ラコニア争奪戦:出立

「ひゅっ」

 朝靄を切り裂くように白銀が煌く。

「しっ、ふっ、せやっ」

 初めは書物の中にあった技法を見よう見真似していただけ。一冊の本を修め、二冊、三冊、十冊、知れば知るほど確立されてくる自身の武。広く深く本の世界にもぐり、実践し、取捨選択してきた。ゆえに――

「ハッ!」

 美しく、合理。これがウィリアムの剣。知識と実践の集積である。

 ウィリアムが剣を修練するのは、誰もいない時刻。深夜と早朝。アルであった頃から続けている習慣であり、雨の日も雪の日も嵐の日でさえ休んだことの無い日課である。

「…………」

 それを見つめるまなざしに、ウィリアムはとうに気づいていた。

「ふう」

 程よくかいた汗をぬぐい、視線を『そちら』に向ける。慌てて窓から人影が消えた。

「……見ていてそんな楽しいもんじゃねーと思うんだがな」

 ここ数日毎回こうである。最初の一日はカールやアインハルト、ローランまで見学するというさらし者状態であったが、アインハルトとローランは飽きたのかわざわざ朝早く起きてまで見ようせず、カールはいっしょに訓練しようとするが、朝も夜も気づけば寝ている。残るは――

(ルトガルド……か)

 最初の対面から一度としてまともに視線を合わせることはなく、ウィリアムとしても対応に困る相手であった。かと思えばわざわざ朝早く起きてまでウィリアムを盗み見ている。おそらく本人は気づかれていることに気づいていない。

(人見知りと言っていたがな。何を考えているのやら)

 ウィリアムが視線を外していると、ひょっこり視線が舞い戻る。ウィリアムは背中に受ける視線を億劫に感じながら、一応気づかぬ振りをし続けていた。

(まあ今日で最後、だ。気にしたら負けだな)


     ○


「それでは行って参ります!」

 カールが元気良く家族に別れを告げる。ローランはニコニコと手を振り、アインハルトは一応顔を出したという様子、ルトガルドはもじもじと顔を伏せていた。

「ウィリアム君も気をつけてね」

「お気遣いありがとうございます」

 ウィリアムは深々と頭を下げた。アインハルトはウィリアムにさしたる興味もないのか、視線を合わせようともしない。ウィリアムとしてもそれくらいドライなほうが気が楽というものである。

(問題は……)

 ちらりとウィリアムが視線を向けると、先ほどからちらちら感じる視線と絡まった。

「ひゃい!?」

 それも刹那のことで、視線は素早く外される。

(……ルトガルド、だ)

 もはや恒例であるが、ルトガルドがウィリアムを見つめていたのだ。それも堂々とではなく、あくまで盗み見るという形で。そして視線を合わせると逸らされる。外すとしばらくしてまた視線が――という繰り返し。

(本当に何を考えているのか……全然わからん)

 複雑な内心を押し込め、ウィリアムは無表情を貫いていた。

「ああ、そう言えばルトガルドが渡したいものがあるそうだよ」

 ローランの言葉にびくりとするルトガルド。もじもじと兄の下にすり寄り、蒼色の宝石が中央に輝くネックレスを手渡した。カールの顔がぱーっと明るくなる。

「わあ、サファイアだ。しかも光に当てると……やっぱり!」

 ウィリアムも目を瞠るほどの美しさ。光に当てるとなおさら美しい。六条の光が星屑のように輝くそれは、商売に携わっていたウィリアムをして見た事が無いほどすばらしい宝石であった。しかも周りを囲う金細工も繊細で麗美。いくらするのか見当もつかない。

「スターサファイアかー。いいの父上? これ売り物だよね?」

「石は私が買い取って飾りはルトガルドだよ。まあお守りだし、ちょっとくらい弾まないとご利益に欠けると思ってね」

 ちょっとくらい弾む。その言葉にウィリアムは一瞬顔が歪んだ。あの宝石は、推測だが売ればアルカスの一軒家は買える代物。さすがにここら貴族街で家を買うには少し足りないが、それでも剛毅な話である。

(つーかこいつら本当はもっとでかい家建てられるんじゃ?)

 たとえ貴族であっても、ちょっと弾む程度で買える代物ではない。まあ息子の初陣なら用意しないこともない、のかもしれないが。

(……初陣、まあ初陣だな。普段のラコニアでの小競り合いと今回は戦場としての格が違う。小競り合いの駐屯兵にゃあ確かに必要ない代物だろうよ)

 そんなことをつらつらと考えていると、

「ぁ、ぁの」

 気づかぬうちにルトガルドがウィリアムの傍によっていた。びくりとするウィリアム。それに対応してルトガルドもびくりとする。

「な、なんでしょうかルトガルド様」

 咄嗟のことで顔を引きつらせるウィリアムを見て、ローランがくすくすと笑う。

「渡したいものがあると言ったろ? それは君の分だ。もちろん細工のデザインはルトガルドお手製だ」

 ルトガルドが地面を凝視しながらすっとそれを差し出した。

「こ、れを私に、ですか?」

 差し出されたそれを、ウィリアムは驚愕の目で見つめる。発した声は震えていた。

「不服かい?」

「い、いえ!? むしろ、こんな高価なものいきなり受け取るわけには!」

 ウィリアムの目の前にあるそれは、真紅の宝石。周囲を煌く白銀の細工が囲う。銀細工だけでも普通の市民では手が届かない代物。加えてこの真紅の宝石は――

「ほお、ルビーか。父上もなかなか剛毅なものだ」

 アインハルトが驚くのも無理はない。ルビーはこの時代、ダイアモンドに次ぐ高価な宝石であり、その価値はサファイアと比較にならない。七王国の治める地域で採取できない希少性もまた、その価値を引き上げる要因となっていた。

