フランデレン攻防戦:熱情の対価
ヴォルフは重力を味方につけさらに加速した。これについてこれる部下はいない。同じくウィリアムもまた坂を駆け上がり迎え撃つ。想定を上回る動きを見せた相手へ、向けるまなざしは両者大きく差異がある。
白は憤怒。経緯はどうあれ自身の空けた穴から抜けられたのは己が過失。敗戦の責任となった際、キャリアに大きな傷がつく。ゆえに怒りが溢れる。
黒は喜々。此処まで予想を裏切った動きを見せてくれるとは思っていなかった。ウィリアム・リウィウスという好敵手の存在に自然と笑みが溢れる。
「傭兵!」
白、ウィリアム・リウィウスの斬撃が煌く。それを狼は高さの利と持ち前の跳躍力でひょいとかわし、着地した瞬間回し切りを敢行。裏を取ったはずのそれは、白仮面が腰に帯びている鞘を跳ね上げ、剣の腹を叩いて回避される。
「白仮面!」
黒、ヴォルフにはまだ一本残っている。双剣という不合理がこの窮地で輝きを見せた。未だ後ろ向きのウィリアムに対して素早く剣を振るう。一番避けるのが難しいひざ上辺りを狙った斬撃。しかしウィリアムもまた、ただ後ろを向いていたわけではない。ヴォルフの斬撃、それと逆方向からぐるりと剣を振るっていたのだ。
「っぉ!?」
「ぐっ!」
到達速度はヴォルフの剣が勝る。しかし勢いではウィリアム。ヴォルフはこのまま相打ちになった場合、分が悪いことを察し無理やりウィリアムの剣に合わせた。勢いが乗り切る前の剣を弾かれたウィリアムと、無理やり軌道を変えたため体勢が悪くなったヴォルフは互いに弾け飛ぶ。
((こいつ!?))
二人とも生い立ちは似ているも、歩んできた道は全く異なる。
白は積み重なった知識の集積たる本を教師として此処まで剣を磨いた。先人の知恵を奪って此処までの高みに至った。これがウィリアムの剣である。
黒は己が経験だけを頼りに剣を磨いた。誰からも学ばず誰からも奪わず、自身の中から己が最も優れたるを引き出して此処まで来た。これがヴォルフの剣である。
二人は対照的ではあるが、ただの一点だけ、最も重要な一点でのみ同じくしていた。
それは己が信じる最善を曇りなく迷いなく、一切の妥協なしに駆け抜けてきたということ。寄り道はなかった。無駄道もなかった。あったとしてもそれすら糧に這い上がった。それゆえ二人は似ている。
若くしてウィリアムとヴォルフ、白と黒は――
「おいおい……うちの大将と互角かよ」
等しく高みにあった。年齢から鑑みれば両者ともとてつもなく早熟な部類。そして伸びしろもまた多大に持つ。際限なく膨らむ力への渇望は、両者が等しくする絶望を原点とする。だからこそ止まらない。止まれない。
「やるじゃねー、のォ!」
黒き狼が吼える。己の歩んできた求道。それについてきている馬鹿が此処にもいた。そのことが孤高であった狼の渇きを癒す。孤独ではない。敵にいるのだ。己と存在を等しくするモノが。
「さっさと死ね!」
亡者の群れが怨嗟の声を上げる。最善を歩んできた己の前に立ち塞がった黒狼。誰よりも優れたると思っていたのはウィリアムも同じ。同世代での総合力、それでは誰よりも先んじているはずであった。
それが嬉しい――それが憎い。
「俺たちの大将と同じくらい出来る奴が同世代にいたのか」
速度で勝るヴォルフを合理的に捌き続けるウィリアム。一手の速さはヴォルフ、一手の正確さはウィリアム。拮抗した戦い。亡者の群れと狼が互いを喰らい合い高めあう。一手を重ねるごとに凄みを増す両者。
「「ウォォォォォォォオオオオオオオオアアアアアアアアッ!」」
呼吸すら忘れて少し開けた丘の上で踊り狂う。剣がかすめ互いの血風が舞う。剣が地に生える草花を刈り取り世界を彩る。両者の形成する世界に余人が立ち入ることは不可能。
ごくり。観戦に徹さざるを得ない彼らにとって垂涎の見世物は続く。
○
永遠に続くと思われていた戦い。しかし終わりは急にやってくる。
「ウィリアム!」
遅れながらようやくこの場にやってきたカールたち。これぐらいならば部下も含めてヴォルフなら抜けきれる。勝負を焦る必要もなかったが――
「ヴォルフ! 馬の足音が近づいてくるぞ! このままじゃやばい!」
