幕間:金の森にて
いと美しき金の森。黄金の朝焼けを受けて輝ける金の葉がキラキラと揺れる。
『……おじ様』
『……昨日まであれの世話を続けてくれたことには感謝する。だが、ここより先は『外界』、ルシタニアの外に繋がる道。ブリジット、よもや愚かな考えは抱いていないだろうな?』
『……私は、あいつの婚約者です』
対峙するは紅き髪を持つ二人。うら若き少女と厳格なる壮年。
『お前はレイだぞ』
『それでも私は探さねばならない。もうずっと連絡が絶えたまま。無事なのかもわからないのに、このままじっとなんてしていられないから』
聖ローレンス王国に至ったところまでは連絡があった。その先からはなしのつぶて。無事であればそれでいい。遥か遠方、連絡が滞っているだけかもしれない。封書一つ送るのも確実ではない時代なのだ。
『名では鎖にならんか。ならば、断つしかあるまいな』
男は静かに腰の剣へと手を伸ばした。その瞬間、少女、ブリジットは全身が総毛立つ感覚に陥る。凄まじい気迫であった。目の前の、いずれ義父になるはずの男が剣を握っていたなどと聞いたことは無いが、目の前にいる男からは不自然さなど微塵も感じ取れなかった。練達の剣士、『レイ』である少女の父と互角、いや、僅かに――
『間合いに入らば、命の保証は出来ない』
『全撃必殺。おじ様も、ルシタニアの剣士なのですね』
『退け。そして何事も無かったかのようにブラッドたちと――』
『退けません』
少女が男と同じ構えを取った。男の眼が哀しく細まる。
『絶対に勝てぬと知りながら、それでも足を止めぬか?』
『はい。あのあほたれと婚約した時から、いえ、そのずっと前から、私たちは番だったから。もう、迷いません。もう、逃がしません』
凛と少女は啖呵を切る。迷い無し、男は目を瞑り、ひと時、柄から手を離した。それは、
『ありがとうおじ様、いえ、お義父様』
説得を諦めた証。少女は深く、深く男に頭を下げる。
『もし、あの子がどこかで上手くやっているようなら、共に生きなさい。もし、上手くいってなく、帰るに帰れないと思うのであったなら、迷わず戻ってきなさい。もし、見つからず、疲れ果て、足が前に進まなくなったなら、やはり戻ってきなさい。それらは恥ではない。俺もブラッドも、君のお母様も、通った道だ』
『はい! でも、必ず見つけ出します。そして引き摺ってでも帰ってきます。私もあいつも、この国が、ルシタニアが大好きだから』
『……そうか。世界は広い。俺とブラッドも井の中の蛙だった。何も出来ず、世界に跳ね返されて帰って来た。外は、ここほど優しくはない。覚悟は、して行きなさい』
そう言って男は腰に提げていた剣を少女に投げ渡した。
『その剣では些か物足りぬ頃合いだろう、新たなる『レイ』よ。持って行きなさい。あれに持たせたものと番の剣。惹かれ合う運命を、祈りを込めて打った。俺の最高傑作が二振りだ。本来は婚礼の儀に使うつもりだったのだが』
少女はかあっと頬を赤らめる。
『今持っている方は俺からブラッドに渡しておこう。君がレイを継ぐ者としての修業を始める際、あいつに頼まれて打った。あいつには、その思い出が必要だ』
『……何から何まで、本当にありがとうございます。それでは』
少女は涙を拭って前へと踏み出した。ずんずんと迷いなく踏み出す背中を見て、男は在りし日の自分たちを重ねる。目的は違えど、戒律を破って外に出た。国の守護者に成るべきレイの卵と鍛冶師として国を支えるリウィウスの直系が。
『息子を、頼む』
たった一人になるかもしれない息子と彼女が出会えるよう、男は、ウォーレン・リウィウスは彼らの神、黄金の大樹に祈りをささげる。
○
『ウォーレン!』
赤い髪の男に食って掛かるのは、同じく赤い髪の男であった。年の頃も近く、厳格な顔つきも似通っている。そもそもこの里は皆、親類縁者が多数を占め、血が濃く顔も髪色も似通った者が多いのだが――
『貴様、何故ブリジットを止めなかった!?』
『すまん』
『謝罪の言葉など聞いていない! 俺は何故かと聞いている! お前なら――』
ぞろぞろと集まる里の仲間たち。それを見て食って掛かっている方、ブリジットの父であるブラッドは言葉に詰まった。ここから先を、若い衆に聞かせるわけにはいかない。激昂の中にあっても、その程度の理性は働いていたのだ。
『……すまん』
何を言っても謝ってばかりの男に苛立ちながら、ブラッドはやり場のない怒りをウォーレンに、睨みつけるという形でぶつけていた。それを甘んじて受けるウォーレン。
『おいおい、誰か止めろよ』
『ブラッド・レイ・フィーリィンだぞ。この場の誰が止められるんだよ』
若い衆があたふたする中、年のいった者たちはそれほど気にせず辺りを見回す。
そろそろ――
『はいはい、ブラッド、落ち着きなさい。レイが泣くわよ!』
騒ぎを聞きつけ彼女が来る頃合いだから。
『ごめんねウォーレン。喪中だってのにこの馬鹿旦那が。あの子、止まらなかったでしょ? なんたって私の娘だもの。こうと決めたら一直線、ちょっとお尻が重いのは旦那に似たのかしら? 私ならウィリアムちゃんが発った翌日にでも追いかけたってのに』
『いや、止められなったのは俺の落ち度だ。責められても仕方がない』
『そう言うのやめやめ。ブラッドも。わかった?』
『む、むう』
女性の勢いに負け一歩引くブラッド。
『そう言えば、話は変わるんだけど、弟君も体調、良くないんでしょ?』
『ん、元々身体が強い性質ではなかった。流行り病ではないと思うが、出来るだけうちには近づかん方が良い。あの子にもさんざん言っていたんだが』
『里の仲間は家族。今度元気が出る精のつくもの作ってきてあげるから、ね。元気出しなさいウォーレン。あの子の事、気にかけてくれてありがとう。大丈夫、あの子も未熟だけどレイで、私たちの子なんだから。きっとウィリアム君を引きずって帰ってくるわ』
そう言ってブラッドを引き摺って去って行く女性。それを見送るウォーレンの眼はどこか優しげであった。母子、とても似ている。強く、気高く、何でも出来そうな――
(……それが、危険なのだが、な)
自分たちを引っ張って国を出たリーダー的存在。ルシタニアの、各里の実力者を引き連れて外に飛び出て、そして多くを失った。彼女も、記憶の一部を欠損し、今もなお当時のことは断片的にしか思い出せていない。それほどの痛みだった。
痛みに慣れていないルシタニアの人間にとって――
『……祈ろう』
ウォーレンは自らの仕事場、自宅へ足を向ける。昨日、妹の一人が死んだ。つい昨年にも一人。今は残っていた『ウィリアム』の弟も病の兆候が見られる。ゆえにウォーレンは祈りを込めて剣を打つのだ。今までも、そしてこれからも。
それがあの喪失の際、自らが誓った役割。リウィウスの直系たる己が剣を握るべきではなかったという後悔が今を作る。定められた宿命を無闇に曲げるものではない、と。己はそれに生き、それに死ぬ。ゆえに剣を手放した。ゆえに剣を息子に教えなかった。
わずかな後悔、じわじわと広がるこれを何と呼ぶのか、ウォーレンはまだ知らなかった。
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