序章:『ウィリアム』

「ぶはっ、まったく、威勢よく言ったは良いが、気分のいいもんじゃないな」

 糞尿の海を越え、王都を脱出したアル。王都からほどよく離れた森まで進み、泉を発見。ようやく身体と衣類を洗うことが出来た。いまだに鼻が麻痺しているのは身体の防衛機能か。

「二度と下水など通るか畜生」

 悪態をつかねばやってられないほど異臭にまみれていた下水。どれだけ洗っても臭いが落ちる気がしない。実際衣服はもう捨て置いたほうが良いレベルである。

「さて、とりあえず行商から服を買って、それからっと」

 張り巡らせていた思考。ただこの先はそこまで細かく煮詰めていない。不確定要素が大きく、初めて出た王都の外側ということもあり、煮詰めるだけ無駄だという考えに至った。

「生きるための基礎力はつけた。アドリブでもうまくやるさ」

 何がための五年間か。出来うる限りの準備はした。あとは為すだけ。

「さあねえさん。俺たちの旅の始まりだ」

 アルは泉から上がって、用意していた旅装束に着替えた。だが――

「く、くさいな」

 やはり二度と下水など通らないと、アルは心に決めた。


     ○


「身長、駄目。あっちは体型。あれは年齢がきつい、か」

 アルはとある街道の道端で休憩をしていた。王都から少々離れた此処は、王都と他をつなぐ街道の収束点。その少し先で休憩、と見せかけた観察をしているのだ。

 ちなみに服は途中で行商から買った。少し嫌な顔をされたが、糞臭い硬貨でも金は金。使えなくはない。嫌な顔はされるが。

「なかなかいないもんだな。ここで慌てちゃ駄目だが、こうも外ればかりだと、少し方向修正も必要かも」

 アルが少し自信なさげに表情を曇らせる。

「ってもな。これしか…………ん?」

 アルの視線の先、とある人物が目に入った。

「身長、体型、年の頃、条件は完璧。あとは出身国次第、か。これで何人目か忘れたが、当たってみるか」

 アルは腰を上げ、視線を合わせた人物の後ろを歩き始めた。


     ○


「やあ、はじめまして。火をお借りしてかまいませんか?」

 いきなり声をかけられた青年は驚いた目で相手を見る。おそらくこちらの言葉で話しかけられたことは理解できるが、よく聞き取れなかったのだ。

「……? アー、ワタシ、マダ、コトバ、ムズカシイ」

「えーっと、出身国は何処ですか?」

 対面する男は、少し伝わるようにゆっくりと話した。

「……ルシタニア」

 おそらく故郷の名を質問されている。そう考え青年は答えた。ただし相手が知っているとは思えない。案の定対面の男は面食らっている。青年はため息をついて――

『随分遠くから来られたのですね。ようこそアルカディアへ』

「!?」

 いきなり母国語で話しかけられて逆に面食らった青年。

『私も少し旅をしているもので、一応そこそこ外国語に精通しているのです。あ、先ほどは火をお借りしてもよろしいですか、と声をかけさせていただきました』

『ど、どうぞ』

 青年は驚愕しっぱなしである。ここからルシタニアは多くの国をはさんだ先にある。しかも七王国のひとつであるアルカディアとは比較にならないほどの小国。知っていることでさえ驚きだが、言葉を話せるなど青年の思慮の外である。

『いやー、自分と同じくらいの年でここまで長旅をするなんて、すごいですね』

『いえ、僕なんて全然。それよりも同い年で外国語がそんなに堪能だなんて。貴方のほうがよっぽどすごい人だと思います』

『ルシタニアは貴方が思うよりも有名だと思いますよ。木造の工芸品はこっちの貴族にも人気ですし、薬草学に関してルシタニアは他国の数段先を行っている。鍛冶分野では他国に比類なき剣を作るとされる。すごい国です』

 にっこりと微笑む男に、青年は少しずつ心を解きほぐされるようだった。

『ああ、そう言えば自己紹介がまだでしたね。私の名はノルマン。貴方は?』

『ウィリアムです。よろしく、ノルマンさん』

 青年、ウィリアムはすっかり気を許していた。それほどノルマンという男は、不思議な魅力を持つ男であったのだ。同じ年頃であることも大きい。とにかく気が合う、ウィリアムはそう思い始めていた。

