ラコニア争奪戦:天に瞬く大将軍

 ウィリアムはただ一人、夜営地から少し離れた場所にいた。

 視線を移せば野戦の勝利に酔う自軍の姿が見える。しかしウィリアムの顔には、勝利に浮かれる喜色も、勝利の美酒を味わう余裕もなかった。

(俺は……どうやって勝った?)

 それどころか、顔色が悪い。青ざめてすらいる。

(記憶が飛んでいる。俺の記憶している範囲じゃ……俺は劣勢だった。いや、負けていたといってもいい)

 思い出すのは百人隊長ハイアンとの一騎討ち。勝てる確信はなかったが、いい勝負になると、分のいい賭けだと思って受けた戦いであった。結果は勝利、しかしその記憶が無い。

(カールから聞いた話じゃ、力づくで勝ったと言っていたが……そんなことがありうるか?)

 技術ならともかく、力では圧倒的開きがあったはず。

(そもそも力で劣るってこともわかんねえ。俺と同じように鍛えていた? それだけの知識があったってのか? あの男に?)

 ありえない、と思う。思わねば自信が揺らぐ。情報が集う七王国、その中で輸入本屋に勤めていた自身が、数多の本から必要な情報を精査し、五年かけて実践してきた己が、劣ると思いたくはない。ましてや体格にほとんど差異が無いのだ。

(ラコニアじゃあ糞まずい飯を食ってでも栄養に気をつけた。身体は同じ体格の中では洗練されているはず。少し劣ることはあっても、あれほどの『差』はありえない)

 吹き飛ばされた。叩きのめされた。完膚無きほどまでに――

(カイルに感じた寒気、それに似た……『あれ』が、キーか?)

 普段なら馬鹿馬鹿しいと断じるオカルト。合理的に己を高めてきたウィリアムにとって、初めてぶつかった不可思議な壁。しかし実際ぶつかってみて、己の感覚では敗北した以上、わからないでは済まされない。

(本には無かった。実戦の中にだけあるもの。カイルやあの男が持つそれを……俺は手にしなければならない。可及的速やかに)

 手がかりはないに等しい。本に無いものなどどう調べていいのかもわからない。

(まあ、カイルにでも聞こう。教えてくれるかな、あいつ?)

 剣に関しては甘くないカイルのことを考え、ほんの少し笑みが浮かぶ。結局何処までいってもあの二人だけが『自身』にとっての帰る場所なのだ。それは変わらない。死するその時まで、きっと――

(そっちは置いておくとしても、記憶が飛ぶのは良くない。非常に良くない)

 まれにある、自分が自分で無くなる感覚。それが高じると記憶が飛ぶ。ほんの少し、短い間なら幾度かあった。カイルとの稽古中、そして感情が昂った時。あまりに短い時間であったため、それほど気にしていなかった。カイルも気にしなくていいと言っていた。

(だが、こんなことがあって無視し続けていいわけは無い)

 むしろ自身のことを考えたとき、そのことについて対策していなかったことに、ウィリアムは驚きを隠せないでいた。

(どうなってやがる、俺って奴は)

 自分がわからなくなる。細心の注意を払って生きてきたはずの自分が、こんな大きな穴を見逃していた。それはある意味で敗北よりよほど大きなショックをウィリアムに与えていたのだ。

「…………」

 ふと、ウィリアムは自身の胸の小さなふくらみに目が行った。それを取り出す。

 血のように紅く、灼熱のように赤く煌くモノ。ダイアモンドが星星のきらめきならば、ルビーは天空に浮かぶ太陽の灼熱。その熱さは、人の血潮を髣髴とさせる。

「俺にこれが似合う、ねえ」

 ルトガルドが固持したと言っていたルビー。あまり深く考えていなかったが、何故ルビーなのか、少し興味が湧いてきた。

(あの稚拙な三文芝居で熱さを感じてくれたってなら簡単でいいんだけどな)

 しかしその程度でルビーを、これほど高価なものを渡そうとするだろうか。そもそも銀細工を突貫で用意したのも妙な話だが、これだけの宝石をあの短い期間で用意することなど本当に可能だろうか。いくら生業とは言え――どうにも釈然としない。まさか事前に用意を、などと考えるもさすがにあり得ないと一蹴する。

