序章:復讐者発つ
「今頃あいつは、どこにいるんだろうな?」
カイルはいつも三人で集まっていた裏通りの小道にファヴェーラと二人でいた。
「……」
ファヴェーラは心此処にあらずといった様子。カイルは苦笑するしかない。
「お前は、あいつがいないとほんとに無口だな」
「……そう?」
「そうだ」
「そう」
それきり会話も無くなる。アルとカイルとファヴェーラ、三人でいるときは会話の絶えない仲なのだが、一人欠けるとこの有様である。いや、きっとアルがいたから――
「ファヴェーラ、もしあいつが戻ってきたら……俺を止めてくれるな」
「……?」
首をかしげるファヴェーラ。カイルは眉間にしわを寄せる。
「あいつが五年間世話になった恩を、仇で返したことは理解している」
ファヴェーラが視線を外す。それを知ってか知らずか、カイルは会話を続ける。
「暗殺ギルドにお前を通して依頼して……店主とその夫人を殺害。証拠隠滅のため店ごと焼き払った。ご丁寧にアル用の死体まで用意して、な」
殺害の片棒を担いだであろうファヴェーラには目を合わせず、カイルは一人語りを続ける。ファヴェーラにとっては責められない方が居心地が悪い。
「道理であいつにしては甘い手順だと思っていた。何が暇をもらう、だ。自分ごと全部燃やし尽くして、記憶も記録も消して、これで完全ってか!? ふざけやがって!」
憤慨するカイル。居心地の悪そうなファヴェーラ。
「お前が軍や見回り連中じゃなくて良かったよ、カイル」
今この場で絶対聞こえないはずの声が二人の耳に届いた。驚愕しながら声の方に振り向く二人。そこにいたのは――
「よう、どうした二人とも。そんな間抜け面して」
出国して、何かをしようとしていたアルの姿であった。何をするにしても、まさかこんな早く帰ってくるとは二人とも思っていなかった。
「何故、アルが、国を出たんじゃ?」
ファヴェーラでさえ、声が震えている。驚きと喜びと、色々な感情が揺れ動いているのだろう。それを見てアルはしてやったりとばかりににやりと笑う。
「誰が長い間国を空けると言った? 一時的って……言ったろ?」
ひょいと段差を越え、二人のそばに近寄る。
「いやーもう糞の海は勘弁だ。二度とあんなとこ――」
やれやれとポーズをとるアルに――
「すまんな。アル」
カイルは拳を叩き込んだ。吹き飛び用水路に落ちるアル。驚きと痛みに顔を歪める。
「何しやがる!?」
「あの人は……お前を家族のようなものだと言っていたぞ。いつか自分の店を継いでくれる跡継ぎだと。息子がいないから、お前を、お前を」
カイルは震える。アルのやったことは許されていいことではない。道義的にも、倫理的にも、当然法律的にも許されない。五年前、何も知らない、文字すら読めないアルを雇ってくれた店主。アルに知恵を与えてくれた恩人。借りは山ほどあるはずなのだ。
「ああ、良い人だったな」
アルは、口の端から流れる血をぬぐいながら、残念そうにつぶやいた。カイルの手が止まる。
「良い人だった」
そこに後悔が滲んでいれば、まだやり直せる。そこに一片の後悔があれば、罪は償える。
「とても……都合の良い人だったよ」
後悔がなければ――そこに罪の意識は芽生えない。微塵も。
「俺に知恵を授けてくれた。俺に知識を授けてくれた。俺が学ぶ場をくれた。とても良い人だ。感謝してるよ。是非、死後の世界でも幸せに生きてくれ」
カイルは、目の前の人間が、何者なのか、理解できないでいた。なんとしてでも上に往く。姉の仇をとりたい。それはわかる。それは理解できる。だが目の前の怪物はどうだ。それ以上喰らおうとしているではないか。
「俺にとっての家族はアルレットねえさんだけ。俺にとっての友はお前たち二人だけ。それ以外は外側。それ以外はどうでもいいだろう? 俺の役に立つか、俺の踏み台になるか、それだけだ」
五年間で歪み、肥大したナニモノか。それはカイルの理解を超える。
「これまでも、そしてこれからも、だ」
アルは懐から羊皮紙を取り出した。それは一枚の書面。未来への切符。
「これは……三級市民の身分証。どう、やって?」
