ラコニア争奪戦:獣の初陣

「わー、すごいや」

 カールたちの周囲には集結したアルカディア軍がひしめいていた。

「歩兵三〇〇〇、騎兵五〇〇、総兵数三五〇〇だそうだ。陣形は今は縦列だが、戦うとなると横陣に切り替わるだろう」

 ウィリアムが何処からか仕入れた情報を語る。感心した風にカールはウィリアムを見た。

「俺たちは軽歩兵。最前列で戦う役目だ。そして――」

 ウィリアムは自分たちの背後を見る。視線の先には――

「戦場の花形、重装歩兵が出てくるまでの脇役ってところだな」

 重装歩兵。アルカディアとオストベルグ、この二国にとって重装歩兵はまさに花形。主力中の主力であり、騎兵より重要視されていた。基本的に重装歩兵は正規兵であり職業軍人がその兵科につく。それゆえ装備は高性能で統一されたものを支給されており、その戦力は世界中で一目置かれている。

「アルカディアは白を基調とした鎧で、オストベルグが黒だよね」

「そうだな。まあこの丘を越えれば、嫌でも目に入るさ」

 二人は最前線中盤という位置にいた。二人が所属する十人隊は、ラコニアでの生き残りを集められた集団であり、生き残った経験を加味されてこの位置に配置されていたのだ。

(基本的に最前線はもっとも経験の浅いものを配置する。俺たちは生き延びた、そして俺たちよりも経験の深い連中の多くは死んだ。ゆえにこの位置。悪くない)

 最前列がざわつき始めた。おそらく敵軍が視界に入ったのだろう。先導する騎兵や斥候たちがウィリアムたちの横を往復する。この慌しさが戦場なのだろう。ウィリアムは自然と高揚感に浮かされる。

(落ち着けよ俺。熱くなったら負けだ。誰よりも頭を冷やして、冷静に事を運ばなきゃ)

「お守りの宝石はしっかり服の内側に隠しておくんだぞ」

 ウィリアムは自身を落ち着かせる意味もかねて確認する。

「うん、敵に略奪されるのを防ぐためだよね?」

 カールは胸の中央に手を当てる。そこには家族から託された大事なものがあった。

「そうだ。付け加えるなら味方だってその宝石は欲しい。何も敵だけが危険なわけじゃないさ。とりあえず雑兵が悪目立ちしても意味が無いよ」

(ってもいい場面では目立たなきゃ話にならねえけどな)

 ウィリアムが思考している最中、

「あっ!?」

 二人の眼前に、黒い塊が現れた。接敵するほどの距離ではないが、安穏と出来るほどの距離でもない。威勢の良かった最前列はいつの間にかかなりトーンダウンしていた。隣のカールも震えている。それほどの威容。それが軍勢というもの。

(駄目だ。駄目だ俺)

 しかしその中で、

(駄目だって、駄目だよねえさん!)

 唯一逆に熱を高めていた男がいた。

 その者は、この場で誰よりも苦痛を知っている。泥水をすすって、ドブネズミのように生きてきた。屑とののしられ、ただ生きているだけで迫害された。生きることが罪なのだと、奉仕するのが当たり前なのだと、そう青年は定義づけられてきた。

「……ウィリアム?」

 奪われ続ける人生。ほんの少し前、ようやく奪う側の立場に立った。でも足りない。足りない足りない足りな過ぎる。最愛を奪われた。人生のすべてを奪われた。

「笑って……るのかい?」

 自身は優秀である。優秀であり強者である自分から奪い去った。その報いをこの世界にぶつけねばならない。姉の価値と等価なものを奪わねば割に合わない。

「いや、笑ってないよ、カール。落ち着いて、俺から必ず離れるなよ」

「う、うん!」

 ならば奪おう。この世のすべてを。

(嗚呼ねえさん。有象無象が蠢いているよ。愚図愚図愚図、愚図の群れ。奴隷と定義づけられた俺より遥かに劣る劣等種。じゃあ足りないね。あれ全部でも足りないね。僕らが奪われた幸せに比べれば、ゴミの人生なんて足しにもならない)

 この場で一番狂っているのは間違いなくこの男である。アルと呼ばれた少年は死に、アルと呼ばれた解放奴隷もまた死んだ。今此処にいるのは――

(さあ、全部喰ってやるッ!)

