ラコニア争奪戦:出会い、そして敗走
アルカディア王国南部、ラコニア。激戦区であり、元は今対峙している七王国の一角、オストベルグ王国の領土であった。その前はアルカディアの土地であり、さらに前はオストベルグの、さらに――
そのような土地ではまともに畑作にいそしむ者もおらず、ただ奪い合いが続く荒れ果てた土地しか存在しない。好んで定住しようとする酔狂なものもいない。もはやそこに利益はなく、ただ面子のためだけの戦いが続くのみである。
今日もラコニアでは予定調和のような戦が繰り広げられていた。
「……疲れた」
砦から少し出た先の平地、そこで行われた野戦の中、白髪の男がいた。
「あーはいはい。やる気があるのはいいことだね、うん」
「うえりゃあああああああひゅえええええええい!」
「……鍬でも持って畑耕してろ。来世でな」
ぽーんと刎ねる首。げんなりする白髪の男。
「雑兵同士の小競り合い。こんなとこで頑張っても一銅貨の得にもなりゃしねえ」
軽々と敵兵の攻撃をいなし、ひょいひょいと敵兵の首を刎ねていく。しかし乱戦の中、多少目立ったとしても『上』に覚えが良くなるわけもない。そもそも覚えられてすらいない。せいぜい近くの雑兵に毛が生えた程度の上官にいいように使われるだけ。
「その上官も自分のことで必死だから俺のことなんて見てすらいねーし」
ぽつりとこぼれてしまう愚痴。青年にとってこの場は何も学ぶことはなく、そして一切の生産性も存在しない、まさにこの土地のような空間であった。
「帰ってメシ食って寝よ」
そう考え、ほんのり引き気味で戦う青年。気づけば日暮れ。そろそろ戦仕舞いである。
今日もまたいつもの戦が終わった。いつも通り引き分けである。
○
ラコニアの砦には行商人が押し寄せている。この土地に生産性はなくとも、兵士は物を買うし、金払いも悪くない。結果、案外繁盛している。ほとんど屋台だが、一部は家屋を間借りしている店もあった。
「兎肉のシチュー、兎多めで」
その屋台群の一角、そこまで繁盛していない店で白髪の青年は食事を取っていた。
「お待ち」
ぶっきらぼうに手渡されたそれは、やはりぶっきらぼうな盛り付けであったが、量はかなり多い。値段は安い。そして味は――
「相変わらずまずい」
はっきり言うが、店主は振り向きもしない。青年もまた味を気にしないのかずるずるとそれをすすり、兎の肉をかじる。
無心になって食事を続けていると、となりに人の気配がした。気にせずスプーンを振るう青年。
「えっと……となりの人と同じのをください」
主体性の無い注文。店主も青年も気にせず己が作業に没頭する。店主は適当に鍋からシチューをすくい、適当に皿にぶちまける。あまりの適当さに、注文した人間は唖然としている様子であった。この店、リピーターはほとんどいない。
「お待ち」
出された料理を見て絶句。食べてみて絶句。そして残された量を見て泡を吹く。それがこの店に初めて来た者の行動パターンであった。
「す、すごいですね。これを食べられるなんて」
どうやら隣の人物は青年に声をかけているようである。青年は白髪を揺らし顔を上げた。
「あ、その、僕は怪しい者じゃありません。同じ隊に所属しているカール・テイラーです」
カールと名乗る少年然とした男を見て、青年は(そう言えば新しく入ったのがいたなあ)くらいの記憶が一瞬よぎる。くりくりした金色の髪は一見して育ちのよさを感じさせた。
「ウィリアム・リウィウスです。よろしく」
そう言って食事に戻る白髪の青年ウィリアム。元はアルという解放奴隷であったが、今の彼はウィリアム・リウィウス。ルシタニアから来た三級市民である。
「知っています! みんな噂していますよ。白髪のすごいやつがいるって。あと……舌が少しいかれてるって」
カールは、最後の部分は店主に聞こえないようにこわごわと言った。まどろっこしそうにウィリアムは再度顔を上げる。
「用向きは?」
「えっと……友達になれたらなあって」
その瞬間、ウィリアムは嫌な既視感に襲われた。カールの顔が、赤い髪の青年と被る。赤色と金色、違うのに、雰囲気が重なってしまう。
