29 モンゴルの少女 ドルマー




 昨夜は久しぶりにアルコールを飲んだ。今も口の中に葡萄酒の甘い香りが残っている。窓から朝日が注ぎこんでいる。市民の叫ぶ声が聞こえてくる。

 成田毅は、ベッドの中で穏やかな異国の朝に浸っていた。


 グレイが戸口に向かってポイントした。成田はベッドのまくら元に置いてあるヘルメットを被り、通訳音声装置を起動させる。

「タケ爺」

 自分のことをタケ爺と呼ぶのは、桜子だけだ。成田はドアを開けた。モンゴルの少女ドルマーが朝食パッケージを両手で持って立っていた。

「サクラコおねいちゃんが、タケ爺に朝ご飯を持っていくように言ったの」

「ありがとう」

 成田は笑顔を浮かべて朝食パッケージを受けとった。

「ジュース、飲むか」

「はい」

「ここで、何をしている」

 成田はコップに葡萄のジュースを注ぎながら訊いた。

「サクラコおねいちゃんの手伝いです」

「勉強はしなくていいのか」

「サクラコお姉ちゃんが、日本の勉強を教えてくれることになりました」

 桜子が、勉強を教える? 大丈夫か。

「わたしが、勉強を教わる。わたしは、おねいちゃんに馬の乗り方を教える。そういう約束をしたの」


「わたしたちは、仕事が終わったら、日本に帰る。そうしたら、どうする。ここにも学校があるだろう」

「お父さんが、日本で勉強した方がいいって、言っているの。日本のロボット、凄いから、わたし、勉強も凄いと思うの」

 成田は溜息をついた。桜子にドルマーについて話をしなければならない。この少女は、日本の過酷さ、悲惨さを知らないのだ。

 成田はテーブルに朝食パッケージを置き、食べ始めた。


 ドルマーは丸い木椅子に腰かけ、ジュースを飲みながら訊いた。

「ここの、一番偉い人、ローランという女の人らしいんです。タケ爺は、きのう会ったんでしょう。ローランって、どんな人」

「サクラコに訊かなかったのか」

「おねいちゃんは、タケ爺に訊けって」

「なるほど、そう言ったのか」

「ねえ、どんな人?」

「普通の人だよ。いや、普通の人よりやさしいかな。それより、国の女王さまに相応しい人かもしれないね」

「そうなんだ。町の人も同じことを言っていた」


「それより、桜子は何をしている?」

「お医者さんの手伝いをしている。血をいっぱい集めるんだって」

 成田は時計を見た。午前九時三十五分だった。朝食スープを喉の奥に流し込む。寝坊したようだ。


 戸口から、ジャンが腰を屈めて覗きこんできた。

「タケシ、ドクターが呼んでいます」

「わかった。すぐ行く」

 成田は朝食パッケージの煮汁を口の中に流し込むと、立ち上がった。

「グレイ、行くぞ」

 家の外に出た。行政庁舎の前の広場が、人で溢れていた。その一角に長い行列ができている。その先にテントが張られており、長テーブルの椅子に桂木の姿があった。すでに、献血が始まっていたのだ。






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