいない。そもそも考えがあるなら先ほどの時点で出している。グレゴールはもとより、アンゼルムでさえ考えが浮かんでいない。もちろんギルベルトも迷っている。いくつかの案はあれど、これといった考えはない。
「……一つ確認が」
ウィリアムが、初めてこのような場で口を開いた。カールを通さず己が口で――
「言ってみろ」
ギルベルトの許しも出た。
「勝てる策を提案するまでは構いませんが、それを運用できる人材がいなければ意味がないでしょう。心当たりはありますか?」
ウィリアムはギルベルト、アンゼルム、グレゴール、そしてカールに目を配る。
「もちろんいませんね。そんな人材がいるなら、そんな策があるのなら、この場は存在しないし、私は此処にいない。違いますか?」
ウィリアムはようやく自分が同じ『立場』になって理解した。あの『黒狼』はこうやって手に入れたのだ。自分の手足を。負けを積み重ね決定的な窮地を作り出し、それを救うことが出来るのは自分だけだとのたまう。『黒の傭兵団』がしっかりと機能していればネーデルクスの用兵術でもある程度は戦えた。しかし黒狼はそれを選択しなかった。より効果的で、より自分本位な動きをしたのだ。
すでに痛みは消えていた。高揚感が勝る。これより手に入るやもしれない、『力』のことを考えるだけで、震えそうになる。
「私が此処にいるということ……勝てる策を用意できるのならば、そういう前提の下、私に全権を預けていただける、そういうことでよろしいか?」
これにはグレゴールが立ち上がり睨みつける。まとわりつく雰囲気は重く、それでいて鈍く輝いている。グレゴールもまたひとかどの武人であり、何よりも貴族であったのだ。
「調子に乗りすぎだ平民」
重い言葉がウィリアムに突き立つ。しかしウィリアムにとってもはやグレゴールの言葉など意味を成さない。そもそもが――
「では勝てる策をひねり出しては如何かな? トゥンダー伯爵」
「ぬぐ!?」
痛烈な一言。そしてこれ以上の言葉はない。雲散霧消する重苦しい空気感。
「十人隊長の平民に全権を預けるのはいささか無理がある。そうだろみんな!?」
グレゴールはそれでも周囲から同意を求めようと皆に問いかける。カールはもとよりギルベルトでさえ黙したまま。そして、アンゼルムに至っては――
「私は『白仮面』に賭けてもいいと思う。もちろん個人的な意見だ。聞き流してくれても結構」
グレゴールは友の答えに愕然となる。最後の頼みであるギルベルトの方に目を向けた。ギルベルトはウィリアムを嫌っている。さすがにこのような戯言通す気はない。そう踏んでいたのだ。
「策を聞いてからだ。納得できたのなら……新しく来る軍団長には置物になってもらう。貴様が頭になれ。そして負けたなら……当然死ね。頭にした俺たちも死ぬ」
「そ、そんな馬鹿なことを。死ぬなんて簡単に」
グレゴールが愕然としていると、アンゼルムが再度口を開いた。
「此度の戦場はラコニア以来の大戦。そしてラコニアとは違いアルバスは豊かな土壌もあり、交易の拠点でもある。その都市に対する橋頭堡作りに協力すれば、斬首も仕方あるまい。我々には二つの選択肢がある。このまま座して死ぬか、白仮面に命を賭けるか、それだけだグレゴール」
普段寡黙なアンゼルムにしては饒舌なしゃべり口。グレゴールは何も言えなくなった。アンゼルムがどう言おうと、明確に白仮面に乗ると言い切っている。カールはもともと操り人形。この時点でこの場の数的には半数を獲得している。
「クルーガーは貴様に乗ったようだな。なら貴様に全権を預けるか否か、その采配は俺次第というわけだ。ではご教授いただこうか、その勝てる策とやらを」
グレゴールがどれだけ否定的な立場を取ろうとも、人数的にギルベルトを納得させればウィリアムの意見は通る。もちろんギルベルトを納得させられない程度の策ならばアンゼルムも梯子を外すはず。