 名前すら奪い喰らった名も亡き白の獣。


 ウィリアム・リウィウスにとって、本当の意味での初陣であった。


     ○


「これでいいのウィリアム!?」

「ああ、これでいい」

 乱戦である。平原での横陣同士の正面衝突。小細工抜きのぶつかり合い。最初の衝突は騎兵での牽制、そして軽歩兵同士のぶつかり合いに発展。今、両軍中央で軽歩兵が絡み合っている状況である。

 その中で、ウィリアムとカールは中盤でまったりと戦っていた。たまに切り込んできた相手と交戦するが、カールへと到達する前にウィリアムが軽々と両断してしまう。以前の撤退戦と比べれば明らかにぬるい。

「緒戦で力を入れても死ぬだけだ。前の敵だけじゃなく後ろから味方の弓や投槍が降り注ぐ、最前線なんていいことはない。今はまだ適当に流していればいいんだよ。見咎められない程度にな」

 戸惑うカールだが、前線に立つリスクは戦果に見合うものにはならない。特に緒戦はあくまで互いの小手調べ。消耗されるのは軽歩兵。緒戦で価値のある首が出てくることなど無い。

(さて、緒戦の槍合わせはそろそろ終わりだろう。どちらが先に動く?)

 ウィリアムがこの位置を固持する理由は、戦場全体がある程度見渡せるということ。もちろん視界自体はたいしたものではないが、危機や動きを感じ取り最適な動きを実行する余裕は充分にある。

(お互い斜陣のような工夫は見られない。ならセオリー通り重装歩兵でガチンコ、か?)

 少しずつこの場に来る敵兵が増え始めた。前線が交じり合い、混戦が広がり始めているのだ。手を打つならばここ。打たぬとしてもそろそろ重装歩兵を動かす時。

「ウィリアム! 後ろに何か!?」

 ウィリアムより背後にいたカールの声。遅れてウィリアムも異変に気づく。

「後ろ……騎兵だと!?」

 馬蹄の音が聞こえたわけではない。しかし味方の矢が鈍り、前線にも届くほどの怒号がこちらまで届いている。重装歩兵は動いていない。軽歩兵は激突最中、横陣は均衡状態。背後の戦況が動くとしたら伏兵。そして――

(斥候が見通しの良い平原を調べていないわけが無い。丘から見通せる範囲に伏兵はいなかった。いるとしたらそれより遠く。丘向こうの森。そして丘向こうの森に待機した兵を開戦後動かし、加えて此方の動きより早く攻め寄せるには騎馬の速度が必須)

 ゆえに騎兵。それも相当の速さ、そして強さ。

(先手はオストベルグ。それがおそらく決まった。なら……次の手もオストベルグ)

 前線の視線すら後方に向く中、ウィリアムは前線を睨みつけた。

(後背を乱した。なら当然次は前ッ)

 ウィリアムは前線が動くと見た。実際に、相手の前線がにわかに後退する。しかし押しているのではない。これは、入れ替わり、入れ替わった先は――

「じゅ、重装歩兵!?」

 黒の死神。オストベルグが誇る至強の兵たち。

「う、うおっ!?」

 とっさに味方軽歩兵が槍を投げる。それはまっすぐと黒の鎧に向かい、

「…………」

 無造作に盾で薙ぎ払われた。木製とはいえ投げた槍が粉々になるほどの衝撃。

 それらを特に意に返すわけでもなく、あっさりと軽歩兵をなぎ倒していく重装歩兵。長く太い黒光りする大槍を叩きつけ、ねじ伏せ、轢き殺し、圧殺する。

「た、たすけ」

「退けィ」

 太い幹のような大槍が眼前で慄く軽歩兵の頭を押し潰す。ざくろのように弾ける頭部。前線は一瞬で死地に塗り変わった。血と脳漿、死肉を生み出す黒き死神。オストベルグ重装歩兵。