 カールと自分が出会ったのは偶然。あの屋敷に赴いたのも偶々。考え過ぎるのは己の悪癖だとウィリアムは自省する。

「……俺に好意がある? いや、いくらなんでも接点が無さ過ぎる」

 ウィリアムがいくら思考を張り巡らしても、過去ルトガルドのような女性と対面したことはない。アルと呼ばれていた頃でさえ、そんな記憶は何処にも――

「まあ、どうでもいいか」

 すべてを押し殺し、ウィリアムは、似合うとしていただいた宝石を服の内側にしまった。ルトガルドのことなど些事。今、目の前に山積する問題に比べれば優先度は限りなく低い。ありていに言えばどうでもいいのだ、ウィリアムにとってのルトガルドという存在は。

「飛ぶ記憶、理屈に合わない力、目下の問題はこの二つ」

 ルトガルドの意思などに思考のリソースを割くべきではない。ウィリアムはそう判断し、優先すべきことに考えを張り巡らせる。

「さて、どうするか?」


     ○


 野戦での勝利はアルカディア軍をラコニアまで押し進めた。オストベルグ軍の士気は決して高くなく、幾度かの野戦を越え、ラコニアに引きこもった形になる。ラコニアをめぐる攻防はアルカディアを優勢に進んでいた。

「動かないね、戦況」

 カールがぽつりとこぼした言葉。となりにいるウィリアムも無言で頷いた。

「……攻城戦だからな。楽じゃないさ」

 ウィリアムのつぶやいた言葉、攻城戦。

 ラコニアの砦はそこまで堅固な砦ではないが、それでも砦として必要な機能は備えている。石造りの壁がぐるりと外縁を廻り、門は木製ながら分厚く容易く破ることは出来ない。

 攻略法としては、遠くから弓を射掛けて、その隙に梯子をかけ砦の外壁に進む。攻城戦の基本通りだが、基本通りしか通じないゆえに楽にはいかない。城攻めには三倍の兵力が必要など一般には言われているが、まさにこの状況こそ『それ』であった。

「この前と同じように、今動く奴はバ……あまり賢いとは言えない」

「バ……何?」

 きょとんとして聞き返すカール。

「気にしないでくれ。あー、梯子がぽつぽつかかり始めているだろ? 一番槍は名誉だし、相応の扱いを受ける。我先に動いている連中はそれ狙い、だ」

 話をさらりと流し、ウィリアムは我先にと急ぎ、梯子に手をかける者たちを指差した。

「だが、この世に上手い話ってのは、なかなかないものなんだ」

 指差した先の梯子が砦の外壁にいるオストベルグ兵に外された。「あっ」と声を上げるカール。ウィリアムは落ちていく味方の兵に冷たいまなざしを向けていた。

「一番槍は、競争率の割りに旨みは少ない。リスクも大きい。勝勢に傾いた現状、一応しっかりと功を上げている俺たちが無理をする局面じゃないさ」

 ゆえに二人は所属する十人隊にも言い含め、わざと歩みを遅くしていた。それだけの発言力は、この戦の間でしっかりと勝ち取っている。すでに公然の事実となった貴族の息子(カール)、そしてその剣(ウィリアム)の実力。

(そう、無理はしなくていい。百人隊長の首を取ったんだ。無理は、要らない)

 自分に言い聞かせるように、ウィリアムは確認をする。あれから考えて出した答え、この戦の間はこれ以上無理をしない、ということ。百人隊長のときのようなリスクを犯す必要はない。すでにカールに関しては十人隊長への昇進の切符は掴んだも同然。

(よしんばもう一人百人隊長の首を取ったとしても、階段飛ばしの昇進はない)

 それならば動く必要はないのだ。しかし――

 心の何処かが蠢く。ウィリアム自身の感知しない、感知し得ない部分が疼くのだ。

(焦燥感か? 馬鹿げている。俺は冷静だ。誰よりも計画的で、誰よりも冷徹に事を運ぶことが出来る。そうでなければいけないんだ。今回は、これでいいッ!)