馬の足音、つまり騎馬であるギルベルトが近づいてきているということ。さすがにウィリアムとギルベルトの両者を相手取ることはヴォルフでも荷が重い。
「るっせえ! 今いいところなんだよ! 邪魔すんな!」
だがヴォルフはハイになっていて頭が回っていない。この状況で戦闘を継続しようとしているのだ。部下たちは焦るしかない。そして――
「愚者が二人。一応あれも味方だ。黒い方を殺せ」
圧倒的な速さでギルベルトと騎士たちがこの場に現れた。これで詰み。嫌な汗が部下たちの背を伝う。全滅、頭に湧く二文字は絶望を表していた。
「蹂躙しろ」
ギルベルトの命が下ると同時に駆ける騎士。狙いはヴォルフとその仲間たち。
「くそったれ! こんなことならはした金なんぞ貯めこまず女でも買っておきゃよかった」
臨戦態勢の黒の傭兵たち。決して腕がないわけではない。ヴォルフが本陣を落とすために連れてきたのだ。傭兵団の中でもかなりの腕利き揃い。
「ふん! 歩兵が騎兵に勝てるかよ!」
歩兵と騎兵。基本的なスペックが異なる。しかも相手はギルベルト直下の騎士たち。本来ならば百人隊長の下につくような者たちではない。
「折角でかい首取ったのに、大将を取られたら無駄死にだぜ畜生!」
彼らも傭兵。命を失う覚悟などとうに決めている。それでもこのような散らし方は本意ではない。この詰まされた状況から、どうにか自分たちの大将を生かす。自分たちがほれ込んだ狼のボスを生かさねばならない。
「相打ち覚悟だ馬鹿野郎!」
向かってくる騎士に対して堂々と剣を構える。それを見て騎士は笑みを浮かべた。歩兵の剣など届かない。馬上にいるという絶対的な優位。それが騎士の心に慢心という名の隙を作った。
「遊んでいる場合ではないでしょうが!」
その隙を叱責と共に射抜いた一筋の煌き。優位であったことによる笑みを浮かべながら、騎士は馬上から崩れ落ちる。速く、強く、何よりも正確無比。動いている重装備の相手を矢の一発で仕留めて見せたのだ。
「何者だ!?」
ギルベルトだけがその矢が放たれたと同時に状況を理解していた。それでも遅過ぎたのだが――
騎馬に乗った男が一人、単騎駆けで山を駆け上がってきていた。馬に乗りながら正確な弓術。当たり前のように騎士を仕留めた男の名を知るのは、この戦場でアンゼルムとその場にいた者、
「ユーウェイン!」
そして黒の傭兵団の仲間たち。
ユーウェインは彼らに一瞥もせずヴォルフとウィリアムの戦いに割って入る。騎上からふわりと跳躍し『間』に至る。たったの数瞬。瞬く間の早業にてユーウェインは両者の剣を弾き上げた。そしてウィリアムを蹴飛ばしヴォルフの腹に思いっきり拳を打ち込んだ。
「ぐえ!?」
悶絶するヴォルフを脇を抱え馬上に放り投げる。そのまま、すとんとヴォルフは「ぐえええ」と言いながら馬上に収まった。この極めて僅かな時間の間で大将を救出するという早業を、涼しい顔をしながら決めた男。副団長ユーウェイン。
「さっすがユーウェイン! 頼りになるぜ!」
黒の傭兵団が活気付く。だが――
「死ね。下賎な傭兵!」
ギルベルトが動いていた。鋭く尖った殺気は剣そのもの。騎馬という圧倒的アドバンテージ。勢いもある。
「勢いはある」
ユーウェインは弓を構えていた。ゆらりと体を倒しながら視線は一切の恐れを映さずに、正確な射撃でギルベルトの馬を射殺した。そのままの勢いで崩れ落ちながらも馬はユーウェインのいた場所を通過する。崩れ落ちる馬の背に乗りながらも、体勢を崩さずギルベルトは渾身の一撃をユーウェインに見舞う。
「しかし若過ぎる」
すでにユーウェインは弓を手放し、剣を握っていた。剣と剣の衝突。白金の輝きが獅子の牙となってギルベルトの剣を砕いた。ギルベルトの剣が宙に舞う。ユーウェインはギルベルトの首筋をちらりと見て、そのまま自身の大将を乗せた騎馬に乗る。
「すまないお前たち。死んでくれ」
ユーウェインの言葉は味方に向けられていた。馬は一頭。どうやっても乗せられるのは一人のみ。あとは置いていくしかない。
それを聞いてにやりと笑う黒の傭兵。
「地獄で給料の取立てするからな。利子が積み上がるまで長生きしとけよ」
「俺たちの利子は高いぜェ」
「ええ、しっかり伝えておきますよ」
