忘れないで
M.A.L.T.E.R
第1話
最近の夏の暑さは昼だけではない。寝起きさえも邪魔してくる。
「うぐっ……あっつ……」
朝から太陽の炎に焼かれている少年━━黒須龍介はゆっくりと起き上がった。
部屋の配置のせいで朝は窓からの朝日に悩まさせられる。
よく寝ているはずなのに寝不足の魔の手の射程範囲を広げようとしてくる。
対策として涼を取ろうと窓を開ければ風邪をひくし、エアコンをつければ風邪をひくし……。世間の人気投票では夏が一番人気らしいが、黒須には全く理解できなかった。
「マジで暑すぎんだろコレ……。何とかならねえのか?」
どこにも出かけてないのに汗でビッショリなシャツに不快感を覚えながら目覚まし時計に手を伸ばす。
「起きなくていけない時間」ではなく、もはや「ここまで寝たい」という願望を表した時間を短針は越えられなかった。
しかし、黒須は暑い理由は朝日のだけのせいではないと感じた。
窓際にベッドがあるからと言って、ベッド全体が暑いわけではなく、窓の下には日陰がちゃんとある。だから黒須は毎日起きるときは壁とぴったりくっついていた。
とはいえ、黒須は寝起きなので、それ以上考える余裕はなかった。目覚まし時計の定位置にいつも通りただ手を伸ばすだけ━━
フニュン
その手は何かによって遮られた。
「なんだコレ……。」
布団ではなくましてや目覚まし時計でもない。柔らかさの裏に張りのある固さ……。黒須は何故かもっと触りたくなった。
しかし、いつまでもそうしているわけにもいかない。
パッとそちらを振り向くとそこには、
女の子がいた。
「ぎゃあああぁぁぁ━━!」
黒須は大きな叫び声を上げて、ベッドから転げ落ちて山積みにされた教科書たちに受け止められた。
(お、おい……嘘だろ? 何で女子がいるんだよ!)
黒須には、女の子を連れ込んだ覚えなど全くない。 そもそも、そんな事ができる相手も度胸もない。
(まさか男か?)
かすかな逃げ道としてそんな可能性を考える黒須だが、手の中に残るこの感触はどう考えても男では表現できるものではなかった。
彼にも友達はいるがみんなそんな活発ではなくむしろ結構ガチなインドア派ばかりなのでこんな寝起きドッキリなど仕掛けてこない……と信じたかった。
(まさか、まさかな……どうせ夢かなんかだろう?)
夢だとしたらかなり悲しいものであるが、それでも彼は自分が女の子を連れ込んだというのが二重の意味で信じられなかった。
だが、そんな事を思っていてもしょうがない。
とりあえず真相を確かめるため、そーっとベッドの上端から目だけを出して覗きこむと、
(やっぱいる……)
残念ながら夢ではなかったようだ。しかもその顔や体つきはどんなにかわいい男でも出せない形をしていた。
「どうしたものか……」
黒須は床に座り込み、手を顎に当てて考え込み始め……ようとした。しかし、それはすんでの所で遮られた。
「うーん…………んんっ」
なぜなら、彼の背中から艶っぽい声が聞こえたからである。
耳をくすぐるようなその声に振り返ると、ちょうどその女の子が起き上がるところだった。
何故かくるまっていた白いタオルケットがずり落ちて、黒いネグリジェのような下着があらわになる。
体を伸ばした時にすらも自己主張する胸は下着もあいまって、黒須が思わず息を呑むほど扇情的だった。
「ふわあ~~………………ごきげんよう、黒須龍介さん」
ひとしきりあくびをした後、その女の子は黒須の方に緑と白の瞳を向けてにこりと微笑んだ。
「!!!??」
黒須は思いっきり後ずさった。
(な、なんで俺の名前を……。しょ、初対面だよ……な? ま、まさか……こんな可愛い子が俺の友達なのか?)
彼は疑問に思い、訊いてみた。
「……ど、どうして、俺の名前を知っているんだ?」
「どうしてか、って? それはもちろん貴方の事をずっと見てきたからですわ」
彼女は言葉通り、それが数学で言う"定義"でもあるかのように言ってきた。
(……ずっと見てきたってどういうことだ? まさか、ストー)
「先に言っておきますけど、わたくし、貴方の事をストーカーしたことはありませんわ」
黒須の考えを見破って先回りして言う彼女。
「……じゃあ、お前は一体何者なんだ?」
自分の思考を先回りされた事に少し恐怖を覚えた黒須は彼女にそんな疑問を浴びせた。
「わたくし? そうですわねぇ……、まあ貴方の腕の中で生き続けてきた少女、名前は……観月時菜とでも呼べばいいですわ」
何故か適当っぽく言う時菜。
(俺の腕の中で生き続けてきたってどういう事だ?)