「……申し訳ないけど断るよ。此処ではあまり友達を作らないようにしてるんだ」
ゆえにウィリアムにとって好ましい相手ではなかった。基本的に豊かで満ち足りた相手は大嫌いである。
「あ、そ、そっか。だったらしょうがないね。あはは」
露骨にがっかりするカール。その顔もまた『自分』に見える。成り代わり、死んだはずの『自分』に――
「そんなことより食べたらどうだ? せっかくのシチューがさめてしまう」
そう言って半ば強引に話を終わらせ食事に戻るウィリアム。カールは「う、うん。そうだね」と返事をしてシチューに向かい、シチューを口に運び、すぐさま倒れ伏した。
「お、おい!? どうした!? そんなに不味かったのか!?」
これにはさすがのウィリアムも驚く。店主は知らん顔。この店は早々に潰れるべきである。
「お客さん。お代」
二人分をウィリアムに要求する店主。倒れているカールのことなど見もしない。今すぐにでも潰れなければおかしい。ラコニアで今潰れて欲しい店ぶっちぎりのトップであろう。
「払うよ。払えばいいんだろ」
カールの介抱を終えたウィリアムはしぶしぶ支払い、二人分のシチューを平らげた。
「まずい!」
二人分の量を完食したことに驚いているのか、それとも不味いシチューを食いきったことに驚いているのか、さすがの店主も驚いていた。
「また来る!」
そう言って不機嫌なウィリアムは店を颯爽と出て行った。なんだかんだ言っても、育ち盛りのウィリアムにとって、これだけの量を安価で食べられる店は貴重なのである。たとえ不味くても、栄養は豊富なはずなのだ。
「くそ、今日は厄日だ」
どこかに転がしておくわけにもいかず、カールを背負って運ぶウィリアム。アルカスにいた頃なら無視していたが、今は一応同じ隊員。悪い噂を立てられては困る。
「一応、部屋まで運ぶか」
ウィリアム、借りている部屋までお荷物(カール)を運ぶ。
○
「ん、んん」
カールが目を覚ますと、そこにはとても簡素な室内があった。粗末なベッドひとつ、あとは日当たりが悪そうな窓と机がひとつ。そして窓枠にぶら下がる――
「う、うわっ!?」
ウィリアム。カールの驚いた声を聞いて、ウィリアムは窓枠から指を離した。
「起きたのか。ならさっさと自分の借りている部屋に帰れ。借りてないなら自分の寝袋に戻れ」
「あ、あの、ウィリアムさんはいったい何を?」
先ほどの窓枠ぶら下がりに驚いているのか、カールは唖然とした表情でウィリアムを見ていた。ウィリアムはバツが悪そうに頭を掻く。
「身体を鍛えているんだよ。懸垂は全身運動だ。荷物を背負えば負荷も好きにかけられるし、部屋にいても出来るトレーニングだからな」
「懸垂? 負荷?」
カールの疑問符はアルカディアにおいて変な反応ではない。そもそもアルカディアにおいてトレーニングとは剣を振ったり、槍を振ったり、実戦的なものばかり。懸垂などというトレーニングなどほとんど行われないし、あくまで子どもの遊びとしてぶら下がりという意味での言葉として使われる。筋肉に負荷をかけるという概念も無い。
「そういう訓練もあるんだよ。詳しく知りたいならスパルティー教本でも読め。アルカスなら図書館に写しも訳本もあるはずだ」
昔、ウィリアムがアルであった時代。何度も読んだ本である。アルカディアに出回るトレーニングとは比べ物にならないほど、合理的で人体に即した鍛え方が載っている。
「へーウィリアムさんは本も読まれるんですね。博識だなあ」
何気ないカールの言葉にぎくりとするウィリアム。
「ま、まあ。多少知識がある程度だけど」
「それにアルカスから来たんですか? 僕もアルカス出身なんですよ。あ、あと兄も本が好きなのでウィリアムさんとは話も合うと思います!」
気づけば墓穴堀りまくりのウィリアム。少し気を抜いていたのか必要ないことをしゃべりすぎていた。「ふー」と深く息を吐き出して自身を落ち着かせる。
「俺は三級市民、外国人なのでアルカスには少し寄った程度です。その際、図書館にも寄って本を読んだだけ。そろそろいいですか? 俺も明日に備えて休みたいのですが」
