9 桜子 ロングヘヤーをカットする
黒崎桜子は格納庫に隣接する宿舎の自室から、滑走路を見ていた。
月明かりに照らされた滑走路は、今まで見た事のない静寂に閉じこめられている。
一人になって、急に心細くなった。物々しい資材の山、ロボットたちの佇まい、身にまとったロボットスーツの機能。任務の重大さが心を締め付ける。今まで、このような孤独感を味わったことがなかった。これから待ち受けている、未知への恐怖、不安。心が押しつぶされそうになる。
まずい。これでは、わたしの取柄が無くなってしまう。楽観的でポジティブなのが、わたしの唯一の取柄なのに。
ジャンが格納庫から出て、宿舎に向かって来るのが見えた。
「桜子リーダー、ジャンです。これから、そちらに伺ってもよろしいですか」
ヘルメットに内蔵されている音声受信機から、ジャンの声がする。
「どうぞ」
桜子が答える。ロボットが自主的に行動している。驚きだった。ロボットは人間の命令だけに従うものだと思っていた。また心配事がひとつ増えた。
桜子は宿舎のドアを開けた。ジャンがまっすぐ歩いて来る。
「中に入ってよろしいですか。桜子リーダー」
「どうぞ」
ジャンが体を屈めて宿舎の部屋に入ってくる。
「あなたとのインターフェースの確認にきました。よろしいですか」
インターフェ―スの確認? なんだそれ……。
「いくつか質問してもよろしいですか」
「わたしは、あなたのことを何とお呼びしたらよろしいですか」
「サクラコでいいわ」
「サクラコでよろしいんですか。あなたは、このチームのリーダーですよ」
「ジャン、あんたは、爺さんのこと、タケシって呼んでいるじゃない」
「彼はわたしの相棒ですから」
「わたしは、あなたの相棒ではないの?」
「サクラコ」
ジャンは早速わたしのことを呼び捨てにした。
「タケシのこと、爺さんと呼ぶのは駄目だと思います。彼は自分のことを爺さんとは思っていません」
「爺さんを爺さんと呼んで、何がいけないの。あの爺さん、わたしのこと、お嬢さんって呼んでいるのに」
「わたしたちは、仲間ですから。サクラコのこと、お嬢さんと呼ぶのを止めるようにタケシに言っておきますから」
仲間か、この言葉に弱いんだな。それにしても、ジャンはロボットなのに人間くさく、頭が良さそうだ。
「それに、ドクターもタケシも魔の時代を生き抜いてきたという自負があります」
たしかにそうだろう。でも今は、ロボットに対して素直に従う気になれない。
「わたし、どうしても、爺さんと呼びたいんだ。わたしの爺さん、わたしが子どもの頃、死んでしまって、爺さんと呼ぶ機会がほとんど無かったの」
桜子の得意な戦法だ。ジャンはどう出るだろうか。
「それなら、そのようにタケシに伝えて、納得してもらったらどうですか」
ウム……、そうきたか。このロボット、ただ者ではない。
「じゃ、タケ爺と呼びます」
「サクラコ、あなたとのインターフェースの確認、これで終えます」
え? 今までのジャンとのやり取り、インターフェースの確認だったの。意味がわからない。
「サクラコ、ありがとう。では明日、また」
ジャンは桜子に背を向けた。
「ジャン、あなたは、人間の心の機微というものを、理解できるの」
サクラコはジャンの背中に問いかける。
「人間の心の機微とは、何ですか」
桜子も大人の心の機微というものがわからない。ロボットに心の機微がわからなくて当然か。
「何でもない。今の質問取り消します」
「了解しました」
「ジャン、タケ爺はどうしている」
「理髪師が来て、散髪をしています」
「散髪している……。理髪師に言ってほしいの。タケ爺の散髪が終わったら、わたしの所に来てほしい、と」
「了解しました」
ジャンの言うとおりだ。わたしたちは仲間なのだ。ただわたしとドクター、タケ爺とでは年齢が離れすぎている。どう二人との距離をとればいいのだろう。桜子は目を閉じた。それは、これからの二人との生活の日々の中で考えていくしかないだろう。桜子はそう自分に言い聞かせる。
ジャンが格納庫に入って行くのが見えた。
桜子はヘルメットを取り、ベッドに大の字になって天井を見上げる。不安は消えていた。なんとかなる。わたしは、楽観的なのが取柄なのだ。
ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します」
バックを抱えた老女がドアを開けて入ってきた。
「髪をカットしてください」
老女はバックを床に置くと、バックから白いシートを出して、桜子の前の床に敷いた。ドア口にあった木椅子を持ってきて、そのシートの上に載せる。
「こちらに向いて腰かけてください」
老女はそう言うと、バックから四十センチメートほどの四角い鏡を出して桜子に持たせる。理髪用の鋏と櫛を持って桜子の背中に立った。
「どのように、カットしますか」
「耳の下あたりで」
「よろしいんですか。美しいロングヘヤーですのに」
「これから、命をかけた冒険に出かけるんです」
桜子はそう言うと、唇をきつく結んだ。
仲間の重荷になってはいけない。桜子は自分に言い聞かせた。
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