「やっるぅ」

 慄くカールには聞こえないぐらいの声で、ウィリアムはつぶやいた。

「そろそろ、動くか」

 ウィリアムが納めていた剣を抜く。抜き放たれた白銀はその場にいた多くの目を引いた。それは剣の美しさでもあり、それを持つ青年の美しさでもあった。

 雰囲気が、変わる。

「下がってろカール。良い首が来るまで、軽く雑魚でも散らしておこう」

 先ほどまでの無気力っぷりはどこへやら。獲物を前にした捕食者の眼光。ぬらりと、獲物たる黒き死神たちを舐め回すように見やる。

「雑魚、か。でかい口を叩くな小僧ッ!」

 だがそんなもので怯む重装歩兵ではない。歴戦の武士であり、数々の死線を超えてきた勇士。たかだか一軽歩兵の戯言。少しくらい雰囲気が異なるとはいえ――

「黙って刈られとけよ雑魚」

「ぬ!?」

 速、断、首、舞。

「喰らうまでもねえ。ぷちっと潰してやんよ」

 背後に聞こえない声量でささやく。鎧の継ぎ目を正確に断ち切られ、首と胴が離れた人間。まだ生きているが、すでに生きる機能は無い。言葉を、理解する『機能』は宙に舞っているが。

「馬鹿な!?」

 ざわつく前線。味方も、敵も、周囲の視線がウィリアムに集中した。

「我が名はウィリアム・リウィウス! カール・フォン・テイラーの名代にして剣! 我が主の威光、恐れぬならばかかって来い!」

 この場でカールのことを知るものなどいない。テイラー家でさえ知らないだろう。しかしそれで良い。ここから始まるのだ。カール・フォン・テイラーの影として、剣として、此処が始まり。天を喰らう為の第一歩。

「動きが止まっているぞ? 重装歩兵。慄いたか?」

「貴様ァァァァアアア!」

 虚仮にされた黒の死神たちは白の獣に殺到する。それを高みから睥睨し、残らず踏み潰そうと、喰らい尽くそうと、ウィリアムは動き出す。

 舞台は整った。


     ○


「閣下、作戦通り前線は優勢。こちらもそろそろ離脱しましょう」

 馬蹄を響かせ戦地を駆け抜ける黒の騎馬隊。その中で一際大きな男が兜を脱ぎ、視線を敵本陣に向けた。

「ぐはは。相変わらずテコでも動かぬかよ、バルディアス」

 完璧に決まった策を見てなお一切動じず、動く気配の無い相手に大男は笑顔を向けた。

「さすが不動のバルディアス。奇策は一切せぬが、動かぬ分こちらの策も通り辛いわい」

 奇策はあくまで奇策。奇策に動じ、下手な動きを見せれば動きようもあるが、動かぬなら結局ほんの少しの優勢と、手の内を晒しただけ、この場は見た目以上に平衡。

 本当の意味で戦場を動かすのは地力と兵力。それが大軍の戦である。

「ふん。旧いやり方だがわしは好きじゃぞ。小細工をせぬからなァ」

 昔ながらの兵法。この大男にとってもそれはわかりやすく、楽しみやすい。

「ガリアスの青瓢箪どもとは歴史が違うわい。ガハハ」

 アルカディア陣営が知らぬことであるが、直近でオストベルグは超大国ガリアスと戦争をしていた。戦争と呼ぶほど大層な戦ではなかったが、いろんな理由が重なった上で起きた戦は、結局この戦に繋がることとなる。

「まあ、面白いものは見つかったからよしとするかの。とりあえず今の戦じゃて」

 長き戦歴、互いにとって数えるのも億劫になるほど戦を重ねてきた歴史が、重厚な戦場を生み出すのだ。机上ではない、本物がそこにある。

「本陣は丘の上、堅固な構えよ。あれを落とすとなると骨が折れるわい」

 言葉とは裏腹に喜色満面。

「さー、緒戦は終わりじゃあ。退くぞィ」

「応ッ!」

 大男は自身の部下を引き連れて乱しに乱した戦場を離脱する。そろそろ立て直すかどうかという完璧なタイミングでの離脱劇。こういう差し引きでこそ経験は光り、将の腕が垣間見えるのだ。