 胸の奥が――


「我が名はオストベルグ王国が大将軍ッ、ストラクレスである! アルカディアの小童ども、我が首欲しくば登って来いッ! ガハハハハ」


 ウィリアムの、カールの、戦場すべての視線が一点に集まった。これほど広大な戦場、人一人など塵芥と変わらない。その中で、唯一その男は他とは明らかに異なっていた。

「……カール、あれはなんだ?」

 ウィリアムは唖然と『それ』を見上げていた。

「今、自己紹介してたじゃないか。それよりもやっぱり総大将はストラクレスだったんだ! うわー、はじめてみた」

 能天気なカールを他所に、ウィリアムは戦慄していた。目の前の、否、遠くにいるはずのストラクレスという大男の輝きに、それの纏うオーラとでも呼ぶものに、圧倒されていたのだ。誰にも劣らぬつもりであったウィリアムが、初めて心の底から屈した。屈してしまった。

(俺は……なんだ?)

 遠く、高く、届かぬ場所に立つ怪物。強さはおそらくカイル以上、そしてそれ以外は今まで見たことの無いほどの高次。人としての総合力の桁が違う。

(俺は、今どこにいる?)

 ウィリアムは砦の外壁、もっとも目立つところにいる男と自分を見比べる。片や輝き、片や地に埋もれている。あまりにも違いすぎる。貴族と奴隷、それ以上にかけ離れた格差がそこにあった。

 そしてそれを承服できるほど――

(俺はァ――)

「カァァァァルッ!」

「ひゃい!? ど、どうしたのウィリアム!?」

 ウィリアムはおとなしくなかった。

「俺は先に進む。だが、此処は戦場だ。何が起こるかわからない。絶対に十人隊から離れず万全を期して動くんだ。貴様らもカール様を守れ。カール様の命を散らせれば、ロード・テイラーの名の下に、貴様らを殺す」

「え、でも」

 ウィリアムは弾ける様に飛び出した。いつもの冷静なウィリアムではない。顔を歪め、物欲しそうに天を見上げる別の貌があらわになっていた。

「ウィリアムッ!」

 カールの声など届かない。猛スピードで戦場を駆け抜けていく。

「俺は、誰にも負けないんだッ!」

 何に怒っているのか本人にもわからない。何で飛び出したのか、何で駆けているのか、何もかもわからない。ただひとつ、わかることは――


     ○


「閣下ッ! 軽率が過ぎます。弓で射られたらどうするおつもりだったのですか!」

「うぬ、すまんすまん。しかし見ろ、活きの良いのが釣れたぞォ」

 ストラクレスとその部下は外壁に設置してある高台から地上を見る。

「なるほど。あの白髪……ハイアンを仕留めた白い小僧、ですか」

「しかり。わしほどではないが、なかなか目立つ小僧じゃい。ぐはは」

 ただの兵には見分けなどつかない。豆粒が蠢いているようにしか見えない戦場。だが、二人にはその中で胎動する新たな芽が、しっかりと見えていた。

「真か偽か、貴様が見極めい。わしは降りて荒らしてくるわい」

「そうおっしゃられると思いまして、すでに重装騎兵を東門から出撃させ、敵軍横っ腹に」

 きょとんとするストラクレスを差し置いて、眼下では戦場が動く。

「突っ込ませておきました」

 突如横から現れたオストベルグ軍に、上しか見えていなかったアルカディア軍は強襲をもろに喰らう。数で圧倒的に劣るが、地の利、布陣の利、そして兵の質、すべてがオストベルグに傾いた。

「ぐはぁ。相変わらず使えすぎてやな奴じゃなあ。わしがあれやりたかったのに」

「奇襲は駒にやらせればいいのです。どちらにしろ、こんな戦に意味はありませんから」

 ストラクレスの部下は目を細める。どこか虚しさすら漂う視線。それを遮る様に大将軍は部下の肩を抱く。

「だから意味を持たせるのだ。あれだけ目立つ輩はそうおらん。不安定さ、未熟さ、裏を返せば伸びしろがたんまりっちゅーことじゃろ? 試せ。喰うに値するなら生かせ。値せぬなら間引け」

