月下の夜会:夜会の後

 ウィリアムたちが地上に出た直後、朝日が一行の眼を焼いた。もしかしたら見られなかったかもしれない次の日の朝日。それを見るウィリアムたちは決して清々しい顔つきではなかった。それもそのはずで、未だに生きている心地がしないのだ。死は思ったよりもそばにいる。それを知り、内心震えが止まらない。

「もう二度と、二度と闇にかかわるな。俺ではあれに勝てん」

 カイルが苦虫を噛み潰したような顔でファヴェーラに言った。頷くファヴェーラ。その顔は無表情ながら、少し青ざめていたかもしれない。

「ご丁寧に死体つき、か。ありがたいこって」

 ファヴェーラと背丈の似ている暗殺者の死体が、ウィリアムたちの足元に転がっていた。これを最後の一人に仕立て上げろということなのだろう。ウィリアムはその死体を担ぎ、カイルたちに振り返った。

「後のことは任せろ。ファヴェーラはしばらくカイルにでも厄介になってほとぼりを冷ませ。念のためな」

 ウィリアムはいたずらっぽくカイルに目配せした。カイルは苦笑い。

「しばらく俺はお前たちと距離を置くよ」

 それを聞いてファヴェーラが口を開こうとする。それを遮る様にウィリアムは口を開いた。

「もちろん俺たちの絆は変わらない。ただ俺も百人隊長の主を持つ身だ。加えて商売も始めなきゃならん。忙しいし、相応のリスクも犯す。俺にとっても二人にとっても、少し難しい時期になってきたのかもな」

 ウィリアムは哀しげに微笑む。いつもなら駄々をこねるファヴェーラも何も言わない。言えるわけが無い。先ほどまで己がせいで二人に多大な迷惑をかけてしまったのだから。

「永遠に会えなくなる訳じゃない。頻度が減るだけだし、忙しさも落ち着いたらたくさん会えるさ」

 ウィリアムの忙しさが落ち着くことは果たしてあるのだろうか。

「気をつけろよ。死ななければどうにでもなる。どうしようもなくなったら俺を頼れ。力でどうにかなることなら、俺がどうにかしてやるよ」

 カイルの言葉はウィリアムに勇気をくれる。これほど頼りになる言葉があるだろうか。ウィリアムが知る中で最も強き男がウィリアムの一番の親友なのだ。

「私にも出来ることがあるなら、何だってする」

 ファヴェーラもまたウィリアムの親友である。だからこそ距離を置くのだ。今回の件でウィリアムは身にしみた。大事なものを失わないためには、リスクから遠ざける必要がある。リスクの塊であるウィリアムのそばは、彼らにいて欲しくない場所と成った。

「それじゃあまた」

 ウィリアムは彼らから視線を外す。今生の別れではないが、しばらく会う気は無い。これ以上己が私事で彼らを巻き込むのは本意ではないのだ。今回の件とてウィリアムの復讐を肩代わりしようとしたがゆえに起きたこと。なれば大本はウィリアムのせいである。

 今後、戦場や商売、復讐のことも考える必要があり、夜の国に対する付き合い方も考える必要がある。ひとつひとつが思考のリソースを大きく必要とするほど重要な事項であり、全てに危険が付きまとう。そのリスクを背負うのは、己が一人で充分。

 そしてこれら全てを上手くクリアした先に、ウィリアムの目指す場所がある。

「まずはこいつを上手く処理しなきゃな」

 其処を目指す道は彼らと重なることはない。重なったのならば――それすなわち敵なのだから。重なってもらっては困るのだ。その時のことを、ウィリアムは想像すらしたくない。己が業で友を焼き尽くす姿など、誰が見たいと思うものか。


     ○


「ほう、薬品か。面白いところに目をつけたね」

 色々なごたごたを終えて、ローランの下に商売の話を持っていけたのは数日後であった。

 ウィリアムの作成した計画書にじっくりと目を通すローラン。ウィリアムは胸を張って待っていた。おどおどする必要はない。今回の件をローランが通さないわけがない。その確信があるから、ウィリアムは堂々とその時を待つ。

