28 ローラン、桜子に緋色のマントを贈る

 


 黒崎桜子が成田、桂木と共に歓迎会場であるドームに入ると、すでに市民の代表で埋まっていた。正面中央に長テーブルがあり、四つの椅子が並んでいる。その前に円形のテーブルが全部で三十ほど配置されている。その銘々のテーブルに、灰色の民族衣装を着た老若男女が座っている。


 桜子は正面の長テーブルの左から二番目の椅子に案内された。レッドがその後ろに伏せる。

 成田と桂木は左手前の丸テーブルに案内される。そのテーブルには、すでに四十歳ほどの女が座っていたが、立ち上がって二人に握手を求めてきた。

「次席執政官のララモントです」

 成田と桂木は、それぞれ自分の名を名乗り、彼女と握手を交わした。グレイとブルーが、成田と桂木の傍に伏せる。


 奥の扉が開くと、筆頭執政官のカリムゴロフキンを先頭にローランと白いマントを着た若者がドームに入ってきた。

 桜子は思わず立ち上がった。その若者は寺島綾人だった。最後に会った時に比べ少しやつれて見えたが、健康は問題なさそうだった。綾人は桜子を見ると笑みを浮かべた。

 

 ドーム内の全員が立ち上がった。

 桜子の左隣にカリムゴロフキンが座り、桜子の右隣にローラン、その隣に綾人が座った。

 会場の全員が着席する。桜子と綾人の間にローランがいるので、桜子は直接綾人と話すことができない。


「日本から、ローランの治療のために遠路来られた、医療チームの皆さまの歓迎会を、感謝をこめて開催いたします」

 カリムゴロフキンの声がドーム内に響き渡った。

 桜子は違和感を感じた。わたしたちは、人質を取られ、やむなくやってきたのだ。ジュンガルに好意をもって来たわけではない。市民たちの歓声は、わたしたちが善意でローランを救うために来たと思っていることを物語っている。


 ローランは杖を使って立ち上がった。

 そして、徐に話し始めた。

「ジュンガルの市民の皆さん、わたしたちは、今日、日本から偉大な人々を迎えることができました。わたしの隣に座っている若き女性は、次期日本国家総裁となられる寺島綾人さまの婚約者です。そしてあちらのテーブルにおられるのは、わたしの治療をして下さる医師と、日本を代表する兵士の方です。わたしは、心から歓迎し、感謝いたします」

 ローランはゆっくりと拍手を始めた。

 その拍手は会場全体の拍手となり、ドーム内に響き渡った。


 その雷鳴のような拍手は二分間続いた。

 緋色のマントを持った女性が現れ、ローランに手渡した。ローランは、その緋色のマントを高々と掲げた。

「日本の使者黒崎桜子に、最高勇者のしるし、緋色のマントを贈ります」

 ローランはそう言うと、桜子に立ち上がるように促し、肩にマントをかけて、胸の前をピンで留めた。再び歓声と拍手が起こる。桜子の心は、今まで経験のしたことのない高揚感に包まれた。


「それでは、桜子さま、ごあいさつをお願いします」

 カリムゴロフキンが言った。

 桜子は高揚感のあまり胸が苦しくなった。昨夜、タケ爺からあいさつの原稿をもらい、何度も練習してきた。短い挨拶だったので、空暗記できた。タケ爺は挨拶原稿を手にして読み上げるように言ったが、その必要がないと思い、どこかに置き忘れてきてしまったのだ。

 原稿の内容を思い出せない。


 桜子は市民たちに顔を向け、深呼吸した。仕方がない。ひたすら感謝の言葉を並べればいいのだ。

「ローランさま、執政官の方がた、それから市民の皆さま、こんなに温かくお迎えくださり、有難うございます。胸がいっぱいです。心から感謝します。わたしたちは、全力をあげてローランさまの治療に専念いたします。必ず、ローランさまを、健康で、元気になられるように、全力を注ぎます」