「……?」

 離脱の最中、大男はちらりと両軍ぶつかり合う前線に目を向けた。軽歩兵と重装歩兵がぶつかる戦場は自軍であるオストベルグが圧倒的優勢。しかし――

「ほお……」

 一部、ほんの一部、この大きな戦場において普通なら気にも留めぬ一部分。

「面白いッ」

 大男の目を引く何かがあった。


     ○


「ば、かなあ」

 崩れ落ちる黒き重装。睥睨するは白き獣。

「はい、ご苦労さん」

 ウィリアムが戦場を舞う。横たわる黒き躯の多くはウィリアムが一人で積み上げた死体群。敵も味方も迂闊に動けない。一部、たった小さな一部分であるが、ウィリアムは戦場を支配していた。

「ぐぬッ! よくも」

 今倒されたのはオストベルグ重装歩兵の十人隊長。正規兵しかいない重装歩兵で十人隊長は決して低い位ではない、低くはないが――

(足りねーな)

 ウィリアムは今まさにリスクを犯している。最前線で戦う、単身突出するという大きなリスクを。囲まれ、蹂躙される恐れはもちろん、背後から味方の誤射も十分ありえる。相当リスキーな状況なのだ。

(極力リスクは避ける。必要なとこでのみ動く。今はその時。だからこそ、もう一押し欲しい。このままじゃあ割に合わない)

 そろそろ退かねばならないだろう。全体の前線は崩壊気味であるし、何よりもアルカディア側の虎の子たる重装歩兵の出番もすぐ。ウィリアムの出番はそろそろ限界である。

(来い、来い、来いッ)

 ウィリアムは祈る。これだけ活躍しても、残るのはこの周囲の雑兵たちの評価だけ。それでは上に聞こえない。届かない。要るのだ、絶対的に名が広まるモノが。雑魚をいくら殺しても手に入らない確固たるモノが。

(来いッ!)

 クビが、要る。


「おいおい、随分俺の部下を痛めつけてくれたみたいじゃねーか」


 空気が一変した。

「ウィリアムッ!」

 カールから気をつけての意を込めた声が届く。

(わかってる。とうとう、炙り出したぞ。百人隊長だ!)

 百人隊長。アルカディア、オストベルグ、この両国に同じ点を見出すとすれば、重装歩兵が中核であることであろう。そしてその中核を支える屋台骨こそ百人隊であり、それをまとめるものを百人隊長と呼ばれる。花形中の花形。首を取らば一気に名を上げることになるだろう。

「派手な髪だな、小僧。染めているのか?」

 自信の塊。しかし決して――

(威を借る狐じゃねーな)

 ハッタリではない。今までの相手は、重装歩兵という集団の一員でしかなかった。強き集団を形成するパーツでしかなかったのだ。だが、目の前の男は、たった一人の男は違う。強き集団を率いる者、強さで集団を形作る者。

「オストベルグ重装歩兵団百人隊百人隊長ハイアン・フォン・クロッカス」

「アルカディア軽歩兵団所属カール・フォン・テイラーの剣、ウィリアム・リウィウス」

 名乗りあう両者。格は圧倒的開きがある。黒き死神を束ねるハイアン。雑兵の一人でしかないウィリアム。はたで見ていると滑稽な光景に映るかもしれない。

「良い気迫だ。来い」

 ずっしりと、重々しい空気がハイアンの周りにまとわりついていた。

(……また、これか)

 寒々しい感覚がウィリアムを襲う。カイルと対峙したときに感じたもの。そして、毛色は違うがロード・テイラーやあの貴族街がまとう空気感に似ていた。

「……まったく、理解しかねるぜ」

 ウィリアムはため息とも呼吸ともつかない息を吐いた。

「来ぬのか?」

「……往くさ」

 カイルの忠告は頭に刻み込んでいる。この寒気のする相手とは戦うな。しかし、

(リスクを犯さねば……『上』には往けねーだろうがよッ!)

 ウィリアムは立ち止まるわけにはいかない。前に進めと心が叫ぶ。熱情を帯びるウィリアムの腹部。喰らえ喰らえ喰らえ。ナニモノかが叫び狂う。

「ひゅッ!」

(それに、カイルほどの寒気は感じねえ! 体格、技術、負ける要素なし、勝てるッ!)