「うん。この通り動いていいよ」

 あまりにも軽く下された結果。

 ウィリアム・リウィウスの人生が大きく動く。

 軍という場所は主に地位や名誉を稼ぐ場所。しかしウィリアムが目指す高みはそれだけで到達できるものではない。金、財力も必要なのだ。金はあるだけあった方が良い。金の過不足で選択肢の数は決まってくる。金だけあっても仕方ない反面、金がなければどうしようもない。成り上がるには両方必要なのだ。

「ありがとうございます。マイロード」

 深々と頭を下げるウィリアム。

「二、三質問があるけどいいかい?」

「なんなりと」

 決定が下された後の確認。下手なことを答えるわけにはいかないが、もはや緊張をする必要など皆無。誤魔化す『部分』はあれど、上手い言い訳程度いくらでもある。

「まず第一に良くこれだけの仕入先を入手したものだね。各薬品を構成する薬草、毒草、希少とされ滅多に出回らないものまで事細かに調べ上げている。こーいう業界のこーいう情報をこれだけ集めるのは骨が折れただろう?」

 ローランは暗にどうやったのかを問うている。ここで嘘をつく必要はない。

「裏の売人と仲良くなりまして、商流に組み込む条件で教えてもらったのです。彼にとっても高いリスクを負わず商売で儲けられるならばそれに越したことはない。だから一部、彼を通す形にしています」

 ローランは計画書に目をやった。ローランにとっても気になっていた点。

「なるほど。それがこの『マーティン』という人物か。しかし大きな予算だね。売り上げ、粗利共に申し分なし。彼がどんな人物か……は聞かないでおこう。察しはつく。あまり危険な橋を渡ってもらっても困るが、きちんと『間』に挟んでいることは評価できる」

 マーティンという男。夜の王国でさまざまなクスリを売りさばく売人であった。ウィリアムが商売を始めるに当たって、まず第一に手に入れる必要のあった『情報』、それを持っている男こそ夜の住人マーティンである。

 ニュクスの紹介で橋渡しをしてもらい、一夜で彼の全てを搾り取った。それゆえ手に入れることの出来た金に直結する情報。それこそがこの仕入先一覧である。

「仕入先の件はわかった。次はそうだね。薬品関係を扱う商会はいくつもある。大きいところには国王家ともつながりのある大商会も存在する。彼らにどう勝つ?」

 競合他社。当然存在する彼らにどうやって勝つのか。それを問うた。

「今はそこらと争う気はありません。あくまで彼らが取り扱うことの出来ない、または知り得ない希少品や危険物を中心に取り扱います。そちらの方が単価が高いですし、なかなか競争しようとしても競争できない分野ですから」