 桜子は拍手の響きを感じながら椅子に座った。


 葡萄酒で乾杯する。

 次々と料理が運ばれてきて、にぎやかな宴会が始まった。

 桜子はローランに体を向けて、持ってきた布袋をテーブルに載せた。

「ローランさま、お願いがあります」

 ローランはコップの水を一口飲んでから、桜子を見つめた。

「これは、綾人の祖母から彼に渡してほしい頼まれた、下着です。これを綾人に贈りたいのですが」

 桜子は布袋を開いて中の物をローランに見せた。


「どうぞ、わたしは、構いませんよ」

「ありがとうございます。それから……」桜子はローランの耳元に唇を寄せた。

「綾人を、いつ解放していただけるのですか」

 ローランは笑みを浮かべた。

「サクラコさん、わたしは、愛し合っている者同士を切り離したりはしない。手術が終わり、わたしが自立できるようになったら、すぐあなたにお返しします」


 桜子は立ち上がると、綾人の傍に行き、テーブルに布袋を置いた。

「お婆さまからの、あなたへの贈り物。会いたかった、綾人」

 桜子は綾人の後ろから抱きついた。耳元に唇を寄せる。そして小声で囁く。

 これ、ロボットアンダーシャツ、必ず身につけて……

「ありがとう。サクラコ。嬉しいよ」

 綾人の声は涙声だった。


 ローランは立ち上がると、成田と桂木のいるテーブルに向かった。

「桂木ドクター、献血の準備はできています。明日朝から、採血できます」

「安心しました、ローランさま。あなたの血液型はА型、プラスでした」

「わたしは、これで退席します」

 ローランは奥の扉に向かって歩きだした。彼女を扉まで送って行った次席執政官のララモントと言葉を交わすと、扉の奥に姿を消した。


 ララモントはカリムゴロフキンに一言語り欠けてから、成田たちのテーブルに戻ってきた。

「皆さまに、ローランさまが、お話があるそうです、五、六分、ここを中座していただきます。その犬たちは、執務室には入れません」

 

 成田と桂木が立ち上がると、ララモントは足早に桜子の席に来た。

「桜子さま、ローランさまからお話があります」

 

 ドームの隣室で、ローランは肘掛椅子に座って、桜子たちが来るのを待っていた。

「ここに来る途中、ガルバンとトラブルがあったそうだね」

 ローランは開口一番そう言った。彼女の勢いに押されてか、成田は即座に返答しなかった。


「あなたがたが、ジュンガルに来たと知れたら、彼らはあなたがたの引き渡しを要求してくるかもしれません。わたしは、争いを好みません。今まで、ガルバンとは、折り合いをつけて、共存共栄してきたんです」

「知りませんでした。申し訳ありません」

 成田は深く頭を下げた。


「ローランさま、ガルバンはあなたが送った使者と、モンゴルの子供たちを拉致したんですよ。そのままにしておけと、言うんですか」

 桜子が感情をあらわにした。

「サクラコ、あなたが、ここに来た目的は何ですか。綾人を連れ戻すことですか、それとも、モンゴルの子供たちを救うことですか」

「ローランさま、もうしわけありませんでした。今後注意いたします」

 今度は桂木が頭を下げた。

 桜子は不満そうに腕を組んで天井を見上げている。

「済んだことはしかたがない。今後は、慎重に行動していただきたい」


 ローランはララモントからコップの水を受けとると、一口飲んだ。

「わたしに、命をくれるという、女性、名前はマーラというの。彼女はわたしのこと、敬愛していると言った。自分は頭の中に大きな腫瘍があり、いつ死ぬかもしれない、と。どうせ命を失うのなら、自分の臓器をわたしの体の中で生かしてほしいと、哀願してきたの」

 

 ローランの声は震えていた。

「だから、マーラの体を調べて、彼女の言うとおりだったら、わたしは彼女の願いを受けとめるつもりです。もし、マーラに回復の希望があるならば、彼女を治療してほしい。もちろん、寺島綾人は開放します」

 ローランはコップの水を飲み干し、桂木を見詰めて言った。

「約束できますか」


「はい、約束します」

 桂木は即答した。


 桜子たちが歓迎会場に戻ってきたのは、出てから十分後のことだった。

 すでに、綾人の姿はなかった。

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