頭の中で疑問符が洪水する黒須。
彼は一度も女の子を抱き留めた事はないし、逆に誰かを自分の呪縛に捕らえた覚えもなかった。
仕方ないので、もう一度彼女を見つめると逆光で見えづらくはなっているが、薄くヒラヒラしたネグリジェの向こう側に透き通るような肌と、妙に扇情的な黒い下着が見えた。
「……龍介さん? 乙女をじろじろと見るのは紳士としてどうかと思いますわ?」
彼女の美しい姿に見いってしまった黒須は気がつくと彼女にそう注意を受けていた。
「あ……ごめん……」
彼は素直にそう謝って、顔を反らす。目のはしにわずかに赤くなった時菜の頬が見えた気がした。
「さて……わたくし着替えたいのですけれど……」
しばらくすると、左耳にそんな声が響いた。
「あ、うん……って、え?」
「……だから、こんな下着姿で立ち歩く訳にもいかないって言ってるのですわ!」
「う……ごめん」
はっきり言って侵入者なのに強くされた語調のせいで謝ってしまう黒須。
それは、そういう性分なのか……それとも彼が彼女に対して何かの縁を感じたのか……。
ともかく、散らばった教科書にモーゼの奇跡を起こしてささっと部屋から退却した。
(で、結局アイツは何者なんだ?)
朝起きたら突然隣で寝ていて、向こうは自分の事を昔から知っているらしい。
当然、「観月時菜」など見たことも聞いたこともない、が……。
(俺、アイツの事知ってる気がする……なんでだろ……)
不思議な既視感があった。まるで、いつも見てきたような……。
思い出せそうなのに、思い出せない。人間が一番もどかしく思う瞬間の一つである。
黒須が頭を抱えていると、部屋のドアが開く。
「終わりましたわ、龍介さん」
そちらを振り向くと、もう一度緑と白のオッドアイの瞳に目が合う。
続けて現れた体。ところどころに赤いリボンや銀のフリルが着いた黒いワンピースドレス。銀色の袖口がいいアクセントになっていた。
そして、パチンパチンと銀の髪留めをつける。
「…………?」
黒須は彼女のそんな姿を見て、記憶がさらに手前に出てくるが、思い出せない。
二人は階段の下にある居間にやって来ていた。
黒須がソファーに座ると時菜も隣にに座った。
「ところで……」
エアコンつけ始めの独特の臭いに包まれながら黒須は口を開いた。
「あのさ……さっき俺の腕の中に抱かれていたとか言ってたけど、どういう意味なんだ?」
「……そのままの意味ですわ」
残念ながらそこに期待したような返答は無かった。
「……じゃあさ、お前は俺の……友達なのか?」
「いいえ、違いますわ。わたくしと貴方の関係はその二文字では表しきれませんわ」
「………………」
友達以上であると言い切る時菜のせいで、エアコンをつけ始めたばかりとはいえ、黒須の背中には既にダラダラと汗が流れていた。
「そうですわね……わたくしはもはや貴方の伴侶と言っても差し支えありませんわね」
「はいいっ!? は、伴侶ぉ!?」
「ええ」
黒須はついに自分の髪の毛を掴んでそのままうずくまってしまう。
「言うなれば……事実婚?」
そこに畳み掛けていく時菜の言葉。
「お、おい……ちょっと落ち着こうぜ?」
「わたくし、いつでも正気ですわ」
肩に手を置いて制しようとする黒須だが、逆にやり返されてしまう。
「お前の好意は……嬉しいんだが……その……何ていうか」
受け取れないとは言えない黒須。彼女いない歴=年齢の彼には難しい事だった。
しばらく二人の間に沈黙が流れる。
「………………わたくし、一つだけお願いがございますわ」
「なに……?」
黒須は正体不明の時菜のお願いを身構えながら聞いた。
「それは……わ、わたくしと……デート……していただけませんこと?」
照れながら言う時菜。
「は、は? デート?」
時菜はその言葉を一度も言ったことはなかったが、黒須もその言葉を聞くのは初めてだった。
「………………」
「………………」
二人とも黙りこんでしまう。
(さっき会ったばっかりなのにデート?)