三級市民。一級から三級まであるそれは、この王都で、この国で市民権を持つという証明。そして、奴隷が一生かけても一代で手に入れることの出来ない奇跡の証。
「そーか、お前らは字が読めなかったな。これは……奪ったのさ、ルシタニアのウィリアム君からなァ」
カイルたちは字が読めない。用紙の柄から三級市民であることは読み取れても、そこにある名前まで知ることは出来ないのだ。だからわからなかった。そこに書かれた文字が、アルという名ではなかったことに。
「奪う、だと? それじゃあそのウィリアムという人は?」
「さあ? どこかの暗い穴の底にでもいるんじゃないか?」
まったく悪びれる様子の無いアル。それどころか「どーだすごいだろ」と言わんばかりの表情。カイルは怒りも忘れてただ呆然としていた。なんと、声をかければいいのかわからない。
「身分証は細かい身体的特徴、指印などの確認事項もあるはず。詐称は難しい」
ファヴェーラは別の意味で驚いていた。偽造の証明書は幾度か見てきた。しかし、それらはかなりの確率でばれてしまうのだ。裏の中の裏でさえ、完全な市民の証明書を手に入れることは難しい。たまに闇市場に他人の証明書が出回るが、他人の証明書ではあまり意味が無いし、需要もないのが実情である。
「そう、そこだよファヴェーラ!」
アルは待ってましたとばかりにファヴェーラに視線を合わせる。
「この国の証明書は複雑で緻密、偽造は不可能、他人のでは意味が無い。指印もあるからな。腐っても七王国だ。でも、他国も同じとは限らない!」
カイルはのろのろとアルの方を見る。
「俺は輸入本屋で勤めた経験から、多くの証明書を見てきた」
嬉々として種明かしにいそしむアル。
「どの国も証明書はあるが、どれひとつとっても同じではない。アルカディアより複雑なのもあれば……簡素なものもある。そして、ルシタニアはその中でもかなり簡素な方だ。名前、住所、その国の証明印、性別、年齢、その国での身分、たったそれだけ。そして、それらは……そいつに成り代わる者にとってはなんら障害にもならん」
この国の人間では思いつかない方法。他国の身分証など、そういう商売に精通するもの以外見ることは無いのだ。アルはそれを知っていた。だから出来た。
「ルシタニアは山岳国家。いくつもの集落の集合体。地位の格差は少なく、そもそも多くはその集落で生まれ死んでいく。対外的に証明書はあるが、重要度は低い。だからザルなんだよ。穴だらけ、だ」
アルは舌なめずりをした。いくつかのリストアップしていた候補の中で、ルシタニアは最有力候補のひとつであった。それを同じ年頃の、アルからすれば無防備なカモがやってきたのだ。面食らうし、やさしくもするというもの。
「ただ、正門をくぐるときはなかなか緊張したぞ。何か抜かりがあればその場で終わり、まあ死ぬだろうからな。だが、くぐってこの三級市民権証明書、別名在留外国人証明書と交換すれば、その心配も杞憂に終わる。これで、俺はスタートラインに立った!」
ファヴェーラは無表情で拍手していた。
アルは確かに偉業を為した。奴隷では絶対届かぬものを手に掴んだのだ。
「アル、お前は間違っている」
しかしその奇跡は、人の屍の上に為ったもの。
「カイル、さっきからどうしたんだよ? 外側の人間なんて気にするな。いくら死んだって他人は他人さ」
ファヴェーラがうんうんと頷いた。ファヴェーラはどちらかと言えばアルと同じ意見。線引きは明確に、それ以外はどうなってもかまわないと思っている。
カイルがキッとにらみつけ、ファヴェーラはしゅんとなった。
「なあおい。こういうことは言いたくないんだけどさ。お前も剣闘士なら人の一人や二人、殺したことあるだろ? ファヴェーラだって盗賊なんだ。それくらいの経験はあるさ。なのになんで俺だけ責められる? 矛盾していると思わないかい?」
カイルは目を伏せる。そら見たことかとアルは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「……ああ、そうだな。いくら仕事でも、それはきっと許されることじゃない。いつか、俺は報いを受けるだろうし、ファヴェーラもそうだろう。因果応報、そういうものだ」