「ウィリアムさんは外国人なんですね! 色々聞きた……いけないいけない。もっとお話したいけど、今日はお暇させていただきます。面倒見てくださりありがとうございました! ではまた明日!」
元気良く部屋を飛び出していくカール。扉を閉める前に一礼も忘れない。
閉じた扉を見て、ウィリアムは頭を抱えていた。
「すごく……めんどくさい」
ウィリアムのため息が、狭い室内に響き渡った。
○
「ウィリアムさん! おはようございます!」
「……朝から元気ですね。おはようございます」
うざったそうな表情のウィリアムを、きらきらしたまなざしで見つめるカール。
それを見ていたウィリアムらの上官がこちらに歩み寄る。
「お、二人は知り合いか。ならお前が世話してやれ」
「なっ!? そんな!」
いきなりの決定にとっさに言葉がこぼれた。
「ん? 口答えする気か外国人」
ぎろりと睨まれ、たじろぐウィリアム。上官、そして相手は二級市民。いろんな意味で口答えなど出来ようはずも無い。
「いえ、了解しました。配置はこっちだカール」
「あ、はい!」
ウィリアムとカールが連れ立って歩いていく背を、上官はどろどろした目で見つめていた。
○
配置についたウィリアムとカール。砦の上段、弓兵の後ろに待機する。遠くにはいつも通り拠点から軍が出陣し始めている。まったくもっていつも通り、予定調和の進軍。
「お前も災難だな。俺みたいな嫌われ者といっしょになって」
だからこそ退屈なのか、気まぐれにウィリアムはカールに声をかけた。無言の圧力に困り果てていたカールは顔を輝かせる。そして言われたことを吟味して、
「ウィリアムさん、嫌われてるんですか?」
ぽかんとするカール。先ほどのやりとりの意味すらわかっていなかったらしい。
「嫌われているよ。最初は加減が良くわからなかったからな」
加減と言うニュアンスに、またまた首をかしげるカール。
「いや、ただ……兵士ってのがこの程度だったことと、人の嫉妬心を過小評価してたってことだけだよ」
ぽかんとするカールから視線を切り離し、砦の外を眺める。今日は野戦ではなく砦にこもって戦う守戦。ラコニアの砦に攻め寄せる軍勢を眺める。
「ん、いつもより……多いか?」
地鳴りが、砦に響き始める。ついで周囲がどよめく。
「多いというより、多過ぎる」
いつも通りが、音を立てて崩れゆく。ラコニアの砦から怠惰な雰囲気が消し飛んでいく。
カールは腰を抜かした。昨日が初陣。その初陣でさえ小競り合いのようなもの。今日向かってくる軍勢に比べればあまりに小規模。
「運がいいな、カール君」
ウィリアムに視線を向けるカール。その顔は――
「戦争が味わえるぞ。たんまりな」
凄絶な笑み。
ラコニアの平穏は今日崩れる。
○
死戦が始まった。野戦は死屍累々。すでにラコニアの砦の前に味方の軍はいない。砦には多くの梯子がかかり、一部では敵軍の進入を許した場所もあった。もはや誰の隊か、何処の所属かなど関係ない。明らかな敗戦。負け戦。
「悪くないね」
ウィリアムは笑顔で侵入してきた敵を斬り捨てる。カイルに比べれば赤子と大人、比較することすらおこがましいレベル。
「それどころか良い。イイ、最高にイイ!」
鎧の継ぎ目に悠々と剣を刺し込み、上に跳ね上げる。相手の喉が裂け、ひゅーひゅーとした風切り音が鳴った。喉を断たれれば叫ぶことすら出来ない。
「本当に俺はツイている!」
梯子から首を出した敵を思いっきり蹴飛ばした。数人巻き込み落ちて行く姿を、笑みを持って見送る。
「さーて、撤退の合図があるまで適当に刈っとくか」
ウィリアムは混乱に乗じて敵を切り裂いていった。敵の攻撃を避け、時には味方を盾にして防ぐ。隙の無い立ち回りは、そこらの一兵卒とは次元が違う。
(テメエらとは違うんだよムシケラァ! 俺の稽古相手はあの馬鹿でかい見世物小屋のゴリラみてーなやつだ。ついでに、ただ馬鹿みたいに素振りしてるだけでもない。頭を使って、効率的に身体を鍛えた。テメエら虫みたいな脳みそしてるゴミカスとはそもそも生きてる世界が違うんだよッ!)
