第四幕

第七章 わたしたちは仲間

49 ローランマーラとの帰還交渉



 スパイダーの展望室の椅子で、成田毅は目覚めた。

 行政庁舎ドーム前の広場は陽に照らされている。手首のモニターを見る。十一月五日、午前九時二分。タイムリミットまで、後二十五日。


 スパイダーは自動運転でここまで戻ってきたのだ。一か月余りの長い戦いだった。シャワー室で体を洗った。桜子はまだ眠っている。貨物スペースには手術を必要とする重症の負傷兵が二十八人横たわっている。

 成田はロボットスーツを着衣して外に出た。


 ジャンが成田の進路を塞ぐように立っている。その足元に、グレイが伏せている。成田はジャンを見上げた。ジャンはゆっくりと瞼を開く。

「タケシ、重要な話があります」

「うん」

「ローランがタケシとサクラコのロボットスーツを奪います。その可能性は高いです」

「うん」

「最低限、必要な物は身につけていたほうがいいと思います」

「そうだな」

「何が必要ですか」

「うん。まず通訳機能だな。現地の人と話ができるように。それからジャンや他のロボットの現在位置確認機能。それから、それから……、グレイとの連絡機能」


 ジャンは跪いて成田のヘルメットを外した。指から細い作業用触手を伸ばして、ヘルメットから端子と豆粒ほどのイヤホンを取り外す。それからロボットスーツの胸部から十センチ角の薄いパネルを剥がした。


「イヤホンを耳に入れてください。それから端子は胸のポケットに。これはなんだと訊かれたら、補聴器だと答えてください。それから、このパネル、地図情報モニターです。どう見ても薄い一枚の紙です。ところでタケシ、妻子はいますか」