当然の疑問を抱く黒須。しかし、そんな黒須を放置して、
「わたくし、あ、あのピューロランドってやつに行きたいですわっ!」
「え?」
黒須はその容姿には似合わぬリクエストを受けて驚いた。
ピューロランドというのは東京都の多摩地区にある完全屋内型の遊園地である。
サンリオがやっているので、キティをはじめとする色んなキャラクターがいる。
遊園地とはいえジェットコースターなどはなく、雰囲気的にも男子高校生だけでは行けないところではある。一応、恋人の聖地ではあるらしいが。
さらに、もう一つリクエスト。
「それに……あの誕生日パーティーってやつにもいってみたいですわ!」
ピューロランドにはサービスとして、バースデーパーティーと言うのがある。キティちゃんに誕生日を祝ってもらえるものだ。
「なんで、この誕生日パーティーなんて行きたいの?」
そう尋ねると、時菜は部屋のカレンダーを指差してそっと言った。
「……この日は……わたくしが作られた日、だからですわ」
(作られた日?)
しかし、この正体不明な女の子が楽しそうに頼んでくるので、黒須は仕方なく予約する事にした。
翌日、両親は朝早くから旅行に行くとか言って去っていったので、既に準備万端な二人は、タイミングを見計らって
「さ、行きますわよ」
時菜が黒須の手を引っ張るようにして家を出た。
当然、家に着るものなどない時菜は昨日着ていたゴスロリ服を着ていた。しかし、一点だけ昨日とは違うものがあった。
「どうしたんだ? その傘」
「何となくですわ。それよりも早くいきません?」
はぐらかすように言って、歩く速度を上げる時菜。
小学校の頃は何度も通っていたモノレールへの道。今はご無沙汰である。
ふと、上を見ると家々の隙間からオレンジ色の模様がついたモノレールが通った。
「あーあ……」
多摩都市モノレールは大体十分間隔で動いている。一本乗り逃がすと十分待たなくてはならない。
「まあ、急いでないしいっか」
「そうですわね」
その様子からすると時菜もピューロランドに行きたいだけで、何か見たい物があるわけではないらしい。
今日は不運にも台風が来るらしいので、いつも空いている駅も、今日は閑古鳥の声しか聞こえなかった。
電光掲示板が赤いランプを灯すとすぐに電車がやって来る。
こちらもガラガラな車内で、時菜は座る。
「隣に座りませんの?」
「いや、座らない」
例えデートだろうと席には座らない。これは黒須のポリシーだった。
「ああ、そうでしたわね」
それを見て、悲しがられるかと思ったが、安心したようにうなずく時菜。
しばらくして二人は多摩センター駅に降りた。
ビルの間から顔を出すのは圧倒的存在感を放つ天に伸びる城、青に囲まれたピューロランドの文字。
人は一人も並んでいなかった。するすると入り口を通り抜ける。
二人を見て、受付の人の表情がピクリと動く中、時菜が今日、誕生日であることを伝える。
草で彩られた階段の下りていくと……
「うわあぁぁ……」
そこには見事なまでの夢の国が広がっていた。
異国、いや異世界の田園風景が張り巡らされ、天を衝く大きな木。遠くには水車小屋が見える。
まさに地底に広がる夢の国。
「やっぱり、俺みたいな奴が来るところではないよな……」
黒須は、その場が発する真のメルヘンの空気にそう感想を述べた。
「最初、どこ行こうか?」
一応、デートなのだから先導しようと思った黒須が訊ねると、
「えっと……確かここにはボートがあったような……」
そう言われて辺りを見回した黒須は藁葺き屋根を型どった建物の隙間に流れてくるボートを認める。
「……ああ、あるねえ。じゃ、そこにしよう」
それなりに長い列の後ろを探してそこに並ぶ二人。
近づいていくと、楽しげな歌と声が草原の下にある岩のうろから響いてくる。
艦首にキティとマイメロともう一人黒いキャラを乗っけたピンク色のメルヘンチックなボートに乗る。
「結構小さいですわね……」
多分、もっと小さい子用に作られたそれは、二人がお互いの体温を感じれる程小さかった。
なので、鼻が感じているこの甘い匂いは時菜の物か外からの物か分からなかった。
暗いトンネルに楽しげな声が響いて、下った先には青い髪をした男の子のキャラクターがいた。
