第三幕

第五章 魔女は覚醒する

34 臓器移植と記憶移植



 成田毅はスパイダ―内での昼食を終えてドームに戻ってきた。

 カリムゴロフキンとララモントが手術室の前で立っている。二人は緊張した面持ちで、成田に会釈した。

 手術室から桜子が出てきた。桂木と桜子が先に昼食をとり、彼女らと入れ換わりに成田が食事をしていたのだ。

「ちょうど良かった。ドクターからタケ爺と交代するように言われたの。手術を始めるそうだから」

 午後はグレイと手術室の外で門番をしていればいいと、気楽に考えていた。急な任務だったが、成田は微笑みを浮かべた。

「わかった。グレイを頼むよ」

「はい」


 成田は野戦病院で戦友の手術に何度も立ち会ったことがある。今でも慣れることのできない仕事の一つだ。桜子にとって体を切り開く作業に加わる事は堪えられない、と桂木は考えたのだろう。


 手術室に入ると、桂木がスタンドに血液パックと輸血セットを吊るしているところだった。ダブルの手術台には、すでにローランとマ―ラが横たわっていた。ローランは麻酔を終え、人工呼吸器を装着している。隣には、マ―ラは胸に手をやってゆっくりと呼吸している。

 今日は、このプロジェクトの最大の山場になるだろう。


 桂木がマーラの側に立った。ローランの横に、ジャンが大きな体を寄せる。成田は桂木に指示されるまま、彼女の隣に立った。四枚の検査基盤が手術台の上に下りてくる。

「マ―ラ、始めますよ。よろしいですか」

「はい」

「まず、海馬という記憶をつかさどっている部位に、神経線維を通し、あなたの大事な人が記憶されている神経細胞を探ります。海馬が機能していなければ、辺縁体を探ります」


 ヒラゲンの手が握ったメスで両側頭部の金髪を剃っていく。白い地肌が現れる。


 夫と移っている写真を、桂木はマ―ラに持たせた。

「頭の横に一ミリの穴をあけます。そこから、神経線維を差し込みます。いいですか、光ファイバーから光を当てますので、あなたの大好きだった人のことを、思い続けてください」


「マーラの頭を手で固定してください」

 桂木は医療用ドリルを持つと、成田に指示した。

 ドリルを回転させ、側頭部に穴を開けていく。ドリルが頭蓋骨を通ってクモ膜下に達した。その映像を確認すると、桂木はゆっくりとドリルを抜き、その穴に神経線維を差し込んでいく。神経線維は腫瘍を貫き、海馬の細胞に達した。

 

 桂木はマーラの側頭部に光ファイバー装置を当て、光を発射する。

 反応があった。そこは、辺縁体、記憶素粒子バイオフォトンが緑色に輝く。

「見つけたわ、あなたの愛を」額に指を沿える。

「マーラ……、静かに、お休みなさい」

 桂木はマ―ラの顔に麻酔装置をつけた。マ―ラは笑みを浮かべて目を閉じた。


「ヒラゲン、記憶移植から先に処置するよ。これから、マーラの辺縁体とローランの海馬を神経ケーブルで連結する。すぐ始めて。わたしは、マーラの辺縁体に直接バイオフォトン誘導体を注入する」


「ドクター、完了しました」

「了解」

 桂木はマーラーの辺縁体に、誘導体を注ぐ。辺縁体は橙色に変色していく。

 十分ほどで、辺縁体は暗くなった。

 桂木はローランの額に指を沿え、立体ホログラフィを見上げる。ローランの海馬が緑色に点滅している。バイオフォトンが転移し、記憶移植が成功したあかしだ。


「ヒラゲン、始めるわよ。ローランとマ―ラ、同時に」

 映像で表示されているローランのバイタルは、血圧118、67、脈拍62、血中酸素濃度97。

「マ―ラの状態は?」

「瞳孔が固定、脳波平坦、自発呼吸の消失。……光反射の消失。ほぼ脳死状態です」

「ヒラゲン、ローランの肝臓を予定通り摘出しましょう。始めて、すぐ」

「マ―ラの方は、献体として処理してよろしいのですか」

「そう。マ―ラは死亡した。だから臓器を摘出できる」

「本当によろしいのですか」

「わたしが、そう決めたの。すぐ始めて」


 ヒラゲンは納得していないようだ。脳死判定の倫理規定との関わりで混乱しているのだ。

「ヒラゲン、すぐ始めて。遅れるとローランの体がもたないわ」

「わかりました。特例措置として、記録します」


 外科医というのは、医師資格を持つAI医療機器操作の技術者にすぎない。ヒラゲンがアラームを鳴らしたときに、外科医として対処方法を意思決定するだけだ。ヒラゲンは日本が開発した最先端の外科手術用AIロボットだ。成田が知る限り、ヒラゲンが、過去に医療事故を起こしたということを聞いたことがない。


 二つのアームが同時に動き出した。

 ローランのアームの電気メスが、腹部を縦に切り裂いていく。開創器が開いた状態を維持する。一方のマ―ラのアームも電気メスで腹部を切り裂いていく。処置を終えたローランの肝臓を、鉗子が掴みだす。ジャンが差しだしたトレ―に、肝臓を載せる。

 老化しているローランの血管が裂け、出血が始まった。止血し。体内の血液を排出する。ヒラゲンが輸血を始めた。

 摘出したマ―ラの肝臓がローランの体の中に入っていく。血管、神経、臓器との接合を行っていく。


 ローランの腎臓が鉗子によって体外に出される。左の腎臓は周辺血管がダメージを受けているので、マ―ラの腎臓は左下腹部に移植される。右の腎臓はマ―ラの腎臓と置き換えられた。

 輸血用血液は2000ml用意したが、ほとんど必要なかった。


 ヒラゲンが、針と糸を巧みに操って、ローランとマ―ラの腹部を閉じて行く。

「手術は完了しました。投薬管理とバイタルチェックを行っていきます」

「ありがとう、ヒラゲン」

 桂木が呼吸器を口に咥えているローランを見つめながら言った。

 後は記憶移植が成功しているか、どうか、だ。


 桂木は暫く腕を組んで考え込んだ。そして強い口調で言った。

「ヒラゲン、マ―ラの海馬と辺縁体を切除して」

 ヒラゲンは、手術用チェーン・ソーを、マ―ラの側頭葉に当て、切り開いた。鉗子が腫瘍に包まれた海馬と辺縁体を摘まみ上げる。桂木はそれを受けとり標本瓶に入れた。


 桂木は手術室を出た。

 カリムゴロフキンとララモントが待ち受けていた。

「手術は成功しました。棺を一つ用意してください」




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