 ウィリアムの返答にローランは満足げに頷いた。勝てない相手とは戦わない。商売も戦争も戦い方は同じ。剣で戦うか、金で戦うか、それだけのことである。

「なるほど。では最後に……人手はどうする? まさかしょっちゅうアルカスを離れる君一人でどうこうできるわけじゃないだろう?」

 商売をする前提での問い。まあ確実に儲けられる、説得力のある計画書を提示したのだ。商売人であるローランが否定するわけもない。

「フランクとイグナーツの商会から幾人か借り受けます。テイラー家傘下の商会員なら下手な動きは出来ませんし、商売をやっていた経験があれば教えることも減りますから」

「ならばよし、だ。しっかり頼むよリウィウス会長」

 ローランと固い握手を結ぶウィリアム。その手の冷たさと、彼の目の温かさ。どちらを信じるべきかなど考えるまでもない。

「お任せくださいマイロード。貴方に損はさせません」

 ウィリアムの高みへ昇る大きな足がかり。ようやくウィリアムは未だ稚拙ながら、武と商の両輪を得ることが出来たのだ。


     ○


「あ、が、ああ、が」

 ぽちゃりぽちゃり。下水の染み出す臭気漂う地下室。一切の日を通さない暗い部屋の中には明かりが一つ。その炎が揺れ動くたびに男はうめき声を上げる。

「なんだ。壊れたのか」

 そこに現れたのは、チープな作りの喜劇的な仮面と、これまたチープな一見してかつらとわかる赤毛の男。赤毛の男はうめき声を上げる男に火を近づけた。途端――

「あぎいいいいいいい。あびゃあああああああ」

 人とは思えぬ動きでよじれ、ぐねり、火から遠ざかろうとする。しかし硬い鉄錠が男の両手両足を拘束していた。火を近づけて見てみると、男の身には無数の火傷。目は焼かれ、爪はすべて剥がれ、全身は裂傷まみれ。苛烈な拷問の痕。

「くく。すぐに口を割らないからこうなるんだよ。どーせしゃべるんなら、人である間にしゃべっとけば良かったなァ」

 人で無くなってしまった男の名はマーティンという。夜の王国でも一定の地位を築き上げてきた男の末路はこのような悲惨なものであった。売人を統括する闇のギルドの重鎮。しかし夜の王に見初められた男にとってはただの獲物でしかなかった。

「まあ感謝するよ我が友マーティン。お前の情報は俺と俺の友の命を救った。だから感謝してやる。お前も感謝しろよ。この俺の踏み台に選ばれたんだからなァ」

 赤毛の男は優しくマーティンであったモノの首を手折ってやった。今まで受けてきた死ねない痛みは何だったのかと言いたい位あっさりと絶命する。

「処理は任せる白龍。お掃除代はツケといてくれ」

「……あまり俺を気軽に使うな。一応高いんだぞ俺は」

「くっく。わかってるよ。さて、夜の王によろしく。お互い儲けましょうって伝えてくれ」

 白龍は無言で赤毛の男のそばを離れた。掃除は男のいなくなった後でするのだろう。まあ掃除を本当に白龍がするわけではないし、餅は餅屋、掃除人がやってくれるのだろう。男は別段興味もなくその場を去る。

「商売もそうだが、戦場だって今後操るのは百人隊。いやはや、腕が鳴るねえ」

 男はとても楽しそうに赤いかつらとふざけた仮面を脱ぎ捨てた。現れたのは純白の髪と年を経るごとに美しさを増す美丈夫の姿。

 そのまま男は夜の街に消えていった。


     ○


 少し時は遡り――襲撃事件の翌朝。

 昼も夜もわからぬ窓無き書斎。道化を模した仮面を被った男は退屈そうに紅茶を嗜む。昨夜から何一つ、考える気も起きない。舌に残るのはただの苦みのみ。

 成功すれば良し、しなくとも王家を危険にさらした汚名は背負うことになる。あの男の『趣味』を咎める風潮が生まれたなら多少の意味も――

「旦那様。ご報告がございます」

 待ちに待った報告だが、それほど興味も湧かない。あの日以来、無味無臭の世界が広がっている。今更、あの男が死んだところで何の意味があるというのか。彼女の弁では、家人は心優しき者ばかり。ならば、やはり大した意味はない。

「聞かせてもらおうか、爺や」

 ただの暇つぶし。何をしたところで失った者は還ってこないのだから。

「まず、暗殺は失敗に終わりました。ヴラド伯爵は存命です」

「そうか、それは残念だね」

「次いで暗殺ギルドから、再暗殺の提案が。正直、耳を疑いましたが」

「続けて良いよ。馬鹿げているかどうかは僕が判断するから」

「はっ。五年後、より凄惨で、劇的な方法で暗殺を成す。なので待って欲しい、と。ふざけるなと一蹴しておくべきでしたか?」

「……ふむ」

 ここに来て初めて、仮面の男は事態に興味を持った。再暗殺が難しいなど自明の理。しかし、王家が守っていても精々半年から一年程度であろう。そもそも問題は彼の悪癖にある。メンツを立てるために守護しても内心は――