「確か、この青い……キキってキャラ好きじゃありませんでしたっけ?」
時菜にそう言われるものの、
「え?そうだっけ?」
黒須は全く覚えてなかった。
どこかで見たけど、名前は知らないキャラと有名過ぎて知っているキャラが交互に表れて、長い昇り坂を上ると外に出る。
外を見ると人が少なかった。
フラッシュが眩しいなか、雲と闇の空間を抜けると、高らかな歌が聞こえる空間に出る。
「あ、写真を撮るってよ」
妙に足の長いカエルのキャラクターのアナウンスを聞いて、黒須はそっぽを見ている時菜にそう声をかけた。
二人が古風なカメラの方を向くとフラッシュが瞬いた。
花に囲まれた外の通路を抜けるとピューロランドを四方八方に見渡せた。
妙に遅くて逆に怖いスロープを抜けて、旅は終わりである、
「何だか、全然嬉しそうじゃありませんわね……」
「表情固いな……」
写真にはあまり嬉しそうでもない二人組のペアが写っていた。
下を見ると、小さい子が集まったバースデーパレードなるものをやっていた。
「あれには行かなくていいのか?」
黒須はニヤニヤしながら聞く。
「行くわけないですわ」
時菜はすっぱりそう言った。
次にやって来たのは、ギフトショップ。
「どちらがいいと思いますの?」
時菜が手に取ったのは、何故か背中に背負う小さな羽。
「そ、そんなの買うのか?」
「何かいけませんの? ここは遊園地、夢の国ですわ」
「な、なるほど……」
反論する時菜にただならぬ気迫を感じて引き下がった。
紫と黒いのを手に取って尋ねてきた。
「多分、黒の方じゃないか?」
黒須は、喪服のような黒い服を見てそう言った。
「じゃあ、黒にしますわ」
並んでいる黒い羽を選んだ。ついでにそのキャラのペアアクセサリーである赤のフラワーリングも買っていった。
「その羽、つけてみれば?」
黒須がそう言うと、
「ええ」
時菜はうなずいて、羽に腕を通し始めた。
その羽は真っ黒いドレスによく似合い、まるで吸血鬼のようにも見えた。
まあ、頭の上に赤い花のわっかがあるけど。
「んじゃ、そろそろ行こうぜ」
今度は黒須が手を引っ張っていく。
着いたのはフェアリーランドシアターというところ。
ここでバースデーパーティーをやるのだ。
「ところで、ああいうのには興味ないのか?」
待ち時間に、壁にはってあるmemoryboysの宣伝を差して聞いてみる。
「いえ、全く興味ありませんわ。わたくしが興味ある殿方は貴方だけですわ」
ドストレートな好意をぶつけられる黒須。
「そ、そうか」
微笑もうか悩んでしまい微妙な反応しか出来なかった。
時折、街中で見かけたら引いてしまうようなフリルやリボンガン積みの赤いドレスを着た人たちが通りがかるが、隣の時菜も負けていなかった。
予約した時間になり、木に囲まれた通路を抜けて案内されたのは
「最前列……しかもど真ん中」
今日はどんな記念日なのか書くエントリーシートを渡される。
黒須がボーッとシアター中を眺めながらぬるいりんごジュースを飲んでいると、時菜の指先のペンはチェック欄の結婚記念日の上をさまよっていた。
「はっ!? おいおいおい、どうして結婚記念日なんだよ……」
「別にいいではありませんか」
「よくない」
「ええ~~……」
時菜は仕方なさそうに「お誕生日のお祝い」にチェックをつける。
しばらくすると、音楽とともにキティとミミィが現れ、カン高い声でやって来た人々の記念日を祝い始めた。
小さい子たちがキティと触れあうなか、頭三つ分大きい時菜は少し目立ちながら、サイン色紙に名前を書いてもらい(着ぐるみなのに超きれい)、まさかのキティの隣で写真を撮って、時菜はキティの優しい抱擁を受けて、帰る。
ボーッとしていると、今度は横にヌッとミミィが現れた。
「うおうっ!」
時菜との隣に座る。確かに、時菜もゴスロリドレスを着て目立っているが、着ぐるみという存在感の塊には全く敵わない。
たまに、ミミィに手を差しのべられて驚く黒須に、「ふふっ」と微笑む時菜。
しばらくすると、ミラーボールが回って、ポップな歌が流れる。
「一人では生きられない……」
キティたちが歌っている歌詞を時菜が口ずさむ。
ハッピーアニバーサリー!
幸せな記念日になりますように!