 ゆえにウィリアムは前進する。突貫、いつもの如く鎧の継ぎ目、クビを狙い打つ。

「軽いよ白ガキ」

「ッ!?」

 易々と、あまりに容易くウィリアムの必殺を受け止めるハイアン。合理的で、最短で、ゆえに最速。多くの知識と修練の集積たるウィリアムの剣。それが防がれた。

「そォらッ!」

 ハイアンが、受け止めた状態から無理やり力づくで、大きな剣を振り抜く。

 ウィリアムは目を見開いた。鍔迫り合う状態だが体勢はウィリアム優位。体躯は若干ウィリアムのほうが小さいが、それほど体重差があるわけではない。力とて、鍛えているウィリアムがそうそう後れを取るものではないのだ。

「言ったろ? 『軽い』って」

 なのに、ウィリアムが浮いた。不利な体勢も、合理も、何もかもを吹き飛ばし、ウィリアムが持ち上がり、飛んだ。

(ちょっと……待てよ?)

 ウィリアムの理解が追いつかない。そのラグが――

「ぼーっとしてる余裕はねーぞォ!」

 普段与えぬ不利を生み出す。教科書どおりの袈裟切り。パニックになっている状況でも、ウィリアムはしっかりと両腕で剣を支え、首を守る。受け止め、斬り返す――

「ガッ!?」

 つもりであった。しかし結果は首の皮一枚裂かれ、身体が吹き飛ぶ。不利な体勢とはいえ万全で受け止めたはずの一撃が、あまりに重い。

(んな、馬鹿な!?)

 単純な膂力で差があるとも思えない。筋量に差があるとも思えない。なのに――

(何故、こんなでかく感じる!?)

 防戦一方。ウィリアムは歯軋りする。こんなつもりではなかった。勝って、自身が優秀であるという確信を得るつもりであったのだ。自分は強い。それを確信にするための戦い。そのはずだったのに――

「わからねーか? わからねーだろうな? お前の剣は軽い。お前の存在自体が軽い。積み上げたものが無いから、なァ」

 人生が、軽い。

「粋がるのもここまでだよ。確かにお前は優秀だ。剣は綺麗だし、動きも素晴らしい。体格も悪くない。でも、それだけ。お前は『強く』ねーんだよッ!」

 剣を受け止めながら、ウィリアムは地に目を伏せた。

 ドクン、心臓が爆ぜる。

 目の前の男がほざいた事、赦すことが出来るだろうか。どぶ水をすすってでも生きてきた。姉を失い、復讐のために生きてきた。死に物狂いで知識を蓄え、その裏側で身体も鍛えてきた。最善を生きてきた自信がある。最短を生きてきた自負がある。

「薄っぺらだぜ白ガキィ!」

 この男より、『自分』は優秀で、優位でなくばならない。それが道理である。

 振り下ろされる剣を受け止める。その感触に、ハイアンは奇妙な手ごたえを感じた。

「……まれ」

 優秀なのだ。天才でなくともいい。秀才ですらなくても構わない。ただの凡人で充分。ただの奴隷が、天を目指すために積み上げてきたのだ。必死に、一秒たりとも無駄はない。狂ったように、すべてを高めるために費やしてきたのだ。その『自分』が――

「だァまれェ」

 目の前の男程度に劣っていいわけが無い。

「こ、いつ!? そんな顔、隠してやがったのか!?」

 味方側には見えない表情。ハイアンの眼前にいるモノを、ハイアンは知らない。

「僕は凄いんだよねえさん! 僕は誰よりも優秀なんだ! だから、見ててェ」

「ふざ、けるな! こんな奴、こんな奴がこんなところにいるわけッ!?」

 剣が、押される。先ほどまでとは逆の光景。周囲には何が起こっているのか、声すら届かない。ただ、ウィリアムが押していることだけは理解できた。理解できた、だというのに誰一人動けない。

