36 ローランは夢を見るのか

 成田毅は空間ホログラフィ―モニターのバイタル数値を見上げていた。血中酸素濃度98パーセント。ほぼ正常値だ。

 時刻は午前四時。

 後部皮質領域の脳波に変化が現れた。だが、ヒラゲンは警報を鳴らさない。脳波のことは分からないが、問題はないのだろう。


 ジャンは夜通し医療器具を使って作業をしている。何をしているのか分からない。桂木からの指示を受けているのだ。時々目を閉じて動かなくなる。きっとヒラゲンと会話をしているのだろう。

 グレイはベッドの脇で臥せている。


 今日は9月15日。ローランの手術を終えて、四日が経過した。

 そして、今日は東京を発って15日目になる。たった十五日の日数だったが、長い長い旅を続けてきて、地の果てに辿りついた感じだ。

 

 桂木がブルーと共にICUに入ってきた。

「お早う」

 そう言って、彼女はスープパックを二つ掲げて見せた。

「早いですね。まだ四時ですよ」

「交代しましょう。疲れたでしょう。熱いスープ、もって来たわ」


 桂木はスープパックからマグカップにスープを注ぎ、テーブルに置いた。

「夢を見ているわね、ローラン」

 彼女は空間ホログラフィ―モニターに浮かぶ、脳波の波形を見上げて言った。

 徐に自分のマグカップにスープを注ぐ。スープを飲みながらモニターを見つめ続ける。


 成田もスープを飲みながら、モニターを見つめた。モニター全面に脳の皮質領域が拡大されていて、その領域に小さな光点が無数に激しく点滅している。

「ヒラゲン、夢の内容が分かる?」

 桂木が訊いた。

 ジャンが作業を止め、桂木を見た。

「再現できるそうです」

「そう、楽しみだわ」

「ドクター、マイクロRNA26に対する抗体が、間もなく完成します」

「それは、もっと楽しみ」

 桂木は満足そうに笑みを浮かべた。


 桂木は持ち込んだ手動のミルにコーヒー豆を入れ、ハンドルを回し始めた。

「ジャンがコーヒーを飲めなくて残念」

 彼女は黙々と作業を続けるジャンを見ながら言った。

「コーヒーを飲みながら話ができれば、もっと楽しいのにね」

「ジャンとは、どこで知り合ったのですか」

「恩師のドクターに会いに、小笠原に行った時」

 そう言って、桂木が声を出して笑った。

「ドクターの名前はね、岡田彩音って言うんだけどね、紹介されたロボットがね、彼女のこと、アヤネ、アヤネって、呼んでいたのよ」

 彼女はハンドルを回す手を止めて笑い続けた。

「それにね、ドクターがね、そのロボットをジャンと呼んだの……」

 桂木は大きな吐息をついた。

「まるで、夫婦のようだったわ。彼女の亡くなった夫、フランス人だったんだけど、ジャンという名前なの」

 桂木が再びハンドルを回し始めた。


 成田はジャンを見た。彼は黙々と作業を続けている。

「ところがね、野戦病院が攻撃を受けたとき、ドクターが詰めていた病棟が火事になったの」

 桂木は成田の耳元で囁いた。

「ジャンは助けに入ったんだけど、間に合わなかった。彼はそもそも戦闘用ロボットではない。護衛用ロボットだったの……」

 成田は溜息をついた。南海の基地で自分の身を犠牲にして、自分を救ってくれたジャンの行動、その謎がようやく理解できた。


 時刻が五時を回った。

 成田がコーヒーを飲み終えて、マグカップをテーブルに置いたとき、桜子がレッドと共に入ってきた。

「ドクター、コーヒー、わたしも飲みたい」

 桂木が笑みを浮かべて頷く。


「ドクター、ローランの夢を再現できます」

 ジャンが言った。

「始めて」

 空間ホログラフィ―モニターに立体映像が浮かび上がる。


 巨大な聖塔が現れる。その扉から若い女が裸足で飛び出してくる。その後を髪を振乱した老婆が追いかけてくる。若い女は足がもつれて倒れる。老婆はその背中にしがみつき、首筋に咬みつく。老婆は立ち上がり、満面の笑顔を見せる。唇から血が流れ落ちる。老婆は崩れ落ち、灰になる。


 スインクスに向かって、若い女が白馬に跨り走っている。その後を黒い馬が追って来る。その馬に乗っているのは、痩せこけた老婆。スインクスの彼方にピラミットが見える。追ってきた馬は、先を行く白馬に追いつくと、老婆は身軽に乗り移り、若い女に後ろからしがみつく。首筋に唇を寄せ、咬みつく。若い女は馬上から転落する。老婆は唇を拭い、満面の笑みをたたえる。老婆は馬上から落ち、砂の上でミイラになる。


 コロッセオが現れる、フードを被った黒マントの老婆が、杖をついて中に入っていく。石段を上がっていく。貴賓席に辿りつく。若い貴族の女の背後に廻る。首筋に咬みつく。若い女は口を大きく開け、仰け反る。老婆は唇の血をマントで拭い、笑みを浮かべる。貴賓席を離れ、石段を下りていく。老婆は階段を踏み外し、転げ落ちる。痩せこけた老婆のミイラが、階段下に横たわる。


 白い石造りの宮殿が現れた、そこに向かって、老婆が歩いていく。


「もう、止めて」

 桂木が叫んだ。

「分かった。もう分かった。最初のは、メソポタミアの、ジックラト。次はエジプト、その次は古代ローマ……。この化け物は、五千年以上生き続けてきた」


「ドクター、マイクロRNA塩基26が、一兆個になりました」

 ジャンが言った。

「抗体、完成した?」

「はい」

「数は?」

「カプセルの数は、一万弱です」

「針付き注射筒に入れて。早く」

「カプセルに入っているので、活性化させるためには、電波アクセスが必要です」

「わかっている」


「あの化け物は、自分の血を宿主に入れることによって、その体を乗っ取っていた。マ―ラはそれができなかった。マーラの肉体が腫瘍をつくって、マーラに潜む魔女に抵抗していたんだ。腫瘍が魔女のエクソソームを閉じ込めていたんだ。マ―ラのこの特殊なエクソソームが、どのような役割をしているのか、分からないけれど、保険をかけておく。ローランのマイクロRNA26を持つエクソソームに抗体、免疫攻撃の目印を貼りつける」


「カプセルの数、わずか一万ですよね。それで大丈夫なんですか」

 桜子が訊いた。

「わからない。でも、少なくとも、未知の病気になるでしょう。きっと」


「活性化アクセスは、言語にしますか」

 ジャンが確認する。

「言語にする」

「言葉にしてください」

「……バイバイ、マ―ラ」

「それでいいですか」

「それで、いい。半分ずつ活性化させることできるかしら。ショックで、ローランの肉体に何が起きるか分からないから」

「わかりました。最初はバイバイ、マーラ五十、と言ってください。二度目、全開するときは、バイバイ、マーラ百、と言ってください」

「わかった」

「カプセル破壊受信機能を活性化しました。最初に、バイバイ、マーラ五十、と言ってください」

「バイバイ、マ―ラ五十」

「次に、バイバイ、マーラ百、と言ってください」

「バイバイ、マーラ百」


「ドクター、この機能は、ドクターのロボットスーツに繋がっています。スーツを着て、スーツを起動させた状態で行ってください」

「分かっている」

 桂木は空間ホログラフィモニターを見上げた。

 ローランは夢を見ていない。マイクロRNA26エクソソ~ムの数が、八兆個になっている。


 もうすぐ、ローランは目覚める。

 驚異的な速さだ。




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