35 桜子、マ―ラの遺体に献花する



 ヒラゲンのアームに設置されていた手術器具を取り外し、ジャンが洗浄滅菌処理をしてスパイダ―内に収納した。今はアームには五本の指を持つ操作器具が取り付けてある。

 手術室は集中治療室(ICU)に変わった。


 マ―ラの遺体の搬出が終わってから、桂木はヒラゲンの映写するエクソソームの分析結果データを見つめていた。

 成田毅は桂木に尋ねる。

「エクソソームが気になりますか」

「ローランの血液に、マイクロRNAの塩基の数が二十六あるエクソソームが、現れている。ほんの僅かだけど」

「妙ですね。原因は何です」

「臓器から、浸蝕しているのかもしれない」

「脳から来ていませんか」

「怖いこと、言わないでよ」


「ドクター、ローランはいつ目覚めるの」

 桜子が訊いた。

「多分、数日かかると思う」

「いつまで、治療を続けるの」

「二週間から、一カ月。いや、それ以上かも」

「わたしたち、いつ帰れるの」

「ローランしだいね。わたしたちが、ここを離れても、大丈夫だと、ローランを説得しなければならない」

「スパイダ―と、ヒラゲンを置いていったらどうです。継続して、ホロ―できるでしょう」


 カリムゴロフキンがICUに入ってきた。

「ベッドを運んできました」

「滅菌室に入れてください。十分経ったら、ここに入れて、あそこに置いてください」

 成田が手術台の脇の壁際を指さした。

 カリムゴロフキンは一旦外に出て、兵士たちにベッドを滅菌室に運び込むように指示する。ベッドの滅菌室への搬入が済むと、カリムゴロフキンはICUに入ってきて、桜子の前に立った。


「今夜八時から、マ―ラの追悼式を行います。黒崎桜子さんには、代表して献花と挨拶をお願いします」

 また、挨拶……。桜子の呟きが聞こえた。成田は桜子を見つめて頷いて見せた。桜子が挨拶が苦手なことは知っている。だが、歓迎会のときのアドリブはよくできていた。将来、綾人と結婚したら、人前で挨拶することが多くなるだろう。彼女に必要なことは、挨拶に慣れて自信をつけることだ。

「わかりました」

 桜子はカリムゴロフキンを見つめて笑顔で言った。


「さて、これから、どうします」

 カリムゴロフキンたちが、去ってから、成田が腕を組んで言った。

「三人交代で詰めるしかないわね」

 桂木が言った。

「わたしと、サクラコは、夜勤を担当しましょう。ドクターは日中勤務ということで。夜中に、緊急ということも、考えられますので」

「わたしも、賛成」

 桜子も即座に同意した。

「ドクター、よろしいですか」

「ありがとう。助かるわ。期間は、一週間程度になると思うけど」

「サクラコは、夕方の五時から、真夜中の十二時まで、わたしは十二時から朝の八時まで。ドクターは、八時から五時まで、ということで」

「了解」

 桜子と桂木が同時に言った。



 夕食を終え、三人は桂木の淹れたコーヒーを飲んだ。

「挨拶は、タケ爺の言った五つのことを、話すわ」

 桜子が胸を張って言った。

「マ―ラは、ローランを心から敬愛していたこと。ローランは最後の最後までマ―ラを救いたいと言っていたこと、重い病でマ―ラの命が消える寸前だったこと。それから、マ―ラがローランの命の一部になりたいと望んだこと。最後に、ローランの手術が成功したこと」

 成田が大きく頷いた。

「サクラコ、ゆっくり、自分の言葉で話すんだ」

「わかった」

「いいか、絶対言ってはいけないことがある。マ―ラがローランの心に自分の記憶を残したいと言ったことだ」

「分かっている」


 カリムゴロフキンが花束を抱えて入ってきた。

 彼は、ローランの顔を覗きこむと、満足そうに頷いた。

「黒崎桜子さん、お願いします」

 彼は花束を桜子に渡した。桜子は笑みを浮かべて頷く。


 カリムゴロフキンの後について、桜子はドームを出た。成田はドームの出口まで、桜子を見送った。

 ドーム前の広場は群衆で埋まっていた。広場は多くの人々を呑みこみ、篝火に照らされて、神秘的に浮き上がっている。桜子が緋色のマントを翻して献花台に向かった。

 桜子は献花台の前に立ち、花束を掲げた。

 広場を埋め尽くしている群衆が手を叩き、歓声を上げる。


 それは、広場に舞い下りた天使の様だった。




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