『ノルマンさんはどうして旅を?』

『そうですね。広い世界を見てみたくて、旅を。ただ甘くはないですね。食うに困ってトレジャーハントの真似事などをしていましたよ、あはは』

『トレジャーハント!? すごい! 話を聞かせてくれませんか!?』

 ウィリアムの食いつきに、ノルマンは苦笑する。それにちょっぴり恥ずかしくなったのか、ウィリアムはかーっと赤くなった。

『かまいませんよ。そうですね。あれは七王国の――』

 夜通し語り明かした二人。すっかり打ち解けた様子で、あと数日、いっしょに王都に向かうことになった。


     ○


 二人の横を荷馬車がすれ違う。ふとウィリアムはノルマンの頭を見た。

『ところでノルマン。なんで君はバンダナをしているんだい?』

 すでに呼び捨てで呼び合う中にまで深まった二人。

『白髪が多いんですよ。あまり見栄えが良くないですからね』

『若白髪かー。僕の故郷では若白髪が多いと健康になると言われているよ。僕みたいな赤い髪は幸運の証とも言われているんだ』

『ほう、それは初耳。では、ルシタニアに寄ったときにはバンダナを外しましょうかね』

『そのときは僕が案内するよ』

『よろしくお願いします』

 この時ウィリアムは確信していたのだ。きっとアルカディア王都についても自分は上手くいく、と。なぜなら自分にはこれほどの友が出来たのだから。

『僕らは友達になれたかな?』

『私はとっくに友達だと思ってましたよ』

 そう言われて、ウィリアムは満面の笑みを浮かべた。


     ○


 この季節、まだ夜は冷える。二人は火に近づいて寒さをしのぐ。

『僕はフィアンセがいるんだ。彼女にふさわしい男になりたくて、ここまでやってきた。必ず成り上がって、故郷に凱旋するのが僕の夢なんだ』

 ウィリアムが焚き火をはさんで語り始める。

『彼女はね、強い男としか結婚したくないって言うんだ。だから僕は旅に出ることに決めた。なのに彼女ったら、僕が旅に出る前に泣き出しちゃってね。行かないで、とかさ。勝手だよね。でも、好かれてるのがわかって嬉しかったかな。あとは武功を上げるだけさ!』

『フィアンセ、ということは家は裕福なのですか?』

 ウィリアムは少し考え込む。

『んー、まあ豊かなほうだと思うけど、七王国の王都みたいに何でもあるわけじゃないし、森と山ばっかりのつまらないところだよ』

『なるほど。一度行ってみたいものです』

『おいでよ! ノルマンなら大歓迎さ!』

 話は弾む。もう少しで王都。しかしウィリアムに不安はない。そんなものはとうに掻き消えていた。すべては友の、ノルマンのおかげである。


     ○


 数日いっしょに歩いた旅ももうすぐ終わり。明日の昼ごろには王都に至るだろう。

 ウィリアムは少しさびしい気持ちで今宵を迎えていた。

『少し席を外してもよろしいですか?』

『何処へ行くんだい?』

 ノルマンがおもむろに立ち上がる。

『まあトレジャーハントの真似事ですよ。あの森のとある木の下に、盗賊の宝が埋められているらしいんです。すでにその盗賊は他国で処刑され、宝だけがそこに残った、と言われています』

 目をキラキラと輝かせるウィリアム。興味津々と言ったご様子である。

『いっしょに行きますか?』

『うん!』

 ウィリアムの即答に、ノルマンはにっこりと微笑んだ。


 街道から外れ、森に至る二人。当然人通りはなく、闇だけがこの場を支配していた。

『此処ですね。そこそこ掘らなきゃいけないので、待っていてください』

 ノルマンが穴を掘る道具を取り出し、地面にそれを突き立てた。ザクザク、ザクザク。湿った大地は、かなり力を入れなければ掘ることが出来ない。

『ふう、なかなか手ごわい』

 疲れた様子のノルマン。それを見て眺めているだけのウィリアムは立ち上がった。

『僕も手伝うよ。代わってノルマン』

『ありがとうございます。交代交代でやりましょう』

 掘り始めたウィリアム。ノルマンが驚くほどさくさく掘っていく。

『子どものころから山で遊んでいたからね。こういうのは得意なんだ』

 物凄い勢いで掘り進めるウィリアム。ノルマンは逆に手持ち無沙汰になる。

『ところでウィリアム。荷物は焚き火に置きっぱなしでしたか?』

『えっほえっほ……いや、一応大事なものはこっちに持ってきたけど?』

『ほほう、大事なものとは?』

『えっほえっほ、えーと、お金はもちろんだし、父上が作ってくれた剣と、あと身分証かな。此処まできたらその三つでどうにかなるしね』

『お、あの鍛冶王国でもあるルシタニア人が鍛えた剣、少し拝見してもよろしいですか?』

『かまわないよ。ところでこれは何処まで掘ればいいんだい?』

『もう少しですね』

 ノルマンが荷物を漁り、剣を見つける。そしてその傍らにある羊皮紙を見つけて、ノルマンの口角が上がった。

『えっほえっほ、まだかい?』

『まだですよ。おお、これはすごい。とても美しい剣だ』

 煌く白刃の剣。アルカディアでこれを手に入れようとするならば、いったいどれほどの金が必要となるのか。貴族でさえこれほどの剣は持ち得ない。美しさと強靭さを兼ね備えたフォルムに、ノルマンは魅せられる。