アルはゾクリと、肌が粟立つ感覚を覚えた。カイルの雰囲気が一変していた。
「だが、お前だけはこの中に入ってきて欲しくなかった。せっかく解放奴隷になれたんだ。お前は自由で、本屋の跡継ぎで、そうやって真っ当に生きていて欲しかった!」
カイルは、腰の剣に手を伸ばした。鞘から、刀身が見えた瞬間、殺気が溢れる。
「今からでも遅くない。罪を悔いながら真っ当に生きろ。俺は止めるのが遅すぎた。だがまだ間に合う。その証明書は……これからを真っ当に生きるために使え」
今からでも引き返して欲しい。もう、法的に罪を悔い改めることは出来ない。どう転んでも死罪しか存在しないから。だからカイルもそこまで無茶は言わない。しかしせめて、せめて心の部分くらいは、
「冗談、ようやく始まったんだ。俺はこれからも手段を選ばない! 遠回りなど一切せず、多くを踏みつけて這い上がってやる!」
それを聞いて、カイルは剣を抜き放った。性根を叩き伏せる、時には力の行使も辞さない。それが友情である。
アルは震える。稽古を付けてもらったときとは、まるで違う雰囲気。死神をアルは見たこと無いが、今のカイルはそれと比する。
「なら、俺が止めるまでだ。これは刃引きしてある。死にはしないが……痛いぞ」
「やめてカイル。私たちが争う理由なんて無い」
ファヴェーラが止めようとする。
「いいさファヴェーラ。ちょっとむかついてたところだ。いつも偉そうに俺に説教して……いつまで兄貴分のつもりだよ!」
しかしそれを制し、アルも剣を抜き放った。それはウィリアムの父が作成したルシタニアの剣。この国では滅多に見ることの出来ない珠玉の一品。
「いい剣だな。それも奪ったのか?」
「ああ、ウィリアム君の置き土産さ。こいつは刃引きしてないぜ、カイル!」
脅したつもりのアル。
「だから?」
平然と『高所』から見下ろされる感覚、押し潰されそうな、すり潰されそうな感覚がアルを襲う。力づくがこれほど似合う男はいない。そして、経験値もアルの比ではない。これが、カイルという男の力。
「死んでも、知らねーぞ!」
アルは剣を振り上げて飛び掛る。本に埋もれていたにしてはかなりシャープな動き。合理的かつ緻密にて繊細。アルの性格を現していた。だが、
「安心しろ。……お前じゃ俺を殺せない」
カイルは、アルの反応速度を遥かに超える速度で――
「が、はっ!?」
剣の腹をアルに叩き付けた。たった一撃、しかしカイルの一撃は単純な膂力の桁が違う。技術云々をねじ伏せて、アルは壁に叩きつけられた。そもそもその技術すらカイルのほうが上。
「諦めろ。お前はまだ引き返せる」
「だ、まれぇぇぇぇえええええ!」
アルは起き上がって再度立ち向かう。自分は優秀である。自分は上に立てる。
「無駄だ」
その確信が、妄信が崩れ去る。
カイルは立ち向かってくるたびに、容赦なく叩き伏せた。力の差を見せ付けるように剣の腹で殴りつける。腕力的にも技術的にも難しい手加減。それでもアルは届かない。ファヴェーラが止めようとしても、カイルもアルも止まらない。
「もう、やめて」
ファヴェーラは泣いていた。表情は変わらない。それでも、瞳から涙が零れ落ちる。
「そろそろ、諦めたらどうだ? ファヴェーラも泣いている。俺たちはお前に幸せになってほしいんだ。真っ当に生きて欲しいんだ。わかってくれよ、親友」
カイルも泣きそうな表情であった。倒れ伏せるアルを見下ろしながら、その目は憐憫に揺れている。
「ふ、ざ、けるな」
それでも、アルは立ち上がり、剣を向ける。
「幸せになる? 真っ当に生きる? ふざけるなふざけるなふざけるなァ!」
アルの咆哮。心の底からの叫び。
剣を振り上げ、カイルに突貫。咄嗟のことでカイルも受けるしかない。
鍔迫り合う二人。
「先に奪ったのはどいつだ!? 俺から奪ったのは誰だよ!? そいつが野放しにされて、俺が我慢しなきゃいけない理由がどこにある!? 殺さなきゃいけないんだ。ねえさんを殺したやつ、それに組したやつ、それを許したこの社会全部! この世のどこに幸せがある!? お前がねえさんを蘇らせてくれるのか? カイルッ!」