そのまま馬を回頭させ、逃げる素振りを見せるユーウェイン。
「逃がすなお前たち!」
ギルベルトの叫びが戦場に轟く。馬を失い剣を弾かれ、ギルベルトの誇りはボロボロであった。それでも将としての役割を忘れず、兵を動かす。
「御意!」
騎士たちがユーウェインに殺到する。片手でヴォルフを押さえ、片手は手綱。仕留めることは容易なはず。しかしそれでも――
「「死ね!」」
二つの方向から同時に攻められたとしても――
「…………」
手綱を放し、剣を引き抜き、相手の得物を持つ手を切り裂く。そんな動作を容易いこととでも言うように軽々とこなす。二回閃光が瞬き、腕に覚えのある騎士の腕が弾け飛んだ。ユーウェインは彼らに視線を向けることなくすり抜ける。
「く、逃がすか!」
ギルベルトが追おうとすると、
「逃げねえから相手してくれよ兄ちゃん!」
黒の傭兵の強襲を受けた。咄嗟にかわし、剣を掴んで拾うギルベルト。
すでにユーウェインの姿は見えない。目の前の、にやにやと下卑た笑みを浮かべる男たちだけが残っていた。
「……お前たちは手を出すな。全員俺が殺す」
砕かれたプライド。それを取り戻すためにユーウェインを追う必要がある。だというのに阻まれてしまった。そのことが許せない。路傍の石ころ程度に邪魔されたのが腹立たしくて仕方がない。
「一人で? そりゃあなめ過ぎだぜ!」
一斉に飛び掛ってくる傭兵たち。それらを睨む男の目は鋭く、
「貴様らこそ……俺をなめ過ぎだ」
一切の温情なく全てを断ち切る。
○
「優秀な部下を失いました。貴方の判断ミスです」
ユーウェインが木にヴォルフを叩きつける。その目にはいつも浮かんでいる温かみなど一切なく、ただ己が主への失望に溢れていた。
「弁解はしねえよ。間抜け晒したのは認める。好きにしろ」
「ではお構いなく」
ユーウェインが思いっきりヴォルフの顔面を殴った。地面に叩きつけられるヴォルフ。
「ちょ、やめろよ! 確かにヴォルフはやらかしたけど軍団長の首は取ったんだろ? それならさ、そこまで責めなくてもいいじゃん。なあ?」
ニーカの言葉にもユーウェインの瞳には変化などなく、冷たい色だけがたゆたう。
「貴女は肝心なところでヴォルフに甘い。首を取る程度当たり前。その上で完璧に撤退してこその『黒狼』でしょう? それが出来たのにしなかった。白仮面との戦いに浮かされて……代えのきかない駒を失った。責められてしかるべきです。貴方もそう思うでしょう? 『黒狼』のヴォルフ」
ヴォルフは言葉をつぐみ頷く。弁解の余地は無い。弁解する気もない。失った駒の大きさは彼が誰よりも理解している。
「わりい。全部俺が悪い」
ユーウェインが再度拳を振り上げる。それを止めようとニーカがヴォルフとユーウェインの間に割って入った。さすがにニーカを殴るわけにもいかず、ユーウェインは苦い顔をして拳をおろす。
「荒れてるねえ。いやーしかし山だね山。ピクニックには丁度良いやあはは」
ヴォルフたちの野営地に、ルドルフ・レ・ハースブルクが現れた。その場にいる全員が硬直する。ありえない事態である。このような場にハースブルクの人間が足を踏み入れるなど。いくらなんでも荒唐無稽が過ぎる。
「ところでアナトールは何処にいる?」
御付である三貴士ラインベルカがこの場の者に問う。全員が押し黙った。
「ありゃ? 死んじゃったの?」
ルドルフは面白おかしそうな声色だが、目が笑っていない。
「死んではいません。しかし、重傷です」
ユーウェインの声は重い。
「誰が君に発言を求めた? 僕はヴォルフ君と話してるんだけど?」
ユーウェインは無言で下がる。ヴォルフとルドルフ。二人の視線が絡み合う。
「アナトールのおっさんは白仮面に腕を切られて今は寝込んでる。死んじゃいねーがしばらくは使い物にならねーだろ。こっちは俺が敵の軍団長を討った。戦線も少し押し戻した。そんだけだ」
吐き捨てるようにヴォルフは語る。
その不敬な態度に苛立つラインベルカ。それに興味も示さずルドルフは前に進み出る。
「ってことはお世辞にも良い状況じゃないね。『哭槍』と名も無き軍団長じゃ採算が合わない。何よりも白仮面が討ててないんじゃ意味がない」