『そうでしょ! 父上は剣の腕はぱっとしないけど、剣鍛冶は一流なんだ。ところでまだかな? もうかなり掘ったけど。もしかしたら別の場所なんじゃ?』

 掘り進め、人一人入れそうな穴が出来上がってなお、宝は現れない。

『いえ、そこで間違いないはずです。きっともうすぐですよ』

『そうかなあ? 人が掘ったことのある場所は、もう少し掘りやすいはずなんだけど。ごめんノルマン、ちょっと疲れちゃった。交代していいかい?』

 ウィリアムは背後のノルマンに声をかける。

『ええ、わかりました。代わりますよ』

 ウィリアムは穴掘りの道具を渡そうと振り返――

『これからずっと、ね』

 ウィリアムの腹部に、美しい白銀が煌いていた。自身の父が丹精込めて作成した逸品。それがウィリアムを貫く。ウィリアムは理解できなかった。己に降りかかった災厄を。

『な、んで?』

 ウィリアムはよろける。剣からぬめりと血が、落ちる。

『なんでノルマンが僕を!?』

 刺されてなお、ウィリアムは信じられないでいた。友達だと思っていた。親友になったと信じていた。これから先、輝かしい未来が二人を待っていると、確信していたのに。

『くく、ノルマン、か。まず第一に、俺はノルマンじゃない』

 ノルマンと名乗る青年はバンダナを外す。ふわりと広がるさらさらの白亜。月光に反射して煌く白は、普段なら美しいとさえ思うかもしれない。だが、今は恐怖しか浮かばない。その男の表情も相まって――

『俺の名はウィリアム。お前がくれるんだよ。喜べ、お前の名がこの世界に広がり、お前の存在がアルカディアの上に往く。武功だって上げてやるさ。だから、死ね』

 白髪の男がウィリアムに刃を突き立てる。ウィリアムを守るために打ち鍛えられたそれは、ウィリアムの肉をやすやすと断ち切った。右腕が舞う。

『い、意味がわからない!? 僕たちは友達だった! そうじゃ、なかったのかよぉぉぉぉぉぉおおおお!』

 叫ぶウィリアム。しかしその声は誰にも届かない。この森に住まうものはいない。そして街道からもほどほどに離れている。ウィリアムの嘆きは誰にも届かない。目の前の男にも――

『友達、友達か。いや、たぶん無理だ。俺はお前が嫌いだし、きっと永遠に好きになれない』

 ウィリアムの目が絶望に見開かれた。

『恵まれた環境、愛されて育ったのが目に見える。家族も、フィアンセもいる。そんな贅沢、そんな幸福、『僕ら』が許すわけないでしょおおおお!』

 さらに白銀が煌く。ウィリアムの左腕が舞った。ウィリアムの絶叫も、目の前の男には響かない。そんな心は五年前に砕け散っている。

『幸せは大事にするべきだった! こんなところに、より高きを目指すべきじゃなかった! 器を読み違えた貴様は、どちらにしろどこかでのたれ死ぬさ。だからお前は俺に感謝しろ。願い通り、貴様の名をこの世界に轟かせてやるッ!』

 ウィリアムの意識は徐々に混濁してきていた。傷口から血がとめどなく流れゆく。命が零れ落ちる。ノルマンとの友情、未来への確信が崩れ落ちる。

『ああ、ついでに教えといてやる。トレジャーハントの話は全部書物の受け売り、ノルマンはその本を売っていた店主の名前、そして――』

 白亜の悪魔はウィリアムを蹴飛ばした。『穴』に落ちるウィリアム。

『そこはお前の墓穴だよ。ウィィィィイリィァアァァアアアム!!』

 すでにウィリアムからまともな思考は消えていた。あるのは幸せだった故郷の記憶。それらが頭を駆け巡る。大切な、フィアンセとの思い出。家族との他愛ない会話。兄弟の、妹たちの、山々の記憶――

『おっと、首がはみ出ているぞウィリアム』

 それを断ち切るように、白銀がウィリアムの首を断ち切った。

『さようならウィリアム。君には感謝しているよ』

 転がる首は、すでに物言わぬ亡骸。赤い髪を引っつかみ、男は首を穴に投げ入れた。

「ふう、意外と……簡単に斬れるもんだな。それとも、これが良い剣なのかな?」

 自身の国の言葉に戻った男は、しみじみと人の命を断ち切った感触を味わっていた。

「大丈夫だよねえさん、心配しないで。俺自身驚いているんだ。初めて自分の手でする殺人は、もっとこう、心が痛むと思っていたんだけど……うん、なんともないや」

 平然とした表情の男は、やはり何かが壊れたような、そんな様子に見えた。

 穴の周辺に散らばった『ウィリアム』の欠片を拾い集め穴に投げ入れる。すべての痕跡を消し去った後、大きく伸びをした。

「まあいいや。ここからが本番。俺が、あの国で成り上がれるか、それがかかった一世一代の大勝負、だ。さっさとこいつは埋めてしまうか」

 穴に土をかけはじめる。その顔に、表情はない。


 またひとつ白髪の男、アルは、業(カルマ)を積み上げた。

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