パーティーが終わった後、二人は当てもなく歩き回っていた。
「マイメロのカート、35分待ちだってよ……」
その数字を見て二人は困ってしまっていた。
「じゃあ……お昼にしませんか? わたくし、お腹が空きましたわ」
そう言われてやって来たのは「館のレストラン」というこれまでとは切り離された物々しい雰囲気のレストランだった。
ここはビュッフェタイプのレストランで、辛いものから、甘いものまで色々置いてあった。
(遊園地のレストランって、少なくて高いからこれはいいな……)
そんな事を思いながら食べる黒須。ラーメンを作れたりしてエンターテイメント性も高い。
ウィンナーとか、ポテトを盛っていく。
「この照り焼きチキン、美味しいですわね」
すると、突然時菜が黒須の方に向けて口を開けた。何か話すのかと思ったが口を開けたままなので、
「…………? どうしたんだ。口開けて……」
「えーー。そ、それは……その……」
「?」
落胆した顔をしてすぐにうつむいて口ごもる時菜。
「あ、アーンを……して欲しいですわっ!」
「え、え? アーン? …………」
無言になってしまい、そろそろとスプーンを時菜の口に持っていく。
手が震えているので落としてしまいそうである。
やっとの事でアーンをし終えると今度は時菜がスプーンをずいずいと黒須の口元に持ってくる。
もはや恥ずかしくて何を食べているのかも分からない黒須であった。
しばらくすると壁越しに音楽が聞こえてきた。どうやらキティのライブみたいなのをやっているらしい。
覗いてみると、それはサンドイッチを作る歌らしかった。
ただ見ているだけだが、時菜の指先が何故か動いているのが面白かった。
その様子を見てやりたいなら、やればいいのにと思った黒須であった。
ラッキーハッピーエブリデイ!
いつも傍にいる……いつまでも続くように!
ご飯を食べ終わり、歩いていると
「人がいっぱい床に座っていますわね」
「ああ、これから大きなパレードをやるらしいな」
「……せっかくだから見ていきませんこと?」
「いいよ」
二人は適当に空いていたスペースに座った。
パレードは午後一時かららしいが、早く集まってきた人のために係員のお姉さんが振り付けの練習と称して踊っていた。
五分後、真ん中の空間が暗くなり、ナレーションが入る。
暗闇の中、人が動き、青い光が当たって、幻想的な雰囲気になる。
一輪車タイプのセグウェイがぐるぐると走り回る。
オレンジ、青、緑……とその名の通り、妖精のような服を着た人たちが軽やかに舞い踊る。
額にピンクのドクロがあるキャラ(名前を知らない)とか、マイメロとかキキララが輝くパレードカーに乗って回ってくる。車両の前のところに宣伝が書かれているのが笑うが。
光の洪水の中、更に強い光をまとって現れたのはキティちゃんと隣にいるのはダニエルと言うらしい。
歌に合わせて、木の下を回るキャラの紹介をしてい く。
躍りながら、回りながら、歌う。
目の前の階段にかわいいフェスティバルと流れて、マゼンタ色の中、音符やユニコーンが現れて消えていく。
時菜はハート型のライトは持ってなかったが、その手は少し揺れていた。
歌が終わると、轟音と光の点滅。
すると、横から時菜のような真っ黒な服を着た人たちがアクロバティックな躍りとともに、暗く激しい歌を披露する。
そして、妖精の人たちが頭を抱えて、撃たれるような素振りを見せる。
どうやら、園内の真ん中にある豆の木の光を奪いに来たという設定らしかった。
三人の闇の女王が高笑いする中、豆の木の光が消える。
自分たちから闇の女王を倒すのか、優しさの光を当てて仲良くなるのか……悩むの中、キティが、闇の女王に手を差しのべようとするが、黒い手下に阻まれてしまう。
歌を歌って、その信じる気持ちを伝えていく。
柔らかく響く歌声は黒い手下をダウンさせていく。
そして、キティの声とともに女王の黒いドレスが煙に包まれて……
白になる。
すると、会場に暖かな光が戻ってくる。
そして、明るい曲とともに、踊り始める。
踊りきった後、皆で集まって、白い光に包まれる。
手拍子をしながら、豆の木の周りを回りながらフィニッシュ。
輝くキセキ……今日はアニバーサリー……。
隣で笑っている……一人じゃない……。
ここで出会えたこと、いつまでも忘れないで……。
寂しい時はずっと傍にいる……。
「凄かったですわね……」