「わたしは、結婚したことがない」

「それでは、わたしが妻子の写真を作りあげます。よろしいですか」

「任せる」

 紙モニターに若い女と幼い子供の姿が焼き付いていく。その姿がセピア色に染まっていく。その紙モニターを成田に渡す。

「妻と娘の写真です。他界した年は自分で考えてください。四つ折りにして胸のポケットに入れてください」

 成田は頷いた。


「次は、グレイとの連絡機能ですね」

「そうだ。ロボットスーツ無しでも可能な方法だ」

「地図情報モニターでのグレイの位置とイヤホンの周波数を同調させてください。イヤホンでグレイと連絡できます」

「私以外の人物の場合も可能か」

「いろいろと、注文が多いですね」

「あいにく心配性なんでね」

「まずその人物と地図情報モニター、イヤホンのインターフェースを完了させてください」

 ジャンはグレイの前で屈みこみ、グレイの頭頂部の窪みを指さした。

「その人物とグレイとのインターフェースは、ここを押します」

 ジャンは窪みを押し込んだ。窪みの部分が開く。赤いボタンが見えた。

「このボタンを押します。そして言います。グレイ、わたしは何々と。それで完了です。窪みは自然に閉じます」


「ジャン、ドクターと彼女のロボットスーツ、どこにあるか分かるか」

「だいたいの位置は。ただスーツのバッテリーが切れかかっているので、正確な位置まで分かりません。その情報は、紙モニターに入れておきます」



 行政庁舎ドームの扉が開き、衛兵が一人歩いてきた。

「お目覚めですか」

「相棒はまだ眠っているがね」

「支度ができましたら、ローランマーラ様の執務室までおいでください」

「わかった」


 ドルマーと彼女の父親が走ってきた。

「戦勝おめでとうございます」

 父親が走りながら叫んだ。ドルマーも必死についてくる。

 成田の前にたどりつくと、息を切らしながら言った。

「ご無事でなによりです」


 ドルマーが追いついた。

「おねいちゃんは?」

「大丈夫だ。今眠っている」

「おねいちゃんに会える?」

「会えるよ、もう起きてくるだろう。目覚ましを稼働させてきたから」


「もう日本に帰るんですね」

「そのつもりです」

「お願いがあります。ドルマーを日本に連れていっていただけませんか。日本の教育を受けさせたいのです」

「それは、駄目です。子供は両親と一緒に暮らすのが一番幸せだから」

「それは分かっています。分かっていますが、この子の将来に夢を持ちたいのです。ドルマーは桜子さんと、日本に行きたいと願っています」

「それはできません」


 桜子がスパイダーから出てきた。背伸びをしながら歩いてくる。

 ドルマーが走っていき、桜子の体に抱きついた。桜子は笑顔になって成田を見た。

「おねいちゃん、わたしを、日本に連れていって。お願い」

 桜子はドルマーの頭をまさぐりながら成田の眼差しを探った。

「サクラコ、それは、だめだ。その子は、日本の厳しさや悲惨さを知らない」



 成田と桜子は、行政庁舎最高指導者の執務室の前に立った。

 衛兵がドアを開ける。ローランが椅子に座っているのが見えた。成田と桜子が執務室に入った。ローランの後ろに、桂木と綾人が衛兵に取り囲まれている。そしてカリムゴロフキンが、衛兵に肩を押されて膝まづいている。


 ローランは、ガルバンとの講和書状を振りかざした。

「ここに、ジュンガル筆頭執政官カリムゴロフキンの署名がある。わたしは、こんな講和条件を認めていない。わたしは、ガルバンを殲滅せよ、と命じたのだ」

「それは、わたしが……」

 成田が桜子の口を両手で塞いだ。

「カリムゴロフキンから、弁明を聞いたのですか」

 成田は桜子の口を塞いだまま尋ねた。


「勿論だ。これ以上人の命を失わせてはいけない、と言った。この若者は勘違いしているのだ。ガルバンは人間ではない。鬼畜だ」

「講和をしなければ、西中国と戦争になるわよ。それでもいいの」

 桜子が叫んだ。

「願ったり叶ったりだ。西中国共和国は東の都市国家連合政府との戦争を控えている。今の西中国に東に兵を送る余裕などないのだ。この男、まんまと西中国の策略にはまったのだ」


「それより、わたしたちの要求はどうなる。われわれは、ガルバンとの戦いに勝った。約束通り綾人を開放し、日本に帰還させろ」

「ああ、その話か」

 ローランはコップの水を一口飲み、衛兵に命じた。

「カリムゴロフキンを投獄しろ。罪状は国家反逆罪だ」

 カリムゴロフキンが執務室から連れ出された。


「その前に、ナリタタケシ、クロサキサクラコ。その防具を外すんだ。話はその後だ」

 ローランは二人を見ながらコップの水を飲んだ。

「どうした。後ろのドクターと御曹司が死んでもいいのか」

 成田は桜子が何を言いたいのか分かった。これ以上、ローランを興奮させてはいけない。

「サクラコ、ここは、我慢しよう」

 成田はロボットスーツの着脱ボタンを押した。ロボットスーツを体から外し、床に置いた。ヘルメットを並べて置く。桜子もそれに従った。


 衛兵が二人のロボットスーツを拾い上げていく。成田の胸ポケットに見えた紙モニターを取り上げ、衛兵はそれをローランに見せた。

「わたしの妻と娘の写真だ」

 衛兵は紙モニターを広げて掲げる。ローランは何も言わずに頷いた。衛兵は紙モニターを畳んで成田の胸に戻した。


「さあ、返事を聞こう」

「いいだろう。約束通り、クロサキサクラコは、アヤトを連れて日本に帰っていい」

「ナリタとドクターはどうなるの」

 桜子が訊いた。

「それは、おまえが、ここを発ってから考える」


「サクラコには、防具を戻してやってくれ。それから蜘蛛型輸送機と二体のロボットを同行させることも」

「ロボットは好きにしろ、だが、あの蜘蛛の化け物はここに置いていけ。その代わり、サクラコの防具は返してやる」


 桜子が声を張り上げた。

「わたしからお願いがあります。あの蜘蛛型の輸送機に多くの手術を必要とする負傷兵が乗っています。ジュンガルのために戦った兵士たちです。ドクターに手術をさせてください」




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