駄々をこねるようにがむしゃらに打ち込む。あの日から封じ込めてきた感情が炸裂していた。
カイルは――受けるしかない。受け止めることしか出来ない。突き放し、剣の腹で叩く。技量的に可能だが、友人として今のアルをそうすることは出来なかった。
「出来ないなら、俺を止めるなよ。僕の人生を否定しないでおくれよぉ。僕にはもう、二人しかいないんだ。その二人が、ねえさんを知ってる友達が……否定しないでおくれよぉ」
泣き喚くアル。まるで五年前に戻ったかのような光景。子どもが、そこにいた。
「アル、お前」
ようやく、カイルはアルの底を見ることが出来た。それは混じりっ気なしの復讐心。肥大したそれは、何もかもを飲み込み、アルの人生そのものになった。もはやそれは復讐心ですらないのかもしれない。
「否定するなら殺せよ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せェ!」
シンプルゆえにどうしようもない。アルにとって姉はすべてだった。ほんの少しだけ、自分たちはその内側にいただけ。アルのほとんどが姉であった以上、それの裏返しがこうなっても仕方ない。
「アルを殺すなら、私は貴方を許さない」
ファヴェーラも何処からか短剣を取り出しカイルに向ける。
「私たちは友達……違うの?」
ファヴェーラの言葉に、カイルは剣を降ろすしかなくなった。何を言っても揺らがない。殺さなければ、止まらない。そしてカイルは、友達を殺せない。
「アル、俺は認めない。だが、俺にお前は止められない」
カイルは剣を納める。雰囲気はいつものカイルであった。諦めにも似たその表情は、今何を思うのか。
それを見てアルはほっとしたような表情。
「カイルに認めてもらえるように頑張るよ。だって僕らは友達だもんね」
アルの言葉はどうしようもなくズレている。わかっていても、お互いがお互いのズレをどうすることも出来ない。アルは死んでも曲がらない。カイルは親友を殺せない。そして二人はどうしようもなく友達なのだ。
「それで、これからどうするんだ?」
カイルの言葉に、アルは顔を輝かせた。剣を納め、カイルに向き直る。
「そうだね。いや、そうだな……まずやっぱり出世するなら戦争に行かなきゃ。そのための三級市民だ。軍に志願して、最前線の地方に飛ばされる。そこで功を積み上げて、何とかここで成り上がるための足がかりを得る」
アルはさびしそうに二人を見る。最前線の地域に行くならば、しばらく帰ってくることは出来ないだろう。戦況次第では、数年は戻れないかもしれない。
「そうか、俺から言えるのは、死ぬな、生きろとしか言えん」
「頑張ってね、アル。私たちは此処で待ってるから」
「ありがとう二人とも。頑張るよ」
三人は親友である。しかし親友がすべて分かり合えているとは限らない。わかっていたとしても、どうしようもないことはある。
「あとなアル。さっきの剣、悪くなかったぞ」
カイルの言葉にバツが悪そうな顔のアル。
「余裕でボコボコにしたくせに」
ふてくされた表情のアルに、カイルは手を頭に置いてぐしゃぐしゃかき回した。
「俺が強いんだ。これでも闘技場じゃあちょっとしたもんなんだよ、やせっぽっち君」
「やめろ、離せ!」
「ガハハ、やなこった」
「……ふふ」
「「ファヴェーラが笑った!?」」
いつもの三人に戻る。それが薄氷の上であることは、三人とも了承している。それでも、薄氷だからこそ、三人はそれを大事にしたいと願うのだ。それが永遠でないと彼らは知るゆえに――
「とりあえず、死ぬなよアル」
「わかってるさ、カイル」
アルは旅立つ。上に這い上がるために。
此処がすべての分岐点、アルを止められるとすれば、此処しかなかった。カイルは後に後悔する。あの時、手足を断ち切ってでも止めて置けばよかったと。否、もっと前、アルが業(カルマ)を背負う前に止めていれば――
しかして歴史にIFはない。
アルは進む。その道が血塗れていようとも、立ち止まることはない。
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