「五年、ね。随分長い」

 暗殺ギルドが本気を出せば、ヴラドの首程度半年も必要ない。王家の庇護の下でさえ、わずかな隙で首一つ刎ねることは容易。あえて準備に五年、それだけ懸けて暗殺するという発想を彼らがするだろうか。

「そう言えば、暗殺を防いだのは誰? バルディアスのじいさん? オスヴァルトの次男坊もいたっけ。少し年の離れた」

「いえ、最も活躍したのは最近話題の白仮面、ウィリアム・リウィウスだそうで。旦那様はご存知ですか?」

「……ああ、シュルベステルを討ったとか。報告は受けているよ」

「さすが耳が早い。あ、いや、当然と言えば当然でしたか」

「異国から来て白い仮面を被っているんだろう? なかなか酔狂な男だ」

「ルシタニア出身で白髪のようです。伝聞ではそれなりに男前とのうわさが」

「白髪? 赤毛ではなくて? まあ、ケイオスの血が濃いと言っても、全員が全員赤い髪と言うわけでもないか。……いや、待て」

 男は思索に耽る。老紳士然とした使用人は言葉を発さず、身動き一つせず主の考えがまとまるのを待っていた。

「ルシタニア……アルカディアに……何故……優秀であればガリアスの方が……僕なら此処は選ばない……アルカディアでなければならなかった? ……いや、逆にルシタニアである必要性を……そして白髪に、仮面」

 男は顔を上げる。

「爺や、ウィリアム・リウィウスが現れたのはいつ頃だ?」

「詳しくはわかりませんが、ラコニアでの活躍は確か」

「少し調べておいてくれ。僕はそろそろあっちに戻らなければならない」

「それは構いませんが、ヴラド伯爵の件は?」

「五年で良い。暗殺ギルドの酔狂、それなりに楽しみだ。いや、もしかすると、この発想は別のところから来たのかもしれない。とにかく、今はウィリアム・リウィウスを調べてくれ。軍属であるならば、いずれ会う可能性もあるからね」

「承知致しました」

 老紳士然とした使用人が下がり、男は一人書斎に立つ。温い紅茶を一気に流し込み、ゆるりと味わうことなく飲み干した。ほんのりと甘みがある。

 視界に、世界に、仄かな色が戻ってきた。

「もし、僕の想像通り、全てがウィリアム・リウィウスに、彼に繋がっているのだとしたら、それは間違いなく悲劇だ。僕は喜ぶべきではない。わかっているのに、どうして僕はこう、どうしようもなく愚かなのだろう」

 この書斎には多くの『異国』の本が並ぶ。最後にして最新の一冊は擦り切れるほど読み込んだ。見事な訳、口語とは違い文語、文字は各国地域様々で、よほど知識が無ければ翻訳など出来ない。本当に、素晴らしい技術の結晶なのだ、これらは。

 その中の数冊、ほとんど読まれていない本を男は手に取った。

「僕は君を失ったことで自暴自棄になった。その対価で僕は遠く離れたところに……せめて見守ろうと、君との約束は果たせないでも、そう思っていたんだけど。やはり駄目だね。僕はまた、何も出来なかった。でもね――」

 その本を胸に抱き男は小さく囁く。

「もし、彼が、そうなのだとしたら、地獄の只中にあっても、生きているのならば、いつか此処に招待しよう。そして、君の愛を証明しよう。生きているなら、それは叶う。君が彼をどれほど愛していたか、それを伝えられるのならば――」

 男の眼、仮面の底から覗く輝きが高まり始めていた。

 すべては手遅れなのかもしれない。それでも、その地獄にあって、このクソったれな世界において、ほんの僅かでも救いはあった、美しいものはあったと、それを伝えることで、彼に救いがあるのであれば――もう一度立ち上がることは出来る。

 砕けた心を拾い集め、そのために生きる覚悟はある。

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