(さて、此処からが逆転劇の始まりだ。今のうち精々好き勝手野山を駆けずり回っていろ山犬。明日からは……この俺の戦場になる)
ウィリアムは仮面の下でほくそ笑む。確実に勝てる策などこの世にはない。しかし勝てるかもしれない策ならこの世には無数に存在する。そして勝てるかもしれない策をあたかも絶対に勝てるようにプレゼンする能力、演技力はウィリアムの真骨頂。世界すら軽々と騙し切り、今この場に元奴隷の男が立っているのだ。その奇跡に比べれば、此処からの逆転など大したことではない。
「それでは――」
プランはある。いくらでも出してみせる。長き時を伏してきたのは、世界各国の書物に埋もれてきたのは、今日この日のためであった。
○
運命の分かれ道であった昨日に比べて、本日の戦場は緩やかな様相を見せていた。否、『黒狼』らが速攻、猛攻をかけてきたが、アルカディア側が上手く凌いでいたのだ。これだけがっちり守りを固められては攻め手も迂闊に動けない。
「こりゃまた随分重てえ陣形だなおい。全軍徹底して守備守備守備」
ヴォルフはお手上げとばかりどさりと地面に寝転んだ。となりではアナトールの代わりである年若い軍団長がその光景を胡散臭そうな目で見ていた。
「つまらねえ戦をするじゃねえかよ。でもま、正解だな」
一発逆転の一手は諸刃の剣。決まれば良いが、決まらねば大きな隙を生み出すことになる。堅守という選択肢は悪くない。むしろ敵の狙いにも因るが、最善手になりえる。
「にしても……大分動きが良くなってきたんじゃねーの? むしろ良すぎ、か? 押せ押せの大攻勢から一転、ガチガチの堅守。こんだけ戦術が変わったら、普通もちっとどっかが揺らぐもんだが」
揺らぎはない。昨日の攻めていた時ですらあった全体の戦術に対する理解度、その差から生まれる揺らぎが今日は見えてこない。これほど戦術転換をしておきながら、むしろ全体の動きは格段に良くなり、守備時全体の流動性も上がっている。
(隙はみつからねえな。いくつか見えてんのは明らかに釣り。あそこを通っても地形的にうまみは少ないし、ちょっとした袋小路……は当然包囲されて潰されるな)
昨日まで見られなかった地形をより利用した布陣。堅守に徹している分、しっかり要所を締められており、どこから手をつけるべきか迷いどころだ。そして迷っている時点でヴォルフとしては積極的に動く気になれない。
(何よりも跳ね上がった全体の流動性、連携。もしかして俺と同じことしたのかな?)
昨日、『黒の傭兵団』の参戦により大きく傾いた戦場。ヴォルフのちょっとしたアイディアによりネーデルクス軍はなんちゃって黒の傭兵団に変貌していた。
タネはこうである。黒の傭兵団は全員がある程度ヴォルフの動きを理解しており、ヴォルフの戦術に合わせて動くことが出来る。その人材を各部隊に一名ないし二名配置。指揮官的な立場につかせた。これによってネーデルクス軍を変貌させたのだ。
(だとしたら頭が切れるボスだ。そしてそんな野郎一人しかいねえ)
それと同じことをしたのだとヴォルフは考えた。そうでなくば説明できないほど、緻密で流動的な戦術を易々とこなすのだ。アルカディア軍は変わった。それによってヴォルフのプランも変化する。無理に押しても隙は生まれない。むしろ無理攻めで消耗させられればカウンターで潰されかねない。
「さーあ、面白くなってきたじゃねえか白仮面よぉ!」
ヴォルフは策を張り巡らせる。全て一発の破壊力はないが、じっくりきっちり相手に響く策の数々。時間をかけてこじ開ける。こういう難しい局面こそ、戦術家冥利に尽きる。そうヴォルフは思っていた。
○