 そう言いながら、ストラクレスの目には何処か確信が宿っていることを、隣の男は良く理解している。その上で、自分に試せといっているのだ。

「御意。後の些事はお任せください」

「うむ。すべて貴様に任す。わしは戦争をしてくるわいッ!」

 ストラクレスが去った後、男はもう一度眼下の景色を見る。

「閣下が出るに値せぬ戦場。せめて意味を持たせてくれよ、白い小僧」

 割って入った重装歩兵。それに男の注視する『白』は歩みを遮られる。そこからどうやってこの場まで来るのか、見ものである。

「ほう、少しは出来そうだ、な」

 舞う血風に、男は目を細めた。


     ○


「シィイ!」

 一切の躊躇なく、一切の手抜かりなく、ウィリアムの剣は黒き死神の首を絶った。

「ガァァァアアア!」

 今までかけていたセーフティはすべて外し、ただただ猛進する。その邪魔は全て断つ。

「う、ダッラァ!」

 今まで設けていた完勝するための余裕は持たない。ギリギリで最短を駆け抜ける。ゆえに生傷は絶えず、返り血と自身の血で紅に染まっていた。

 丁寧な動きは鳴りを潜め、獰猛な、ともすれば雑な動きで前進するウィリアム。

「この、ふざけっ――……あへ?」

 それでも首が舞うのはルシタニア産の剣の力も大きい。今までのウィリアムの動きは、その剣の優位を利用せず、ただの剣でも勝てる、断ち切れるものであった。しかし、今はそれも十全に活用する。

「こいつ、強いぞッ!」

 己が優を信じて疑わなかった男が、その確信を打ち砕かれ、剥き出しの『自分』があらわになる。

「俺は強い、僕は優秀、俺はかしこいぼくはつよいおれはぼくはおれはぼくは――」

 徐々になくなる境界線。自分と『自分』がかけ離れていく感覚。

 そもそもこの戦場では、これ以上無理をする気など無かった。無意味なのだ。それこそ将軍首でも取らない限り、意味は発生しない。普段のウィリアムなら絶対にこんなことはしない。石橋を叩いて、叩きすぎるほど叩いて動くはずの男が――

「ぼくは、つよいんだぁ」

 壊れた。大将ストラクレスの登場、たったそれだけで冷徹で慎重、計算高い男が壊れてしまった。しかし――

「だってぼくはねえさんの騎士なんだもの。ねえ、ねえさぁん」

 壊れたからこそ、剥き出しだからこそ、おぞましいモノも、ある。

「ぼくよりすごいやつはいちゃいけないんだ。そんなやつ、喰っちゃうぞォ」

 白き獣が戦場を血で染める。


     ○


「なるほど、な」

 眼下の光景。一部だけ明らかに突出している場がある。遠目でもわかるその先端が、白き獣。

「ハイアンが喰われたのも理解できる。あれは、モノが違う」

 自身の部下であったハイアン。優秀な百人隊長であったが、そこどまりの男でもあった。対して白髪の青年は、平時こそ小奇麗にまとまっているが、『己』を解放した現在は酷くムラがあり、安定しない。無茶苦茶な動き、無駄も目立つが、それを差し引いても、最高点はハイアンと比較にならない。

「兵への影響も、悪くない、か」

 狂走するのは何も先頭だけではない。かの白髪が孤立しないのは、それに続くものたちがいるからである。それら全てが白髪と同様に正気を失っている。先頭の影響をもろに受け、死する間際まで狂い廻る狂者の群れ。

「ふん、先ほどまで何処に隠れ潜んでいたのやら」

 ストラクレスの『声』を聞けば、万人が影響を受ける。敵味方問わず。それが将軍であり、国の剣であるストラクレスという男の持つ力。その声を聞いて奮い立つ、または力が抜けるのは一兵卒。しかし、それ以外の反応を示すものも稀にいるのだ。

「ただの狂者か、それとも戦士の卵か、見極めさせてもらうぞ」

 白髪の男、ウィリアム。大将軍の右腕たる彼にはどう映っているのであろうか。

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