「ああ、光の芸術ってこういうのを言うのだろうな……」
二人は感動した面持ちで、歩いていた。
「あっ、これは……中々面白そうではありません?」
時菜が目をつけたのはつぶつぶのアイスクリーム。
「なんだコレ……」
「まあまあ、味わってみればいいですわ」
いつの間にかキキララが乗っかった星形のカップ手に持っていた時菜はスプーンで一すくいして
「はい、あーん……」
その声とともに、黒須は口を開ける。
口に突っ込まれたのは、色々な味が混ざったラムネアイス。表面積が大きいせいであっという間に溶けて消えていく。
「中々、おいしいな」
黒須はそんな感想をもらした。
「でしょう? やっぱりそうですわ……だって……」
すると、時菜はにっこり微笑んだ。ただ、その後に何かを言いかけたようだが、黒須には聞こえなかった。
次にやって来たのは、前にスタンプで見た、ぐでたまというキャラのアトラクションだった。
このぐでっとした表情とか仕草が人気らしい。
「おいおい、五十分待ちって……」
入り口のところに置かれた標識が50をさしている。
「いえ、そんなに並んでいませんけど……」
黄色いゲートの向こう側にはせいぜい三十分待ちだろうというレベルの列しかなかった。
「もしかしたら、受付貯めるタイプなのかも……」
「あれ、それ……どうしたの?」
黒須が横を向いていると、時菜は一枚の小さな紙を睨み付けていた。
それは上下にちょっとだけ違う絵が書かれたもの。つまり、間違い探しである。
「暇だから配っていましたわ。それで、七個は見つけたのですけれど、残り三つが見つからないんですわ」
「へえー……」
紙を渡されて、黒須も紙を睨み付け始めた。
睨み付けているうちに、五十分が過ぎ、ついに受付にたどり着く。
ここでは、旅券を作る必要があるらしい。
名前入力の時に時菜はときなと入力できるが、文字制限のせいで龍介とは入れられない。
「『りゅう』とかでいいのではなくて?」
「じゃあそれでいいや」
写真スポットで写真を撮りながら、回っていく。
「寿司一丁……」
「いらっしゃいませーってやりませんわっ!」
寿司屋で遊んだり、
「結構判定が厳しいですわね……」
「ストライク……ってなんでよけんだよ!」
画面に映ったピンを倒すボウリングでボロクソだったり、
「あれっ、反応しませんわ」
「おいおい、頭も反応するのかよ……」
画面上に流れてくるぐでたまを手を動かして割るぐでたまDJで全く反応しなかったり、
「待て待て、どうして全部火の中に入れてるんだよ!」
「え、これってそういうゲームではありませんの? 生焼けは嫌ですわ」
画面のフライパンに手前の卵を割ってぶちこむぐでたま飯店でコンロにぐでたまをぶちこみ続けたり、
途中で撮れた写真を持って帰る。
記念品として出てきたマイパスポートとか言うやつも持って帰る。
その後、また歩いていると、人が座っていた。すると、豆の木が青と白の輝きで包まれているのが見えた。
「わあ……きれい……」
赤、緑、黄色と目まぐるしくリズムに合わせて変わっていく。
天井にも黄色い星がたくさん輝いていた。
次にやって来たのは、ぐでたま・ザ・ムービーショー。
映画を作るのがだるくてサボっちゃったという話だが、絶妙なだるさが面白い。
そして、客のうちから三人がこのショーにゲストとして参加できるのだが、そのうちの一人が目の前だった。
「なあなあ、これ映ってる後ろで何かやれば反応するんじゃね?」
「確かに、そうかもしれませんわね……ってわたくしはやりませんけど?」
「またパレードをやるみたいですわね」
「そうなの? じゃあ見る?」
「ええ」
階段に腰かけて待つ。
気がつけばもう四時だった。
黒須は退屈そうにしている時菜にバター味のポップコーンを買ってきた。
小さい袋に入っているポップコーンを二人で分けて食べる。
「あ、これバターの味が口に広がってすごく美味しいですわ」
「でも、後味はポップコーンだな……」
そして、ついでに
「はいこれ……」
「え、なんですの? ……ってこれはいちごのハートライト!?」
差し出されたライトに振り向いた時菜の目が見開かれる
「ああ。さっき振りたそうにしてたからな」
「え、……こんなものもらっても…………で、でも……恥ずかしいですわ……」
頬を赤らめる時菜。
「別に、大きい奴らも振ってる奴いるし。楽しめるときに楽しんだ方がいいと思うぞ?」
