幕間:商売のイロハ
「ところでウィリアム君。今手が空いていたら仕事を手伝って欲しいのだけど。もちろんお給金は弾むよ」
ローランがウィリアムの部屋を尋ねてきて開口一番こう言った。ウィリアムは現在それなりの規模の内戦を鎮圧してきたばかりで、アルカスのテイラー邸に戻ってきていた。ちなみにカールは十人隊についての雑事があるので出かけている。
「仕事、ですか?」
宝石について人並みの知識はあれど、専門的知識を持たない自分に任せられる仕事があるとは思えないため、疑問符を浮かべるウィリアム。
「読み書きそろばんが出来れば誰でも出来ることさ。そして、その当たり前が出来る人間は、存外アルカスであっても少ない」
ウィリアムは現在暇である。そろそろ出かけてカールやファヴェーラの家でも訪ねようかと思っていたが、それとて暇つぶし。学ぶものの多いほうに行くのはウィリアムにとって当たり前のことであった。
「それならば手伝わせていただきます」
金持ちの仕事、そのノウハウを吸収するには絶好の機会。
「まず私たちと言うのはどうやって儲けているのかな?」
仕事場に馬車で向かう最中、ローランがウィリアムに質問した。
「私たち、と言うのは商会が、と言うことですか?」
「いや、商売全般に言えることでいいよ」
商売全般に言えること。一般論ということならば働いていた経験のあるウィリアムにもわかる範囲の問いである。
「採取してきたものを金に換えるのがもっとも原始的な儲け方で、次に生産したものを売るのが農業的な儲け方。輸出入なら価値の差を利用して儲けます。水の不足している地域に水が豊富な地域から輸入して売りつけるなどです。あとは付加価値をつけること。ただの鉄を加工して鍋にしたり剣にしたりする。そうした用途などを付け加えてやることにより、ただの鉄より高く売ることが出来ます」
ローランは満足げに頷いた。
「その通り。商売って言うのは君の言ったことのどれか、もしくはその複合でしかない。どの業種であっても基本は変わらない。安く仕入れて、高く売る、だ。全てはそこに帰結する」
ローランが一拍置き、
「では私たちの商会は何故安く仕入れることが出来るのか? 人件費や輸送費などもろもろを含めた金を回収できるのか? わかるかね?」
ウィリアムに問う。これもまた商売の基本。
「価値の差と付加価値、大量の仕入れ、かと」
「すばらしい。とくに三つ目は意外と見えないものだ。価値の差と付加価値は先ほど君が言ってくれたように、宝石が大量に出る地域から出来うる限り安く仕入れ、カットや装飾などの付加価値をつけて売る。この粗利から人件費や輸送費などを差っ引いたのが儲けになる。これは基本の流れ。私たちテイラー家傘下の商会はさらにそこから仕入れの際、全部まとめて一括に購入する代わりに単価を値切る。これでさらに儲けが増えるわけだ」
「しかし、そこまで大きく値切れるものなのでしょうか?」
ウィリアムの問いにローランは笑みを持って応える。
「これからやってもらう事務作業をやってみればわかるよ。商売の基礎も、私たちがどれだけ儲けているのかも、ね」
自信ありげなローラン。実際相当儲けているのだろう。
「これはまだ知る必要は無いけど、宝石業を営む上で絶対やるべきではないこと、乗ってはいけない流れがある」
ローランはウィリアムをじっと見つめる。商売に参加させる以上知っておいてもらわねばならないこと。ほんの少しだけ腹を割る、ローランの目がそう言っていた。ウィリアムも少し表情を引き締める。
「それは値段を下げること、だ。むしろ上げろ。やつらが欲しているのは高い価値のついた石ころであって、安物のピカピカした石ころじゃない。私たちの扱っているものは衣食住どれにも必要が無いものだ。嗜好品でしかない。貴重でなければ意味が無いし、価値がないと思われたら終わり。君が首からぶら下げている宝石も、我々が価値を与えてやらねば路傍の石ころと同じ。それを胸に留めておきなさい」
価値を傷つけるな。これは厳命である、とローランは言っているのだ。今はまだウィリアムにそれをどうこう出来る力は無い。しかし、ローランの手伝いをしていけば、もしかしたらそういうポジションを任されることもあるだろう。むしろそうする腹積もりだからこそウィリアムを仕事に誘ったのだ。商売の流れを学べる事務から始めさせるのもその証左。