「んー、これはルトガルドが固持してね。ウィリアム君に合うのはこれだって言って聞かないんだ。自分の宝石全部売っても良いって言って――」

 かーっと真っ赤な顔で父を睨みつけるルトガルド。ローランは苦笑してやれやれと頭を振った。

「受け取ってあげておくれ。カールのは事前に用意していたんだが、君のは急ぎで作らせた。ルトガルドも君と会った翌日にはデザインを用意していたし、おそらくその日は徹夜だったろう。これで受け取ってくれないのはなかなかつらい」

 ウィリアムはどういう表情をするのが正解なのかわからなかった。震える手でそれを受け取る途中、ルトガルドの手に触れて彼女がびくりとしたが、それに反応する余裕はない。これだけのサイズのルビー、色も形も良い。石だけでこの辺りに家が建てられる。

(最近会ったばかりの他人に渡す代物じゃねーぞ!?)

 ウィリアムはローランを見る。にっこりと微笑むローラン。

(……俺への投資ってことか? 随分過大に評価されたもんだ)

 ウィリアムは手の中にあるそれを握り締める。熱を帯びたような熱さが、熱情そのものが手の中にあるような感覚が走る。石はただの無機物。意思など無い。それでも与えられた希少性、絶大なる価値、それによって生まれたルビーというラベルの前に、人は熱く迸る何かを見る。

「ありがとうございます、ルトガルド様、ローラン様。必ず、期待にこたえて見せます」

 期待にこたえる。おそらくローランが求めているカールの守護。別にこのようなものを渡されずとも此処まで来たら守るつもりであったが、これを渡されたことにより再確認された。少なくとも、ローランにとってのカールとはこれらの宝石より価値があるということ。へまをして失えば、どんなしっぺ返しが来るかわからない。

「……ぁの、ご、御武運を」

「は、はい」

(しかし……ルトガルドは読めない。本当にこの女は何を考えているんだ?)

 ウィリアムは返事をしながら、複雑な内心を押し留めていた。ローランの意図自体はわかりやすい。カールを守ること、ひいてはテイラー家の役に立つこと。しかしルトガルドの意図はまったく理解できなかった。

「ふーん、お手製の石を男にねえ」

 意味深な台詞を吐くアインハルトをルトガルドはじろりと睨みつける。アインハルトは「こわいこわい」と一人邸宅に戻った。残されたルトガルドはほっぺを真っ赤にしながら、口をつぐんでいる。

「それじゃあ行こうか、ウィリアム」

「ああ、そうだな、カール」

 お互い渡された宝石を首にかけ、南の方角を見る。ここから見えるべくもないが、激戦地となるであろうラコニアもまたこの空の先にある。

(ようやく、俺にも機会が回ってきた。貴族(カール)を立てれば自然と俺も立つ。カールが前に進めば俺も前に進む。今はそうして、影として成り上がってやる。そしていつか――)

 ウィリアムとカールは進み始める。この先に何があるのか、誰にもわからない。

「カールを頼むよ」

 温和な表情だが、釘をさすようにウィリアムに声をかけるローラン。「もちろんです」とウィリアムは笑顔で返した。

(あんたも俺が喰らってやる。そうでしょねえさん)

 胸元で揺れる真紅の石は光を反射して燃えるように輝いた。それは灼熱のように燃え上がるウィリアムの内心を、とても良く表していたのだ。

「……ご無事で」

 すでに声の届かないところまで歩いて行った二人を見て、ルトガルドはぽつりとこぼした。それを横目に、ローランは複雑な表情を見せる。

(さて、彼の存在は我が家にいったい何をもたらすか?)

 薬となるか毒となるか、ローランをしてそれは見えない。

 

「ところで、カール」

 貴族街と門を抜け、市民街を歩いている最中、

「ん、何?」

 もっとも疑問に思っていたことをぶつけてみる。

「テイラー家はいったい何をしているんだ? 商会をまとめているのは小耳に挟んだけど」

 テイラー家の商売。家自体はそこまでではないが、自然と羽振りのよさは伝わってくる。極め付けに大きなルビーのネックレスを赤の他人に渡せる金満っぷり。気にもなるというものである。

「んー、装飾品とか服飾関係の商会をまとめてるんだ。金銀宝石の仕入れから細工までもしてるし、デザインとかも結構人気かなー。ルトガルドもあれで結構人気のデザイナーなんだよ。貴族の娘が働いているのはあまり良い顔されないけどね」

 驚きの事実。ウィリアムはようやく理解した。ウィリアムがいくつか知っている宝石や服飾関連の商会、それを取りまとめているのがテイラー家なのだろう。金持ちなわけである。ただでさえ儲かるといわれる宝石商、その取り纏めとなれば――

「な、なるほど……それはすごいな」

 ウィリアムの反応に、カールは複雑な表情。

「たいしたことないよ。歴史も父で三代目だし、武功に関してはひとつも無いからね。貴族としては二流も二流さ」

(……貴族としては二流だけど、たぶん貴族の中ではかなり金持ちだなこりゃあ。テイラー家、おそるべし)

 ウィリアムは改めてテイラー家のすごさを知った。

(まあでも、ただの男爵じゃなかったから、少し安心した、かな)

 目指すべき頂は遠い。とりあえずはラコニア、この大戦で武功を上げることである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る