「………………」
そう言われて時菜はしばらくライトを見つめていた。
十回ほど、その緑と白の瞳を黒須の顔とライトを往復した後、
「貴方はわたくしが振る姿を望んでいますの?」
「そういう訳じゃないが……、お前の寂しそうな顔が見たくないだけだ」
「………………」
黒須がそっと言うと、時菜は意を決しておずおずとライトを振り始めた。
「ライトも付けとけって」
ライトのスイッチを入れると、二人の前が暗くなって、リボンが降りてくる。
そして、ピンクと青の縦じま模様の服を着た人がリボンにぶら下がって吊り上げられると、先程のパレードと同じものが始まる。
とはいえ、黒須の目に映るものは違った。
なぜなら、目の前で揺れるハートライトと、寂しさが取り払われた時菜の顔があったからだ。
ひとしきり振り終えた時菜は
「ふぅ~~……わたくしとした事が取り乱してしまいましたわ……」
「そんな事はなかったぞ。いい表情だった」
「えっ……」
黒須がほめると、時菜は頬を真っ赤に染めた。
「次は、これ。最近始まったらしいぜ」
そう言ってやって来たのはメルヘンシアター。ここでキティちゃんによる歌舞伎をやるらしい。
「これって、駅の宣伝であった奴ですわね」
時菜が答える。
シアターに入ると、幕がキティちゃんが描かれた歌舞伎風なものになっており、BGMも歌舞伎風のものが流れていた。
しばらくすると、幕が引かれてキティの挨拶の後、六人の青い鬼が踊り、背景が裏返って黒い鬼━━バツマルが現れる。
しかし、上から大きな桃が降ってきて潰されてしまう。
すると、中から桃太郎の姿を模したキティちゃんが現れる。
鬼陣営と桃太郎陣営が躍りながら戦っているが
「さっき暴力は振るわないって言ってなかったっけ?」
確かに踊っている中で、キティが鬼の一人を踏みつけているように見える。
「あれ、一番右の人だけ花が咲いていませんわ」
時菜がそちらの方を指差すと確かにその人だけ頭に花が咲いていなかった。
ただ、時菜のその指摘はピンポイントにストーリーに関わっていたらしい。
バツマルとプリンがその事についてもめた後、その鬼からの衝撃のカミングアウトされてドット絵とレトロなBGMとともにキティたちが冒険するシーンが流れた後、激しい音楽とともに現れたのは赤い鬼。
そして、銀の鬼が角を折ろうとして現れたのはキティたち。
会場も含めて盛り上がって、銀の鬼とキティが手を繋いで出演キャラたちによるエンディング。
一緒にいたかったんだ
私たちの心はつながっている。
「そろそろ……終わり……」
時菜が寂しそうに言う。
「じゃ、次はあれ乗ろうぜ」
黒須は先程は混みすぎていて並ぶのを諦めたマイメロードに並ぶ事にした。
ボートに輪をかけて狭い車体なので、ぎゅーっと密着する。
ゆっくり左右に触れながら動いていく。車のスピードは遅いけれど、二人の心臓の音は速い。
「これ、横を向いていますわ」
終わったあと写真を選んで、ハートや星、スタンプでデコレーションしていく。
「なんで、顔隠すねん!」
何故か黒須の顔にスタンプを押していく時菜。
「ふふふっ。別にいいではありませんか。こうすれば元通り」
消すボタンを押して元に戻す。
「じゃあ、こういうのはどうでしょう?」
頭の上に花のわっかをつけた写真が出来上がった。
かわいいフレームで彩って終了。
「次は、アレなんてどうですの?」
時菜が指差したのは階上にあるレディキティハウスと言うものだった。
大人になったキティと会えるらしい。
黒須がうなずくと時菜は焦るようにして引っ張っていった。
木っぽいドアを開けると、白で囲まれた部屋に来た
肖像画が移り変わり、案内役の人の声に合わせて子供たち甲高い「ごきげんよう」が響く。
その様子を時菜は何故か苦々しそうに見つめていた。
次の部屋のその奥、茶色いドアを開けて、並び、順番が来ると、
「ごきげんよう」
という時菜の上品な声が響いた。
黒須は一発でこの六文字のセリフがこれ以上似合う人物はいないだろうと思った。
ピンクのファンシーな壁を背にキティと隣り合ってギリギリまで寄り添って写真を撮る。基本的にキティがコミュニケーションを取ろうとするのは時菜の方だが、たまに黒須の方にも来て驚く。
一言も発してないのにその身振りから話しているように見えるキティと抱き合って別れを告げる。