「さて、そろそろだ」
馬車が止まり、二人は外に出る。一級市民が土地を支配するアルカスの一等地。貴族街は立ち入りを制限されるので商売をする上で、より上等であるのはこの場である。アルカスでもっとも金が流れている区画がこの場なのだ。
この場では格式より金がものを言う。それゆえロード・テイラーが降り立った瞬間、場の空気が完全に変わった。視線が突き刺さる。
「おはようございますロード・テイラー」
「ああ、おはよう」
居並ぶ者達に軽く挨拶をし、ウィリアムを手招く。
「さあこっちだウィリアム君」
建物の中に入ると、整理された簡素な空間が目に入った。仕事場に無駄な華美さは必要ない。周囲は事務方が仕事しやすいよう無駄なものは一切排してある。
「彼に仕事を教えてあげたまえ」
「了解しました」
事務方の一人であろう男にウィリアムの指導を任せる。
「あ、ひとつ言い忘れていた。彼にはいずれテイラー家傘下の会長職についてもらおうと考えている。そのつもりで指導するように」
騒然となる仕事場。全員の視線がウィリアムに集まる。聞いてないとウィリアムはローランの方に視線を向けた。
「いずれカールは私のあとを継ぐ。その剣である君もそれなりのポジションにいなければ示しがつかないだろ? なに、そんなに難しいことはない。ただ金を稼げばいいだけだ。儲け話を考えたら私に相談しなさい。次の日から君はその事業の会長になれる」
ローランはウィリアムに甘い。甘すぎると言うくらい甘い。しかしこの甘さ、明らかに罠。さりとてこの罠は避けて通れない。カールの剣として成り上がる道を選んでしまったのだから。それゆえにこのまま行けばずぶずぶと固められてしまう。カール・フォン・テイラーの剣としての地位を。気づけばその鎖、がんじがらめにウィリアムを縛っている可能性もあるだろう。
「頑張りたまえ。事務作業をしながら、テイラー家傘下には何が足りないか、何があればプラスになるか、感じながら考えながら仕事をするようにね」
ウィリアムはようやくロード・テイラーの狙いに気づいた。ウィリアムはある程度力を持った辺りでカールを切り捨てるつもりであった。金と地位を手に入れたなら影となる必要はない。カール程度すぐに抜いて上に立つ絵図は描けていた。
(だが、ロード・テイラーは俺に恩を与えて、カールを切れなくしようとしている。テイラー家傘下の商会の長ともなれば、世間的にもカールと俺の関係は密に見えるだろう。俺がどうこう出来る力を身につけたころには、世間がカールを切ることをよしとしない。なるほど、こういう手もあるのか)
そしてこの申し出を断ることは出来ない。いろいろ察したところで、現状の力関係は明白。うまい申し出を断れば何かよからぬ考えを持つと言っているようなもので、それは今の自分にとって明らかにマイナス。結局、流れに乗るのが現状の最善手なのである。
(ったく……たった一手で動けなくなっちまったぞ)
やはりロード・テイラーはモノが違う。商会を束ねる存在。これほどの財を築いてきたのだ。並でないのは当たり前。
(まあ、今は乗ってやるさ。そのほうが都合がいい)
今はまだ流れに翻弄される身。その上で最善を選択するだけ。流れを作れるような力を得たころには、どうにかしてみせる。むしろそれが今から楽しみで仕方が無い。
「まずは帳簿のつけ方から教えます」
「よろしくお願いします」
そのために、今は吸収できる全てを吸収する必要がある。知識はあって損などないのだから。
○
「……どんだけ儲けてんだよ、こいつら」
帳簿をつけていてウィリアムは愕然とした面持ちになった。こんな儲かることがあっていいのか、そもそも原石の仕入れ値というのはこれほど低いものなのか――
ウィリアムは自身の首にかかるルビーを見る。
(お前、市場に出回らないと意外に安いんだな)
価値を作り出す。宝石業とは演出家であり、人はブランドに金を払っているのだと改めてウィリアムは痛感した。
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