ウィリアムは戦場を地図上で見通していた。兵は駒、隊はその集合でこれもまた一つの駒。その総体を軍と呼ぶ。一軍もまた平地も含めた全体像で見れば駒の一つになるが、そこまでウィリアムが見通す必要はない。見通したところで其処までの影響力を持たないのだ。
「ユーウェイン上方へ移動、か」
ネーデルクス側の駒には三つの特別な駒がある。その一つがこのユーウェイン。
「この駒は好きに動かせるな。この一手は即座に切り返す」
ウィリアムは手元にある別の駒を動かす。それをユーウェインにあてがった。この動きは予定通り。山岳戦における『上』は地形面で最優先せねばならない。そこに『獅子候』を打ってくるのは予想に難くない。すでに封じる手は打ってある。
「これで封じた。残りの怖い駒は山犬本人と『哭槍』だけ。アナトールは俺と同様今日明日で戦えるようなダメージじゃない。山犬もこれだけうまみを消した状況で無理攻めは選択しないだろう。してくれたらありがたいがな」
上は万全。もう一人の副団長であるニーカをウィリアムは重要視していなかった。個人の武勇はグレゴールと同等で申し分ないが、これは戦争である。一騎討ちの決闘ではない。離れて戦えば怖い相手ではないと踏む。
実際、今日の戦場でニーカの強みは一切発揮させていない。これはウィリアムが周知させた(ギルベルトを通して)策の一つである。副団長であるニーカ相手にかかわらず、とにかく守勢を貫くこと。引いて戦う。離れて戦う。攻めない。近づかない。それが策の根幹。
「とにかくマニュアル通り戦え。それ以上もそれ以下も必要ない」
ウィリアムが作成したマニュアル、手順書は各百人隊長に配られていた。これがアルカディア軍の動きを統一させた今回の肝である。手順書には簡潔に求められる動きや考え方、戦い方や退き際に至るまで、出来る限り噛み砕いて書かれていた。それは配置されている隊に原理原則を与え、連動性のあるモノに仕立て上げた。全体図で見れば、それに沿った動きを忠実にこなした時、とても統一されて見える。
「英雄を殺すのに剣は要らない。矢の一つで事足りる」
マニュアルの中には、使用する武装についても書かれていた。これは全体に同じことを周知しているのだが、とにかく射程の長い武器を用いること。これを徹底させていた。剣ではなく槍。槍でなく弓。長ければ長いほどいい。攻めないことを徹底するならば、これ以上の真理はない。拓けた平地ではない分、弓の性能は落ちるが、それでもなお射程における弓の優位は変わらない。
「後は地形。良い場所に陣を構える。そして其処を動くな。じっくり射程を意識して戦えば、如何に英雄相手でも簡単には落ちん。よしんば落ちても――」
ウィリアムは地図の全体を見渡す。
「代わりはいくらでもいる。さあ、泥仕合といこうか山犬」
突飛な奇策は打たない。打ったところで相手が相手。綺麗に嵌まってくれるとは思わない。思ってはならない。相手は黒狼。自分と同程度だと思い策を打ち込んでいく。
「勝つべくして勝つ。それが俺だ」
勝ち続けると己に誓った男が牙を剥く。
ウィリアムは手順書、マニュアルを作成し軍を己が手足と化した。ヴォルフは己が手塩にかけて育てた部下たちを用いて、軍を己が手足と化した。方法は違えど二人は同じ思考に至る。至高は軍すべてが己そのものになること。己こそ優と思う二人にとって、どれだけ他者を己に近づけるかが鍵となる。
現状二人は互いに今出来る範囲の最善手を打った。それゆえの泥沼。此処から先は最善手の打ち合い、指し合い。外した方が負けだが、おそらく両者が打ち間違えることはない。なれば問われるのは駒の強さ。そして両者が今置かれているさまざまな外的要因。
ウィリアムとヴォルフ、現状では戦術面での差はない。
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