「最後はこれ行かないか?」
人が誰一人として並んでおらず、列を区切るテープが全部絶ちきられた所に並ぶ。
その先にある白い壁。キキララのアトラクションである。
「やっぱり好きなんですのね……。昔から変わっておりませんわね」
時菜は黒須にふふっと安心したような表情を向けた。
ピンクのドアが開いて、下半分が青、上半分がピンクでできた空間に入る。
青い光に包まれて、キキララの誕生ムービーが流される。
茶色い髪の毛の男の子と黄色い髪の毛の女の子が大きな星と星のステッキを持って、地球にやってくるシーン。
雲の製造きや雲のベッドがあるキキララの家。
ララにいつまでも起きないと注意されているキキを見て、
「いつまでも起きませんよね貴方も」
時菜が何故かそう言う。
「? どうして知ってるんだ?」
「何でもありませんわ」
ムービーが終わると壁が星の模様を描いて、ドアが開く。
そこには、星と雲による幻想的な風景が広がっていた。
「この水色の液体ってどんな味がするんだろう?」
「ミント味じゃないですの?」
「こんなにいっぱい!?」
二人とも童心に返ってそんな会話を弾ませる。
「あれ? この辺に星を獲るゲームがあったはずですわ」
時菜は、どう見ても何かを隠してあるような壁を指差して言った。
「確かに何かあった臭いな……」
「こうして、物は変わっていくんですのね……」
時菜の表情に寂しさの色が加わる。
二人が見終わるとちょうど、閉館時刻である八時を告げるアナウンスが入る。
「……さ、今日はもう帰ろうぜ」
「………………ええ」
黒須が時菜の肩を叩きながらそう言うと、時菜はうつむいてかろうじてそう答えた。
「どうしたんだ? また来ればいいだろ? そりゃあ、お財布には良くないけどさ。お前が行きたいっていうなら連れてってやるよ。なんかほっておけないし」
「……もう来れないですわ」
時菜は首を微かに横に振った。
「……何を言ってるんだ?」
黒須は何で来れないのか分からずそう言ってしまう。
「わたくしは今日限りで壊れてしまいますの」
「へ?」
「わたくし、実は貴方の腕時計なのですわ」
「え? ……え?」
驚きのカミングアウトに息を詰まらせる黒須だが、落ち着いて時菜の服装を見ると、確かに毎日見てきた腕時計と同じ位置に、ボタンと靴、液晶と緑と白の瞳というように対応するものが配置されていた。
今日見てきた時菜も同じく十年来の相棒のような感じがしたのもきっと証拠になるだろう。
「貴方と出会って十一年。貴方が独りの時もずーっと傍にいれてわたくし……、幸せ……でしたわ」
時菜は黒須に背を向けたままであったがその頬を涙が伝うのが見えた。
「そう……だったのか……」
「覚えておりませんか? 貴方と出会って最初に出かけたのがここ、ピューロランドですわ」
「ごめん……覚えてない……」
「別に……構いませんわ。貴方と今日、デート出来て嬉し、かった……」
嗚咽を漏らし始めた時菜を無言で抱きしめる黒須。
「……やっぱり貴方の腕の中が一番安心しますわ……」
だんだん白い光に包まれていく時菜。
「もう時間のようですわね……。最後にこれだけは約束していただけませんこと?」
「なんだ?」
「わたくしを忘れないで下さいまし」
「ああ……ああ! 約束するよ」
そのお願いに黒須は全力でうなずいた。
「ふふっ、ありがとう、ござい……ますわ…………」
やがて、白い光は時菜の全身を包んで、身体を掻き消した。
後に残ったのは、見慣れた腕時計。
落ちていく。
黒須が伸ばした指をかすめて、
ガシャン
時計は真っ二つに割れてしまった。
無言で拾う。
雨が降り始めた。
うつむいた黒須はモノレールで一番後ろ、ピューロランドに一番近い所に座った。そして、元の線路に戻っていく。
ビルの隙間に消えたピューロランドの方と壊れた腕時計を交互に見つめる黒須を置いて。
外の景色が見えないのは雨のせいか、夜のせいか、涙のせいか……
━━いつも傍にいる……いつまでも続くように!
━━ここで出会えたこと、いつまでも忘れないで……
━━一緒にいたかったんだ、私たちの心はつながっている
この日以来、黒須の左腕に何かがつけられることは二度となかった。
忘れないで M.A.L.T.E.R @20020920
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