 鍔迫り合い、ハイアンは首筋に剣が添えられてなお、動けない。

 戦場を覆う怖気。灼熱の、想い。ハイアンがまとう重圧を塗りつぶす。

「いぃぃィいたァだぁァぁきィぃまァぁぁす」

 ハイアンの顔に絶望が宿った。押され、首に刃が食い込み、肉がみちみちと音を立てて裂ける。ゆっくりと、着実に、抵抗も空しく――

「やめっ、助けッ!?」

 鮮血が、二人を染める。白き獣を赤く染める。赤、紅、美しき獣。

「ほら、やっぱり僕は優秀だった」

 味方側がその表情を伺うことは出来ない。しかし敵は、オストベルグの兵たちは、その表情を見た。

 ごくりと喉を鳴らすほど、美しく恐ろしいモノ。恍惚の表情で血を浴びる『それ』を、彼らは同じ人であると認識できなかった。狂おしいほど美しき――

 白き獣が一人戦場に立つ。

「う、ウィリアム?」

 カールが恐る恐る声をかけた。何が起きているのか、理解は出来ぬが異常な状況であることは、なんとなく理解できていたのだ。だが、

「ん? どうしましたカール様?」

 振り返ったウィリアムの表情はいつも通り。髪や衣服は赤黒く染まっているが、普段と変わらぬウィリアムがそこにいた。

「どうぞ、これをもっていてください」

 ウィリアムはハイアンの首を再度綺麗に断ち切り、器用にその首をカールの手元まで吹き飛ばした。慌ててそれを手に取るカール。ぎょろっとした死に顔に、カールは吐き気を催していた。

「何が起きている?」

 今更前線に出てきたアルカディアの重装歩兵。この場を覆う奇妙な雰囲気に怪訝な顔をしていた。

 ウィリアムはにやりと笑みを浮かべる。

「カール・フォン・テイラーが敵軍の百人隊長、ハイアン・フォン・クロッカスを討ち取ったぞォ!」

 良く通る声が戦場に響く。それはやはり戦場全体から見れば小さな部分のみ。しかしその場全員がカール・フォン・テイラーの名を刻み込んだ。それほどその声は魅力的なものであり、抗えぬ魔性を兼ね備えていたのだ。

「ちょ、ウィリアム!? 僕じゃなくて君が――」

 訂正しようとカールが声を上げるも、時すでに遅し――

「ウォォォォォォオオオオオッ!」

 大きなときの声が上がった。ウィリアムがカールの剣を引き抜き、ハイアンの首に刺す。うまく刺さったことを確認すると、カールに持たせ掲げさせた。

 炸裂する歓声にさらにエッセンスが加えられる。

「軽歩兵ごとき貴様らが、重装歩兵の百人隊長を?」

 疑問符を浮かべる白の重装歩兵。ウィリアムがカールの前に立った。

「この方は男爵の子弟であるぞ、そこらの軽歩兵と同一視する無礼はこのウィリアム・リウィウスが許さぬ」

 男爵の息子。つまり貴族。重装歩兵の多くは正規兵であり市民である。階級こそカールは低いが、国家におけるヒエラルキーはカールの方が圧倒的に上なのだ。

「な、何故貴族の子弟が軽歩兵などになられているのですか?」

 いきなり腰を低くする相手に、ウィリアムはさげすむような目を向ける。

「それを貴方方が知る必要はない。退きましょう、カール様」

 手を差し伸べるウィリアム。カールはおろおろする。

「え、いや、勝手に動かれるのは」

「重装歩兵がぶつかるとき、軽歩兵は下がるはずです。それとも、まだ軽歩兵に戦場を支えろとおっしゃられるのですか?」

 ぐうの音も出ない正論。そもそも入れ替わりが遅れたのは後方の失態。それでも本来ならウィリアムが口出しできる相手ではない。しかし今は、結果(百人隊長の首)とカール(貴族)がいる。ゆえに通る。

「では行きましょう」

「う、うん」

 後方に悠々と下がるウィリアムとカール。呆然としていたのは指揮官を討たれたオストベルグだけでなく、味方であるアルカディアも者達も同様であった。それほど鮮烈な一騎打ち。そして勝利。まるで戦場自体が勝利したかのようなときの声が続いていた。


 期せずして温存していた重装歩兵がぶつかり、勢いの減衰していたオストベルグは押された。緒戦の失態を取り戻すべく奮起する重装歩兵。白の軍勢は、なぜか押され切っていなかった『中央』を基点にオストベルグ軍を分断。中央突破に成功する。

 この時点で、野戦の趨勢は決していた。


 ウィリアムとカール、二人にとっての初陣は、緒戦の不利を引っくり返しての勝利に終わったのだ。

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