ここでも拘りを見せるルドルフ。しかしヴォルフも異は唱えない。充分に堪能したのだ。白仮面との戦いを。そして理解した。あちらも己と同じく神に選ばれた存在であると。そう、目の前の男と同じように――
「やはりこのような男に頼ったのが間違いの元。こうなれば私めが出て白仮面を討ち果たして見せましょう」
ラインベルカの発言。しかしルドルフは一顧だにしない。しょぼんとするラインベルカ。
「君程度じゃ無理だったかな?」
その言葉に反応したのは下がったはずのユーウェイン、ニーカ、この場にいた黒の傭兵団全員であった。全員が無言の殺気をルドルフへ送る。ラインベルカの睨みも効かない。
「無理じゃねえよ。今日はちょっと欲張りすぎただけだ」
ヴォルフは立ち上がる。そしてずいと前に進み出た。対峙するルドルフとヴォルフの身長差はかなりある。ヴォルフの持つ雰囲気がその差をさらに大きくしていた。
「白仮面も、戦も、ちゃーんと喰ってやる。だからテメエはおっぱいでも揉んで待ってろ」
黒狼の牙。それは自責の念により研ぎ澄まされていた。ラインベルカでさえ目を見張るような雰囲気を醸し出している。押し潰されそうなほどの重圧、それを感じてルドルフは微笑んだ。
「じゃあしばらくは君に任せるよ。アナトールの代理は……てけとうに用意しとくね。それじゃあ御武運を、黒き狼君」
ルドルフが何しに来たのかわからない。しかし結果としてこの場がまとまったのは事実。最後の最後でケチがついてしまったが、依然優勢なのはヴォルフたちである。敵の軍団長を討ち果たし、こっちは重傷だが討たれてはいない。この差は大きい。
「汚名はすぐに返上するさ。あいつらの分も稼いでやらねえと、割りに合わねえからな」
最後に油断から押し返されたが、今日でかなり押し返し敵の戦力も削った。そもそも軍団長を失ったアルカディア軍に明日があるかもわからない。負けるどころか未だ勝勢なのだ。意気消沈している場合ではない。
「明日も勝つぞ。今度は完璧にな」
手負いの狼ほど怖いものはない。黒き狼は牙を研ぎ澄ます。
○
「何故、私ではダメなのですか?」
帰り道。御忍びで来たルドルフは、ラインベルカにおんぶしてもらっていた。歩くのは大嫌いなのだ。フランデレンまで戻るわけではないが、それにしても拠点に戻るだけで距離はある。だからおんぶ。当然の理であった。ルドルフの中では――
「ん? だって君じゃ勝てないもの。一対一での戦いならともかく、山岳戦ってのは難しいんでしょ? 正直ネーデルクスは軍事的に旧いからね。軍対軍じゃ勝てない。だから外注するのさ。専門家にね」
ラインベルカは不満げである。あの程度の軍勢、自分なら蹴散らせると思っているのだ。
「なめちゃダメだよ。いくら君だって剣で斬られれば死ぬし、矢が一杯刺されば死ぬ。三貴士だって無敵じゃない。まして君は色々と危ういからねえ」
肩を落とすラインベルカ。その反動でルドルフはずり落ちそうになり、彼女の頭をぽかぽかと殴った。彼女は「すいませんすいません」と平謝りする。
少し落ち着いた頃、ルドルフは口を開いた。
「白仮面と黒狼、どっちが優位だと思う?」
ルドルフの問いにラインベルカは、
「黒狼でしょう」
即答した。ルドルフはにへらあと笑う。
「だろうね。僕もそう思ったから頼んだ。ちょっと迷ったけど……傭兵ならまあ大丈夫だろうって判断かな? どれだけ優れていても所詮傭兵。世界は変えられない。そのつもりなんだろうけど……世界はそんなに甘くないからねえ」
ルドルフはふわぁとあくびをした。
「強いのは黒狼。でも怖いのは白仮面。それがわかっているからヴォルフ君も無理をしてしまった。かの『獅子候』は感じ取れなかったみたいだけどね」
ラインベルカは首を捻る。それを見てルドルフはふにゃあと哂い、寝た。
ラインベルカはルドルフが寝たことを確認すると、今までの会話を反芻する。そして天を見上げ、顔をしかめた。
「怖い、か。その男は、私よりも『恐い』のだろうか?」
ラインベルカのつぶやきは夜の帳に吸い込まれていった。
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