さすがにこの内心を吐露するわけにはいかない。吐き出せば、止まらない。
(ん? お、カール君も生きてるじゃないか。まあ死にそうだけど)
必死に剣を振り回すカールだが、動きは明らかに素人。敵兵もたいした腕ではないが、あれでは死ぬのも時間の問題だろう。
「た、助けて!」
周囲に助けを求めるが、当然誰も反応していない。そんな余裕もないし、皆自分のことで精一杯なのだ。誰の反応もなく、敵の槍がカールの頬を引き裂いた。転げ、小便を漏らすカール。死の寸前――
「だ、だれ、か」
その瞬間、ウィリアムとカールの視線は交差した。たったの一瞬、刹那の邂逅。
(誰が助けるかよ。どうせ、お前も幸せだったんだろ? 家族がいて、あたたかいメシが出て、ふかふかのベッドがあって、それで、それで――)
ウィリアムは視線を外す。それは死刑宣告にも等しい。
「ぁ」
小さく一言、零れ落ちた。それは絶望の一言。すべての終わり。
「死ねェェェェェエエ!」
敵兵、オストベルグの兵も命懸けである。彼にも家族はいる。守るべき、愛すべき、家族を守るために此処に――
「ェェェェェぇえっ!?」
槍が、空中に舞う。槍だけではない。それを振るっていた腕ごと舞い、散る。血煙が、視線を妨げる。何が起きたのか理解できない。理解できないが、
「死ね」
己の死は理解できた。
跳ね飛ぶ首。返り血が飛ばないように、カールの前に立つ人物は敵兵の遺体を蹴り飛ばした。
(俺は……何をしている?)
ウィリアムは、自分のしたことが信じられないでいた。震える手。殺したことに震えているわけではない。救ったことに震えているのだ。外側の人間を救った。裕福そうな、幸せそうな、こんな場所に不釣合いな青年を救う。ありえない。
(一瞬、一瞬だけ、あの男がダブった。あの、赤い髪のお坊ちゃまが)
自分が手にかけた赤い髪の青年。存在を奪い取った男。その表情が、怨嗟の表情が、ノルマンと呼び笑っていた表情が――
「あ、ああ、ウィリアムッ!」
感極まって泣き出すカール。「さん」すら付け忘れ、ウィリアムにすがりつき泣く。「ありがとうありがとう」とつぶやき続ける。その光景を、ウィリアムは冷めた目で見ていた。
「別に……立てるか?」
ウィリアムは視線を合わせずに手を差し伸べる。今の表情を見られるわけにはいかない。誰にも、カイルやファヴェーラにすら見せられない。
「ありがとう、ウィリアム。……あっ、さん」
最後に付け忘れていたことを思い出し、無理やり付け加えるカール。
「ウィリアムでいい。そろそろ退く準備をするぞ」
「え、でも持ち場を離れていいの?」
ウィリアムは向かってくる敵兵を無造作に撫で斬り、カールのほうに向いた。すでに表情は平静そのもの。すでに『自分』の幻影は見えない。
「良くは無い。ただもうそれを咎める者も死んでるからな」
先ほどついでに敵兵の矛を防ぐため、上官の男を盾にしたことを思い出す。ついでには違いないが、必要なことである。
(そもそも、この死戦に必要なのは大勢の上官の死。生き残りが……自動的に繰り上がるくらいにゃ死んでもらわなきゃ困るんだよ)
死戦に浮かされて死ぬのは馬鹿の極み。
(まあ、こいつはこいつで利用価値もあるだろ。そう思わないとやってられん)
ウィリアムはカールの間抜け面に視線を移した。漏らしてしまったことに今更恥ずかしさを覚え、顔を赤らめている。一応まだここは戦場の真っ只中だというのに暢気な話である。
「行くぞ。死にたくなければついて来い」
「う、うん!」
ウィリアムは後ろにカールを引き連れて砦を下る。退くならば北門まで自然と下がらねばならない。あまりに露骨だと見咎められ、いらぬ面倒を背負い込むことになる。
(上手く退かねば……こんな糞つまらん所で死ぬ羽目になるからな)
ウィリアムは、背後を見てため息をつく。
(はぁ、ほんとに、俺は何をしてるんだ)
目を輝かせウィリアムの後についてくるカールの姿があった。
この日、ラコニアの砦はあっさりと陥落した。
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