56 ドルマーとグレイ
鉄格子の窓から見える空は、無数の星たちが煌めいている。
夕食を終えた牢番が木椅子でうたた寝をしている。薪スートーブが持ち込まれ、前室も牢も寒くはなかった。ローランが成田の利用価値を認めているからだろう。
成田毅は窓辺で、地図情報モニターを稼働させた。
救出チームとの落ち合い場所から南に六十二キロの地点で、スカイが留まっている。予期せぬ何かがあったのだ。ここ数日、スカイは南下を続けている。予定では、北のアルタイ山脈を越え、ロシアの前線基地に辿り着き、日本に向かって移動している頃だ。
桜子、何があった?
成田は地図情報モニターを見つめ続ける。
もし桜子の命が失われていたら、スカイはここに戻ってくるはずだ。桜子は生きている。絶対生きている。成田は自分に言い聞かせる。
手をこまめいている場合ではない。しかし今思いつことは、グレイをここに呼び寄せることだけだ。それからのことは、グレイに会ってから考えることにしよう。
地図情報モニターで、グレイの位置を確認する。グレイはスリープ状態になっている。耳から音声通訳イヤホンを外した。ジャンが言った連絡方法を、正確に思い出そうとする。ここでミスれば、おしまいだ。
地図情報モニターのグレイの現在位置にアクセスする。そこから発生する周波数に音声通訳イヤホンの周波数を同調させる。グレイの位置が点滅した。アクセスが成功したかもしれない。
「グレイ」
成田はイヤホン端末に囁きかける。
グレイの位置が赤い点滅に変わった。
「グレイ、目を覚ませ。そして、ここに来い」
グレイの位置が揺らいだ。
「そうだ、ここに来い」
前室に牢番が入ってきた。彼は眠っている牢番を起こした。交代の時間がきたようだ。
「カリムゴロフキンが処刑させるそうだ」
交代要員の牢番が言った。
「筆頭執政官の、カリムゴロフキンか?」
「そうだ。罪状は反逆罪」
「何をしたんだ」
「詳しくは、わからないが、ローランマーラさまの命令に反逆したそうだ」
「処刑はいつだ」
「数日中らしい」
「ジュンガルは、変わってしまった」
牢番は成田の顔を一瞥すると、前室を出ていった。
成田は窓から夜空を見上げていた。
交代した牢番はポケットから酒瓶を出すと木椅子に腰かけた。彼は成田に視線を送ったが、ため息をついて酒を飲みだした。
「ナリタタケシ、二ホン人、ガルバン戦の英雄。おれたちを悪く思わないでくれ。ジュンガルは変わってしまったんだ」
牢番は呟いた。
成田は振り向いた。
牢番は笑みを浮かべている。
「分かっているよ。俺たちの言葉は分からないんだろう」
牢番は酒瓶を持ったまま奥の壁際に行き、簡易ベッドに横たわった。
窓を振り返った。
グレイが顔を覗かせている。成田はグレイに近づき頭を撫でた。
「グレイ、わたしのロボットスーツ、どこにあるか分かるか」
わからない、との反応が返ってくる。
「時期が来るまで、目立たないところで待機しろ」
グレイの姿が目の前から消えた。
翌日は朝から風が強かった。窓から砂塵が吹き込んでくる。成田は毛皮に包まってベッドの上で膝を抱え、窓からの空を眺めていた。牢番は食事を終えると、食器を載せたトレーを持って前室を出ていった。
グレイが顔を覗かせた。
成田は目を細めてグレイに近づく。グレイの顔の横から、モンゴルの少女ドルマーが顔を覗かせた。
「タケ爺、ここで、何しているの」
成田は苦笑した。
そして笑みがこぼれた。ドルマーが天使に見えた。
「疲れたので、休んでいる」
「うーん。桜子おねいちゃん、日本に着いた?」
「お父さん、今何をしている」
「馬の世話」
「お父さんに、ここに来るように言ってくれないか」
「ここに? ここでいいの」
「そうだ、ここにだ。すぐにでも」
「わかった」
牢番の動きが、何かいつもと違った。前室への出入りが頻繁になり、牢番と兵士たちのひそひそ話が多くなった。
昼になった。牢番が昼食を運んでこない。
成田は鉄格子を掴んで牢番を呼んだ。前室には、黒マントの兵士が二人立ち話をしている。成田は何度も食べるしぐさをした。兵士はそれを無視した。何かが起こっている。不安と期待が入り混じる。
窓から鉄格子を叩く微かな音がした。
ドルマーの父親が顔を覗かせていた。成田は唇に指を縦に添えた。そしてゆっくりと兵士を見た。
兵士は成田を見ていた。視線が合うと、兵士は食べるしぐさを成田に見せて前室を出ていった。もう一人の兵士が大声をだした。
「静かにしていろ」
その兵士も前室を出ていき、ドアに鍵をかける音がした。
成田は窓に駆け寄った。
「頼みがある。サクラコたちが、まだアルタイ山脈の麓にいる。天山北路まで、およそ二百キロの所だ。予定していた道は閉ざされたようだ。多分モンゴル経由で、ロシアに向かうつもりだ。食料も水も、無くなっているはずだ。一刻も早く、届けてくれないか」
「今、あなたがたと関係のある者は、ジュンガルから出ることができません。わたしたち夫婦も、キルギスの兄弟も、奴隷兵たちも」
「何か方法がないか」
「ドルマーに行かせましょう」
「ドルマー? だめだ」
「他に方法がありません。あなたが思っているより、ドルマーは賢く、勇気があります。それに、モンゴルのことに詳しい」
「タケ爺、わたしに任せて」
ドルマーが顔を覗かせた。
「分かった、ドルマー。ありがとう」
成田は後ろを振り返った。牢番も兵士も戻ってこない。地図情報モニターを広げた。イヤホンを外す。
「サクラコの所に行くには、グレイと友達にならなければならない。分かるか」
「はい」
「そのための準備をする。簡単ことだ。わたしが頷いたら、モニター、わたしはドルマー、と言う。練習しよう」
成田は頷く。
「モニター。わたしはドルマー」
「もう一つは、こうだ。イヤホン、わたしはドルマー」
「わかった。イヤホン、わたしはドルマー」
「それでは、本番だ」
成田は地図情報モニターを稼働させた。
ドルマーを見つめ、頷く。
「モニター、わたしはドルマー」
成田は続いてイヤホン端子を稼働させる。ドルマーを見つめ、頷く。
「イヤホン、わたしはドルマー」
「次は、グレイとお友達になる方法だ」
成田はグレイを呼んだ。窓に頭を向け伏せさせる。
「いいか、ドルマー、わたしが頷いたら、グレイ、わたしがドルマーと言うんだ」
「わかった」
成田はグレイの頭の窪みを押した。赤いボタンが現れる。ドルマーを見つめる。赤いボタンを押す。大きく頷く。
「グレイ、わたしはドルマー」
「一刻も早く、追いついてくれ。サクラコたちの命がかかっている。馬三頭用意して、二頭で食料と水と、それから防寒具を運んでくれ」
「わかりました」
「それから、キルギス兄弟にここ来るように言ってくれ。兄でも弟でも、どちらでもいい」
「わかりました」
「ドルマー、グレイにこう言うんだ。スカイの所に連れていって」
成田はドルマーとグレイの頭を擦った。
今日は十一月十四日。タイムリミットまで、後十六日。
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